十九話
悲鳴と怒号が耳朶を揺らす。
奇妙な静けさに包まれたこの場所以外では、血で血を洗う戦いが繰り広げられていた。
「なんで……」
茫然と佇む少女の眼前では、大切な人達が血だまりに倒されたばかりだ。
何もできなかった。ただ目の前で起こる戦闘を眺めていることしかできなかった。
少女を守るために戦ってくれた少年や兵士たち――ただその勇姿を見ていることしか。
「どうしてこうなってしまうの……?」
いつもそうだった。
大切な人が目の前からいなくなっていく。
求めても、望んでも、希っても――叶わない。
ただ傍に居てほしい。それだけなのに……。
「……どうしてなの?」
心から零れた問いかけは戦火に消え去る。
城門付近では人々が剣を手に、互いを殺しあっていた。
阿鼻叫喚が支配する世界――少女の傍には見知った人物たちが倒れている。
誰もが血に塗れ、ピクリとも動かない。
そこへ、一人の人物が歩み寄ってきた。
「それはあなたが弱いからですよ。あなたの臆病が彼らを傷つけた、あなたの無力さが彼らを守れなかった原因です」
その人物の素顔を拝むことはできない。何故なら外套を深々と被っているからだ。
けれどもその声音から女性だとわかることができる。嘲笑の色濃いことも少女には理解できた。
だけど何も言い返せない。女性の言葉が真実だったからだ。
黙りこくる少女に、女性は手にする短杖を向ける。
「勇者といえども所詮はこの程度、いかに強大な力を有していようとも精神が伴わなければ宝の持ち腐れもいいところですねえ。もっとも、伴っていたとしても他者を見捨てられない〝弱さ〟を抱えていればそうなりますが」
嘲笑した女性が示す先に倒れ伏しているのは少女にとって大切な仲間である少年だ。強大な力を持ち、少女を守りながら戦っていた彼だが、その隙をつかれて戦闘不能に陥ってしまっていた。
「〝固有魔法〟に〝神剣〟……それだけの〝力〟を持ちながら敗北した。その原因はすべてあなたにある――そうは思いませんか?」
思う、強くそう思う。
意気地のなさ、剣を振るう覚悟のなさ、誰かを守るために誰かを傷つける意思のなさがこの結末を生んだ。
このままでは彼らは殺されてしまうだろう。目の前に立つ、強大な存在に。
「また……奪われる」
慕っていた兄を失い、縋っていた少年を喪い……そして今、今度は大切な仲間が奪われようとしていた。
「そんなこと――許せない」
許せるものか、看過できるものか、受け入れられるものか。
そのような結末、断じて認めない。
ならば――どうする?
どこからともなく聞こえてきた問いかけ。
それに対して少女は――、
「私から奪おうとする者すべてを――殺す」
――これまでの人生において一度たりとも言わなかった、考えもしなかった答えに行き着いた。
瞬間、少女から膨大な魔力が立ち昇った。圧倒的な存在感に女性は何故か歓喜の声を漏らす。
「素晴らしい……やはり覚悟を決めた人族ほど怖いものはありませんねえ」
少女の黒髪が揺れる。あふれ出る魔力が少女の周囲で荒れ狂い、命令を今か今かと待ちわびていた。
そして――、
「我は天、英雄の血流れし者なり」
少女――否、英雄の血脈である〝光姫〟は言霊を紡いだ。
起動するは少女――天喰陽和にのみ許されし特権。固有魔法
戦火煙る空中に無数の光剣が生み出され、その切っ先が全て女性――ノンネに向けられた。
夥しい数の殺意を向けられた彼女はしかし、笑みを深めるだけ。
「ふふ……これも運命ということでしょうか。かつての〝英雄王〟を彷彿とさせる姿ですねぇ」
〝白黒ノ書〟――〝英雄王〟と〝獅子心王〟について記された書物にはこう書かれている。
――世界を救済した王剣。光輝満ちる黄金の剣を手にせし〝英雄王〟、と。
その一文を思い浮かべたノンネは眼前に広がる光景に眼を細める。
