四話
全ての用事を済ませた頃にはもう夜も更けっていた。
ルイが顔を上向かせれば、大海のように広い夜空が視界に入ってきた。黒き空には輝く星々が鏤められている。
「……手は打った。現状ではこれ以上は望むべくもない」
やれるだけのことはやったつもりだ。しかし、この先の展開を考えればどこまで意味のあることか。
ルイは重い息を吐くと視線を北の空へと移す。
「ヨハン、ダヴー……キミたちの忠義には本当に頭が下がるよ」
ルイが夜光に敗北し囚われたことで北方軍は撤退を余儀なくされた。それに加えてルイがシャルロットを支持すると言ったこともあって、彼を支持してくれていた北方貴族たちは大いに反発した。
しかし北方貴族のまとめ役でもあるヨハンと、兵に厚く信頼されていたダヴー将軍が説得してくれたおかげでそれらを抑えることができたのだ。
全てはルイが二人に計画の全容を明かしたことが影響している。
「二人とも初めは驚いていたな。まあ、無理もないことだけど」
と苦笑を浮かべたルイだったが、すぐに表情を険しくさせる。
「でも……ボクの企てがどこまで通用するか、怪しくなってきたからね」
この国だけの話なら問題なかったかもしれない。けれども事態は刻一刻と悪化してきていた。
隣国である超大国、アインス大帝国の動向がその原因である。
「彼らはおそらく本気でこちらを潰そうとしているだろう」
それは近年のアインス大帝国の動きを鑑みれば自然と導きだされる答えであった。
先代皇帝の死後、帝国は荒れた。何せ先代皇帝は原因不明の急死であったし、後継者を指名していなかったからだ。それだけならまだ何とかなったかもしれない。その為に皇位継承順位があったのだから、第一位が次の皇帝になればいいだけの話だ。
けれども他の皇位継承権を持つ皇族たちが黙っていなかった。
彼らは一様に先代皇帝の怪死ともいえる急死は皇位継承権第一位による弑逆である、と主張し、自らを支持する派閥の将兵と共に決起したのだ。
これによって玉座を巡る内乱が発生、各地で戦火が上がることで治安は悪化。国内の至る所で野盗が蔓延り、魔物が跋扈し、更にはこれを好機と見た他国までもが軍を起こして侵攻を開始した。
まさに国家崩壊の危機――されど、そんな時代だからこそ〝英雄〟と呼ばれる傑物が台頭する。
「千二百年前のように、あるいは二百年前のように」
もはや現代からすれば神話の時代――千二百年前。当時、まだアインス大帝国が単なる小国に過ぎず、エルミナ王国が誕生すらしていなかった頃、世界は
その種族は生まれつき〝魔力〟を操作でき、それによって〝魔法〟という奇跡を行使できた。加えて身体能力にも優れており、彼らが神と崇める〝天魔王〟も他の〝王〟とは違って積極的に〝魔族〟に庇護を与えたことで、結果として彼らは他種族よりも絶大な力を誇っていた。
そうした背景から圧倒的な力に溺れた〝魔族〟は他種族を迫害し、全世界を支配下に置いた。〝魔族〟からすれば幸福の絶頂期、他種族からすれば暗黒の時代であった。
けれどもその支配は長くは続かなかった。五大系種族の中で最弱と呼ばれた〝人族〟から、一人の〝英雄〟が生まれたからだ。
「〝獅子心王〟……始まりの英雄、か」
小国であったアインスの王族に生まれたその〝英雄〟の名は、リヒト・ヘル・ヴァイス・フォン・アインス。
後にアインス大帝国を建国した初代皇帝にして、帝国三大神の一角
彼は父王が戦死したことで若干十七歳で王になると、〝名を禁じられし王〟の力を借りて〝異世界〟から一人の少年を召喚した。
その少年こそ〝初代勇者〟にして、現代では帝国三大神の一柱
シュバルツという王佐の才を持つ少年と、獅子の如き勇猛果敢なる王であるリヒト。彼ら二人は〝人族〟を率いて〝魔族〟に戦いを挑み、連戦連勝を重ねる。
その輝きに魅かれた者たちが彼らの元に集うことで強大な勢力となってゆき、最終的に〝魔族〟は滅びることになる。
「まあ、その後に〝英雄王〟が姿を消したことで色々あるわけだけど……それでも乱世の中で〝英雄〟が生まれたのは事実だ」
