三話

 神聖歴千二百年三月一日。

 エルミナ王国東域北部グロッタ湿原。


 この地は二百年前の〝解放戦争〟において激戦地の一つとなったと言われている。

 文献によれば湿原全体が血によって赤く染まるほどの死闘が繰り広げられていたのだとか。

 現在ではその戦争の面影はなく、雑草の合間に存在する窪みに溜まる淡水は日に照らされて青く輝いていた。

 けれども亡霊が出るという噂や、亡者アンデット系の魔物が生息していることから付近に暮らす住民は敬遠している。

 亡者討伐の任を負った近隣貴族の私兵か、あるいは冒険者などが訪れることはあっても好んで近づく物好きはいない。


 そんな不吉な場所ではあるが、二百年前に水上を通過できるようにと造られた橋がかけられており、エルミナ北方と東方を繋ぐ道の一つでもあった。

 更には中央から東方へ抜けるための道でもある。しかし普通、中央から東方へ向かうのであれば一直線に通過できるプノエー平原を通るか、もしくは峻厳なるペトラー山脈――その山道を通るのが自然だ。

 何故なら中央からグロッタ湿原を通過して東方へ向かうには、北方から中央までを貫く険しいペトラー山脈を迂回しなければならないのだが、それでは他の道を通るよりはるかに時間が掛かってしまう。故にわざわざそのような選択肢を選ぶ者などいない。


(だからこそアルベール大臣の眼を欺くことができるのです)


 その選択肢を選び、王都からグロッタ湿原を抜けて東方へと向かう商人の馬車に潜り込んでいた金髪碧眼の少女が幌を少しだけ開けて外界を眺めやる。

 茶色の外套で全身を覆い、積み荷の合間に座る少女の名はシャルロット・ディア・ド・エルミナ。

 エルミナ王国の第三王女であり、〝王国の至宝〟と呼ばれるほどの美貌を持つ存在である。


 彼女はアルベール大臣とオーギュスト第一王子の企みを知り、最低限の旅支度を整えるを王城から持ち出して王都へと下った。

 それからグロッタ湿原を経由して東方へと向かう商人の馬車にこっそりと潜り込んだ。アルベール大臣の捜索の手から逃れるためにわざわざ遠回りの道のりを選ぶことにした。

 そして――今に至るというわけだ。


(いろいろと調べておいて良かった……)


 生まれてからあまり王城の外へ出る機会のなかったシャルロット。その境遇故に外の世界に対する興味は留まるところを知らず、様々な文献を読み漁ったり侍女から聞き出したりしていた。

 その過程で旅に必要な物を知り、どのようにすれば目的の場所へ行けるかなども知識として得ていた彼女は恐る恐る、だが決して覆さない決意を胸に行動した。

 王城では巡回中の兵士に見つかりそうになったり、王都では犯罪者に出くわしかけたりしたが……それらを乗り越えて馬車に潜り込むことに成功したのだった。

 これは奇跡に等しい。箱入り娘のシャルロットがこれほど上手く王都から抜け出すことができるなどまずありえないからだ。現にアルベールなどはシャルロットがまさか王都から脱出しているなどとは思っておらず、未だ捜索の手を王城と王都にしか伸ばしていない。


 そんな奇跡的な脱出を成して見せたシャルロットは、民衆から絶賛されている美貌に影を落として呟く。


「このまま東方へと向かいかの地を治められているテオドールさまにお会いして……それからわたしはどうすれば良いのでしょうか」


 シャルロットには何の力もない。貴族による後ろ盾はなく、故に王位継承権など宝の持ち腐れ。世に珍しい固有魔法を所持しているが、それとてオーギュスト第一王子の企みを前にしては無力である。

 オーギュスト第一王子とアルベール大臣の企み――現国王を半ば軟禁し、何やらよからぬことを始めようとしていると四大貴族のテオドール・ド・ユピターに伝えたとして――それからは?

