十三話

 次に目を覚ました時、不思議と身体が軽いことに夜光は気付いた。

 両手を使って身体を起こせばなんの障害もなくすんなりと起き上がることに成功する。


(〝天死〟の加護のおかげか……)


 夜光が白銀の剣のことを思い起こすとパキリ、という音と共に眼前の空間がひび割れて〝天死〟の柄が飛び出してきた。

 未だ見慣れぬ光景に夜光が見入っていると、現出した音に気付いたのかガイアがやってきた。


「傷は癒えた?」

「どうかな……少なくとも痛みはもうないけど」


 相変わらずの無表情――しかし注意深く観察すれば心配そうにこちらを注視していることが分かる。

 命の恩人にこれ以上心配をかけるわけにはいかないと、夜光は寝台から降りて立ち上がって見せた。

 

「うん……問題なさそうだ」


 と言ってガイアの方を向くと奇妙な感覚に襲われた。

 左眼が映す少女の姿――左胸が赤く光っており、それを認識した途端に脳に膨大な情報が流れ込んでくる。

 

「ぐっ……な、なんだこれ!?」


 脳に流れ込んできたのは眼前の少女の。自分がどのように動けば仕留められるかという情報であった。

 未知の感覚に夜光が左眼を押さえて膝をつく――と、ガイアが近寄ってきて黒い武骨な眼帯を差し出してくる。


「まだその〝眼〟に慣れていないから制御ができていない。コレを着ければ抑えられる」


 眼帯を受け取った夜光は急いでそれをつける。すると流れ込んできていた情報が遮断され、右眼と同じ正常な視界に戻った。

 気味の悪い感覚から解放されたことで思考に余裕が生まれた夜光はふと気づく。


「……なんで俺、見えてるんだ?左眼はあいつに――……」


 意図して思い出さないようにしていた記憶が蘇る。悪夢のような出来事、苦痛と絶望に塗れた経験。

 途端に怒りが沸き上がってくる。恐怖を塗りつぶすほどの圧倒的な憤怒が夜光の思考を染め上げ、自然と身体は小屋の出口へと向けられ――、


「ヤコー?……大丈夫?」


 ――少女の声によって鎮静化した。

 夜光がガイアの方を見れば不安げな表情をしていることに気づいた。


(なにやってるんだ俺……この子に心配をかけないようにするって決めたばかりじゃないか)


 夜光は首を二、三度横に振って怒りを払うと笑みを繕った。


「あ、ああ……大丈夫だ。それよりも教えてくれ。この左眼は一体なんなんだ?」


〝天死〟の加護で再生した――にしては奇妙だ。加護で再生した部位が通常とは異なるという話なら別だが……。


「……ヤコーを見つけた時、あなたの左眼は完全に破壊されていた。それはわたしの力でも〝天死〟の力でも治せなかった」


 最初に起きた時に聞いた〝天死〟の力はあくまでの怪我や病気を治すというものだった。ならば所持者になる前に負った負傷――その中でも致命的なものである左眼の破壊が治せなかったという話にも頷ける。

 

「じゃあ今の左眼は一体なんなんだ?」


 左眼が自分の物ではないという可能性に至った夜光が不安を隠さず問えば、ガイアは部屋の一角に鎮座する戸棚から手鏡を取り出して彼に向けた。

 その行動の意味を察した夜光は恐る恐る眼帯を外す――と手鏡に映り込んだのは青紫色に輝く左眼であった。


「わたしが保管していた〝三種の魔眼〟の一つ――〝死眼〟バロール。それをヤコーの喪った左眼の代わりとして埋め込んだ」


 現実を受け入れようと鏡に映り込む己が顔を食い入るように見つめる夜光。そんな彼を少しでも安心させようとガイアはゆっくり説明を続けた。


「その力は〝視〟た存在の殺害方法が解るというもの。何処が弱点で、そこを突くためにはどのように動けばいいのか――それが自然と理解できる」


 ただ――とガイアは声音を暗くする。

 その変化に気づいた夜光が彼女を見つめる。すると先ほどと同様の光景と感覚が訪れ、加えて何故か殺意が沸き上がってきた。

 

「〝三種の神眼〟と違って〝三種の魔眼〟には欠点が――代償が存在する。〝死眼〟の場合は所持者の殺意を煽り高めるというもの。だから今、ヤコーはわたしを殺したくてたまらない――違う?」

「……そうだな。確かにお前のことを殺したくて殺したくて――頭の中では何度もお前を殺している光景が浮かんでいるよ」


 手鏡をガイアの頭に叩きつけ、割れた破片で心臓を穿つ。あるいは押し倒して首を絞め、手元に召喚した〝天死〟を左胸に突き刺す――など、様々な光景をはっきりと思い浮かべることができる。

 

「……これは危険だな」


〝視〟た相手の殺し方が分かる。それは戦闘では大いに役立つであろうが、平時は邪魔でしかない。加えて殺意を煽られてしまえば抗えない衝動に負けて取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうことだろう。