現代にて荒れたアインス大帝国を立て直し、更に周辺諸国すらも征服した当代の皇帝が現れたように、天が乱れる時、世界は〝英雄〟を見出す。
その例として次に挙げるのならば、やはり二百年前だろう。
星々よりも燦爛と煌めく満月に銀眼を向けたルイは呟く。
「〝解放戦争〟……偽りの〝王〟の支配から世界が解放された時代にもやはり〝英雄〟は現れた」
またしてもアインス大帝国からその〝英雄〟は生まれた。
ルナ・レイ・スィルヴァ・フォン・アインス――後にアインス第五十代皇帝となった、建国史上初の女帝。
現代においては帝国三大神最後の一柱
彼女は〝英雄王〟の末裔を始めとする多くの人物に支えられ成長し、千年もの間世界を裏から支配していた〝名を禁じられし王〟を討伐し、世界を〝王〟の支配から取り戻すという偉業を成し遂げた人物である。
付け加えるなら〝創神〟以降誰も成し遂げることができていなかった〝南大陸の統一〟を間接的に達成したことで、第二代〝人帝〟――〝人族〟を統べし者――に成った人物でもある。
「更には存在しえなかった新たなる〝王〟になった人物でもある」
知る者がほとんど存在しないアインス大帝国の最高機密を口にしたルイは、天に座する月に手を伸ばす。
「〝英雄〟はアインス大帝国だけにしか生まれない――その歴史を覆さなきゃいけない」
ルイは未だ届かぬ月に伸ばした掌を硬く握りしめて魔力を迸らせた。
「初めはボクがなるしかないと思っていたけれど――」
極寒の世界、全てが白に染まりゆく果てで、ルイは出会った――出会ってしまったのだ。
純白よりも光輝に満ち溢れ、月光よりも明るい輝きを放つ一人の
「何も知らないふりをしたけれど、本当は知っているんだよ?――ヤコウくん」
エルミナ王家に伝わる伝承――そこには七柱の神についてのものもある。
故にルイは今ではほとんど失われたと言って良い神――〝王〟についても知っていた。
「超回復に紅い輝きが眼帯から漏れていた左眼……何よりあの水晶よりも美しい白銀の剣は唯一無二のものだ」
姿かたちこそ伝承と違えども、所持する〝力〟と〝王〟のみが持ちうる宝剣が物語っていた。
ルイは秀麗な美貌に笑みを刻むと、生涯唯一己を打ち負かした少年を思い浮かべて、
「帝国に生まれた新たな〝英雄〟に対抗しうる、この国を救える〝英雄〟にはキミこそが……いや、あなたさまだけが相応しい――」
――
一柱の〝王〟の尊名を口にした。
*****
神聖歴千二百年七月七日。
エルミナ王国中域南部〝金の道〟。
金の産出地として有名なエルミナ南方と、首都がある中央とを結ぶ大街道であるこの道は常に手入れが施されている。更には接する各領土の領主が兵を派遣し、日常的に巡回を行っているため魔物や野盗による被害もほとんど出ない。その為、商人を始め多くの人々が利用していた。
しかし今日、〝金の道〟は普段とは違う光景を見せていた。
幅が大きいはずの街道を埋め尽くす人の群れ、それが延々と後ろまで続いている。
騎馬もいれば兵士もいる。彼らが身に纏う鎧兜は物々しい金属音を発していた。
掲げる紋章旗は白地に天秤――エルミナ王国の国旗である。
内乱が発生中のエルミナ国内において堂々とその旗を掲げるこの一団を率いるのは、年若い少年だった。
彼は金色の鎧を身に纏い、神々しい剣を腰に差した状態で白馬に跨っていた。人によっては悪趣味ともなってしまう装いであったが、整った顔立ちの少年は自然とそれらを着こなしている。
少年の名は一瀬勇。異世界から召喚された〝勇者〟、その筆頭であり、この南方軍七万を率いる指揮官である。
「もうすぐ王都か……。やっと陽和さんと新に会えるな」
「そうだね!新くんと陽和ちゃん、元気にしてるかな~」
勇にそう返したのは並走する軍馬に騎乗している少女だった。
物々しい装いの勇に対して彼女の恰好は軽いものだ。赤を基調とした動きやすい軽装――金属はほとんどない。得物も特に身に着けておらず、事情をしらない者が彼女を見たら軍勢の中に迷い込んでしまった町娘だと勘違いしてしまうほど浮いていた。
