二話
すべての議題が終わった時には既に日は暮れていた。
それでも季節の影響で温かさが未だ残っていて、夜闇の寒さとは無縁だった。
「……とは言っても俺にはあまり関係のない話か」
軍議を終え、大天幕から外に出た夜光はそう独り言ちた。
その表情は晴れないものがある。理由は最近毎日のように見る夢のせいだった。
「ガイア……」
昨日も夢を見た。嬉しくもあり哀しくもある、泡沫の夢を。
とはいっても所詮は夢、現実ではない――と一概にも言えない。何せ夢の中での会話や感触などを鮮明に思い出せるからだ。
「魔法がある世界だし、何よりガイアは〝王〟――神だ。死して尚、意識を残す術を持っているのかもしれない」
と、声に出してみるも虚しくなるだけだ。
夜光は嘆息交じりに呟く。
「……本当に女々しいな」
かつて
「何か用ですか、ルイ殿下」
「おや、随分とつれない反応じゃないか。以前のように敬語抜きの方が嬉しいんだけどな」
暗い声を発する夜光とは対照的に、その人物――ルイ第二王子は飄々と楽し気な色を混ぜた美声を発した。
相変わらず中性的な声音だなと思いながら人の眼を気にして振り返れば、銀髪銀眼の美しい青年が笑みを浮かべているのが見て取れる。
「……あまり気軽に陣内をうろつかないでください。良くも悪くもあなたは有名なんですから」
ルイはつい先日まで東方軍が戦っていた相手の
それ故の言葉だったが、ルイは肩をすくめて見せるだけだ。
「言いたいことはわかるよ。けれど問題はない。自分の身くらい守れるさ」
「それは知ってますし、そういうことを言いたいわけじゃないんですが……まあ、いいです」
問題が起きるような真似は慎んでくれと言いたかったのだが……いや、おそらく彼は理解したうえでとぼけているのだろう。そう判断した夜光は溜息を吐いて思考を切り替えた。
「それで、何かご用があるんですか?」
「相変わらずつれないなぁ。ま、そんなキミもそそるけどね」
まるで捕食者のように眼を細めたルイに、背筋に悪寒が奔った夜光。
そんな彼の様子に気付いているのかいないのか、ルイは笑うとついてきてくれと歩き出した。
差し迫った用事もない。それに第二王子の誘いを断るのは不敬に当たる。そう考えた夜光は黙って彼の後に続いた。
「ヤコウくんは〝守護騎士〟という存在についてどこまで知っているのかな?」
「ん……?ええっと……確か、エルミナ王族が一人につき一名だけ選ぶことのできる近衛のような存在と聞いています。公的な場にも連れて歩くことのできる存在で、エルミナ騎士の間では非常に名誉な役職だと」
「それだけかい?」
「ええ、そうですけど……」
唐突な話題に、夜光は戸惑いながらも答えた。
そんな彼の様子を気にすることなく、ルイは前を向きながら言葉を続ける。
「そうか、それだけなんだね。……なら、ヤコウくんは気にならない?何故、ボクの傍に〝守護騎士〟がいないのか」
その言葉に夜光はハッと今更ながら気づいた。確かにルイの周囲にはそれらしき人物はいない。あの北方での戦いの際にも見かけなかった。記憶を辿ればオーギュスト第一王子の傍にもいなかったということを思い出す。
一体何故なのか、〝守護騎士〟という存在がいれば身の安全は格段に増すだろうし、他にも何か用事などがあった際に便利だろう。
だというのに何故――その疑問の答えは銀髪の王子が口にしてくれた。
「エルミナ王家に代々伝わる苦い過去――それがあってから王族は〝守護騎士〟を任命しなくなったのさ」
「苦い過去、ですか……?」
そのような話は聞いたことがない。シャルロットも、テオドールも、クロードも――あの気さくなクラウス大将軍でさえ、そういったことを口に出したことはなかった。
一体どういった過去なのか、首を傾げる夜光に、ルイは特に躊躇う様子もなく告げる。
「そもそも〝守護騎士〟という役職はこの国が聖王国と呼ばれていた時代からあったんだ」
今より千二百年もの昔、エルミナ王国がエルミナ聖王国としてこの地に誕生した頃から〝守護騎士〟という役職は存在していた。
「王家に忠誠を誓い、王族を守護する盾となり、仇なす者を屠る剣となる。それを体現していた一人の騎士に初代聖王が〝守護騎士〟の役職を与えた。それが始まりだと言われている」
それから代々の聖王と王族は自らが信頼を置く騎士を〝守護騎士〟として重用していった。任命された騎士たちもその信頼に応え、揺るがぬ忠誠を捧げた。
その姿はまさに騎士の中の騎士だと、エルミナ騎士だけでなく、民衆からも称賛を受けていた。
