五話
神聖歴千二百年七月十日。
エルミナ王国中域中部――王都パラディース。
世界で最も古き都の一つとして名高い都市である王都は、平時ならば四方にある大門が開かれ、都市内部には多くの人々が行きかっている。
広大なエルミナ領土の中心に位置することから商業の中継地点としての役割を果たしている為、活気が絶えないのだ。
けれども現在――首都であるこの都市は奇妙な静寂に包まれていた。
四方の大門は閉じられ、四重の城壁
都市内部は人気がほとんどなく、中央街路にある様々な露店も畳まれていた。
その先に位置する王城グランツ――その正門前には完全武装の兵士たちが緊張の面持ちで立っている。
このような事態になってしまった理由を王都に住まう者たちは誰もが知っていた。
『もうすぐ東方軍が攻めてくるって話だが……本当に王都は大丈夫なのか?』
『心配ないさ。こっちには〝四聖壁〟があるし、西方征伐を終えた主力もこちらに向かっているとのことだ。〝勇者〟さま方が叛乱軍を蹴散らしてくれるはずさ』
『そうだといいが……そもそもどちらが正しいのかすら、ハッキリしていないしなぁ』
『しっ!口に出すなよ。お前もあの貴族連中みたいに反逆罪で牢にぶち込まれたいのか?』
『わ、わかってるよ……』
十日前の話だ。
オーギュスト第一王子とアルベール大臣の行動に不信感を抱いた複数人の貴族が、国王への拝謁を願った。
しかし現国王アドルフは病床の身――故に当然、許可など出ようはずもない。
けれども他の王位継承者たちの言葉が真実ならばその原因はオーギュスト第一王子らにある。故にその疑惑を払拭するという意味でも会わせてほしい、と彼らは主張したのだ。
だが、これにオーギュスト第一王子は激怒し、彼らを反逆者に認定して王城地下の牢獄へと収監してしまった。
その暴挙ともとれるあまりに性急な対応に貴族諸侯や政府高官は恐怖した。何故ならその対応は、国王が臥している現状では誰も止める者がいない、つまりいつ自分が同じ目にあうかわからないということだからだ。
故に彼らはオーギュスト第一王子の眼にとまらぬよう息をひそめるように黙々と王城で仕事に当たるようになった。
その事実は文官から武官――兵士へ伝わり、そこから市井へと流れた。更にそこへ東方軍が王都を目指して進軍中という情報が合わさることで、王都で暮らす民以外の大半は市外へと脱出、住民たちも家に篭るようになってしまう。それが王都パラディースを包む奇妙な静けさの原因であった。
されど、何事にも例外が存在するように、この状況下にあってもオーギュスト第一王子に物申す人物がいた。
「――ですから、今すぐ貴族の方々を解放してくださいと申し上げているのですっ!」
静寂に包まれる王城グランツ――その一室で女性の声が響き渡った。
凛とした声音を発するのはカティア・サージュ・ド・メールという女性だった。
若干十八歳にしてその類まれなる魔法の才を評価され、王立魔法学院で講師を務める才女であり、異世界から召喚された〝勇者〟一同に魔法の教育を施したこともある。
彼女は勇者たちが西方征伐に赴いた後も王都に留まり、魔法学院で仕事を行っていたのだが、親しくしていた貴族が家族共々捕らえられ牢獄に入れられたと知ってオーギュスト第一王子に直談判しに来ていたのだ。
「カティア殿、その貴族らは国王陛下の代理人たるオーギュスト殿下を侮辱したのです。更には反逆者である他の王位継承者を支持するような言動も見受けられました。そのようなことをされては身柄を拘束せざるを得なかったのですよ」
声を荒げる少女を窘めるようにそう告げたのは、
彼の名はアルベール・ド・マルス。この国の大臣であり、国王が病に臥せっている現状における実質的な国家の
そんな彼の言うことを聞かない子供を宥めるかのような態度を不快に思いながらもカティアは引き下がらない。
「ですが、何も家族全員を拘束する必要はないでしょう!その中には年端もいかない子供だっています。王城の一室に閉じ込めるならまだしも、あんな薄暗く衛生環境も良いとはいえない牢に入れるなど……間違っています!」
「それについては――」
「カティアよ」
カティアは優れた魔法使い――故に敵対することを避けようと説得を試みたアルベール大臣の言葉を、オーギュスト第一王子が遮った。
「貴様は何様のつもりだ?大臣たるアルベール相手ならまだしも、この国の王子であり王位継承権第一位たるこの我に向かってその口のききようはなんだ?」
「そ、それは……っ!口が過ぎましたことは謝罪致します。ですが――」
「黙れ」
一喝したオーギュストは手にしていたグラスを床に叩き付けると勢いよく立ち上がった。その瞳には荒々しい激情が燃え盛っている。
「どいつもこいつも我に逆らう者ばかり……何故わからん。我の行いの正しさが」
「……た、正しさ?殿下の行いにそのようなものなど――」
「だから――黙れと言っているッ!」
「っ!?」