けれどもこの場において彼女を侮る者など一人もいない。何故なら彼女は
「次の戦いが終わったら私たちの勝ちなわけだし、その後はお休みがもらえると思うんだ。そうなったら四人で……ううん、モーリスさんやアンネさんも連れてまたあの店に行こうよ!ほら、前に連れて行ってもらったカティア先生の行きつけの!」
楽し気に笑う少女の名は江守明日香。この南方軍における副官の地位にいる存在だ。
そんな明朗快活な彼女の姿に勇は内心で深く安堵した。西方征伐終了時には何やら思い悩んでいた様子であったから心配していたのだ。けれどもどうやら杞憂であった、と勇は笑みを返す。
「ああ、皆で行こうか。カティア先生も王都で待っていることだし、早く元気な姿を見せないと」
「カティア先生は心配性だからねー。私たちは全然、大丈夫なのに」
「まあまあ、それだけカティア殿が勇者さま方を大切に思っているということでしょう」
と二人の会話に参加してきたのはモーリス・ド・プラハ将軍。どっしりとした体形の男性で、南方軍の参謀総長を務める歴戦の軍人である。
彼は人好きな笑みを浮かべながら馬を寄せてきた。
「今後の予定につきまして確認をしに参った次第です。もうすぐ中域中部――王家直轄領に入りますからな」
「もうそこまで来ていたんですね。えっと、確かこの後は……クロイツ平原に入り、陣地を構築。その間に中央軍指揮官の新と副官の陽和さんと一旦合流する――でしたよね?」
「その通りです、ユウ様。付け加えるなら私やアンネ将軍を始めとする幕僚もですな。一度合流し、軍議を開いた上で今後の方針を決めることになります」
南方軍と中央軍の連携が次の戦において重要になってくる。今回は先の西方征伐のように離れた場所で別々に行動するわけではないからだ。共に足並みをそろえての戦いとなる。
故に開戦の直前での軍議が重要となってくるわけだ。互いの軍の現在の状況や敵軍の最新の動向など共有すべき情報は無数に存在する。それらを活用するのとしないのとではその後にかなり差が出てくるのは誰の眼にも明らかである。
「兵力で勝ってるといえども油断はできませんからな。何せ相手が相手です」
朗らかな笑みを浮かべているモーリス将軍であるが、その表情には微かな強張りが見て取れる。
無理もないことだと勇は思う。自分もまた同様の意見を持っていたからだ。
「向こうにはあのクロード大将軍が居ますからね……」
クロード・ペルセウス・ド・ユピター大将軍。
彼のことはよく知っている。かつては彼に師事を受けた身――それ故に彼を敵に回した時の恐ろしさもわかってしまう。
「固有魔法を持つ上に国宝である
一旦、言葉を切ったモーリス将軍。彼の視線は勇の隣でワクワクした様子で話を聞いている明日香に向けられた。思わずと言った感じで苦笑を浮かべた彼は続けて勇がずっと気になっていたことを口にした。
「それに……もはやほぼ確定情報ですが、〝王盾〟の所持者もいますからな。クラウス大将軍がいないとはいえ、その二人だけでも十分な脅威と言えます」
勇や新と同じ〝神剣〟の所持者であるクラウス大将軍が同行していないのは僥倖と言えるだろうが、〝神器〟である〝王剣〟と〝王盾〟の所持者がいるのだ。決して楽な戦いにはならないことは明らかだ。
「ですね。油断はできない。……明日香、わかっているのかい?」
「うん、わかってるよ、勇くん!楽しみだね!」
「……本当にわかっているのかな」
これから戦うことになる強敵を夢見ているのか、興奮に頬を朱に染める明日香にモーリス将軍だけでなく勇も苦笑してしまう。
しかしこれは何時もの事である。この間のように塞ぎこまないだけマシだろうと思った勇は追及はせずに前方を見やった。
現在地の澄み渡るような空とは違い、先にある玄天は厚雲が多く漂っている。
「……幸先が悪いな」
何事もなければ良いのだが、と勇は深く息を吐くのだった。
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