「光の鏖殺……血は争えない、ということでしょうかね」
現代において〝英雄王〟の〝光〟を見ることは叶わない。けれどもこうして伝説の再演を目にすることができた。
その興奮に思わず身体を震わせたノンネだったが、対峙する〝光姫〟が戦意に満ちた黒瞳を向けてきたことで我に返る。
「英雄の血脈ヒヨリ・アマジキ――どうでしょう、私と共に来ませんか」
返事は殺到する光剣の群れだった。
ノンネは咄嗟に魔力による障壁を張るも、一撃すら耐え切れずに破壊されてしまう。
身体に突き刺さる無数の刃、それでも飽き足らないとばかりにノンネの四肢をちぎり飛ばす。しかしそれは〝幻化〟によって生み出された分身体に過ぎない。すぐさま別の場所に五体満足な姿が現れた。
だが、光剣は即座に向きを変えると無傷なノンネに向かって飛翔する。再び先ほどと同じ光景が生み出されるも――またしてもそれは幻影にすぎなかった。
「数の暴力……厄介ではありますが、私の〝曼陀羅〟とは相性が悪いようですね」
致命的に相性が悪いというわけではない。けれどもこれでは消耗戦――先にどちらが力を使い果たすかを待つ戦いにしかならない。要は決着がつきにくいということだ。
しかし今回はノンネにとって不利な状況である。この場は敵陣――いつ援軍がやってくるか不明であるし、何より〝曼陀羅〟の力を他の事象に割いているため全力を出せないのだ。これでは先に力尽きるのは自分の方であろう。
そう判断した彼女は言葉によって解決を試みた。
「私と共に参りましょう、ヒヨリさん。そうすればあなたの大切な人に合わせてあげることができますよ?」
「…………どういうことですか?」
食いついた。確かな手ごたえにノンネは〝曼陀羅〟を振るいながら答える。
「お分かりでしょう?この世界においてあなたの大切な人に該当する人物はそう多くはない」
「……っ!」
思い当たったのか、息を呑み身体を震わせる陽和に向けて何体目かのノンネは掌を差し出した。
「この手を取るだけで良いのです。そうすればあなたの一番の願いが叶う。何も迷うことはありません。元より、それがあなたが戦う理由のはずです」
天使の誘いか、悪魔の囁きか。ノンネは慈愛に満ちた声を発しながら欲望に塗れた眼光で陽和を見つめる。
どちらにせよ、こちらの申し出を受けるという確信があったからだ。他の勇者とは違い、陽和の戦う理由は〝個人〟だ。一瀬勇の表向きの理由であるこの国の人々の為にや、宇佐新のような元の世界に帰るといったものではない。ましてや江守明日香の如き戦闘狂の考えを持っているわけでもない。
明確な餌を用意しやすくちらつかせ易い――それが天喰陽和という人物の願いだ。ならば確実に落ちる。そうノンネは踏んでいた。
だが――、
「……あなたの言う大切な人が誰なのか、なんとなくわかります」
「なら――」
「けれど」
と、言葉を遮った陽和の表情に、ノンネは失敗を悟った。
「この世界に召喚されて……色々なことがありました」
新たな出会いがあれば悲しい別れもあった。その中で陽和にとっての〝大切な人〟は二人だけではなくなっていった。
「辛いこと、悲しいこともありました。……けれど、楽しいことや嬉しいことも同じくらいありました」
陽和の意思に呼応するように空中を光剣が埋め尽くす。先ほどなど比ではない、隙間も見当たらないほどの数だ。
その光景に思わずノンネが後ずさりする。そんな彼女を見つめながら陽和は片手をゆっくりと振り上げていく。
「それを私に与えてくれたのは……沢山の人たちでした。その中には明日香さんたちだけじゃなく、この世界で生きる人たちもいます。だから――」
圧倒的な魔力――暴力的なまでの〝力〟の奔流に、ノンネは目的も忘れて呆けてしまう。
「そんな優しい人たちを奪っていく
そう告げて陽和は振り上げていた手を勢いよく下ろした。
