十七話
深夜――静寂が支配する世界で、夜光は目を覚ました。
暗闇に包まれている小屋はどこか物悲しさを感じさせるものだ。
けれどもそれは普段に限った話で、今は無縁であった。
その理由は明白――一人ではないからである。
「すぅ――……」
夜光の耳元で規則正しい寝息が発せられている。
彼が横目で見やれば艶のある白磁色の肌が映り込んだ。
(ガイア……)
想いを通わせた少女――ガイアが夜光の隣で寝ていた。
お互いの身体を覆っている布から見え隠れする薄い胸が視界に入った夜光は思わず赤面した。
しかし即座に羞恥よりも愛情が優ったことで微笑みを浮かべる。
(まさか俺がこんな経験をすることになろうとはな……)
異世界人生なんと波乱に満ちていることだろうか。
召喚という名の拉致をされ、しかもそれには本来自分は含まれておらず巻き込まれただけという展開。
なんの力も持たず、それ故に裏切られて殺されかけた。
その時まず感じたのは絶望、次いで憤怒である。
何故、自分が何をした、何故このような目に合わなければならない、何故なぜナゼ……。
……ふざけるな、許せない、お前らが死ねばいい、そうだ俺が殺してやる。
そんな負の感情に支配された己――行きつく先は、末路はたかが知れていただろう。力も持たずに感情のまま動けば死ぬだけなのだから。
しかしそこに――希望が訪れた。
どうしようもなく深い絶望の世界――闇に浸っていた夜光を救ってくれたのは少女の姿をした光だった。
自らをガイアと名乗るその少女に命を救われた。
そればかりか衣食住を提供してくれ、力も与えてくれた。
負の感情に支配されていた己に温かな感情を取り戻してくれた。
美しくて、温かくて、優しくて――時の叱咤も夜光を気遣うが故のものであった。
だからだろうか、気づけばそんな彼女を自然と目で追う自分がいた。
常日頃無表情な彼女の感情の機微を悟れるようになったときは嬉しかった。
会話の中で時折ほほ笑む彼女を見ていると自分事のように嬉しくなっていた。
厳しい訓練の中で、こちらを気遣う姿にどこまでも温かな気持ちにさせられた。
そして――気づけばそんな彼女に惚れていた自分がいたことを夜光は知った。
(利用しているとか言っていたけど……それも明日教えてくれるみたいだし)
共に寝台に入り、疲れから意識を手放す直前に夜光はガイアから言われていた。
『明日……全部話す。わたしの正体も、目的も、あなたを利用している理由も』
正直に言えば直ぐにでも知りたかったのだが、そう告げるガイアの眼には切実な想いが宿っていて、だから夜光は追及せずに頷いたのだった。
(ま、どんな事実が待ち受けていようとも、全部受け入れるだけだ)
それよりも夜光は今後について心配している。
ずっとここに居るというわけにもいかない。いくらガイアと共に居たいとはいえ、やはり勇などの自分を絶望に叩き落とした連中を許してはおけなかった。温かな抱擁につつまれていたとしても――否、包まれているからこそ、希望に浸っているからこそ怒りが、憎しみが際立ってしまうのだ。
(一緒に来てくれっていうべきか……いや、でもなぁ)
復讐の道――それは血塗られた道だろう。そんな修羅に彼女を巻き込みたくはない。しかし復讐の間ずっと離れ離れというのは耐え難い。
相反する想いに夜光は悩んでいた。
(どうしようかな――っと!?)
