十四話

 それからの日々は困難と苦痛に塗れたものであった。


「ハッ!」


 気迫一閃――暗闇を白銀が切り裂けば、飛び散るのは血しぶきである。

 次いで雄たけびと共に剛腕が振るわれ、夜光は回避しようとして――失敗した。


「がぁ!?」


 凄まじい勢いで吹き飛ばされ壁に激突してずり落ちる。その拍子に掌から白銀の剣が零れ落ちてしまうが、あまりにも酷い激痛から夜光はそれに気づけない。

 何度も咳き込みそのたびに鮮血が吐き出される。明らかにこれ以上戦える状態ではなかった。

 けれども次の瞬間には打ち付けられた部位――胸部が白光に包まれ、瞬く間に治ってしまう。

 超常の現象――〝天死〟ニュクスが持つ加護であり祝福〝全治〟ベレヌスによる高速回復である。


(痛い……けどもうその痛みを感じなくなってきている)


 先ほどまでの苦痛がほとんど消えかけていた。これならば、と夜光が視線を前に向けた時だった。


「戦場で相手から気を逸らしてはダメ」


 ガイアの忠告が耳朶を打ち、次いで暗闇から姿を現したのは顔面に大きな一つ目を持つ異形の存在。

 大鬼と同じくC位階の魔物である一つ目鬼サイクロプスであった。


『ヒューマン……』


 片言ではあるが言語を操る一つ目鬼は夜光を見つめていた。その一つ目は切りつけられたことによる怒りと捕食者特有の殺意に溢れている。

 

「クソ鬼風情が……舐めるなよ」


 夜光は毒づきながら立ち上がると右手に〝天死〟を喚び出し、左手で眼帯を外す。

 瞬間、左眼の視界が変貌を遂げ、どう動けば相手を屠れるかが理解できた。


(なるほど……あのでかい目が一番の急所ってわけか。で、まず懐に飛び込んで――いやそれよりも攻撃を誘発してからの方が安全か)


〝死眼〟によってもたらされる相手の殺害方法は彼我の戦力差にもよるが大抵複数存在する。これは一種の未来視にも近く、複数ある可能性の未来を選択しているようなものだった。


 夜光は迫りくる一つ目鬼を見据えて腰を落とし剣を構える。

〝視〟えている情報から最適解を見出して――動いた。

 

『グオ!?』

「お前の動きは〝視〟えてるんだよ!」


 走ってきた夜光を潰そうとその剛腕を叩きつけるように振るった一つ目鬼だったが、拳が当たるギリギリのところで夜光が急停止したことで大地を砕くに留まってしまう。

 その一瞬の硬直を利用して夜光は一つ目鬼の丸太のような腕の上を駆ける、、、と、〝天死〟を大きな目に突き刺した。


「終わりだ、化物!」

『グギャァアア!!』


 急所である目を貫かれたことで甲高い絶叫を上げた一つ目鬼は手足を滅茶苦茶に振り回しながら倒れこむ。その時に剛腕によってまたしても夜光は吹き飛ばされてしまった。


「がっ!……くそっ」


 無様に大地を転がった夜光であったが、その時負った傷も〝天死〟の〝神権〟によって即座に回復した。

 