激高したオーギュストが右手を突き出せば、雷撃が迸って少女を打ち据えようとした。
だが、怒りに燃えるオーギュストに身の危険を感じていたカティアは身構えていた。その結果、オーギュストが放った雷魔法が届く前に防御することに成功する。半透明な結界が彼女の周囲に展開され、それに雷撃は当たって消えた。
この突然の暴挙に、驚いたのはアルベールである。
「で、殿下!穏便に済ませるはずでは……!?」
「どのみちこの様子では懐柔などできぬであろう。ならばこの場で捕らえた後、洗脳でもなんでもすれば良い。その方が後々楽であろうしな」
当初の計画ではカティアには自らの意思でこちらに協力してもらう予定であった。実力が高い魔法使いである彼女と敵対するのは得策ではないし、嫌々味方につかれても本来の力を発揮できないだろうと判断してのことである。
それについてはオーギュストも納得していたはずだった。だが、結果はこのざまだ。
これには当然アルベールは焦った。当たり前だ。この場において最も力を持つ者はカティアである。オーギュストもアルベールも魔法は使えるが、その実力は彼女の足元にも及ばない。
そのような状況では捕らえることなど出来ようはずもなく、それどころかこちらの身が危険だ。
現にアルベールの眼前で、カティアは攻撃の為に魔法を編み始めていた。
「殿下っ!危険です、今すぐお逃げください!私が盾になりますっ!」
ここでオーギュストを失うわけにはいかない。そう判断したアルベールが彼の前に立つが――、
「問題はない。……そうであろう、ノンネよ」
「――ええ、心配ご無用ですよ、アルベール大臣」
「え……っ!?」
オーギュストが人名を口にした瞬間、カティアを守護していた結界が鮮烈な音を立てて崩壊した。あまりにもあっけなく自らの固有魔法が破られたことに、カティアは思わず呆けてしまう。
そんな彼女の背に短杖が突きつけられる。ハッと我に返るカティアだったが、振り向くことはできなかった。身体を捻ろうとした直後、凄まじい衝撃と共に意識が暗転したからである。
いとも容易くカティアを無力化したのは外套を深々と羽織る仮面の女性――ノンネであった。
「ふふ、危ないところでしたねぇ、お二方」
「は、最初からこの場を〝視〟ていたくせによう言うわ」
「ですからご不快な思いをさせないよう、事前にご説明したでしょう。……それよりも」
と、足元に転がるカティアを抱き上げたノンネは興味深そうな色を湛えた瞳を彼女に向けた。
「この娘、非常に面白い素体のようです。……私が頂いても?」
「駄目だ。その小うるさい娘は我が国の貴重な戦力だ。貴様に渡すわけにはいかん」
「ですがあの様子ではあなたに従うことはないのでは?」
「そのままではな。無論、調教するとも」
「……おやおや、なんともえげつない。同じ女として同情してしまいそうです」
「はっ、貴様のような人外が共感できるとは思えんがな」
「酷いですねぇ。……まあ、いいです。話を進めましょう。〝魔封じの首輪〟はお持ちで?」
「無論だ。こうなることを想定して用意してあった」
オーギュストは懐から一つの首輪を取り出した。特に何の装飾も施されていない無機質なそれは、見た目以上の力を持つ首輪だ。
「これをはめておけばどれほど魔力を持つ者であっても魔法を発動することは叶わなくなる。この生意気な娘は実力だけは確かだからな。暴れられては堪らぬ」
カシャン、と音を立てながら意識のないカティアの首に〝魔封じの首輪〟をはめたオーギュストに、ノンネは身柄を渡した。
「もし上手く調教出来なければ、その時は私も微力ながら手伝わせて頂きましょう。私の持つ〝力〟は人を説得することに特化しておりますから」
「洗脳の間違いであろう。それに……問題はない。苦痛しか与えられぬ男とは違って女は比較的楽に堕とせるものだ」
オーギュストはカティアの身体を抱きかかえると、アルベールに指示を出す。彼がそれに従って部屋の片隅に置かれていた書架の前に立ち一冊の本を引っ張れば、音を立てずに書架が動いて螺旋階段が姿を現した。
それは一握りの者しか知らない、王城地下へと続く階段である。
「我はこの娘を相手する。アルベール、貴様は何かあれば我に知らせよ。ノンネよ、貴様はどうせ何を言おうとも好き勝手動き回るであろう。故にこれまで通り、好きにせよ」
そう告げて螺旋階段を下っていくオーギュストの顔はこれから訪れる喜悦と悦楽に歪んでいた。
その背を見送ったノンネは、仮面の下で笑みを深める。
「……醜悪ですね。ですが、それだからこそ〝人族〟は面白い」
「…………」
そうして現れた時同様音もなく姿を消した。
そんな彼女の言葉をアルベールは聞かなかったことにして、主の短慮短気によって乱れた計画をどう修正するかと、頭痛をこらえるかのように額に手を当てるのだった。
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