十七話
カイム砦の南門で起きた異常はすぐさま西方軍に察知されることとなった。
「何?南門が破壊されただと?」
『は、そのように複数の報告が上がってきております。加えて先ほど遠見の魔法でも確認しましたが、確かに南門には瓦礫の山しかありませんでした』
伝令の報告にエレノア大将軍は怪訝そうに眉根を寄せた。それも当然のことで、こちらには真銀でできた門を一撃で破壊できるほどの方法はないし、かといって敵側の自爆とも思えない。自分の知るアンネ将軍がそのような失態を犯すような人物ではないからだ。
(だからといって絶対に違うとも言い切れない。末端の兵まで行動を把握できるわけがないからな)
万を超える自軍全てを時間差なく把握するなど神の如き所業だ。それこそ伝承にある英雄王――後に他国で〝軍神〟として崇められた偉大な男くらいしかできないだろう。
(罠か、何かしらの事故か、あるいは――……)
様々な可能性が浮かび上がるもどれも決定打に欠ける。
考え込むエレノアだったが、幕僚が声をかけてきたことで意識を浮上させた。
『エレノア大将軍、これは好機でしょう。すぐにでも突入部隊を選抜し送り込むべきです』
『左様ですな。罠という可能性もありますが、それにしてはやりすぎです。こちらを引きずり込むだけなら門を破壊するなどという手間をかけるのではなく、ただ開ければいいだけですから』
確かにそうだ。建造に多大な時間と莫大な費用がかかる真銀の門を破壊するなど罠にしてはお粗末すぎる。
仮にそうだとしても、それはよほど追い詰められた場合に発動すべきである。この攻城戦は既に十日以上経過してはいるが、防衛側にはまだ余裕があったはずだ。
(それに……ここでの戦闘はなるべく早く終わらせたい)
エルミナ西域南部ではアレクシア第一王女率いる主力がもう一つの勇者率いる軍と交戦中であるし、北方での北方軍と東方軍の戦いがいつ終わるかも不明だ。
複数の戦線での結果を予想することほど困難なことはない。場合によっては主力の救援や王都防衛に向かわなければならないかもしれないのだ。そういった事情からここでの戦いは早期決着が望ましかった。
(ここで無視して戦いを継続すれば戦闘は長引く。しかしこの機を上手く使えれば……)
エレノアは危険性と可能性を考慮し、やがて決断を下した。
「〝水簾騎士団〟を突入させる。もちろん、指揮は私が執る」
『なっ――お、お待ちください!〝水簾騎士団〟を突入させるのは理解できます。しかしエレノア大将軍御自らが向かわれることはないでしょう!』
『そうです、こちらは攻め手、焦ることはありません。この局面で指揮官が最前線に出張るなど……到底認められませぬぞ』
エルミナ王国において指揮官が最前線で剣を振るうことはさほど珍しいことではない。騎士として、守護者として、武威を示すのはエルミナ騎士の誉れとされているからだ。
けれども攻城戦において、しかも勝敗が決定的でない場面で指揮官が出撃することは異例のことであった。王国の歴史上、そのような無茶を行ったのは歴代の〝聖征〟所持者と第二代国王くらいなものだった。
故に幕僚たちは懸念を示したわけだが、エレノアは力強い口調で告げる。
「卿らの懸念は尤もだ。しかしこれはまたとない好機――早期にこの戦いを終わらせることのできる機会だ。卿らも知っているだろうが、現在の戦況は非常に不安定であり、一か所での戦闘の長期化は避けるべき時でもある。故にこの機を逃しはしない。私は今日中に決着をつけるつもりだ。どうか理解してほしい」
『…………』
エレノアの言葉は全くもってその通りと言えた。加えて彼女が放つ雄々しい覇気と、これまでの輝かしい戦歴が幕僚たちの不安を払拭させる。
それになにより――尊敬する指揮官がここまで言っているのだ。これほどの覚悟を見せられて、どうして否定することができようか。
幕僚たちは一斉に片膝をつくと、首を垂れた。
『我々も最善を尽くします。ですからどうか、勝利をお掴み下さい』
その言葉に、エレノアは不敵に笑った。
「言われるまでもない。必ず勝ってみせよう」
百合の紋章旗を掲げた一団が動き出す。エルミナが誇る四大騎士団の一つが主の指揮の元、整然と進軍を始めた。
*****
一方その頃、同じく南門の異変に宇佐新が気づいていた。
「なんだ、あれは……?」
轟音、次いで煙が南門から立ち昇っていた。同時に手にする二刀の短剣
(この反応は……以前にもあったな)
かつてエルミナ東方――シュタムの街で遭遇した外套の女性。彼女と相対した時にも新の持つ神剣は同じ反応を示していた。
(もしあいつがいるのだとすれば――陽和ちゃんが危ない!)