「はぁ、はぁ……これならまだやれる」


 のたうち回った後絶命した一つ目鬼に一瞥をくれてから、夜光は荒い息を上げて立ち上がると次なる獲物を探そうとする。

 しかしそこに待ったが掛かった。


「今日はここまで。続きはまた明日」

「っ……なんでだよ!俺はまだやれる!!」


 暗闇の中にあっても尚、輝く白銀の長髪――ガイアの制止に思わず夜光が噛みつけば、彼女は静かに首を振った。


「〝天死〟の力で確かに怪我は治ってる。けど〝全治〟は疲労を取り除いてはくれないし、精神的にも無力。ヤコーはもう疲れ切ってる。違う?」

「それは……」


 ガイアの指摘は事実であった。

 確かに身体は戦闘によって疲弊しているし、精神は極度の緊張から荒れていた。加えて〝死眼〟がもたらす殺意が胸中で嵐のように荒れ狂っている。


「……わかったよ、ガイアの言う通りだ。今日は終わりにしよう」

「ん……分かってくれればいい。それに師匠のいうことを弟子が素直にきくのは当然」

「そのなりで師匠とか……威厳が無いな」

「む……なら午後の訓練で思い知らせる」

「……これは墓穴を掘ったかな」


 などと軽口を叩きあっていれば自然と殺意が収まってくる。

 他の人間が相手だったならこうも素直にはいかなかったであろう。そう思えるほどガイアとの関係は良好であった。


(それにしても徐々にだけど身体能力が上がってきてるな)


 この奈落で数週間が経過したが、初日と比べると段違いに夜光の身体能力は向上していた。

〝天死〟の加護による恩恵もあるが、それを加味したとしても異常である。C位階の魔物の動きに合わせられるだけでなく、その腕を駆けあがるなど常人の動きではない。


(これがガイアの〝血〟による影響なのか……?)


 白髪になったことから始まり、身体能力の向上――徐々に自分が変化しているのを夜光は自覚していた。

 若干の不安はある。されどそこまで懸念はしていない。


(ガイアが俺に害をなすわけがないしな)


 夜光自身、意識していないが、ガイアに対する信頼度が上がっていた。それもそのはずでガイアは命の恩人というだけでなく、この地で衣食住を提供してくれて、夜光の訓練――魔物との実戦で的確なアドバイスをくれている。更には魔法を行使できるガイア自身との模擬戦、彼女による講習――この世界の情報等――というように至れり尽くせりなのだ。これで好きになるなという方が無理というものだ。


(おかげで俺は強くなっている。……けどまだまだだな)


 先ほどの戦いのように改善すべき点は無数にあるし、なにより夜光には魔力がない。故に魔法が使えない状態であることには変わりなく、多少身体能力が上がったからといってこの世界の人間――特に武人には遠く及ばないだろう。なにせ彼らは体内に保有する魔力で無意識に身体能力を向上させているし、戦闘ともなれば意識して魔力を用いて更に強化できる。

 勇を相手にするとなれば更に不利になる。彼は固有魔法という絶技を保有しているからだ。

 

(高い……高すぎる壁だなぁ)


 唯一、彼らに優っている点といえば〝天死〟による高速回復と〝死眼〟による未来視にも似た能力だろうが、それらもまた絶対というわけではない。

 回復が追い付かないほどの致命傷を負えばおそらく死ぬだろうし、〝死眼〟は相手との戦力差が大きければ大きいほど選択肢が減り、どうしようもないほどの差であればまったく無意味になってしまうとガイアから聞かされていた。


(でも……諦めるわけにはいかない。あいつらには必ず報いを受けさせてやる)


 ガイアと穏やかな時間を過ごしても尚、この想いが消えることはなかった。胸を焦がす憤怒の炎は鎮火するどころか燃え盛る始末だった。


(だから、苦しくても痛くても――投げ出すわけにはいかない)


 と、夜光が決意を再確認している内に二人はガイアの住まいへとたどり着いていた。

 扉を開けると暖気が突き抜けてきて思わず夜光は安堵の息を吐いた。

 何故か魔物に襲われないガイアと共に居るとはいえ、やはり安寧の地であるこの小屋は夜光の尖り切った神経を優しく包み込んでくれる。

 後ろ手で扉を閉め、暖炉に向かった夜光にガイアが声をかけてきた。


「今日のお昼ご飯はパンだけど……いい?」

「ああ、構わないよ。あ、今日の用意は俺がやるよ」

「いい、わたしがやる」

「……何度も言ってるけど俺は泊まらせてもらっている身だ。少しは手伝わせてくれなくちゃ俺が納得できないんだってば」


 何故かガイアは衣食住のことになると頑なに夜光の手を借りようとしない。その献身ぶりに荒んでいた初めの頃は何とも思わなかったが、徐々に怒りを抑えられるようになってきてからは申し訳なく思うようになっていた。要は良心が痛むというやつである。


(服まで着替えさせようとしてきた時は凄く驚いたっけか……)