しかしどのようなものにも例外というのは存在する。ましてやそれが人間となればなおの事であった。
「今からおよそ四百年前のことだ。当時の聖王に仕えていた〝守護騎士〟が反逆を起こしたんだ」
自らの主である聖王を弑逆し、玉座につくという暴挙に出た。それは計画的なもので、他の王族に従っていた〝守護騎士〟たちも同調し、自らの手で仕えていた主を殺害したという。
「反逆者となった〝守護騎士〟たちは王位継承権を持つ王族を殺し、権力を掌握して国家を乗っ取った。王族不在の暗黒時代の始まりだ」
〝守護騎士〟たちは国家や民のことを顧みることなく、自らの欲望だけを追求しだす。その結果、国内では貴族諸侯が民に圧政を敷き、盗賊が蔓延り、魔物が至る所で暴れまわった。その混乱に乗じて他国が領土を侵略しはじめ、当時辺境にいた蛮族の侵入すら許してしまったという。
まさに暗黒の時代――けれども一つだけ希望の光が残っていた。
「王家に反逆した〝守護騎士〟だったけれど、たった一人だけその動きに同調しなかった者がいたんだ。その者は仕える主であった第五王女を連れて王都を脱出することに成功していた」
王位継承権が著しく低かったことやその〝守護騎士〟が歴代最弱と呼ばれるほどの武しか持ち合わせていなかったがために、反逆者たちは見逃した――というより歯牙にもかけなかったのだ。
「それが仇となった。その〝守護騎士〟と王女はエルミナ国内を旅してまわり、各地に散っていた騎士や勇士、良識ある貴族たちの協力を取り付け、更には当時所在が不明となっていた国宝である三つの神器を集めて兵を起こしたんだ」
盗賊や魔物を駆逐し、圧政を敷いていた貴族を処断することで民の支持を得て、更には国土を荒らしていた外敵である蛮族や他国を追い払った。
そして遂には王都を奪還し、反逆者たちを処刑することに成功したのだ。
「結果的になんとかなったわけだけど、その出来事を第五王女――後に王妃となった彼女は教訓にすることにしたわけだ」
自らに忠を尽くしてくれた〝守護騎士〟に配慮してか、明確に法にしたわけではないが、それ以降エルミナ王家では〝守護騎士〟を任命する者は現れなくなった。暗黙の了解となったわけである。
「唯一生き残った王族である彼女が子に伝え、その子がさらに自らの子に伝え――と口伝していった。それは連綿と続き、現代のエルミナ王家においても伝わっている」
「……では何故、シャル――ロット殿下は俺を〝守護騎士〟に?」
「シャルで構わないよ、本人に許可を取ったんだろう?それにここにはボクたち以外誰もいない」
その言葉に周囲を見渡せば、いつの間にか陣の外までやってきていたことに気付く。ルイの言葉通り、確かに辺りには誰もいない。背後にある陣地から微かに人の喧騒が聞こえてくるだけだ。
「……こんなところまで連れてきて、一体何が目的ですか」
ついこの間まで命のやり取りをしていた相手だ。今更ないとは思うが、それでも警戒してしまう。
僅かに腰を落とした夜光を見て取ったルイは、害意がないことを示すように両手を上げた。
「おっと、安心してほしい。あの時ボクが告げた思いは嘘じゃない。キミを信じるよ。もちろん、キミが信じるシャルのこともね」
「だったら、なんでこんな人気のないところまで来たんですか」
「決まっているだろう。誰にも聞かれたくない話をするためさ」
あっさりと目的を明かしたルイの立ち振る舞いには不自然な点は見当たらない。〝死眼〟も特に反応を示さなかったことで、夜光はようやく肩から力を抜くと自然体に戻った。
そんな夜光の様子を確かめたルイは息を吐いて手を下ろすと空を見上げた。その姿は何処か悲し気な気配を漂わせている。
「キミの疑問――その答えはおそらくボクたちの母上の言葉だろう」
「ボクたち?」
「ああ、そこを疑問に感じるか……。やっぱりキミはこの国の人間じゃないようだね」
「……何故、そう思うんです?」
自らの正体に言及されたことでどきりと身を強張らせた夜光。しかし幸いにも天を見上げていたルイはその様子に気付かなかったようだ。
「この国の人間なら誰でも知っていることを知らないからさ。父上……現国王アドルフ・マリウス・ド・エルミナ陛下は側室を持っていない。ボクたち王子王女は皆等しく、王妃である母上から生まれたんだよ」
その言葉に夜光は驚いた。彼の知識では王や皇帝といった君主は血の断絶を防ぐためにも複数人の女性を娶るのが自然だったからだ。
その驚きの気配を察したのか、ルイは苦笑を浮かべた。
