十二話

 死んだと思っていた。

 けれども意識は断続的に戻り、その度に同じ声を聞いた。


『……ダメ、左眼はもう――』


 清廉な声――どこか幼さが残っている。


『〝天死〟の力だけじゃ――……仕方ない、わたしの――』


 ぼやける視界に映り込むのは美しい白銀だった。


『問題は〝王〟の力に耐えられるか――……』


 その言葉の後には凄まじい激痛が体中を迸ったけれど、誰かもわからない手が励ますようにぎゅっと握ってきたことで耐えられた。

 ぼんやりとした意識の中でそれは救いであり希望であったのだ。

 

『左眼はコレが適合すれば――……』


 喪失感のあった左眼が何かで埋められた。それが何なのかは分からなかったけれど、不思議と不快感はなくただ安堵だけが残った。

 そして、そして、そして…………。


「うっ…………」


 夜光は目を覚ました。

 うめき声をあげながら身体を起こそうとするも力が入らず失敗してしまう。重力に引かれた身体を受け止めてくれたのは柔らかい何か――そこで自分が寝台に横たわっていたのだと気づく。

 どうにか動かせる頭を右に向ければ、温かな光を放つ暖炉が見えた。焼べてあった薪が時折パチッという音を奏でている。

 部屋の中央には木製の机と椅子があり、壁際には本棚と無数の書籍が置かれている。


(ここはどうやら小屋のようだな)


 自らの居場所に検討をつけた夜光は次いで不思議に思う。何故己は生きているのだろうかと。

 体は動かない。けれど五体満足であることはすぐに分かった。だからこそ不思議で、あの傷と出血量ではまず助からないだろうと思っていたのに――生きている。


「一体何がどうなって――」

「それはわたしがあなたを助けたからだよ」

「っ!?」


 穏やかな小屋内に突如として女性の声が生まれたことで夜光は驚きに包まれた。

 直後視界に入り込んできた姿を見て今度は別種の驚きを抱くことになる。


(なんて……なんて綺麗なんだろう……!)


 声を発したであろう女性の姿は少女という年齢だった。

 十二歳くらいだろうか、木製の小屋に似つかわしくない純白のドレスを身に纏っている。白銀の長髪は腰まで伸びていて、双眸は紅玉ルビーの如き深紅の輝きを放っていた。

 整った顔立ちは神々の造形と表するに相応しい。けれども浮かべる表情は何処か儚げで憂いを帯びている――そのためか歳不相応な色香を纏っていた。


「お、お前は――誰だ?」


 おそらくではあるが命の恩人――そのような人物に対して失礼な言葉を投げてしまう夜光。あまりにも浮世離れした容姿に動揺していたのだ。

 しかし少女は特に気分を害した様子を見せずに淡々と口を開いた。


「わたしは――……わたしは〝白夜王〟ガイア

「ガイア?……変わった名前だな」


 聞きなれない名に怪訝そうに眉を顰める夜光に、少女――ガイアが尋ねる。


「それであなたの名前は?」

「俺?俺の名は間宮夜光だけど……」

「ヤコー?……そっちこそ変わった名前」

「それはそうかもしれないな」


 こんな状況下で自己紹介、しかも外国人とのやり取りのようで。

 それがおかしくて夜光は思わず笑ってしまった。


「……何かおかしなことでも?」

「ふっ、いや……ついさっきまで死にそうだったのに、今じゃこうしてのんきな会話をしている。それがおかしくてさ」

「そうなの?」

「ああ、そうさ」


 笑いが収まれば今度は様々な疑問が首をもたげてくる。

 夜光は相変わらず力の入らない身体を一瞥して再度少女を見やった。


「お前が――ガイアが俺を助けてくれたことはなんとなく分かる。時々意識を取り戻していたからな」


 かすれる意識の中で聞こえた声は全て眼前の少女のものと一致する。だからこその確信であった。


「いろいろと訊きたいことがあるんだ。まずここはどこなんだ?」


 〝大絶壁〟の奈落、ということはないだろう。魔物がうろつく魔境に小屋を建てて住む人がいるとは思えない。ましてやそれが少女ともなればなおさらだ。

 しかし、ガイアは驚くべきことを口にした。


「ここは〝白夜王〟わたしの住処。……人族は〝大絶壁〟と呼んでいるけれど」

「は?嘘だろ……」

「嘘じゃない。わたしはここに何年も住んでいる」


 現在地が予想外すぎてガイアの答えに混じっていた違和感に気づくことなく夜光は話を進めた。


「じゃ、じゃあここは奈落なのか!?でも、なんで――魔物とか大丈夫なのか?」

「問題ない。〝王〟わたしが弱っているとはいえ魔物程度が傷をつけるなんて無理だから」

「そう、なのか……」


 人は見かけによらない。それはこの世界ではより顕著となる部分だ。

 か弱な少女の形をしていても強大な魔力や固有魔法を有していれば魔物すら脅威ではなくなる。

 おそらくガイアもそういう類の存在なのだろう。

 しかしそれを踏まえても前人未到の地である〝大絶壁〟で暮らそうなどと普通は思わないが。


(なにかしら理由があるってことか)