 無表情が常とはいえ整った美貌を持つガイアに服を脱がされかけた時は多いに焦ったものだ。男である夜光を超える腕力をガイアは持っており、その細腕で!?と驚きながらも必死に着替えは自分でやると説得したことで事なきを得たが。


 と夜光が回想している内にガイアはテキパキと食事の準備を済ませてしまい、またしても手伝う機会は失われていた。


「どうぞ……」

「あ、うん、頂きます」


 釈然としなかったが、こうして用意してもらった以上は仕方がない。

 夜光は食事に手を付けながらふとこれまで疑問に思っていたことを尋ねていた。


「そういえば……ガイアはなんでこんなところに住んでいるんだ?ガイアほどの魔法の腕なら地上に出たら引く手あまただろうに」


 冒険者組合ギルドを始めとする様々な組織、果ては国家すらもガイアを囲うであろうことは容易に想像できる。それほどガイアの魔法の実力は並外れているし、加えて容姿も端麗とくれば誰だってお近づきになりたくなるはずだ。


(ガイアの実力は正直カティアさんを超えてると思うし……)


 模擬戦で見て実際にその魔法を受けた身としての感想である。七属性の魔法を使いこなすというだけでも凄いのに、それらを同時発動、更には複合させてまったく新たな魔法へと昇華するのだ。しかもそんな絶技を行っても息切れ一つせず、魔力欠乏の素振りさえない。


 本当に凄い、と夜光がしみじみ思っているとガイアは食事の手を止めて口を開いた。


「わたしは調和を――安定を望んでいるから」

「……え?」


 一体どういう――と聞き返す前にガイアが言葉を続ける。


「兄弟姉妹たちによる〝唯一神〟へ到達する試みには興味がない。それに……〝王〟は一つになってはいけないと思うから」


 だからわたしはずっと隠れているの――と語ったガイアは常の無表情であったが、共に暮らすうちにその感情の機微を悟れるようになっている夜光は気付いた。悲しげであると。


「ガイア……」


 夜光はそれ以上何も言えなかった。

 寂しげなガイアが一体どのような過去を背負っているのか知らないが故に、安易に慰めの言葉をかけるのは無礼に思えたからだ。

 だから別の事を思案した。


(今のガイアの台詞……これまでの情報と合わせて考えると、彼女の正体は〝王〟である可能性が高い)


 この世界には神々が存在する。概念としてではなく、実体ある存在としての神だ。

 それらは畏敬から〝王〟と呼び崇められている。二百年前に魔物の脅威から各種族を救ったことでその崇拝は加速する一方だ。


(けどガイアが〝王〟だとすれば数が合わないんだよな……)


 世に知れ渡っている〝王〟は全部で

 東大陸に住まう〝妖精族〟フェアリーが崇める〝日輪王〟。

 西大陸に住まう〝精霊族〟エレメントが崇める〝星辰王〟。

 南大陸に住まう〝人族〟ヒューマンが崇める〝月光王〟。

 北大陸に住まう〝竜王族〟ファブニルが崇める〝黒天王〟。


 彼らはそれぞれが守護する大陸に住んでいるとされている。

 ならば夜光が居るこの南大陸には〝月光王〟が存在しているはずで、眼前の少女が〝王〟であるならば彼女は〝月光王〟ということになる。

 しかしそれはおかしな話だ。

 何故なら〝月光王〟は南大陸の東に位置する超大国、アインス大帝国の領内で暮らしているとされているからだ。


(それに文献によれば〝月光王〟は成人したての女性のような容姿であり、その姿はまるで女神の如し――とされている。こんなちんちくりんなガイアじゃないよなぁ)


 と本人が聞いたら激怒しそうなことを考えていると、黙々と食事を進めていたガイアが夜光をじっと見つめてきた。


「な、なんだよ……」

「…………今失礼なこと考えてたでしょ」

「……………………」


 何故にばれたのか、動揺を隠そうとだんまりを決め込む夜光にガイアは、


「……午後の訓練は厳しめでいく」


 無慈悲な言葉を投げかけるのであった。

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