四話

 時は少し遡り――、


〝大絶壁〟内部の洞窟を進んでいた夜光はこれまでとは違う光景を目撃していた。


「これは……焚火の後か?」


 暗闇の中に長時間いたことである程度慣れていた右眼が、地面に煤の塊があることを捉える。近づいて触れてみればサラサラとした黒い粉が手に付着した。


(焚火した後があるってことは、ここまで人が来たことがあるってことになる)


 つまり地上が近いという証である。これには凍り付いていた夜光の表情が僅かに和らいだ。


「やっとか……」


 と呟いた夜光は立ち上がると再び歩き出す。心なしかその歩調は先ほどよりも速い。

 無理もないことだ。何日も暗闇の中を歩き続け、魔物の襲撃を払いのけてきた。食事を摂る必要はないが、疲労からの睡魔は絶え間なく夜光を襲った。けれど魔物の襲撃があることから睡眠など取れるはずもなく、故に疲労困憊になっている。

 その状態を気力で――復讐心で支えてここまでやってきたが、そろそろ限界だと彼は感じていた。


(眠い……眠すぎる)


 気を抜けば一瞬で意識が飛んでしまう。それほどの睡魔に襲われていた。

 怠い身体を根気で動かしながら進んでいく。すると夜光の前髪が風で揺れた。


「っ……出口が近いのか」


 これまでの道中で一度も風が吹くことはなかった。それほど密閉された空間が続いていたわけだが、遂に風を感じることができた。それは外が近いことを表している。


 夜光が更に早足で進めば、前方に光が見えた。暗闇を照らす光を捉えた黒眼に生気が若干戻る。

 そして――、


「おお、外だ……!」


 洞窟を抜けた先には外界が広がっていた。

 頭上には突き抜けるような青空、眼下には凍り付いた池のようなものが点々と存在している大地がある。

 その合間には茶色に染まった草が生えており、溶け始めている雪を被っていた。

 懐かしいとさえ感じてしまうほど久方ぶりの地上――夜光は目元を僅かに細めた。


「…………行くか」


 まずは休息を取りたい。しかし魔物の住処である〝大絶壁〟入口付近では無理だ。

 ならば距離を置く必要があり、加えて今いる場所がどのような所なのか不明である以上、ある程度散策して脅威となる存在が近くにいないかを確認しなければならない。

 

 そう判断した夜光はもうひと踏ん張りだと己を叱咤して足を動かす。雪景色から判断するに気温はかなり低いはずだが、〝天死〟の加護がある夜光は春の陽気に包まれているかのような心地よさを味わっていた。


(何処だここ。大森林じゃなさそうだけど……)


 どうやら夜光が出た場所はベーゼ大森林地帯ではないようだ。かの森林にはこのような湿地は存在していない。

 となれば……と考え始めた夜光だったが、疲労から思考は鈍重で冴えない。

 しかしずっと極限状態に置かれていた彼にとって周囲の気配を探ることはさほど難しいことではなく、やがて一本の枯れ木の元にたどり着いた頃には休息を取っても問題ないだろうと判断していた。


「よし、ここで休むか」


 そういうや否や夜光は地面に腰を下ろし、枯れ木に背中を預けて眼を閉じる。念のため〝天死〟を召喚して抱きしめるように抱えると一瞬で意識を手放したのだった。



 *



「っ!?今度はなんだ!?」


 泥のように眠っていた夜光だったが、突如として聞こえてきた馬の嘶きによってたたき起こされた。

 只事ではない嘶き具合に荒事の影を感じ取った彼の身体は瞬時に戦闘態勢を整える。

 バッと立ち上がって白銀の剣を構えるが……周囲には誰も居なかった。


「なんだってんだよ……」


 やっとありつけた睡眠を邪魔されたことで殺気立った声音で呟く夜光。

 次の瞬間、強化された聴力が再び馬の嘶きを捉えた。

 風に乗って聞こえてきたその音の方を見やれば、湿地の中ほどに馬車のような物と複数人の人影を認めることができた。

 

「…………」


 本音としては放置したい。しかしこのままでは睡眠妨害である馬の嘶きは収まらない可能性がある。では他の場所に移るべきか――否、せっかく見つけた安息の地を何故捨てなければならない?


「ちっ、面倒だな……!」

 

 毒づいた夜光はさっさと黙らせようと少しばかり回復した体力で地を蹴った。

 尋常ではない速度を叩き出して湿地を駆け抜けていけば、前方の光景が映り込んでくる。

 

 湿地にかかる橋の上にある馬車――引き手である馬は興奮状態にあるが、一人の男がそれをなだめている。その男の足元には一体の死体が転がっており、鮮血が雪を染め上げていた。


(盗賊ってやつか……?)