 

 愛国心が強く、現国王に絶対の忠誠を誓っているテオドールならば必ずや立ち上がってくれるとシャルロットは信じている。四大貴族としての権威、武力を以ってアルベールらの陰謀を阻止してくれることだろう。


「ですがわたしは……?」


 テオドールに伝えるだけ伝えて、後は彼の領地に匿ってもらうか。だがそれでは王族としての責務を果たしたとは言い難い。それではただテオドールに事態を丸投げするだけである。


「それじゃダメ……お母さまとの約束を守ったとは言えません」


 アルベールらが引き起こそうとしている事柄はきっと民衆を巻き込み苦しめるに違いない。

 王族として民を守るならばそれを看過してはならず、遠く安全な場所から見物していることなど許されないのではないか。


「わたし、は……」


 秀麗な顔を苦渋に歪めるシャルロット。迷いを抱えているが故の嘆息を吐き出して――、


『っ、なんだお前ら!?』


 突如馬車が大きく揺れ、馬の嘶きが空気を劈いた。

 業者をしていた商人が驚きの声を上げ、次いで野太い声が響き渡る。


『ははっ、誰でもいいだろう?どうせ今からてめぇは死ぬんだからよ……おい、引きずりおろせ』

『な、何をするお前たち!?やめ――がはぁ!?』

『やめろって言われて止める馬鹿が何処にいんだよ!』


 肉を打つ鈍い音、上がる商人の悲鳴。それらを生み出して嘲笑う複数の男たちの声が聞こえてくる。

 そのあまりに唐突な展開にシャルロットはしばし呆然としていたが、やがて思考が回復してきたことで現状を把握しようと試みようとした。

 しかしその動きよりも事態の推移の方が速かった。


『お前らは積み荷を確認してこい。こいつは俺が相手をしとくからよ』

『へい、頭』


 シャルロットが幌を開いて外の様子を確かめようとした丁度その時、幌が乱暴に開けられた。

 驚く彼女の視界に映り込んだのは粗暴な男たちの姿であった。


『お、なんだこいつ……あの男の連れか?』

『いやちげえだろ。もしそうだったら御者台に乗ってるはずだ』

『じゃあなんだってんだよ』

『積み荷と一緒に乗せられてんだから……こいつもってことだろ』

『……ああ、つまりあれか、奴隷ってやつか』

『おそらくな。……けど妙だな、あの男は奴隷商人には見えないぞ』


 シャルロットを前にして男たちが会話し始めた。彼らが醸し出す荒々しい雰囲気、何より腰に帯びている剣が放つ鈍色の光はシャルロットを恐怖させた。

 