主の命を受けた〝天剣〟は眩い光で世界を照らし、敵を討ち滅ぼすべく地上に降り注いだ。
その暴威を喰らったノンネは、視界を殺した光輝に破邪顕正の神意を垣間見た。
「ふふ、はは……アハハハハッ!素晴らしい、素晴らしいですよ
哄笑を上げながら光に呑まれていくノンネ。激烈な面攻撃に分身体の生成が追い付かず、幻影が次々と消されていった。
やがて陽和が攻撃の手を止めた時――そこには爆撃でも喰らったかのように抉れた石床しか存在しなかった。
「逃げられた……けれど、今は」
殺せはしなかった。しかし追い払うことはできた。ならば今はそれでいい。
超越者たちが繰り広げる攻防に割って入れるだけの技量を持たない兵士たちであったが、戦いが終わったことでようやく陽和の元へ駆けつけることができるようになった。そんな彼らに新やアンネたちの介抱を頼んだ陽和は、風魔法を操ってふわりと浮き上がると光剣で砦内に侵入していた敵兵を串刺しにする。
突然の事態に戸惑う味方へ向かって、陽和は声を張り上げた。
「この場にいる人はすぐに門の前に阻塞を作ってください!私が押し寄せる敵を相手しますから」
見違えるほどに威厳を放つ〝光姫〟の姿に、押され気味だった兵士たちが奮い立つ。喊声を上げ、すぐさま行動に移り始めた。
その様を確認した陽和は、破壊された南門を越えて砦外へと向かう。そこには百合の紋章旗を掲げてこちらへ進軍してくる、軽装歩兵で構成された騎士団の姿があった。
その先頭には明らかに他と違う覇気を纏う女性がいる。
以前なら震えるばかりで何もできなかっただろう。人を傷つけることはおろか、殺す覚悟など到底なかった自分では。
けれども今は違う。大切な人達を守るためならばこの手を汚す覚悟がある。
「怖い、嫌だ……でもやらなくちゃいけないんだ」
吹っ切れたといえどもやはり人を傷つけたり殺したりすることには強い抵抗がある。だが、新もアンネ将軍も倒れた今となっては、中央軍の希望は陽和だけだ。彼女がやらなければ皆死ぬ。それだけは断じて看過できない。
陽和は震える身体を意思で黙らせると、右手を横薙いだ。
瞬間――無数の光剣が天より降り注ぎ、大地に大輪の血花を咲かせた。
『ギャアア!?』
『ば、馬鹿な!光剣の勇者は攻撃してこないはずではないのかっ!?』
『〝障壁〟!――駄目だ、一撃すら防げねえ!』
『え、エレノア大将軍!急ぎ撤退を――』
水簾騎士団が阿鼻叫喚の地獄に叩き落される。魔法を使っても、盾を使っても光剣の暴威を防ぐことは叶わない。
絶望の最中、隊列が崩れていく騎士団から一人、尋常ならざる速度で突出する人物がいた。
エレノア・ド・ティエラ。〝潔癖〟の異名を持つ女傑である。
彼女は魔力で強化した脚力で地を蹴って跳躍、手にする魔剣を空に浮かぶ陽和の頭めがけて振り下ろした。
「墜ちろォオオオオオオッ!!」
裂帛――けれども〝光姫〟はそっけなく一瞥するだけ。
たったそれだけの動作、しかし主の意をくんだ固有魔法〝天剣〟は、陽和の頭上に一本の光剣を生み出すとあっさりエレノアの一撃を防いでしまう。
次いで四振りの光剣が現出し、空中で回避行動のとれないエレノアの四肢に突き刺さるとそのまま大地へ落下、彼女を縫い付ける。
「が、は……っ!」
「あなたが指揮官のようですね。ならそこでしばらく黙っていてください」
地面に叩きつけられた衝撃で息と共に鮮血を吐き出したエレノアに冷たく言い捨てた陽和は、〝天剣〟に命じて水簾騎士団を一掃させる。
――しばらくの後、壊滅した水簾騎士団と、捕虜となったエレノア大将軍を前にした西方軍は、中央軍副官である陽和の降伏勧告を受け入れざるを得なくなったのだった。
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