十六話
神聖歴千二百年六月二十日。
エルミナ王国西方――カイム砦では、攻防が連日繰り広げられていた。
『怯むな、敵は確実に疲弊している。このまま押し切るぞ!』
『弓兵と魔法使いは上を狙え!とにかく敵兵を減らすんだ!』
『梯子を架けている部隊を掩護するんだ!城壁さえ越えられればこちらの勝ちだぞ!』
激しい攻撃を仕掛けている側は、エレノア大将軍率いる西方軍だ。初日に明らかとなった勇者の力を考慮して初めのうちは小規模な攻撃ばかりを行っていたが、勇者がその力を飛来する矢や魔法を迎撃することにしか使わないことを確信した指揮官エレノア大将軍は、二日ほど前から全軍を以っての大攻勢に打って出た。
その見立ては正しかったらしく、城壁まで西方軍が肉初しても尚、勇者が魔法でこちらの兵士を直接狙ってくることはなかった。
『梯子を架けさせるな!優先的に狙っていけ!』
『飛び道具は気にするな。ヒヨリ様が守って下さる。弓矢でも投石でもなんでもいい、とにかく敵を殺しまくれ!』
『東門側から救援要請だ!』
『そちらは問題ない。今、シン様が向かっておられるからな!』
当初七万もの大軍であった西方軍だったが、連日の攻城戦によってその数を一万ほど減らしていた。しかしそれで戦力差が縮まったかといえばそうでもなく、守備側である中央軍五万もまた一千ほど死傷者を出している。勇者二名の活躍――天喰陽和による敵遠距離攻撃の迎撃、宇佐新は単独での敵陣突撃による攪乱――によって被害をここまで抑えてきた。
けれども激しさを増した西方軍による攻撃、直接矛を交えない夜間でも響き渡る絶え間ない太鼓の音と喊声――これらの要因から中央軍は満足に休息も取れずにいる。途切れることのない緊張に、抜けることのない疲労は確実に中央軍を蝕んでいた。
対して西方軍は数で勝っているという優位を遺憾なく発揮し、軍を複数に分け、交代制で代わる代わる攻城をさせることで敵に休む暇を与えず、加えて余剰兵力で現在攻め立てている南門以外の門に攻撃を行うことで敵戦力の分散を図っていた。無論、それで門の突破を許すほど中央軍側も甘くはないが、ただでさえ少ない戦力を送らなければならないため、主戦場である南門側は押されていた。
「このまま続けば長くなりそうですねえ、この戦いは」
異様な熱気に包まれるカイム砦、そこから少し離れた位置に存在する小麦畑から戦いを見守っている者がいた。深々と外套を被り、右手に短杖を持つ女性――ノンネである。
彼女は勇者の実力を把握すべく此度の戦いを観察していたのだが、それもそろそろ頃合いかと思い始めていた。
(シン・ウサは未だ神剣の力を満足に引き出せていない。まあ、ユウ・イチノセよりはマシですが……)
懸念事項であった〝月光王〟の神剣――〝天霆〟と〝干将莫邪〟は所持者の問題からその力を発揮できずにいる。生死をかけた戦いの中で覚醒するかとも考え様子見に徹していたが、十日経ってもその気配がまったくないことからノンネは見切りをつけ始めていた。
(この様子だとしばらくは問題ないですかね。目的の人物であるヒヨリ・アマジキも〝覚悟〟が足りないせいで固有魔法の力を上手く発揮できていない。これならさほど苦労せず捕らえられそうですね)
勇者三人は現段階では脅威となりえない、そう判断したノンネはふと異変を感じてカイム砦から視線を切って南の方を向いた。
「おや、これは……」
ずっと感じていた〝魔〟の気配が唐突に消えた。そこでノンネは南――ゲトライト平原に送り込んでいたもう一人の自分に意識を集中させる。すると遠く離れたゲトライト平原の景色が〝視〟え、その光景に驚嘆の息を吐いた。
「……驚きましたねぇ。まさかこれほどとは……」
アレクシア第一王女が〝魔石〟の力を暴走させ〝なりそこない〟に堕ちた。それは別に問題ない。想定内だからだ。
けれどもそれを討伐できるほどの〝力〟と〝覚悟〟を持つ者が勇者の中にいるとは思ってもみなかった。