思い悩んでいたその時、すぐ横で寝ていたガイアが寝返りをうったことで夜光の身体に密着してきた。
その柔らかな感覚に夜光は幸せを感じて、彼女が起きないようそっと抱きしめた。
(ありがとう……)
彼女から貰った貴重な想いを抱きながら、夜光はゆっくりと瞼を下した。
この時の夜光はまさに幸福の絶頂ともいうべき極致にいた。だからこそだろう、この先もずっとこうしていられると妄信してしまったのは。
――どのようなものにも、永遠の刹那なんて存在しないというのに。
*****
その頃、闇に包まれるエルミナ王都パラディースの中心に位置する王城グランツも静寂に包まれていた。
昼間は人の声が絶えない活気ある王城であるが、深夜ともなれば誰もが寝静まる。
例外はごく一部――昼間に、公には話せない話題を抱えている者たちだけだ。
「……それで、例の計画はどうなっている?」
「滞りなく進行しております、殿下。勇者演習の際の不幸な事故によって多少の遅れは発生しておりますが、計画に支障が出ない範囲です」
王城グランツの一室――オーギュスト第一王子の部屋では、二人の男が会話を繰り広げていた。
寝巻姿でソファに座り、赤ワインを嗜んでいるのは部屋の主。
彼に対面して座っているのはこの国における政を司る人物――アルベール大臣である。
「そうか、それは良きことだ。……父上の容態は?」
「安定しております。目覚める気配は微塵もありません」
「ふ、ははっ……安定、か。貴様も中々面白い表現を使う」
「恐縮です」
喜悦を浮かべるオーギュストに、アルベールは粛々と返した。
その様子を鼻で笑ったオーギュストは話題を変える。
「時に、我が兄弟姉妹たちの様子はどうだ。何か変化はあるか?」
「……ルイ第二王子は北方に――自らを支持するレオーネ家の本拠地ラヴィーネに留まっております。未だ動く気配はないと密偵から報告が上がっておりますな」
「ふん、王位継承争いに恐れをなして北に逃げた奴だ、そのままレオーネ家に隠れて静観する腹積もりなのだろうよ」
十歳年下の弟を軽蔑するかのように吐き捨てたオーギュストに、アルベールは苦言を呈す。
「ですが北方――レオーネ家は十万もの兵力を保有しております。傘下の貴族諸侯を合わせれば最大で二十万にも上ります。もしもルイ第二王子が立ちあがるようなことがあれば、我らの最大の障害にもなりかねませんぞ」
「はっ、あの弱虫が立ち上がるだと?ありえんな」
そう言ってのけたオーギュストだったが、アルベールが真剣な眼差しを向けていることに気づくと呆れたように息を吐いた。
「そこまで心配なのであれば策を打てばよい。金銭でも地位でもなんでもいい、我が玉座を取った暁には望むものをくれてやるから従えとでも言えばよかろう」
「……ありがとうございます。それでは北方貴族に関しては私が対処致します」
「よきにはからえ。……で、あ奴の様子はどうだ?」
気分快調から一転、不機嫌そうに眉根を寄せたオーギュスト。彼が誰を言及しているのか、長年の付き合いから瞬時に理解したアルベールは口を開く。
「アレクシア第一王女ですが、ルイ第二王子同様に自らを支持する四大貴族ヴィヌス家の元にいるようです。相変わらず色々と画策しているようで、かつてエルミナ一惰弱と笑われた西方貴族の軍勢は今は精兵と化していると」
「ちっ、やはりあ奴が最大の障害となるか。あの忌々しい女狐め、やはり王都にいる時に始末しておけばよかったのだ」
「はい、現状我らにとって最大の敵はアレクシア第一王女率いる西方貴族――ヴィヌス家でしょう。兵数こそ北方に及びませんが、彼らはエルミナ中から優秀な魔法使いを集めておりますし、飛空艇も複数所有しておりますから」
「四大貴族共めが……我に従っておけば良いものを」
四大貴族とはエルミナ王国において公爵の地位にある貴族四家のことである。
彼らは国王より広大なエルミナ領土の運営を任されており、王家直轄領である中央を除く四方を管理、運営していた。
そういった経緯から彼らは強大な権力を持っており、それ故に対立が絶えない。各々が支持する王位継承者もまた違っていた。
北方を任されているレオーネ家はルイ第二王子を支持しており、西方を任されているヴィヌス家はアレクシア第一王女を支持している。
南方の――アルベールが現当主を務めるマルス家はオーギュスト第一王子を支持しており、唯一東方のユピター家だけは誰も擁立していなかった。
「従うかと思ったユピター家は国王にのみ忠誠を尽くすなどと言いはる始末だしな……偽善者が!」
「……ユピター家は先祖代々時の王に従う騎士の家系ですから。ですが、それは逆にどこの陣営にも付かないということ、我らがこれから始める王位継承戦争では邪魔にならないでしょう」
そう言ってオーギュストをなだめたアルベールだが、内心では一つの危惧を抱いていた。
「……邪魔になるとすれば、それはセリア第二王女かシャルロット第三王女が彼らに助けを求めた時くらいでしょうな」
とアルベールが危惧を口にすれば、彼の主は一瞬唖然としてから笑い声を上げた。
「はははっ!アルベールよ、貴様は先ほどから冗談ばかりいうではないか。そんなに我を笑い死にさせたいのか」
「…………」
考えを一蹴されたアルベールではあったが、それも無理はないと思っていた為に自尊心が傷つくことはなかった。
何故なら――、
「セリアは生まれつき病弱でこの王城に籠ってばかりで、誰からも相手にされてはおらん。シャルロットは周りの顔色をうかがうばかりの弱者、話にもならん」
