エピローグ
運命が非情だと知ったのは親友を失った日のことだった。
運命が邪悪だと知ったのは異世界に召喚された日のことだった。
運命が冷酷だと知ったのは知人に裏切られた日のことだった。
「はぁ、はぁ……」
襲い来る痛みに耐えながら少女の元へとたどり着いた時、彼は手遅れであることを悟った。
「ガイア、しっかりしろ!治癒魔法を使うんだ!」
気を抜けば倒れそうになる身体を叱咤して、少年は少女の傍に膝をつく。恐怖から震える腕でゆっくりと血だまりに伏せている少女を抱きしめた。
「…………ヤコー」
「っ!?が、ガイア!?大丈夫か!?」
口を開けば陳腐な言葉しか出てこない。このような時に何故、と少年は己に怒りを抱いた。
そんな少年の眼前では白銀の少女が浅い息を吐いている。その身体は無惨に壊れ果て、夥しい血を吐き出していた。
――人はこんなにも血を流すものなのか。不思議とそんなことを考えてしまう。理性はそれを現実逃避だと認識しているが、感情は幾度となく爆発を繰り返して纏まらない。
「ヤコー……わたし、は…………ごめ……な、さい…………」
苦しいはずだ、怖いはずだ、痛いはずだ。なのに少女の口から出るのは少年を気遣う言葉だけ。
その健気さに、その優しさに、その温かさに少年は胸が詰まって、視界は歪み始めた。
「っ…………!」
「なか、ないで…………」
もう限界のはずなのに、少女は赤く染まった腕を必死に伸ばして少年の頬に触れた。
彼の頬をつたう雫を拭おうと、震える手でそっと撫でる。
少年は辛くて苦しくて、でも愛おしいと感じてその手を握った。
「謝るのは俺の方だ。俺は……ガイアを救えないッ!」
少年には、眼前で命を失ってゆく少女を救う術などなかった。
治癒魔法はおろか、何の魔法も使えない。
敵を退けた力は何かを奪うことはあっても何かを救うことはない。
これまでの経験も何の役にも立たなかった。
「誰か……誰か……助けてくれッ!どんなことでもするから……頼むよ…………」
だから救済を希う。救ってくれと、助けてくれと叫んだ。
けれどもここは前人未到の奈落の底。魔物が住まう魔窟――故にその望みは叶わない。
「……なんでこうなる。俺が何をした?彼女が何をしたっていうんだッ!!」
腕の中で徐々に熱が消えていく恐怖から逃れようと少年は叫んだ。
答えなど返ってくるはずもない。しかし、それでも叫ばずにはいられなかった。
「そ、そうだ
応えは――なかった。
当然のことだと少年も理解していた。それは無理だと。けれども言わずにはいられなかったのだ。
少年は涙を流しながら嗚咽を漏らした。
「あ、ああ……頼む、頼むよガイア……俺を――俺を一人にしないでくれ……ッ!」
初めて愛した存在が失われようとしている。共に過ごした時間は短かったが、これまでの人生において一番濃密で、何より大切な時間だった。
だから少年は現実を受け入れようとしなかった。もはやどうしようもないと頭は理解していても、悲鳴を上げる魂が拒絶を示す。
「……ガイア?おいガイア!?目を開けろッ!開けて、くれよ……ッ!」
「……………………」
もう話す力も、目を開ける気力も失われたのか、少女は応答してくれない。
だけど、その代わりに彼女は微笑んでいた。少年を気遣うように、励ますように、慰めるように。
血の通った――通っていたはずの顔が青白くなっていく。あんなにも流れていた鮮血は今やほとんどその小柄な身体から出ていない――否、もう出せないのだ。
「嫌だ……いやだいやだいやだッ!!」
決して受け入れがたい現実、しかし避けようのない末路を前に少年は駄々をこねる子供のように首を振った。
だからといって奇跡が起きるはずもない。そもそんな都合の良い世界だったなら少年がこのような目にあうことなどなかったはずで。
「…………る」
「え?が、ガイア!?」
その時、少女の口が僅かに動き何か言葉を発したことに少年は気付く。
慌てて少女の口元に耳を寄せれば、愛しい声を聞くことができた。
「愛……してる…………ヤコー…………」
「ああ、俺も――俺もだ、ガイア!俺もお前を愛している!!」
その言葉が最後だった。
少女は少年の言葉に嬉しげに笑みを溢すと、長い、長い息を吐き出した。
それから再び彼女が息を吐くことはなかった。
「…………ガイア?」
――返事は、なかった。
涙を流しながら呆然とする少年の腕に抱かれながら、少女は静かに息を引き取ったのだ。
「……嘘だ。嘘だ、うそだ、ウソだッ――――!!」
少年は天に向かって吠えた。慟哭よ、三千世界に届けと言わんばかりに。
――運命が無常だと知ったのは、愛する人を永遠に喪った日のことだった。
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