 だからそれを押さえられる眼帯の存在はありがたかった。


「左眼についてはよくわかった。確かに危険なものではあるが、要は使い方に気を付ければいいだけの話だ。……ありがとうな」


 眼帯をつけてさえいれば凶悪な力が発動することはないし、不可思議なことに眼帯を通してその先の光景が普通に見れるのだ。日常生活になんら不便はないといえよう。


(これから左眼が無い状態で暮らさなきゃならないなんて思うとゾッとする。……本当にありがたい)


 改めて眼前の少女に感謝の念を抱いた夜光は続けて右手で頭部触れ髪の毛を一本抜き取った。それは真っ白に染まっていた。


「左眼は分かったけど、この髪の色は一体どういうことなんだ?」


 先ほど手鏡で見た時、青紫色に輝く左眼も衝撃的だったが、白く染まった頭髪にも驚かされてた。

 そんな夜光の疑問に対する答えは簡潔だった。


〝白夜王〟わたしの血を取り込んだ結果。……ごめんなさい」


 やはり血に関する話題になるとガイアは申し訳なさそうに身を縮めてしまう。一体何故なのか、聞いてみたいがそれをしてしまえば取り返しのつかないことになる――という奇妙な確信があったため、今回も夜光は流すことにした。


「いや、いいさ……命を救ってもらったんだし、その過程でこうなったのなら仕方のないことだ」


 別に白髪になったからといってどうということはない。最悪髪染めで黒に戻せばいいだけだし、そもそも特に髪色に思い入れなどない。

 だから顔を伏せるガイアの頭を撫でて落ち着かせると、話題を転換した。


「さて、自分の状況は把握した。その上でこれからどうするかだが……」


 目的――自らを突き動かす原動力は怒りだ。この奈落へ落とした勇への復讐、苦痛と絶望を味わわせてくれた中級悪魔への報復である。

 されどどちらも難しい。

 前者はこの奈落を踏破して地上に帰り、勇を追いかけて戦わなければならない。しかし強大な魔物蠢くこの〝大絶壁〟最下層は、今の夜光では歩いて五分とて持たないであろうことは明白だ。

 仮に地上に戻れたとしてもおそらく勇は周囲に対して自らの都合の良いように話をでっちあげているだろうし、何より勇自身の武力が高すぎて返り討ちに会うだけだ。


 では後者はどうか。それもまた難しいと言わざるを得ない。

〝天死〟という武器を手に入れ、〝死眼〟という反則的な力を手にしたとはいえ使いこなせない今の夜光にとっては宝の持ち腐れ。また嬲られてしまうだけだろう。しかも今度は〝天死〟による高速回復があだになって永劫の苦しみを味わう羽目になりかねない。

 だが――、


(それはどちらもだ)


 夜光は決意を固める――それは立ち上がるという意志であり、戦うという覚悟でもあった。


(きっと苦しいだろうし痛みもあるだろう。また死にかけることだってあるかもしれない)


 けれどもこのまま何もせずガイアの庇護下にいるなど出来はしない。己に残された最後の想い――〝怒り〟という業火が燃え滾っている。

 

(絶対に落とし前をつけさせてやる。屑共をこの手で……)


 昏い決意――だが決意であることに変わりはなく、前に進むという意志は尊いものだ。

 しかし今の己では届かない。目指す先は遥か遠く、見上げる天はどれほど手を伸ばしてもつかめない。

 故に――、


「ガイア、俺は強くなりたい。誰にも負けない、誰にも見下されない――そんな圧倒的な力が俺は欲しい」


 届かないのならば届かせられるほど強くなればいい。目指す先を超え、遥かなる天頂に立つために。

 そんな夜光の決意を受けたガイアはしばし黙考し――頷きを見せた。


「……わかった。ヤコーが強くなりたいのなら協力する」


 そして小屋の出口へと向かい、取っ手に手をかけた状態で夜光の方へと向いて鋭い視線を投げかけた。


「でもその道はとても険しい。苦しいし辛い。それでもいいの?」

「ああ、大丈夫だ。耐えて見せるよ」


 覚悟を試すかのような問いかけに即答した夜光はガイアを追い抜いて外に出た。

 


 *



 その背を見つめるガイアはぽつりと呟いた。


「ごめんなさい……でもこうするしかないの」


 自分に残された時間は少ない。徐々に衰えてきている。その前にこの〝力〟を継承しなければならない。 時間が尽きるその前にこうして後継者に出会えたことは、果たして偶然なのか、それとも必然なのか。


「どちらにせよ……わたしに選択肢はない」


 幸いなことに彼は〝力〟を望んでいる。ガイア自身の目的に沿うようにして。

 だがこの〝力〟を手にすれば、彼は否応なく争いに巻き込まれることだろう。千年以上も続く終わりの見えない闘争――神代の戦争に。

 では渡さなければ良い――というわけにもいかない。彼に渡さなければこの〝力〟は他の〝王〟に喰われてしまう。それは世界の破滅への前進と同義であり、看過できないことだ。


「彼は決してわたしを許さないはず」


 でも――それでも禅譲すると決めている。

 だからせめて彼には自分の全てを奉げよう。知恵も、力も、武具も、身体も、愛さえも彼に与えよう。

 それこそが己が罪に対する罰であり、業を背負わせる彼へのせめてもの償いだ。


「だからどうか……受け入れてほしい」



――未来の〝王〟よ


  

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