「言いたいことはよくわかるよ。家臣たちも口を揃えて進言していたし、ボクや母上ですら直接言ったことがあるくらいだからね。為政者――王としては間違った姿勢だけど、父上は愛妻家でね。どうしても母上以外に妃を娶ることも、側室を作ることもしたくないと聞かなくてね」
「……それを許したんですか?」
「許すほかないさ。父上はこの国の頂点――唯一無二にして絶対の王者だ。どのようなことであれ、強制はできない」
王とは孤高であり、何者も肩代わりできぬ責任を背負う存在だ。辛い人生を歩むことになるが、同時に何者にも犯されない絶対の権力を持つことができる。
納得した夜光にルイは「話を戻すけど」と言ってきた。
「母上は父上を深く愛していた。でも、だからこそだろうね。自分では父上の持つ孤独を一時的に癒すことは出来ても、肩代わりすることや共に背負うことはできないと悟っていた」
絶対なる権力者に理解者は存在しない。王とは孤高であり孤独である。たった一人で何千、何万もの民を導かなければいけない。それがどれほどの苦行であるか、夜光は歴史から察するほかない。
(だから王の中には権力や女に溺れたりする人がいたわけか)
想像を絶する、あまりにも重すぎる責任と重圧。生身の人間で耐えうる精神を持つ者などほぼいないだろう。いたとしても常人からすれば異常者と呼ばれる類の存在だろう。
「だからこそかつて〝守護騎士〟と呼ばれる存在がいたのだろうと、母上は仰っていた。王を守るだけじゃなく、支え、時には諫める役目も果たしていたのだろうと」
「……ならシャルは母親の言葉を覚えていて、その役目を果たせる存在だと思ったから俺を〝守護騎士〟に?」
「そうとしか考えられない。少なくともボクはそう考えている。シャルが幼い頃に母上はお亡くなりになったけれど、シャルはボクたち兄弟姉妹の中でも一番母上に懐いていた。絶対の信頼を置いていたといってもいい。だからこそ、シャルにとって亡き母上の残した言葉は絶対のものになっているはずだ」
意外な事実が明らかになったことで夜光は動揺した。まさかそこまでの想いを抱いた上で〝守護騎士〟に任命されたとは思っていなかったのである。
(あの時は俺の武力が必要なだけの、打算しかないものだとばかり……)
出会った頃、シャルロットは追い詰められていた。権力も力も、護衛すら一人も持っていない状態だった。だからこそ、出会ったばかりの――それも素性の知れない――男である夜光の武威を見て、それを手元に置くべく〝守護騎士〟に任命し、大将軍位を与え、国宝である〝王盾〟を授けたのだと。そう思っていたが……。
(違うってのか。俺にそれほどの信頼を置いてくれていたっていうのか)
動揺はあった。けれども心の何処かでは打算だけではないとわかっていたからか、心の揺れ幅はそこまで大きくなかった。
〝死眼〟の力を制御できずに暴走しかけた時、シャルロットは助けてくれた。危険であることは理解していただろうに、夜光を抱きしめてくれた。
先の戦いだってそうだ。夜光を信頼し、必ずルイを倒して駆けつけてくれると最後まで信じぬいてくれた。
(それだけじゃない。ルイとの戦いの時だってシャルのことを思い出せたから暴走を抑えられたじゃないか)
ガイアだけでなく、シャルの存在があったからこそ己を保てた。だからこそ勝利できたわけであるし、こうして今ここに五体満足で居られるわけだ。
(いつの間にかシャルは、ガイアと同じくらい――)
眼帯を撫でながら考え込む夜光。
そんな彼を慈しむように眺めていたルイは、言いたいことは言ったとばかりに来た道を引き返し始めた。
思考の渦から戻らない夜光の横を通りすぎ、ふと思い出した風を装って数歩進んだ後歩みを止めて言った。
「ああ、そうだ。一つ伝え忘れていた」
「…………なんですか」
一旦、思考を切り上げて振り返った夜光の視界に、ルイの銀眼が映りこむ。そこにはいたずらを愉しむ悪童のような光が浮かび上がっていた。
「〝守護騎士〟が任命されなくなった理由だけどね……もう一つあるんだ」
もったいぶったように、言葉を区切って微笑むルイ第二王子。
「それはね……反逆者を征伐した第五王女が夫に迎え入れた〝守護騎士〟が、この国の国王になった前例があるからなんだ」
「なっ――――」
王家の血をひいていない、只の平民であった〝守護騎士〟が国王になった――エルミナ千二百年の歴史における、ただ一つの例外。
それが何を意味するのか、気付いた夜光は言葉を失った。
そんな夜光の様子にしてやったりと笑ったルイは、今度こそ彼に背を向けて歩き去るのだった。
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