(アスカ・エモリ……勇者の中でも異質だとは思っていましたが――よもやここまでとはね)
他の三人とは対照的に、既に固有魔法を使いこなしている。力に振り回されるのではなく、力を従えて十全に振るっていた。
それだけでもノンネの興味を引くのに十分だったが、明日香の言動を――なによりその〝眼〟を見たノンネは含み笑いを浮かべた。
「〝虚無〟と〝渇望〟――相反する色を宿しますか。ふふっ、これはもしかするかもしれませんねぇ」
自らの目指す先――人の身にて〝王〟の座に到達せし者。彼女はその新たな候補に相応しいかもしれない。
(第一王女は失敗作、第二王子は欠陥品。それ以外は論外と来てますからね。であればこちらの世界とは異なる世界からやってきた存在で試してみるのも一興ですかね)
とはいえそれはまだ先の話になるだろう。今はとある〝王〟との交渉材料として陽和の身柄を確保するのが先だ。
「さて、では場をかき乱しながら目的の者を手に入れるとしましょうか」
ノンネは仮面の下で口端を吊り上げて短杖を振るった。
*****
城壁を巡り激戦が繰り広げられているカイム砦、その中央に位置する司令部では、アンネ将軍が各方面に指示を下していた。
『東門から救援要請です!』
「シン指揮官に向かってもらうよう伝えて」
『西門はこちらが優勢とのこと。ですが矢の減りが目立つと報告が挙がっています』
「すぐに補給部隊に連絡して頂戴。ここで矢を切らすのは不味いわ」
『伝令!北門に敵の姿あり!数は三千ほどです』
「南門後方で待機中の予備部隊を回して、北門の兵にはすぐに援軍が向かうと伝えて」
ひっきりなしに人の出入りがある司令室の中は慌ただしい。武官が訪れる伝令からの情報を精査し、対応策を講じ、必要な場面で上官であるアンネ将軍に指示を仰いでいる。カイム砦に元から居た文官たちは砦内で起きる様々な問題への対処に当たっていた。
『北区画で住民同士による喧嘩が発生したようです。どうやら南区画から避難した民と、元から北区画に住んでいた民の間で揉めていると』
『この非常時に喧嘩だと!?……いや、非常時だからこそ、か。わかった、すぐに衛兵を送ろう』
『西門周辺の家屋で火災が発生しました。敵の魔法使いによる火属性魔法の流れ弾が当たった模様です』
『消火部隊を――いや、水属性魔法が得意な者に行ってもらった方が早いな。手が空いている魔法使いはいるか?』
『負傷を理由に南門から下げた者たちがいます。これがそのリストです。これによると二人ほど水属性魔法に特化した者がいるようですね。その者たちに向かわせましょう』
『頼んだ。彼らには鎮火したらしばらく中央で休んでもらうよう伝えてくれ』
『はっ、了解致しました』
人の声が絶え間なく飛び交う司令室はさながら情報の戦場だ。全てを把握することなど三種の神眼の一つ〝天眼〟の所持者でもなければ不可能だろう。
故にアンネは部下たちを信用し様々な案件を任せ、自らは重要な物だけを捌いていた。
「ふう……」
『アンネ将軍、少しお休みになられてはいかがでしょうか。早朝からずっと働きづめでしょう?』
脳を酷使しているせいか、頭痛を覚えたアンネが息を吐けば、近くで彼女を補佐する幕僚の一人が心配そうな顔で提案してきた。
その心遣いは嬉しいものだったが、アンネは首を振って拒否を示した。
「ありがとう。でも今は休んでいる暇はないわ。敵の攻勢が佳境だもの。それに私たちの指揮官であるシンさんと副官のヒヨリさんも休みなく戦っている。上司が頑張っているのよ、私たちが頑張らなくてどうするの」
あくまで穏やかに、苦笑を交えて告げれば、幕僚もまた同じ反応を示して『そうですね』と頬を上げる。
名目上の指揮官は新だったが、実質的な指揮官はアンネだ。故に彼女は指揮官として余裕の態度を示さなくてはならない。上の動揺や混乱はすぐに下に伝わってしまう。そうなれば全軍の士気に影響してしまうだろう。だからアンネは常に、たとえ虚勢であろうとも余裕を示していた。