『まあいい。こいつをどうするかは頭に決めてもらおう。……おい、来やがれ』

「ぁ…………」


 鍛え上げられた太腕が伸びてきてシャルロットの腕をつかむ。彼女は恐怖からろくに声も出せずに馬車から引っ張り出されてしまった。

 その際に被っていた外套がめくれてしまい、彼女の美しい素顔が露わになってしまう。


『ひゅーっ!!こいつは驚いた、すげえ上玉じゃねえか!!』

『ああ、そうだな。大方貴族用の奴隷ってとこだろうな』

「っ――……」


 欲望に満ちた視線を向けられてシャルロットは咄嗟に俯いてしまう。

 けれど男たちはそれを許さず、彼女の髪を掴んで強引に顔を上げさせた。


「ぃ、痛い……っ!?」


 髪を掴まれたことで生じた苦痛に声を上げれば、男たちは下卑た笑い声を響かせるだけ。

 やがて何時まで経っても戻ってこないことを訝しんだのか一人の男がやってきた。


『おい、お前ら!ちんたら何をやってるんだ?』

『頭、見てくださいよ。積み荷に紛れ込んでやがったんです』

『んん……?おいおい、これはこれは』


 頭と呼ばれた男は初めは部下の手際の悪さに眉根を寄せていたが、シャルロットの美貌に気づくや笑みを浮かべた。

 欲望に支配された顔は醜悪で、王族としてそのような眼を向けられたことのないシャルロットは嫌悪感を抱いた。

 それは恐怖心を上回り、自然とシャルロットの口から言葉が発せられる。


「あ、あなた達!このようなことは今すぐやめなさいっ!」

『はぁ?なに言ってるんだこいつ……置かれた状況が分かってないのか?』

『よせよ、奴隷にそれほどの知性があるわけないだろ』

『ぎゃはは!ちがいねえなぁ』


 シャルロットの毅然とした態度は嘲笑されるだけであった。

 それから頭とよばれた男がニヤニヤと笑みを浮かべながら彼女に近づき、顎を掴んで顔を観察して、


『へぇ……中々の上玉だな。これほどの戦利品は久しぶりだぞ』


 シャルロットが羽織っていた外套をむしり取った。


「きゃっ!?な、なにをするのですか!!」

『お高くとまってんじゃねえよ。お前も奴隷なら一度くらいは経験あんだろ?』

「何を言って……それにわたしは奴隷じゃ――」

『うるせえな――っと』


 シャルロットの抗議を無視した男は彼女を押し倒し、外套の下に隠されていた服――王族であることが露呈するのを避けてシャルロットが選んだ王都民の服を勢いよく破り捨てた。

 すると白磁の素肌が外界に晒され、彼女は寒さと羞恥心から身体を震わせる。


「こ、こんなこと――許されませんよ!」

『はっ、誰の許しがいるんだよ、ええ!?』


 今から何をされるのか、遅まきながら理解したシャルロットは先ほどまでとは比べ物にならないほどの恐怖に襲われた。

 必死に手足を動かして抵抗を示すも、男の巨体を退けることは叶わない。ただ男と周囲で事態を傍観している者たちの笑みが深まるだけ。

 もはや自分に抵抗する術はなく、どうしようもないのだと悟ったシャルロットの碧眼から透明な雫があふれ出す。


(どうしてこんなことに……)


 男たちの襲撃があるまでは順調だった。だからこそその落差に、現実に絶望する度合いが深くなる。


(わたし、何もできずにここで奪われるんだ)


 理不尽に対する怒りは無論あるけれど、それよりもこれから自分の身に起こるであろう事柄を考えて恐怖してしまう。

 初めては愛した人に――そう思っていたのに、こんなところで野蛮な男に奪われるのか。

 しかもそれが終われば殺されるか、もしくは本当に男たちが言っていたような奴隷としての生活が待っているのだろう。どちらにせよ、明るい未来なんてなく、待っているのは暗い結末だけである。


(いや……わたし――)


 絶望が牙を剝く。男の手が伸びてくる。

 それらを感じたシャルロットはたまらず悲鳴を発した。


「いやぁああああ――!!」

『はははっ!叫んでも無駄だ、こんなところを通る奇特な輩なんてあの商人くらいしか――』

『か、頭っ!!』


 男の喜悦に満ちた声を遮って、部下の一人が切迫した様子で言ってきた。

 興が乗ってきたところだというのに……と男が苛立ち交じりの視線を向ければ、二十人いた部下たちが同じ 方向を向いて抜剣している光景を捉えることができた。

 

『一体何事――っ!?』


 シャルロットを組み伏せたまま首を動かして部下たちの目線を追えば――、



 ――黒衣を纏った少年が立っていた。



 白髪を風に弄ばせて、その下では武骨な眼帯が顔の左半分を覆っている。

 反対の眼――右眼はどす黒く、どこまでも深い奈落を湛えている。

 よく観察すれば頬には血がこびりついていて黒く染まっていた。また身に纏う見たこともない装いの黒服にも返り血らしきモノが付着している。

 あまりにも不気味な雰囲気を醸し出す少年は、気圧される男たちを見回してから組み伏せられている半裸の少女を見つめた。

 それから一拍おいて男たちに視線を転ずると――、


「死ねよ、屑共」


 ――どこからともなく白銀の剣を現出させ、彼らに向かって飛び掛かった。

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