 だとすれば夜光が姿を見せた瞬間襲ってくる可能性がある。今更殺人に抵抗があるわけではないが、復讐に関係のない殺生は避けたい。

 そう考えた夜光は男に感知されない程度の距離――一本の枯れ木で足を止め、目立つ〝天死〟を仕舞うと顔を少しだけ覗かせて様子を伺う。


(馬も静かになりそうだし、戻ろうかな)


 転がっている死体とは無縁だ。故に関わる必要性を感じない。しいて言えばここが何処かを尋ねたいところだが、荒事に巻き込まれる危険性を考慮して自重すべきだろう。


 そのように判断した夜光は踵を返そうとして――視界の端にとある光景を捉えた。


「あれは……」


 馬車の後ろ――荷台の方に男たちが集まっている。数は二十、共通しているのは何かを囲むようにして立っているということと、にやついた笑みを浮かべていることだった。


(なんだ、積み荷に宝石でも混じっていたのか?)


 そんな想像をした夜光だったが、輪になる男たちが身じろきしたことで中心に何があるのかを理解した。


(女……少女か。大方さっき死んでたやつの連れってとこか)


 男たちが見つめる先には一人の男に髪をつかまれている少女がいた。僅かに興味を引かれてみていると、初めに目撃した馬を宥めていた男がやってくる。周囲の男たちの様子を見るにどうやら頭的な存在らしい。


「……」


 馬車の前に転がっている死体から察するに男たちに殺人や犯罪に対する忌避がないことは明らか。だとすればこの後少女が辿る結末は自ずと知れるというものだ。


(俺には……関係ない)


 夜光がそう思っている間に頭らしき男が少女を地面に押し倒した。なにやら会話しているようだが、内容までは聞き取れない。けれども少女にとっては絶望的なものだということは、次に男がとった行動で明らかになる。

 男は少女が羽織っていた外套を捨て去り、その下にあった服さえも破ったのだ。


(関係、ない)


 この世界は弱肉強食が元の世界より顕著だ。力なき者はただ奪われるだけ。夜光はそれをよく理解している。

 だから眼前で行われようとしていることもその延長線上でしかない。力が無いから奪われる。力がないから仕方のないことだ。

 理性はそういっているが、沸騰する感情がそれを否定する。


(仕方がない……そうやって俺も奪われた)


 自分を納得させるように言い聞かせるも、これまでの出来事を思い出して自然と歯が鳴る。

 自分が奪われた時、誰も救ってはくれなかった。だが、だからといって他人にもその絶望を味わわせても良いということにはならないのではないか。今、まさに奪われようとしている少女を救える立場にいる自分が、関係ないからといって見捨てて、それでいいのか?


(……違う、俺は勇たちとは違う!)


 不倶戴天の敵と同じ場所まで堕ちる――その事実に夜光は耐えられなかった。

 刹那、響き渡る少女の悲鳴。

 気づけばそれと同時に身体が勝手に動いていた。


「いやぁああああ――!!」

『はははっ!叫んでも無駄だ、こんなところを通る奇特な輩なんてあの商人くらいしか――』

『か、頭っ!!』


 一瞬にして距離を蹴り潰した夜光は眼前の光景を眺めた。

 殺気立つ男たちを見回し、泣いている少女の姿を確かめて――、


「死ねよ、屑共」


 沸き上がる憤怒と殺意のままに男たちへと飛び掛かった。

 夜光の意志に呼応して手元に〝天死〟ニュクスが現れる。跳躍した勢いのままそれを振り下ろせば、手前にいた男の身体を両断した。

 次いで白銀の剣を横薙ぐ。それだけで三つもの雁首が飛んだ。


『て、てめぇえええええっ!!』

「うるせえよ」

『ぎゃひっ!?』


 叫んだ男に肉発して心臓を一突きし、抜剣して襲い掛かってきた連中に対応する。

 振り下ろされた剣を迎撃すればあっさり切断して胴体を切り裂いた。二人目の横薙ぎを頭を下げて回避して、返す刃を以って切り伏せる。一歩、前に踏み出して接近していた男に掌底を放てば、骨が折れる嫌な音を奏でて吹き飛んで行った。

 一人、二人、三人――倒していく。あたりに響くのは男たちの悲鳴と肉を絶つ音、白刃が空気を切り裂く音だけだ。

 