しかし、そんな彼女の努力を嘲笑うかのように、突如として司令室――否、カイム砦全体に大きな揺れが奔った。
『何が起きた!』
『ほ、報告!報告にございます!』
揺れはすぐに収まったが、一人の兵士が慌てて司令室に飛び込んできたことで全員の視線が一斉に入り口へと向けられる。
普通なら気圧されてしまう場面であろうが、その兵士はよっぽど慌てているのかアンネの元まで駆け寄ってくると片膝をつき、一息に告げた。
『み、南門が破られました!敵が次々と侵入してきていますっ!』
『な――』
その言葉には誰もが眼を剝いた。
『どういうことだ!?内側から開かれたということか?』
『い、いえ。突如として城門の内側で爆発があり……それによって吹き飛ばされてしまったのです!』
『ありえん!城門は真銀でできているのだぞ!?魔法や爆薬では破壊できんはずだ』
また物理的な衝撃にも強く、古の戦いでは〝なりそこない〟による攻撃ですら城門は突破できなかったという記録が残されている。
それほどの硬度を持つ真銀を一撃で破壊するとなれば……と、アンネの脳裏にとある情景が浮かび上がった。
しかし即座に首を振って否定する。あり得なかったからだ。
(〝聖征〟……神剣ならできるでしょうね。でもクラウス大将軍はバルト大要塞に居るはず)
エルミナ王国に存在する神剣は三振りだけだ。〝聖征〟は遥か遠くエルミナ東方に、残る二振りは味方である勇者が所持している。故に神剣での攻撃ではないと結論づけた。
(ならどうやって――いえ、今それは問題じゃないわ)
起きてしまった以上、その原因を考えるのは時間の無駄だ。そのようなことは戦後でもできる。今はその問題にどう対処するかが焦点である。
アンネは思考を切り替えると手を叩いて混乱する場の意識を集めた。
「今は原因を特定することではなく、対処するほうが先よ。まず、残っている予備部隊を全て南門へ投入、侵入してきた敵をこれ以上先に進ませないようにするわ。南門の兵と合流し、その勢いを以って砦外へ敵を押し出す。それから
『し、しかし……敵は勢いづいています。そう簡単に押し返せるでしょうか』
堂々たる態度で告げたアンネの言葉に一人の武官が懸念を口にした。その指摘は尤もだったので、アンネは頷きながらさらに言葉を発する。
「東門に向かったシン指揮官を呼び戻します。勇者であり神剣所持者でもあるシン指揮官のお力をお借りすればいけると私は考えている」
それに、とアンネは罪悪感を押し殺しながら黒髪の少女の名を口にする。
「確かに城門は破られたけど胸壁は健在よ。あそこにはヒヨリ副官もおられるからそう簡単には落ちない。なら侵入してきた敵兵を挟撃することだって可能だわ」
『おお、確かに……!』
アンネの説明にそれならば、と士気が上がっていく。
それを感じ取ったアンネは命令を下した。
「作戦は今の通りで行くわ。皆、動いて頂戴」
『『『はっ!直ちに』』』
方針が決まれば後は素早い。幕僚たちは一斉に行動に移っていく。
それを見届けたアンネは補佐役の幕僚に声をかけながら立ち上がった。
「おそらく現場――南門は混乱しているでしょう。それを鎮め、士気を上げるためにも私が直接向かうわ。あなたはここの指揮を引き継いで頂戴」
『なっ、危険です!おやめください!』
「内部に侵入された以上、危険なのはどこも一緒よ。それに指揮官と副官が前線に出張っているのに、私だけ向かわないというのはおかしな話でしょう」
形勢は一気に不利になってしまった。けれども不安や動揺をおくびにも出さずにいる将軍に、幕僚は勇気づけられ、湧き上がる弱音を殴り飛ばして笑みを浮かべる。
『……ご武運をお祈りしております』
「ありがとう、あなたにも〝月光王〟の加護がありますように」
頼りになる部下だと思いながら、アンネは魔剣を腰に差して司令室を後にするのだった。
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