二人の王女は長姉とは違い、王城に籠っている。前者は生まれついての病弱体質故に満足に外出もできないためであり、後者は臆病な性格が災いして社交界では他人の顔色を窺って生きている。
そんな理由もあって二人は王位継承権が低く扱われているし、貴族諸侯からは軽く見られている。ようは誰も支持者がいない王族なのだ。
「あやつらなどどうでも良い。それより勇者の方はどうか?」
「先日の不幸な事故によって仲間を喪った彼らは未だ動揺の最中にあります。加えて実戦経験は魔物相手のみ、戦争が始まっても直ぐには投入できないかと」
「……なるほど、遅れというのはそれか」
「はい、その事故によって当初予定していた演習帰還途中での対人戦闘が行われず、彼らは未だ殺人を未経験なのです」
アルベールたちの計画では本来、勇者たちが王都へ帰還途中に盗賊に扮した傭兵が彼らを襲い、それに対処する中で不慮の殺人を行わせることで、今後行う王位継承争いに参加させた際に敵兵を殺せる戦力にしようとしていた。
けれども勇者たちが夜光の死によって予定よりも早い段階で演習を切り上げてきたことでその計画は破綻した。
「こちらが状況を把握した頃には既に勇者たちが帰還を始めていましたから……傭兵に伝令を出す間もありませんでした。まことに残念な結果に終わってしまい、申し開きもございません」
「よい、あの事故は聡明な貴様であっても予測不可能であろう。勇者たちがこの段階でまだ童貞なのは計画外ではあるが、今後の展開でどうとでもできよう。最悪貴様子飼いの密偵を何人か勇者の部屋にでも向かわせ、暗殺者だと思わせて殺させればよいのだ」
オーギュストは笑みを深めてワイングラスを傾ける。
寛容な主に感謝の意を表するように深く頭を下げたアルベールはソファから立ち上がった。
「それでは今宵はこれにて失礼させて頂きます。計画の本格始動――始まりの日は予定通りとなりますので、それまで殿下はごゆるりと静観なさいますようお願い申し上げます」
「うむ、分かっている。……この国の真の夜明けはもうすぐだな」
アルコールによってなのか、それともこの先に待つ未来を想像してか、オーギュストは喜悦を浮かべていた。
そんな主に背を向けたアルベールは退出すべく扉に向かう――が。
「うん……?」
扉が僅かに――ほんの僅かではあるが開かれていた。
目を見開いたアルベールは取っ手を引っ張り勢いよく外にでるも――廊下には誰もおらず蝋燭の火が頼りなく揺れているだけである。
怪訝そうに尋ねてくるオーギュストに何でもないと伝えて扉を閉めたアルベールは、きっと部屋に入る際に閉め忘れただけだと己を納得させて歩き出した。
*
そんな王城の廊下――アルベールが歩き去っていった方向とは真逆の方向、階段がある踊り場に身を潜めている者がいた。
蝋燭の光でその美しい金髪が照らされている少女はこの国の第三王女であった。
「……あのような企みは止めなくては。でも……わたしには何の力も……」
そう自虐した少女――シャルロット第三王女であったが、直後アルベールたちの会話を思い出してハッとした表情を浮かべる。
「ユピター家……テオドールさまならきっと助けてくださるはず」
東方を治め、国王に忠誠を誓っているユピター家ならばアルベールたちが目論む国家転覆を看過しないだろう。そう考えてのことであった。
「でしたらご当主テオドールさまのご子息であるクロード大将軍に助けを…………いえ、それはできませんか」
ユピター家の嫡男であるクロードは〝四騎士〟の一人でもあり頼りがいのある存在ではあるが、だからこそアルベールたちも彼の周囲に眼を光らせているはずだ。敵対派閥に利用されないよう、その監視は厳重なはず。となれば接触は困難を極めるだろう。
「やはりわたしが直接向かうしかありませんね」
誰からも支持されていないシャルロットには手駒が一切いない。信用できる人物が一人もいない状況では頼れるのは己のみである。
故に彼女は自ら王都を離れ、東方領域へと向かうことを決意した。
「お父さまをお救いしなければ」
常日頃他人の顔色ばかり窺って生きてきた。そうでなければ弱い自分は生きてはいけないと悟っていたから。
けれど病に倒れる前は愛情を注いで育ててくれた父が危険な目にあっていると知った今、それではいけないと思ったのだ。
それに――、
「お母さまとの約束も……守らなければいけません」
今は亡き母がシャルロットにいつも言って聞かせていた言葉――約束がある。
「『王族と民衆は共に生きている。どちらかが欠けても成り立たない。だから王族として民を守ることは義務なのですよ』……ですよね、お母さま」
高貴なる者の責務――なんて偉そうなことではないですけれどね、とほほ笑んでいた母。
常日頃優しい彼女がこれだけは守って欲しいとシャルロットに言い聞かせていた言葉。
母亡き今、その言葉はシャルロットにとって約束であり最後の繋がりだ。
その約束を守るためにも、民を戦火に巻き込もうとしているアルベールたちの陰謀を阻止する必要があった。無論、一人で。
怖いし緊張している。何より王都から出たことのないシャルロットにとって、外の世界は未知の領域だ。
「……でも、頑張らないと」
シャルロットは己に言い聞かせるように呟くと、自室へと向かうのだった。
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