十八話

 開戦と同時にノンネが短杖を振り下ろした。

 あの杖が奇妙な技を発動させることは先の戦いでの経験から予測済み、故に新は相手に行動の自由を与えない為に一気呵成に攻め立てることにした。

 魔力で脚力を強化し、距離を蹴りつぶして〝干将莫邪〟で斬りつける。

 激烈な斬撃、けれども残像にしか当たらない。


「くそ……相変わらず厄介な魔法だな!」

「魔法ではありませんが……まあ、便利なものでしょう?この子の力は」


 残像を消すたびにノンネの姿が後退していく。新はそれを追って次々と連撃を加えるも本体にかすりもしない。

 見方によっては艶めかしいと感じる革ツナギのような衣服、顔には仮面を被っており表情を確かめることはできない。けれども身に纏う気配から余裕を感じ取ることができる。

 こうもコケにされては新とて苛立ちの一つくらい覚えるものだ。

 彼は舌打ちをして追撃を止めると距離を取った。相手に技を使わせてしまう危険性はあったが、このままでは埒が明かない。

 案の定、ノンネは〝曼陀羅〟を振るって周囲にいた兵士たちを支配下に置き、手駒として新との間に立たせた。

 しかし新はそれを無視すると大きく深呼吸をして感情をなるべく無へと近づける。


「我は影、見えざる闇なり」


 そして紡がれるは宇佐新にのみ許されし固有魔法の起句だ。

〝絶影〟エレボス――使用者の姿、気配、魔力、身に纏う衣服や手にする神剣さえも隠す対人戦特化型の魔法だ。

 かつてノンネと相対した時は新の未熟さから即座に見破られていた。けれども修練を積んだ今では切りつける直前に漏れ出る殺気を感じ取ることでしか看破できなくなっていた。


「以前とは見違えるほどですね。男子三日会わざれば……とは言いますが、いやはや恐るべき成長速度です。流石は〝勇者〟といったところですかねぇ」


 敵である新を称賛するかのような台詞を発しながらも、その内では余裕が崩れることはないが。


(確かに成長はしているようですが……攻撃を仕掛ける瞬間の殺気を隠せていなければ意味がない)


〝曼陀羅〟の力を以てしても固有魔法を発動中の新の居場所を探ることは困難だ。けれども困難なだけで対応策はあるし、何より現段階では攻撃直前の殺気が分かってしまうため対処はそこまで難しいものではなかった。


(殺気すらも完全に隠せるようになれば正面切っての勝負ではまず勝てなくなるでしょうね)


 新の隠蔽は厄介の一言に尽きる。完成すれば神剣所持者であっても看破は容易なものではなくなるだろう。それこそ森羅万象を読み解くことのできる〝天眼〟でもなければ、後は策を弄するしかなくなる。

 だが……


「今の段階では私に勝つことは出来ません、よっ!」

「な――ぐあっ!?」


 言葉尻と共に、背後に生じた殺気に向けて肘鉄をお見舞いしてやれば、驚愕を含んだ悲鳴と共に新が吹き飛ばされていく。その衝撃で〝絶影〟が解除され、露となった彼に向かって兵士たちを殺到させる。

 しかし流石というべきか、新は即座に体勢を整えると向かってきた兵士たちの間を一瞬で抜ける。通り過ぎたその刹那の間に鎧の隙間から斬撃を加えたようで、足を切られた彼らは例外なく倒れこんでしまう。

 

「確かにお強くなられましたね。操られている味方の兵を殺すことなく無力化……中々できることじゃありませんよ。ですが……」


 と眼を細めて新が手にする二振りの神剣を指さす。


「固有魔法は大したものです。が、神剣の力をまったく発揮できていないようですね?」

「…………」


 新はそういった駆け引きが苦手な勇とは違ってボロを出すことはしなかったが、それでも僅かに肩を揺らしてしまった。無論、それを見逃すノンネではない。

 

「神剣はただ所持者に加護を与えるだけではありません。圧倒的な――それこそ固有魔法に匹敵、あるいはそれすら超える力を持っているものです」

「〝神権〟、か……」

「ええ、その通りです」


 神剣一振りにつき一つ、必ず宿っている力がある。それこそが〝神権〟デウスであり、使えなければ神剣などただの魔剣よりも上位の武器でしかなくなってしまう。それでは宝の持ち腐れ、無意味とすら断じて良い。


「まあ、仮に使えたとしても……〝干将莫邪〟の〝神権〟はかなり特殊な代物ですからね。あまり意味のないものですが……それでも発現する前と後では加護の厚みも変わってきますから、少なくともこうも一方的な展開にはならなかったでしょう」


 と嗤うノンネの様子に、新は警戒度を引き上げた。彼女の台詞がまるで〝干将莫邪〟の〝神権〟の中身を知っているかのような物だったからである。

 現在の所持者である自分さえも知らないというのに……と表情を硬くする新に、ノンネは仮面の奥底で笑みを深めた。


「ふふ、そう落ち込まないでくださいよ。あなたはまだ神剣を手にして半年も経っていないのですから。ですから、そうですね……視せてあげましょう。神剣の〝神権〟がどれほどのものかを」

「っ……させるか!」


 ノンネが〝曼陀羅〟を掲げて告げると、新が再び〝絶影〟を発動させて姿を消した。けれども直前に分かると知っている以上なんら脅威とはなりえない。

 新が幻影を切り裂く様を見つめながら、ノンネは〝曼陀羅〟の〝神権〟を起動した。


「泡沫の夢に微睡みなさい――〝幻化〟ヴェーダ


 その瞬間、新の視界は濃霧に覆われた。

 一寸先すら見通すことができないほど深い霧だった。魔力を放出して吹き飛ばそうとするも変化は訪れない。ならば魔法を、と思っても何故か上手くいかず、どの魔法も発現しなかった。