 やがて向かってくる者が皆無になり、夜光が息を吐きながら周囲を見渡せば、男たちの苦痛に歪んだ死体が血だまりに転がっている光景が映り込んできた。

 白き世界が朱く染まる。その変容を呆然と見ていた少女の前でたった一人生き残った男が恐怖で震えていた。


『ば、馬鹿な……ありえないっ!二十人もいたんだぞ!?たかがガキ一人にこんな……』


 腰が抜けているのか、尻餅をついたまま喚く男に夜光はゆっくりと歩み寄る。

 男を見る夜光の眼は何処までも深い黒――殺戮を成した後にしては平坦過ぎた。

 その黒瞳に恐怖心を刺激されたのか、男は無様に地を這って少女に近づくと、驚く彼女の首元に刃こぼれした刃を当てる。


『く、来るなぁっ!!それ以上近づいたからこいつを殺――』

「だからうるさいって言ったろ」

『ごふっ……あがぁああ……』


 まさに神速だった。一瞬にして距離を零にした夜光は剣を持つ男の腕を切り飛ばし、片手で少女を奪うと返す刃で男の胸を貫いた。

 信じられないと言いたげな眼を向けてくる男に冷淡な視線を投げて白銀の剣を抜きされば、鮮血が噴き出して大地を紅く染め上げた。


 激しく移り変わった展開について行けていないのか、腕の中の少女は呆然としている。夜光が視線を向ければぼうっとした碧眼がこちらを見返してきた。


「おい、お前」

「…………」

「聞こえているのか、おい!」

「っ!?は、はい聞こえています!!」


 夜光が語気を強めて言えば、少女は我に返ったのか返事を返してきた。

 その表情や碧眼を見て意識がはっきりしたことを確信した夜光は〝天死〟を戻す。両腕で少女を抱きかかえて馬車へ向かい、荷台に座らせた。

 なにやら狼狽えている少女を後目に荷台を漁ってみれば、端にあった袋に外套が入っていた。無言でそれを少女に向かって放るが、彼女は困惑した表情を見せる。

 

 その姿に嘆息した夜光は、少女の顔を意識して注視しながら彼女の身体を指さした。


「それを着ろってことだよ。まさかいつまでもそんな恰好でいるつもりか?」

「え……?~~っ、早くそれを言ってくださいっ!」


 自らの惨状に今更ながら思い至ったのか、少女は頬を赤らめて叫んだ。これでは痴漢として責められているみたいではないかと、釈然としないながらも後ろを向く夜光。

 

(まぁ、どうでもいいか)


 夜光はため息を吐きながら少女が外套を纏っている間に何か使える物はないかと荷台を物色し始めた。

 

(それにしても……やっぱりというべきか、何の感慨も浮かばないな)


 人を殺した――その事実に打ちのめされるのではないかと構えていたのが馬鹿らしく思えるほど無感動であった。魔物を殺すのと大差ないとさえ思っている。


(喋る魔物を切ったことがあるからかな)


 中級悪魔を思い浮かべる。確かにアレは人型であったし、言葉も流暢ではないにしろ使っていた。今回殺害した男たちはそれの下位互換のようなものだろう。


(人の道に悖る屑共――進んで獣に堕ちた連中だったし)


 そういった存在だったから容赦なく殺せたのだろうと結論づけた。何故なら背後にいる少女は殺せないと思う心があるからだ。


(……俺は奴らと同じじゃない。そこまで堕ちていないはずだ)


 理性が同類だと訴えかけてきたが、夜光は首を振って否定すると積み荷漁りに専念する。これ以上考えないように、作業に没頭した。


(いろいろあるな)


 食料、飲料、毛布に薬――様々な物が積まれていた。残念ながら衣類はなかったが、これだけあれば当分旅路で困ることはないだろう。

 と考えていた夜光の背に、声が掛かる。


「も、もう大丈夫ですよ」

「ん?ああ……」


 振り向いた先には外套で身を隠す少女の姿があった。しかし何故か前釦がちぐはぐに止められている。そのせいで少女が身じろきする度に白い肌が見え隠れしていた。


「はぁ……ちょっと大人しくしてろよ」

「え、何を――だ、駄目ですっ!」


 何を勘違いしているのか、近寄ってきた夜光から身を庇うように両腕を交差させる少女。

 戦闘の興奮状態から醒めつつあり、眠気が来ていた夜光は説明するのが億劫すぎて無言で手を伸ばす。

 その動作に対してビクっと肩を揺らした少女だったが、不安は杞憂に終わる。

 何故なら夜光が顔を逸らしながら手を動かして外套の釦を正しい位置に直しただけだったからだ。

 

「もういいぞ」

「…………え?」


 唖然とする少女を置いて夜光は一旦外に出る。馬車の前方に回り込んで馬の手綱を握り、先ほど隠れていた枯れ木まで引っ張ってくると綱を木に固定した。


(これでいいか)


 それから再び荷台に戻るとオロオロする少女を無視して幌を閉じ、彼女からなるべく距離を空け、積み荷から拝借した毛布を床に広げると横になって瞼を閉じるのだった。

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