件の女性は神剣所持者である勇と新の二人を相手にしても余裕で圧倒してきた存在だ。それほどの武威を持つ相手と陽和が一対一で戦うような事態に陥れば、間違いなく陽和が敗北することだろう。彼女は神剣所持者でもなければ、新や勇、明日香と違って人を殺めたこともない。固有魔法で人を傷つけたことすらないのだから。
本来ならアンネ将軍からの要請に従って東門の救援に向かう予定だったが、そうも言ってられなくなった。故に新は取って返そうと身体の向きを変える。そこで新はこちらに駆けてくる一人の兵士の姿を見て取った。その必死な形相から無視はできないと、新は彼に駆け寄って訊ねた。
「どうかしましたか?」
『はっ、は……し、シン様!今すぐ南門へ急行してください!も、門が破られて……敵が砦内へ侵入してきました!』
「…………マジか」
ここまで全速力で走ってきたのだろう、息も絶え絶えに兵士が報告してきた。
その内容に新は思わず敬語を忘れてしまう。それほどまでに驚愕的な内容だったからだ。
(真銀でできた門を破壊……こんなことができるのは神剣所持者くらいだろう)
新の脳裏に浮かび上がったのはあの時の女性だった。あれほどの力を有しているのであれば南門を破壊することもおそらくは出来るだろうと考えた。
やはり一刻も早く向かわなければ。そう思った新は頷いて了承の意を示した。
「わかりました、今すぐ向かいます。それとお疲れでしょうが、あなたに頼みたいことがあります。東門の救援に北門から兵を回してほしい。これは指揮官としての命令です」
北門は四つある門の中で最も敵の攻勢が弱い場所だ。そこからなら多少兵を引き抜いても問題ないだろうと新は考えたのだ。
新の有無を言わさぬ口調に兵士は頷いた。それを見届けた新は魔力で身体強化を施して全力で駆けだした。保有する莫大な魔力と神剣の加護によって強化された新の走る速度は尋常ではなく、見送る兵士はあっという間に彼の姿を見失ってしまった。
(間に合ってくれよ……!)
逸る心を意思で押さえつけ、固有魔法〝絶影〟を発動させて敵との戦闘を回避しながら新は南門へと向かうのだった。
*****
南門を破壊した張本人であるノンネはカイム砦内部への潜入を果たしていた。
「ふふ、精々派手に狼狽えてください。無能な人族らしく、ね」
五大系種族の中で最も脆弱で、最盛期も一瞬だけの人族は他種族から軽んじられやすい種族だ。故に他種族の間――特に力を重んじる竜王族の間では、今でも何故人族がかつて天下を取れたのか疑問視されている。
それはノンネも初めの頃は疑問であったが、今では自分なりの結論を出していた。
「家畜同然であった人族が、支配者であった魔族を打倒することができたのは――ひとえに二人の〝異端児〟のおかげでしょうね」
虐げられるだけだった人族を纏め上げ、立ち上がらせた〝獅子心王〟。
王佐の才を持ち、軍略に長け、圧倒的なまでの〝力〟を有していた〝英雄王〟。
この二人の異端なる男たちがいたからこそ人族は勝利をつかむことができたのだ。
「〝獅子心王〟――〝創神〟も確かに偉大でしたが、何より天を堕とした〝英雄王〟がいなければ負けていたでしょう」
アインス大帝国初代皇帝であり、今ではアインス三大神の一角として崇められている
けれども〝英雄王〟がいなければ他種族は協調しなかっただろうし、何より空の支配者であった黒き〝王〟の暴虐から世界を守ることは出来なかっただろう。
「最強にして最恐――初代〝黒天王〟はまさしく天災のようなお方でしたからね」
