六話
夜光が眼を覚ました時、既に陽は昇っていた。
それは幌の隙間から差し込む日差しが物語っている。
「寝すぎたかな」
とはいえそうすることで疲労が回復したのも事実。
夜光は深く息を吐くとおもむろに立ち上がろうとした。
しかしその動作を阻害する力の働きを感じて視線を向ければ、服の袖をつかむか細い手を認めることができる。
(綺麗な手だな。苦労を知らないって感じだ)
絹糸の如き金髪を持つ少女――その手は荒れておらずきちんと手入れされていた。その容姿からは少女がやんごとなき身分であることを察することができる。
夜光は皮肉った思いを浮かべたが、直後首を振って真剣な眼差しを少女に向けた。
(この後どうするか……)
問題はそこである。つい感情的になって助けてしまったわけだが、その後の展望に関しては何も考えていなかった。
これから夜光が行うことは復讐だ。その為にエルミナ王都パラディースへ向かう予定であった。無論、一人で。
しかし一度助けておいて、はいさようならというのはあまりにも無責任すぎるのではないだろうか。
(……ならパラディースに向かう途中――適当な町まで連れていくか)
そこで保護を求めれば良い。少女の身分にもよるが悪いようにはならないだろう。
と思案していた夜光の眼下で、件の少女が眼を開けた。
「う、ううん……あれ、ここは……」
見慣れぬ光景だったのだろう。少女はしばし呆然としていたが、やがて現状に思い至ったのか碧眼に確かな意志を宿す。
それからふと自らがつかんで離さない服袖に気づき、ゆっくりと上向いて夜光の顔を見つめてくる。
「っ!?も、申し訳ございません!わたしったらなんてことを……」
寝ている間ずっと夜光の服を掴んでいたことが羞恥を呼んだのか、少女は頬を赤らめて謝罪を口にした。
対して夜光は無表情に彼女を見下ろして言葉を発する。
「別にいいさ。それより今後についてなんだが……」
と先ほどの考えを告げる。その間、少女がなにやら言いたそうにしていたが夜光としては知ったことではない。
「……って感じで行こうと思う。都合よく馬車もあることだし、今日中にはどこかの町にたどり着けると思うから――」
「待ってください」
夜光の説明を遮って少女が声を発した。その表情は何か覚悟を決めたようにも見えるほど真剣である。
「……なんだ」
これは面倒くさそうだぞと夜光が嘆息しながら問えば、少女は意を決したのか言葉を発し始めた。
「わたしは訳あって身分をお伝えすることはできませんが……王城からここまでやってきました。向かう先は東方にあるヒュムネという町です」
語られたのは少女が体験した出来事。王都からここに至るまでの経緯であった。
その話は理解できるものではあったが、所々伏せられている箇所があり、それが夜光の眉根を寄せた。
(王城からだと?こいつ何者だ……?)
王都ではなく王城から来たと少女は語った。奇妙な話だ。貴族の子女ならば王都に邸宅があることは自然であり、仮に少女が貴族ならば王都から来たというはず。
しかし彼女は王城からといった。王城に暮らすことを許されているのは仕えている侍女や衛兵、そして王族だけだ。
だが後者である可能性は極めて低いと夜光は思っている。
(王族でこの年となれば第三王女――でもそれはありえない)
年端もいかない少女――しかも王族という存在が一人で旅をするなど常識的に考えてありえない。それに噂では第三王女は主体性が薄く、他人の顔色を窺って過ごしているという。そのような人物にこのような大それたことなど出来はしない――そう夜光は考えた。
(なら侍女ってとこか。でもそれにしては手が綺麗すぎるんだよな)
宮仕えの侍女ならば掃除洗濯料理といった仕事をこなすだろう。その過程で自然と手が荒れてしまうはずだ。なのに少女の手は繊細な彫刻並みに整っている。
