五話
斜陽――世界が
徐々に落ちていく気温を感じながら、シャルロットは荷台の中から夕暮れを眺めていた。
僅かに開いた幌から差し込む夕日が彼女の美貌を照らし、物憂げな表情を露わにする。
(まるで夢でも見ていたかのようです)
王都から脱出に成功したかと思えば盗賊に襲われ。
全てを諦めかけた時、見たことのない装いの少年に救われた。
絶望に沈みかけていた自分を救ってくれた少年――彼はシャルロットにとって突如現れた希望であった。
(ですが……)
手放しで喜べなかった。何故なら少年は盗賊たちを情け容赦なく殺害したからだ。
慈悲など欠片も感じられない一方的な殺戮を平然と成した少年にシャルロットは恐怖を抱いた。
けれども少年が来てくれなければ自分は惨い目にあっていたことも事実である。
感謝と恐怖――二つの感情が沸き上がってきて、シャルロットは混乱してしまった。
(怖い……けれど)
盗賊を壊滅させた後、少年はシャルロットの状態を心配して外套を見つけてきてくれた。
王族として外套などほとんど着たことがなく、加えて混乱状態であったことも起因して釦を掛け違えていた彼女に対してため息交じりながらも直してくれた。
冷たい人に見えて、何処か優しさを併せ持つ少年。
そんな彼は今、シャルロットの背後で横になって寝ている。
(少なくとも悪い人ではない……と思う)
あの盗賊たちのような悪人であれば、シャルロットを襲うなり金品を奪うなりしただろう。
しかし少年はシャルロットを不器用ながらも気遣う素振りを見せ、おまけに無防備にも寝ている。
(いきなり眠りだしたのには驚きましたけど)
荷台の内部へと顔を向けて、眠りこける少年を見つめたシャルロットは僅かにほほ笑む。
顔の左半分が武骨な眼帯に覆われているが、何処かあどけないその寝顔は先ほど見せた冷酷な表情とは対照的であった。
(これからどうしましょうか)
少年が睡眠をとり始めてから大分時間が経過していた。
その間に落ち着きを取り戻したシャルロットは、今後について思考できるほど余裕を取り戻している。
(一先ずどうやってテオドールさまの元へ向かうかですが……)
盗賊に襲われる前はその先について考えていたが、現状では後回しにすべきだろう。
何せ運び手であった商人がもういないのだから。
(わたしは乗馬できませんし……)
なにより道中の安全もある。また盗賊に襲われる可能性もあるし、魔物に出くわす危険性もあった。
己が身を守れないシャルロットにとって致命的な状況だ。
(やはり彼を頼るしかありませんか)
盗賊を殲滅した少年の武力が必要だ。
しかし命を救ってもらった上、更に頼み事をするなど厚かましいにもほどがある。
(ですが他に選択肢はありません)
最悪、王族として命令することになるかもしれない。我ながら嫌になるが、オーギュスト第一王子の企みを阻止しなければ王族、ひいては国家に危機的な事態が訪れてしまうことだろう。
王族として、何より母との約束がある以上は手段を選んでいる場合ではない。
(……わたしは嫌な女ですね)
とシャルロットが自嘲気味な笑みを浮かべた時、ふと寒気を覚えて身体を震わせた。
幌の外を見やれば既に陽が落ちており、夜が訪れていた。
暗闇に染まる天空にぽつぽつと星々が顔を現し始めている。
「寒い……」
春の陽気に包まれる日が多いとはいえ暦は三月。太陽の恩恵が届かない夜間は未だ寒冷である。
荷台の中とはいえ、隙間から冷気が入ってくるため気温は下がる一方だ。
加えてシャルロットは破られた服の上に外套を一枚羽織っているだけ。これでは凍えてしまう。
「そういえば……彼はあそこから毛布を出していましたね」
少年が睡眠に入る前、とある積み荷から毛布を取り出していたことを思い出したシャルロットは、幌をしっかりと閉めながら一つの木箱へと向かう。
元の持ち主である商人に申し訳ないと思いながらも探ると数枚の毛布が見つかった。
シャルロットはそれらで身体を包みながら適当な場所に座り込む。その場所は無意識ながら少年の近くであった。
「…………怖い」
ぽつりと零れた弱音――無理もないといえよう。
王族でありろくに外の世界に出たことのない状態で王都を脱出し、更に屈強な男たちに貞操を奪われそうになった。しかもその後に凄惨な殺戮を目撃したのだ。若干十四歳の少女にはあまりに酷な体験といえる。
加えて夜の暗闇や冷気が合わさって彼女の精神は不安と孤独、恐怖といった負の感情で一杯になっていた。
「少しだけ……あなたの勇気をわたしに分けてください」
人は一人では生きていけない。誰かと共に歩まねば折れてしまう。
一人で戦うシャルロットは寝続ける少年の傍によると、彼の服袖を右手で掴んだ。
流石に肌に直接触れるのは王族として、女性として躊躇われたが故の選択である。
意味のないことだと切って捨てる者もいるだろう。けれどもシャルロットは安堵の息をはいた。
その後、緊張がほぐれたことで睡魔が彼女に襲い掛かり、自然と瞼が下りるのだった。
*****
神聖歴千二百年三月二日。