「どうなってる……!」


 周囲の状況を把握できないというのは想像以上に心理的負担ストレスを感じるものだ。

 だが、新はそれを強引に抑え込んで冷静さを保つと〝絶影〟を発動させる。こちらも相手の位置が分からないが、固有魔法を使えば相手もこちらの位置を掴めなくなるだろうと判断してのことだ。

 

(これでひとまず身の安全は確保できた。……けど、不味いな。これじゃあ陽和ちゃんが危ない)


 襲撃者が最初に手を出そうとしていたのは明らかに陽和の方だった。ならばこの霧は邪魔をした新を足止めするもので、今頃本命に向かっているのではないだろうか。

 そう考えた新はすぐさま現状を打破すべく動き出そうとして――聞こえてきた女性の悲鳴にハッと首を回した。


(今のは陽和ちゃんの声――)


 恐れていた最悪の事態に新は悲鳴が聞こえてきた方角へと駆け出す。〝絶影〟は足音すら消すことができるためこちらの居場所を悟られることはないとわかっての行動だ。

 すると見えてきた光景――倒れている陽和に覆いかぶさる襲撃者の女性の姿――に新は勢いよく跳躍、〝干将莫邪〟で切りつけた。

 しかしまたもや手ごたえはなく、女性の姿は夢幻のように消え去ってしまう。牽制のためあえて殺気を隠さずまき散らしながら、新は倒れている陽和の背に手を回して上半身を起こした。


「陽和ちゃん、無事かい?どこか怪我とかは……?」

「し、シンさん……私は大丈夫です。危害を加えられる前に新さんが来てくれましたから」

「そっか……」


 微笑んでくる陽和に安堵の息を吐く。それから周囲を見回しながら言葉を発した。


「この霧はおそらく敵の仕業だろう。陽和ちゃんは俺の傍を離れずについて――ぇ?」


 突如として胸元に生じた衝撃に思わず言葉を途切れさせてしまう。なんだか熱いな、と顔を下向ければ――銀色の刃が胸元から生えていた。

 ジワリとにじみ出る紅い液体、それが己の血であり、刃はエルミナ兵の標準装備である直剣だと知覚した時、新はゴポリと鮮血を吐き出した。


「ご、あ……な、なんで――陽和ちゃん……!?」


 新を直剣にて背後から貫いたのは――陽和だったのだ。周囲を警戒していた新だったが、まさか陽和から攻撃されるなど一欠片も考えていなかった。故にこの結果を許してしまった。

 驚愕の声を上げながら肩越しに振り向いた新が見たものは――これまで見たこともない喜悦の表情を浮かべる陽和の姿だった。


「ふふ、さんってば本当に……弱いですねぇ」


 普段の大人しげな雰囲気から想像もつかないほど妖艶な手つきで、新を背後から抱きしめる陽和。そのもう一方の手では刺し貫いた直剣をさらに深く押し込んでいる。


「こんな体たらくじゃ……誰も守れませんよぉ」

「あ、がっ……お、お前……っ!」


 片手で新の身体を撫でまわしながら、耳元で睦言を囁くように息を吹きかけてくる陽和に、新はようやく気付いた。陽和の姿をした――襲撃者に。


「お、お前……陽和ちゃんじゃ、ない……な」

「ふふ、あははっ!やっと気づきましたか、シ、ン、さ、ん?遅すぎますよ――と、危ない危ない。その状態でまだ動けるんですか、大したものですねぇ」


 喜色を顕わにする陽和――否、ノンネに対して、新は咄嗟に手元で〝干将莫邪〟を回して突き刺す。けれどもその反撃は空振りに終わってしまい、新から距離を取ったノンネが嘲笑を浮かべるだけだった。

 足に力が入らなくなった新は膝をついてしまう。しかしそれでも戦意を衰えさせることなく、彼はキッとノンネを睨みつけた。


「俺がやられようとも……まだアンネさんたちがいる」


 虚勢、ハッタリだ。アンネ将軍ら味方がこちらに駆けつけてくる保証はどこにもない。しかし、僅かでもいい、敵が動揺してくれれば時間を稼げるかもしれない。

 そんな新の淡い期待は、ノンネの馬鹿にするような声音で消し飛ばされてしまう。


「アンネ……ああ、魔剣を持った女性の将軍のことですね。それならほら、そこにいますよ」

「あ、え……?」


 ノンネが指を鳴らした瞬間、濃霧が嘘のように晴れて――周囲を見て取れるようになった。

 けれどもそこには希望はなく、絶望だけがあった。


「あ、あぁ…………そんな、アンネさん……っ!?」


 新の視界に映りこんだのは、血の海に沈む多くの兵士たちの姿。その中には信用し、頼りにしていた女傑アンネ将軍の身体もあった。

 嘘だ、また幻影だ――と呟く新に、ノンネは肩をすくめると転がるアンネ将軍に近づいてその身体を踏みつけてやる。当たり前のことだが、その身体が消えることはない。


「どうです、これでも夢幻と逃避しますか?」

「…………く、そがぁ…………」

「ああ、もうまともな返事もできませんか。残念ですねぇ。では、そのまま意識を落とすといいですよ。安心してください、殺しはしません。あなたにはまだ利用価値がありますからねぇ」


 そう言って愕然と立ちすくむ陽和に向かって歩き出すノンネ。彼女が短杖を一振りすれば、新たな外套が生まれて身体を覆い隠す。床に倒れこんだ新は、その背に向かって必死に手を伸ばした。


「ひ、より、ちゃん……にげ、て――……」


 けれど、無情にも意識は闇へと墜ちていき、伸ばした手が何かをつかむことはなかった。

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