十三話
「ご、ごめんなさい……っ!」
初戦をなんとか凌いだ中央軍――その司令部に少女の謝罪の声が響いた。
それを受けた一同はしばし唖然としていたが、やがて苦笑交じりに宥め始めた。
『なんの、勇者さまのおかげでこちらの被害は軽微に抑えられました。感謝こそすれ責める道理はありませんよ』
『そうですよ、ヒヨリさまの〝固有魔法〟がなければ我々は甚大な損害をこうむっていたことでしょう。謝られる必要はまったくありませんとも』
「で、でも私があの後攻撃していたら……もっと敵を倒せたはずです!そうすればゆ、有利になっていたかもしれないのに……」
少女――天喰陽和の言うことも事実ではあった。けれども今回が初陣、しかも今まで兵士として訓練をつんできたわけでもない若干十五歳の少女にそこまで求めるような者は、少なくともアンネの部下には一人もいない。
それは彼らの上司であるアンネも同様の考えだったようで、彼女は陽和をゆっくりと席に座らせると微笑みを向けた。
「ヒヨリさん、あなたが固有魔法を使ってくれなければ多くの兵士が亡くなっていたでしょう。あなたは彼らの命を救ったのよ。あなたのおかげよ。本当にありがとう」
アンネの言葉は事実だ。現に魔法使いの部隊は砦後方に待機させていた為、あの局面では到底間に合わなかっただろうし、なにより間に合っていたとしても飛んでくる魔法を全て迎撃できたとは思えない。飛来する魔法に自らが放った魔法をぶつけることはとても難しく、魔法使いの間では高等技術とされている。それを魔法使い全員が戦の混乱の中で行えるとは到底思えないからだ。
「で、でも……」
「陽和ちゃん、そんなに責任を感じることはないよ。それを言ったら何もできなかった俺の立つ瀬がないしな」
「そ、そんなことは――」
「あるさ。俺の固有魔法は近接戦闘特化型だからな。さっきみたいに無数に飛んでくる魔法を迎撃できるわけじゃない。役立たずだった俺よりも陽和ちゃんは勇者としての務めをきちんと果たした。それは誇ることであって卑下することじゃないぜ」
と、陽和の隣に座る新が言えば、彼女はやっと納得したのかおずおずと頷いてくれた。
その様子を見届けたアンネは立ち上がると指令室に集った一同を見回した。
「緒戦はヒヨリさんのおかげでなんとか痛み分けに終わった。けれど彼女が居なければこちらの大損害という結果が待っていたでしょう」
その言葉に幕僚たちは身を引き締めるように表情を硬くした。それは言葉を発しているアンネも同様で、彼女は真剣な眼差しをしていた。
「敵はこちらよりも一枚上手だった。でも、いつまでも向こうの好きにさせるつもりはないわ。明日はこちらから仕掛ける。皆、この後は英気を養ってちょうだい。また夜間守備の担当者は夜襲に備えること。先ほどヒヨリさんが武威を示したとはいえ、それで怖気づく相手ではないわ。警戒は十分怠らないように」
『『『はっ!』』』
敵の指揮官はエルミナ最強の騎士である〝四騎士〟の一人だ。後退したとはいえまったく油断はできない。
そう告げて軍議を解散したアンネ。幕僚たちが次々と退出していく中で、新は意を決したような表情で立ち上がるとアンネに近づいた。
「アンネさん、少しお話が……」
「あら、どうしたのかしらシンさん」
小声で話し始めた二人に陽和はどうしたのだろうと首を傾げるのだった。
*****
夜――それは三柱の神が支配する時間帯だと古来より伝わっている。
闇を齎す〝黒天王〟、世界を白く染め上げる〝白夜王〟、全てを慈しむ光を天空より放つ〝月光王〟。
前者二柱は人々から畏れられる存在であるが、残る一柱は人々から愛され崇められる存在だ。
かつて世界を〝偽りの神〟の支配から解放し、人族を纏め上げた偉大なる〝王〟――〝月光王〟。その化身とされている月が放つ光は、恐怖を誘う夜闇で人々を安堵させ導いてくれる希望の光だ。
