十四話
それから十日が経過した。
エルミナ王国西域南部ゲトライト平原における戦いは、初日を除けば全て小競り合いで終わっている。
両軍共に消極的な動きであった。これはどちらも相手の出方を窺っていた為である。
アレクシア第一王女率いる西方軍は初戦で凄まじい武威を見せた勇者二人を警戒して。
モーリス将軍率いる中央、南方連合軍は数で勝る敵の思惑を警戒して。
それぞれが互いを警戒しすぎた結果がこの十日間である。
「そろそろ仕掛けてくる頃合いですかな」
しかし十日も過ぎれば動きたくなるのが人の性だ。特に戦場で常に緊張に晒されている兵士たちは限界が近いだろう。上層部は問題なくとも末端の兵士が暴発しかねない状態であった。
故に敵軍は今日動く――そんな予感を覚えたモーリス将軍が司令部がある大天幕の外で呟いた。
「そうかもしれませんね。敵の動きが今までと違いますから」
と、白髪の将軍の横で返事をよこしたのは、この連合軍の指揮官に据えられている少年、一瀬勇であった。
彼は腰に吊るす神々しい剣の柄に片手を置きながらモーリス将軍と同様に前方を見やる。そこにはこの十日間とは違う敵軍の配置があった。
消極的な守りの陣形ではない、初日のような攻撃的な陣形――否、それよりも攻撃的だった。
「偃月……敵は随分と思い切った陣形を取ったものだの」
「確か、指揮官を先頭に置いた中央突破を目的とした陣形――でしたっけ?」
「そうです。しかしこれは本来兵力で劣っている側が選ぶ陣形なのですが……」
偃月は中軍を前に出し、両翼を下げる陣形だ。指揮官が先頭に立って切り込むため士気が高まりやすく、また指揮官を守るために精鋭が最前線に出張るため攻撃力が高いのが利点である。
しかし指揮官が先頭であるため戦死しやすく、また最前線で戦う指揮官が戦場全体を把握しにくいため指揮がおろそかになりやすいという欠点があった。
敵中央を突破し戦列を分断、加えて敵本陣を狙えはするが、それは通常数で劣っている場合、もしくは練度が著しく低い軍隊の場合などの際に苦肉の策として選ばれることがほとんどだ。
「どのような軍であっても指揮官が死ねば終わりです。頭のない獅子ではただ暴れるだけで、何も喰らうことはできないのですからな」
「なら何故敵はそんな危険な策――賭けのような真似を選んだんでしょうか?」
「……答えは明白ですな」
そう言ったモーリス将軍は真っ直ぐに勇の顔を見てくる。次いで少し離れた先で座禅を組み、静かに瞑想している明日香に視線を転じた。
その目線の動きが何を意味するか、察した勇はごくりと息を呑んだ。
「……僕たちがいるからですか?」
「正解です。こちらに勇者という規格外の存在がいるからこそ、敵はあの陣形を選ばざるを得なくなったわけですな。もし私が向こうの立場なら同じ選択を取ったでしょう」
戦というものは基本的には数で勝る方が勝利するものだ。特に今回は八万対五万――三万もの差がある。普通にぶつかれば西方軍に軍配が上がることだろう。
けれどもこの世界ではそうはいかない。何故なら〝固有魔法〟や〝神剣〟といった超常の力を所持する個人がいるからだ。
これら超越者は恐ろしいことに千、万の軍勢すら時として単騎で退けてしまうほどの武力を有している。
冗談ではなく戦の趨勢を個人で決してしまう化け物なのだ。
そんな化け物――天災を前にすれば歴戦の兵士とて心が折れてしまいかねない。現にゲトライト平原の戦い初日では〝勇者〟江守明日香の武威を見た西方軍の士気が崩壊しかかった。
「失った自信を取り戻させる最も手っ取り早い方法――それは戦いに勝つことです」
戦で失った自信は同じ戦でしか取り戻せない。失態、羞恥、屈辱――それらを晴らすには、勝利を己が手でつかみ取る以外に他ないのだ。
「ですが、いくら陣形を変えたからといっても……この間と同じ結果になるのではないでしょうか」
と、勇が自陣を見やれば、敵軍と真逆の布陣を認めることができた。
中軍を下げ、両翼を広げた形――鶴翼の陣形だ。
本来なら数で勝る側が使用する包囲殲滅を狙った強気な陣形だ。実際にゲトライト平原の戦い初日で西方軍が採用している。
けれどもモーリス将軍はあえてこの陣形を選択した。
その理由は明白――〝勇者〟という規格外の存在を二人も有しているからである。
「両翼にそれぞれ二万ずつ配し、中軍を一万だけにする。……かなり大胆な采配って幕僚の皆さんからも言われてましたよね」
「そうですな。ですが、これで良いのです」
これには一種の軍事的示威行動としての意味合いがある。初日で見せた勇者の圧倒的な武威を再び知らしめること、そしてその勇者を四人も有しているのだと世界に示す。
そうすれば戦わずに膝を屈する者も出てくることだろう。未だ日和見を決め込んでいる貴族諸侯たちもこちら側につくことを真面目に検討し始めるはずだ。