考えれば考えるほど深まる謎に夜光が考え込んでいると、少女は経緯を話し終えて夜光を見据えていた。
その凛とした視線に思わず思考が止まって碧眼に吸い寄せられてしまう。
そんな彼の様子には気づかず、少女は言葉を続ける。
「わたしは何としてでもヒュムネの町へ赴かなければなりません。しかし……昨日の出来事でお判りになったと思いますが、わたしには身を守る術がありません。攻撃魔法はほとんど使えず、唯一使える魔法も身を守るには役立たない」
精一杯語るその姿はとても印象的で、だからこそ夜光は見入ってしまう。
「命を救ってもらった上、このようなことを言うのは無礼と承知しています。……ですが、どうかわたしのお願いをきいてはくださらないでしょうか」
その言葉にハッと我に返る夜光。彼は今、激しく動揺していた。
(どうなってる?こいつの事なんてどうでもいいはずなのに……なんで黙って聞いてしまったんだ)
明らかに不自然だと思う。復讐第一の夜光にとって眼前の少女などどうでもよい存在のはず。だというのに言葉一つ挟まず黙って話に聞き入ってしまった。
妙だ、と夜光は警戒心を抱いた。されど少女はそれに気づかず彼の隻眼を見つめ続けている。
夜光も見つめ返す――否、睨めつけたが、怖気づく気配はまったく感じられない。
「はぁ……言ってみろ」
言うだけならただだからな、呟けば少女は表情を明るくした。
「わたしをヒュムネの町まで護衛してほしいのです。あなたの腕前なら安心できますから」
それは想定内の願いだ。話の流れからなんとなく予想は出来ていたこと。
けれども頷くわけにはいかない。何故なら夜光が向かおうとしている方向とは真逆だからだ。
「……悪いが断る。俺は王都に用があるんでね」
にべもなく断れば、少女は驚愕した後焦りを浮かべた。
「そ、そんな!どうして……」
「どうもこうもないだろ。向かう方向が違いすぎるって話だよ」
夜光が淡泊に返せば、少女はどうしようかと狼狽えた。しかし何か思いついたのか再び夜光に眼を向けてくる。
「報酬はきちんとお支払い致します!ですからどうか……」
少女の弱々しい態度はまるで捨てられた子犬のようだった。それを受けた夜光は嘆息して冷淡に問いかける。
「いくらだ」
「え……?」
「だから報酬だよ。いくら払ってくれるんだ?」
少女は着の身着のままである可能性が高い。となれば所持している金品は大したことがないだろう。それを理由に断ろうと夜光は考えたのだ。
しかし――、
「……エルミナ金貨百枚をお支払い致します」
「…………んっ!?」
提示されたのは破格の報酬。故に夜光は一瞬思考が麻痺してしまう。
(エルミナ金貨百枚ってありえないだろ)
金貨一枚ですら平民の一年分の稼ぎである。それを一度に百枚というのは戦争で高い功績を挙げた将軍への褒美くらいしかありえない。
驚きに眼を瞠る夜光に勘違いをしたのか、少女は慌てて口を開いた。
「も、もちろん今すぐにというわけにはいきません。ですが全てが終わればお渡しすることができますから」
それから少女は荷台の端へと向かい、屈んでなにやら手に取った。
夜光の元まで戻ってきた少女の両手にあったのは奇妙な形状の物体であった。
「これを約束を守るという証としてあなたにお貸し致します。我が国――いえ、我が一族に代々伝わる家宝のようなものです」
それほど貴重で大切な代物を赤の他人に貸す――これがどれほど重い意味を持つか、理解できない夜光ではない。
しかしだからこそ困惑が先立つ。そこまでして彼女が成し遂げたいこととは一体何なのか。
黙り込む夜光に少女が説明をし始めた。
「この盾の名は――
(どこかで聞いたような……っていうかこれ盾なのか?)