加えて月明りが地上を照らす日は何故か魔物の出現率が低いという事実もあった。
故に人々は月が出ている夜は比較的外を出歩く傾向にある。
「…………少し暑いな。もう夏もすぐそこか」
初夏を迎えた
そんな彼女の後方に広がるのは西方軍の陣地で、幾つもの天幕が建てられており、至る所で篝火が焚かれていることで耐えない明かりが放たれていた。
エレノアは少し一人で頭を冷やしたいと考えて護衛も連れずに陣地から離れた場所にいた。無論部下たちからは難色を示されることが分かっていた為、こっそり抜け出してきていた。
「アンネ……あなたは今、何をしているのだろうか」
視線を空から正面に移せば、多くの松明が胸壁で揺らめくカイム砦がエレノアの碧眼に映りこむ。
ゆらゆらと揺れる無数の火――まるで自分のようだと考えこんでしまう。
「この戦いが始まる前に割り切ったはずなのにな……」
友を――否、それ以上の存在だとエレノアが想っている相手。それが今回の敵だ。敵である以上、打ち倒さなければいけない。それをわかっていたからこそエレノアは割り切って戦に臨んだはずだった。
けれども実際にはこうして砦攻め初日を終えた今となっても、彼女は悩んでいた。
「ふっ、我ながらみっともない……」
そう頭では理解しながらも心は別の想いを抱えている。
たった二人だけの女性であった軍学校時代。共に学び、切磋琢磨した日々。喧嘩したこともあった、泣いたこともあった、女だからと周囲の男たちから見下されて屈辱を覚えた時もあった。けれど、辛いことだけではなかった。共に笑った時があった、喜びを分かち合ったこともある。喜怒哀楽――全てを共にしてきた。
卒業してからも共に戦場を駆け抜けた。命を救ったことも、救われたことも数えきれないほどある。初陣で共に敵側の指揮官級を四人も討ち取って鮮烈な勝利を飾った日のことは、今でも昨日のことのように思い出せる。生まれて初めて飲んだ酒が不味くて吐き出してしまい、アンネの服を汚してしまったことなどは思い出すたびに笑みがこぼれる。
やがて大将軍選定の儀が行われ、彼女からその座を譲られてからは任地が離れていることもあって疎遠になってしまったけれども、心は常に共にあると信じている――敵対した今であっても。
家族より近く、恋人よりも近い――唯一無二の
「私のやるべきことは変わらない」
アンネを生かして捕らえ、勇者たちが率いる軍勢を排除し、王都に蔓延る闇――オーギュスト第一王子やアルベール大臣を始末する。それら功績を以ってアレクシア第一王女にアンネの助命を乞えば、きっと許されるはずだ。そうなればこれからも共に居られるだろう。
「だから許してくれ、アンネ。私はあなたに付き従う者たちを倒す」
覚悟と決意――改めて声に出したエレノアは鋭い視線をカイム砦に向けてしばし黙り込む。
やがて納得がいったのか、砦から視線を外したエレノアは踵を返そうとして――、
「――はぁっ!」
「ッ!?」
――突如として背後に感じた殺気に、振り向きざまに抜き放った魔剣を叩きつけた。
金属同士が激突する甲高い音が鳴り響き、夜闇に火花が散る。月光に照らし出された影は闇と同化するほど黒い双剣を手にする少年の姿をしていた。
エレノアが膂力を以って押し返せば、その勢いに逆らうことなく少年は後方に下がった。
「何者だ」
「…………」
誰何するも対峙する少年は黙ったまま双剣を構えるだけだ。エレノアは油断なく魔剣を構えながら相手を観察する。
(黒髪に黒眼、か?それにあの双剣は……)
一度だけ見たことがある二振りに似ている。暗闇であるがゆえに確証はないが、アレは王城にあった神剣〝干将莫邪〟ではないか?