ひとたび世界に姿を表せば数多の街が崩壊し、一つの国が滅ぶ。同じ〝王〟ですら寄せ付けない圧倒的な武力――初代〝黒天王〟は厄災に等しかった。
人族が天下を取れたことには納得したノンネであっても、そこだけは未だ謎であった。
同じ神ですら討伐不可能であった〝黒天王〟を、いったいどうやって〝英雄王〟は討滅したのか。
未知を既知としたいという強い欲求を持つノンネとしては、是非とも知りたいところだった。
「そのためにも彼女が必要なのです。英雄の血脈たる〝アマジキ〟の少女がねぇ」
〝英雄王〟の名はノクト・レン・シュバルツ・フォン・アインス。それは世界的な常識である。
けれども彼がその名を名乗る前――すなわち本来の名を知る者は過去、現代合わせてもほとんど存在しない。だが、ノンネはその〝ほとんど〟の中にいる者であった。
「ふふ、我が〝王〟からそのことを聞いた時は耳を疑いましたが……考えてみればこれは必然のことなのかもしれませんねぇ」
千二百年もの時を越えて、英雄の血を持つ者が〝勇者〟としてこの世界に〝召喚〟された。かつての〝英雄王〟のように。これはもはや運命といえよう。
ノンネはその偶然――否、必然にクスクスを笑いながら歩を進める。周囲では中央軍の兵士たちが慌ただしく動いているが、誰一人として悠々と歩くノンネを咎めない。それどころか無意識に彼女に道を譲ってしまっていた。
「姿をくらました〝月光王〟も警戒すべき存在ではありますが、今は確実に居場所が判明している〝黒天王〟に対処するのが先。なので――」
そうしてたどり着いた場所は南門の上――胸壁であった。
そこには弓兵や魔法使いに混じって一人の少女の姿があった。
ノンネは彼女の背に熱い視線を向けて笑みを深める。
「――〝勇者〟ヒヨリ・アマジキ、あなたを誘いに参りました」
無防備な陽和の背中に〝曼陀羅〟を向けた、その時だった。
背後から強烈な殺気を受けたノンネは咄嗟に前方へと転がる。しかし放たれた斬撃を完全には回避できず、身に纏っていた外套が切り裂かれてしまう。
「……おやおや、誰かと思えば――腕が上がったようですねぇ、勇者くん?」
「そういうお前はこの前と何も変わっていないな。相変わらずコソコソと動き回ってやがる」
不意の奇襲で〝曼陀羅〟の力が切れたことで知覚されたノンネは、唐突な出現に驚きながらも周囲を取り囲む兵士の視線を受けながら立ち上がる。
そんな彼女は得物を向けてくる兵士など意にも介さず、奇襲を仕掛けてきた少年に視線を固定していた。
以前、初めて邂逅した時とは違う、警戒に値する勇者――宇佐新に。
「それはこちらの台詞ですよ。姿を――いえ、存在ごと隠して襲ってくるなんて、陰湿の極みじゃないですか」
「南門を破壊したのはお前だな?」
「おや、悲しいですねぇ。無視しないでくださいよ」
「答えろ」
と〝干将〟の切っ先を新が向ければ、ノンネは大仰な身振りで自慢げに語る。
「まあいいです、お答えしましょう。――その通りですよ。南門は確かに私が破壊しました」
「そうか……ならいい」
「何がよろしいので?」
お道化たように聞いてやれば、新は双剣を構えてこちらを睨みつけてきた。
「あんな馬鹿げたことができる奴がお前だけなら――ここで倒せば前線を立て直すことは十分可能だってことだ」
挑発的な言葉と共に確かな戦意を向けられたノンネは、
「ならやってみるといいですよ。できるなら、ですけどねぇ」
嗤って短杖を振り上げた。
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