どう見ても盾には見えない。見た目は短剣で長さが夜光の肘に届くかぐらいである。色は白で腕と同じくらいの太さであり、これでは盾として機能しないのではないかと思ってしまう。
と夜光が考えながらジッと見ていると異変は唐突に訪れた。
少女が持つ〝王盾〟が独りでに浮き上がり、目にもとまらぬ速さで夜光の左腕に移動したのだ。
「なっ――」
「え――」
奇異な現象に二人が驚いていると〝王盾〟は何処からともなく帯を出現させ、それを夜光の腕に巻き付かせる。そしてそのまま沈黙してしまった。
「なんなんだよ、これは……」
「す、すみません!わたしにもわからなくて……〝王盾〟がこのような反応を示したのは見たことが無いのです」
元々所持していた少女ですら知らないとなればどうしようもない。差し迫って害があるわけでもないようなので問題にはならないだろう。
――と考えてた夜光だったが、一旦外そうと試みて考えを改める羽目になる。
何故なら何処をどうやっても外せなかったからである。
「外せない……」
まるで意志でも持っているかのように離れない。夜光の握力は〝天死〟で強化されており常人のそれではないというのにどれだけ力を入れても外せない。腕を振りすっぽ抜けないか期待してみるも無駄であった。
「…………」
「ひっ、ご、ごめんなさいっ!でもわたしにはどうしようもないんです!!」
有無を言わさず前払いされてしまっては断れないではないか。
夜光が抗議を込めた視線を送れば、少女は怯えたように肩を揺らした。
(……仕方がない。受けるしかないか)
強制的だったとはいえ、流石に少女にとって大切な――家宝とか言っていたのだからそうなのだろう――物を持ったまま立ち去ることなどできない。
それは夜光の矜持が許さなかったし、何より少女の必死な姿は僅かながら彼の心を動かしていた。
「……分かったよ、お前の依頼受けようじゃないか」
「っ!?あ、ありがとうございます!!」
少女はよほどうれしかったのか安堵の息と共に笑みを見せた。
その笑みは咲き誇る花のようで、夜光は思わず見入ってしまった。
(我ながら度し難いな)
そんな己に自嘲気味な思いを抱きながら、夜光は嘆息して荷台の出口へと向かう。
「ど、どうしたのですか?」
「旅立つなら早い方がいいだろ。御者台に行くんだよ」
お前も来るか、と尋ねてからふと夜光はあることを思い出して口に出す。
「……そういえば互いに自己紹介をしてなかったな」
「もう……今更ですね」
少女もまた失念していたのか苦笑を浮かべた。
夜光もつられて苦笑すると少女をしかと見据えて名乗ろうとする。
「俺の名前は――」
しかしここで問題が発生した。正直に本名を名乗るべきか、偽りの名を騙るべきなのかという問題が。
(正直に名乗ってしまうと俺が生きていることが勇に伝わってしまうかもしれない)
忌々しい男――一瀬勇は夜光が死んだと思っているはずだ。もし殺した相手が生きていると彼が知ったらどのような行動に出るかは未知数だった。
(大方事故で死んだことにしているはず……そこに真実を知る俺が出てきて奴がしたことを暴露すれば奴の人生は終わる)
勇者筆頭が知人を私怨から殺害しようとしたとなれば勇の権威は失墜し、新や明日香たちからは軽蔑されることだろう。彼の想い人である陽和からも避けられるに違いない。
(それを避けるためにもう一度俺を殺しにくるか、それとも……)
様々な可能性があるが、共通するのは危険があるということである。
今後を考えれば危険は極力避けるべき――否。
(なんで俺がコソコソしなきゃならないんだ)
悪いのは勇の方でこちらは被害者である。ならば堂々と名乗り出て、堂々と勇に復讐すればよいではないか。
そう考えた夜光は怪訝そうな少女に向かって再度口を開く。
「俺の名は――間宮夜光だ」
「マミヤ、ヤコー……?」
「……夜光だけでいい」
「分かりました、ヤコーさま」
その呼び方に胸がざわつく夜光を置いて、少女が名乗る。
「ヤコーさま、わたしの名前は――……えっと、その……」
夜光と同様、名前を口に出す段階で口ごもる少女。
その姿に疑念を深める夜光だったが、再び少女が声を発したことで意識を向けた。
「私の名前は……シャル、です。シャルといいます」
「……そうか、分かった。ならシャル、行くぞ」
「はいっ!」
ようやく互いの名を知った二人は馬車を動かすべく御者台へと向かうのだった。
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