(だとすればこいつは……)
「勇者、か……」
「…………」
そう呟いてみるも少年はまったく反応を見せなかった。ただ油断なくこちらをにらみつけてくるだけである。
だがエレノアはその反応のなさから逆に確信した。眼前の相手は勇者の一人であると。
冷静に考えればそうだとしか思えない。単身敵陣に侵入する度胸、襲撃の直前まで大将軍たるエレノアがまったく気配を感じ取れなかったことなど――全て相手が勇者であり、固有魔法を有しているからであれば説明がつくからだ。
(昼間、光剣を放った勇者とは別口だろうな。あまりにも能力が違いすぎる)
固有魔法ではなく神剣の能力だと言われてしまえばそこまでだが、長年戦場で培ってきた武人としての経験が断言している。間違いなく昼間の者とは別の者であると。
しかしあれほどの大規模魔法を行使できる存在と同等なのだ。油断はできないし、慢心もできない。
瞬時にそう判断したエレノアは大声を上げた。
「敵襲だ――!ここに敵がいるぞ――!」
「……っ」
声を張り上げたエレノアは、対峙する少年が僅かに揺らいだのを感じ取った。おそらく天下の大将軍が一切の逡巡なく救援を求めたことが予想外だったのだろう。
しかしそれはエレノアにとっては普通の事。固有魔法や神剣を持たない身であることをわきまえている彼女にとって、戦う相手がそれら超常の力を有していたらなりふり構わず助けを求めることはまったく情けないことではない。むしろ当たり前だとすら思っていた。
「意外か、私が助けを求めるのは」
「…………」
問いかけたが、この状況にあっても少年は一言も喋らない。こちらに刃を向けながらちらりとエレノアの背後に眼をやった。
それは確かな隙であったが、超人が相手である以上不用意な真似は出来ないとエレノアは黙って見過ごす。
即座に視線を戻してきた少年の黒瞳にはもはや戦意はなかった。彼は西方軍陣地からやってくる兵士たちの姿を見て取ったのだろう。
少年がゆっくりと後ろに下がってゆく。そのたびに彼の姿が闇と同化するように見えなくなっていく。
やがて完全に見えなくなった時、気配もまた消え去った。
しばし剣を構えていたエレノアだったが、もう充分だろうと構えを解いて魔剣を仕舞う。
と同時に陣地から駆け付けた兵士たちが声をかけてきた。
『エレノア大将軍、ご無事ですか!?』
「ああ、問題ない。敵は逃走した。とはいえまだ周囲に潜んでいるかもしれない、警戒度を引き上げるよう伝達せよ」
『はっ、直ちに行います。エレノア大将軍はいかがなされますか?』
「私は天幕に戻る。敵は少年であった。おそらくは勇者と思われる。見つけても決して一人で立ち向かおうとするな、必ず周囲に大声で知らせるように周知徹底せよ」
『御意』
命令を矢継ぎ早に飛ばし、自らがここにいることへの追及を避けたエレノアは自分の天幕へ戻るべく歩き出した。その脳裏には先ほどの少年が映し出されている。
「あれが勇者か……」
姿かたちこそ只の少年、なれど身に纏う覇気、放つ殺気は尋常ではなかった。まるでS位階の魔物と対峙しているかのような圧迫感に襲われた。
(あの少年が向かってくる兵士を気にせずにこちらの首を取りに来ていたらと思うと……ぞっとするな)
圧倒的な武力を有しているように見えた。しかし、そうであれば何故素直に撤退したのか気になる所だ。
(こちらの戦力を見極められていなかった、使用している能力に制限時間があった、あるいは――素人故か?)
確かにあの少年からは強大な〝力〟を感じ取れたが、武人としての雰囲気は一切感じ取れなかった。〝力〟を無視して少年だけを見るのであれば、あれは武人というより民間人に近いと思う。
(それにもしそうだとすれば昼間の行為にも納得がいく)
光剣による追撃がなかったこと。あれもアンネの指示などではなく、単に使用者である勇者に人を殺す覚悟がなかったが故だとすれば……。
「勇者……存外何とかなるか……?」
どれほど強大な力を持っていようとも、扱う者の意思が定まっていなければ意味はない。それでは宝の持ち腐れに過ぎない。
意外にも見えてきた勇者への突破口に、エレノアは思案を巡らせるのだった。
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