暁の頃、エルミナ王国首都パラディースの東門から一台の馬車が出立した。
護衛として百騎ほどの兵士が就いた馬車の中には五人の人物が座っている。
異世界より召喚された勇者四人と目付け役兼教師役のカティア・サージュ・ド・メールである。
彼らはアルベール大臣からの要請を受け、シャルロット第三王女の捜索に加わったのだが、昨夜東方領域で姿が目撃されたとの報を得たことでこうして朝早くから外出することになったのだ。
「――それでカティア先生、シャルロット殿下が東方で目撃されたという話ですが、一括りに東方といっても広大です。具体的な場所は分かっていないのですか?」
勇者の一人、宇佐新が対面に座るカティアに尋ねる。
これは当然の疑問だ。
「シン様の懸念はごもっともですが、ご安心下さい。具体的な目撃地としてプノエー平原を抜けた先の街道であると判明していますから」
「なるほど……しかし驚きですね。まさかプノエー平原を単独で踏破したなんて」
雪のような白髪を揺らして答えたカティアに新が言えば、彼女も同感だと頷きを見せる。
その様子に成り行きを見守っていた少年――勇が首を傾げた。
「それの何がすごいことなんだ?」
「勇、カティア先生の授業で習っただろ。プノエー平原には魔物が居るって」
エルミナ王国の中央と東方に跨るプノエー平原は一部に小高い丘があるものの、基本的には平らな平地が広がっている。
北には峻厳なるペトラー山脈があり、そこから流れてくる水は川となって平原に恵みを与えており、それ故に国家主導の大規模な農業が行われていた。
そんな場所ではあるが、この世界の例にもれず魔物が出現する。位階は低いが、それでも強力な魔法の使い手でもない第三王女がたった一人で抜けられるとは思えないのだ。
「そういえばそうだったな。……だとしたら誰か手を貸している者がいるってことかな?」
「おそらくそうでしょう。問題は一体誰が、どのような目的でというところですが……」
と思案げに呟いたカティアだったが、不意に隣に座っていた女性が肩にもたれかかってきたことで横に視線を向ける。
そこにはこんな状況であるにも関わらず夢の国に旅立っている明日香がいた。
「ほんと、明日香ってブレないよな」
「まぁ、明日香だしね」
「ふふ、アスカ様らしいです」
三者三様、意見を同じくしていると明日香が意味を成していない寝言を呟いた。
そんな彼女の隣に座る大人しめな雰囲気を醸し出す少女――陽和が珍しく微笑みを見せる。
「……これが明日香さんのいい所でもありますから」
この世界に来てから同性である明日香と陽和の仲は深まっていた。それは夜光を喪ってから更に加速している。もはや陽和にとって明日香は頼れる姉的な存在なのであった。
だからか、陽和が明日香に向ける笑みは情愛に満ちていた。
そんな彼女の様子に新たちは内心安堵の息を吐いていた。
皆、心配していたのだ。夜光がいなくなってから彼女の笑顔は何処か陰っていたから。けれど今の表情を見た三人は大丈夫そうだと思った。
「そういえば、僕たち以外に捜索隊は派遣されないのでしょうか?」
勇がふと疑問に思ったことをそのまま口にすれば、カティアは喉に骨が詰まったような表情を浮かべる。
「……どうやらそのようです。アルベール大臣閣下はユウ様方を信頼しているからと仰られていましたが……」
納得がいっていないと言いたげなカティアに、新もまた同意だと頷く。
「妙な話ですね。勇者とはいえ、何の実績もない子供に王族であるシャルロット殿下を任せるなんて。一応護衛として兵士をつけてくれましたけど……」
釈然としない。いくら王位継承権の低い第三王女とはいえ曲がりなりにも王族、もっと兵を動かすなり近隣の貴族諸侯に保護を求めるのが自然だ。
だというのに勇たちだけに任せるとは……どう考えてもおかしな話だと彼らは思っていた。
「シャルロット殿下に危険が迫っていないという確証があるのか、あるいは俺たちだけで対処できると踏んだかだな。第三王女の捜索を勇者だけで成功させたという実績作りかもしれないけど……」
と考えを述べた新だったが、もう一つ、これまでの情報を纏めて出した答えがあった。
(アルベール大臣にとってシャルロット第三王女が必要ない、あるいはどうでもいいという可能性だ)
であれば色々と納得がいく。しかし仮にもエルミナ国民であるカティアの前で王族軽視の発言は問題があると判断して新は黙っていた。
「とにかく、僕たちがシャルロット殿下を保護すればいいってことだろ?なら頑張るだけだ」
「ふ、そうだな」
「おい、なんで笑ったんだよ」
「いや、お前が前向きなこと言うの久しぶりすぎてさ。少し嬉しくなっただけだ。……頑張ろうぜ」
と言って勇の肩を叩いた新は笑みを浮かべた。
親友の言葉に勇もまた嬉しくなったのか笑う。
そんな教え子の様子を見ていたカティアは微笑ましいものを見るかのように温かな眼を向けるのだった。
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