「それに敵軍の兵たちの士気を下げることにも繋がります。数で勝っていようとも士気が劣れば、勝てるものも勝てなくなる。それが人同士の戦というものですからな」
人には理性の他に感情というものがある。前者は比較的扱いやすいが、後者はそうもいかない。
兵数、地の利で圧倒的に優位と頭で分かっていても、勇者という化け物が襲ってくるかもしれないという恐怖が心を蝕むのだ。
心技体――それら三種の神器が揃ってこそ初めて人は本来の力を発揮できる。どれか一つでも欠けていれば動きは精彩を欠き、戦場においてそれは死へと直結する。
「そういったことを考慮したうえでこの策を選びました。ですが……この作戦は軍議で指摘があったように、中央が薄い。万が一突破されればその瞬間、こちらの敗北は決定的となる」
「中央……つまり俺たちが負けるようなことがあれば――」
「――そうならないように、私たちがいるんでしょ。大丈夫だよ、勇くん」
不安を醸し出す勇に、これまで黙って座禅を組んでいた少女――江守明日香が声をかけた。すっくと立ちあがる彼女の腰にはいつの間にか二振りの刀が現出していた。
「モーリスさん、敵が来ますよ」
「む……!そのようですな。全軍に指示を、軍旗を掲げよ」
大地を揺らす大軍の前進が始まった。アレクシア第一王女が直に率いる西方軍第一陣が動き出したのだ。
その数は一万、全体からみれば少ないといえようが、その全てが騎兵で構成されているとなればこちらが気圧されるほど大迫力であった。続く第二陣は五万と西方軍の中で一番数が多い。こちらは歩兵と弓兵、魔法兵――魔法使い――の三種で構成されている。進軍速度こそ第一陣に劣るものの、多種多様な兵科が混在していることから対応力に優れていた。その後に控えるのは一万の歩兵で構成された第三陣だ。これを突破されれば軍の頭脳たる幕僚たちが控える本陣があるため、比較的練度の高い兵が配置されている。
その本陣は幕僚たちと初日の戦闘で発生した負傷者らを守るために兵が残されてはいるものの、数は五千しかおらず、練度も浅い者たちで構成されているため、実質第三陣が最終防衛線と言えた。
総勢八万弱という圧倒的大軍は、勇たちの眼に平原を埋め尽くす人の群れとして映りこんできた。
『これは……本当に勝てるのか?』
『数が違いすぎるぞ。いくら勇者さま方がいるとはいえ……』
中央――すなわち包囲が完了するまで耐えなくてはならない位置に配置された兵士たちが不安げに囁きあう。無理もないことだ、こちらはたったの一万、対して向かってくる敵軍は第一陣だけでも同数、第二陣と合わせれば倍どころの話ではないのだから。
にわかに下がり始めた士気を感じ取ったモーリス将軍は、手を打つべく勇者の二人に声をかけようとした。
だが、その必要はなかった。何故なら本陣から跳躍し、曇天に身を投げた少女が中軍の先頭に降り立ったからだ。
彼女は中軍を見渡すと徐に腰から二振りの刀を抜き放った。〝勇者〟江守明日香のみが持つ固有魔法
「みんな――恐れないで」
発せられた声は大きくなかった。しかし何故かよく響く。暗闇を切り裂く一閃の光の如く、兵士たちに希望を与えた。
刀剣の申し子は右手の刀の切っ先を天に向けて、残る左手の刀を半身をひねって敵軍へと向けた。
「私が道を切り開く。だからみんなは附いてくるだけでいい」
年若い少女――なれど、人々は彼女の姿に〝英雄〟を視た。
〝軍神〟のように武力だけでなく軍略に優れている――というわけではない。しかし、かつて――古の時代にその〝軍神〟と共に世界を救った一人の〝英雄〟を彷彿させた。
剣に愛され剣を愛し、ただひたすらに剣の道を歩んだ男――〝剣帝〟を。
『〝剣姫〟……
『〝剣帝〟の子、〝剣姫〟に違いない!』
『アスカさまについて行けばきっと大丈夫だ!』
人々の眼に焼き付く少女の姿は、士気を爆発させた。兵士たちは揃って足を踏み鳴らし、盾に槍を打ち付けて雄たけびを上げる。
鬼胎に苛まれていた人々に勇気を与えるその姿はまさしく〝勇者〟と呼ぶに相応しい。もはやこの場で勇者という存在を疑う者は一人もいなかった。
「……いらぬ心配でしたな」
と、自嘲気味に呟いたモーリス将軍は、隣で茫然と友人を見つめる少年へと視線を転じた。
「ユウさまはどうなされますかな?」
「…………決まっているじゃないですか」
まるで決して手に入らない宝物を見つめる子供のように明日香に視線を注いでいた勇だったが、挑発にもとれるモーリス将軍の言葉を受けて神剣
「僕だって彼女と同じ――勇者ですから」
「……左様ですか。ならば、頼りにしていますぞ」
「ええ、任せてください!」
その言葉を最後に勇は地を蹴って跳躍、最前線に立つ少女の元へと降り立つのだった。
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