 知りたいとは思ったが、それを聞く前に知っておくべきことはまだまだあったし、そのような内面に深く踏み込む質問をしてよいほど仲が良いわけでもない。

 故に夜光は次の質問へと移った。


「ガイアは俺を助けてくれた。でもどうやってだ?治癒魔法とかを使ってか?」


 かつてカティアが新を治療する際に風系統に属する治癒魔法を使っていた。それを使ったのだろうと夜光は思ったのだが、ガイアの答えは違った。


「治癒魔法じゃ治せないほどヤコーの状態は酷かった。だからこの子に協力してもらった」


 と言ってガイアが何もない空間に手を伸ばす。

 すると空間に亀裂が入り、そこから一本の剣がゆっくりと現出した。

 少女の髪よりも透明度の高い白銀の剣――金剛石ダイヤモンドのように美しく、柄も鍔も刀身さえもが白銀一色である。

 全体から細氷ダイヤモンドダストの如き粒子が放たれていて、この剣があるだけで場が映える。そこにガイアの見目麗しさが合わさることで幻想的な光景が広がっていた。


「この子の名は〝天死〟ニュクス。……可愛いよね?」


 といって小首をかしげる少女こそ可愛らしいと思うのだが、なんとなく気恥ずかしくて頷くに留めた。

 

「この子の〝神権〟デウス〝全治〟ベレヌス。所持者の病気や怪我を治すという力。その力でヤコーを治した」

「〝神権〟?〝全治〟?」


 初めて聞く単語だらけで疑問符を浮かべる夜光に少女は素っ気なく返す。


「要するにこの子の力だと思えばいい。ヤコーが助かったのはこの子のおかげ。感謝すべき」

「あ、ああ。そうだな……ありがとう」


 と夜光が白銀の剣――〝天死〟に向かって言えば、嬉しさを表明するかのように刀身が輝きを増した。


「……ガイアもありがとう。おかげで俺は死なずにすんだ」


 少女にも礼を言えば、彼女はそっぽを向いてしまう。けれど白い頬が若干赤くなっていることから照れ隠しなのだろうと夜光は察した。


「ほ、ほらこの子はこれからヤコーの相棒になったのだから仲良くすればいい」

「え?そ、そうなの?」


 確かに先ほどガイアは〝天死〟の力を病気や怪我を治す力だと言っていたが……。


「そんな貴重な物、貰えないよ」


 ただでさえ命を救ってもらった恩義がある。その上破格の力を持つ武器をくれると言われても恐縮してしまうだけだった。

 しかしガイアは首を横に振った。


「もうこの子はヤコーのもの。この子自身がヤコーを選んだ。今更返却は無理」

「選んだ……ってことはその剣には意志があるのか?」

「あるに決まってる。〝王〟わたしが創ったのだから」


 それを聞いた夜光は改めてガイアの凄さを再認識することになった。


「ヤコーはこの子を喚べるはず……やってみて」

「喚ぶっていっても……具体的にどうすれば?」

「心の中でこの子に呼びかければいい。そうするだけでどんなに離れていても手元に来るから」

「それは凄いな……」


 と言いながら夜光は眼を閉じて〝天死〟のことを考えた。


(呼びかける、か…………来てくれ、〝天死〟)


 白銀の剣のことを脳裏に浮かべながら念じれば――眼前の空間がひび割れて〝天死〟の柄が飛び出てきた。

 瞠目してみればガイアの傍に浮かぶ〝天死〟の柄だけが消えて夜光の眼前に現れていることが分かる。

 更に強く念じればゆっくりと刀身までもが姿を現し――遂には〝天死〟そのものが眼前に浮かび上がった。


「凄い……!凄いなこれ!」


 あまりの超常現象に夜光が語彙力を低下させて言えば、ガイアがクスッと僅かな笑みを見せた。

 しかしそれは一瞬のことで、即座に彼女は笑みを引っ込めてしまった。


「とにかく、その子はもうヤコーと契約しているから〝神権〟でその内動けるようにもなる。それまでは寝ていて」

「っていってもな……食事とかどうするんだよ」


 要介護者状態なのであれば眼前の少女に頼ることになってしまう。思春期の夜光としてはそれは避けたいところだった。

 けれどガイアは問題ないと首を横に振る。


「……ヤコーはもう食事とか必要なくなってるはず。その証拠に食欲とかないでしょ?」

「え……?」


 ガイアに言われたことで気づいたこと――それはまったくと言っていいほど食欲が湧いてこないという点だった。


「な、なんで……どうしてだ?」


 夜光が動揺する姿を見てガイアが僅かに顔を歪める。それは申し訳ないといった表情であった。


「……ヤコーは血を失いすぎてた。〝天死〟の加護でも〝白夜王〟わたしの力でも死の淵から救い上げられないほどに。だから――」


 と言いながら彼女は寝台に近づいてきて夜光の頬に小さな手を触れさせた。

 か細い手――触れたら壊れてしまいそうだと思ってしまうと同時に、どこか温かな気持ちにさせられる。


「だから、わたしの血をヤコーに入れたの。……ごめんなさい」


 何故謝るのか、助けてくれたのだからその必要はないはず――と疑問が浮かび上がったが、口に出しはしなかった。

 何故なら彼女があまりにも悲しげな雰囲気を醸し出していたからである。


(いろいろと疑問はあるけど……)


 命の恩人――仇で返すわけにもいかない。

 それに夜光自身、彼女を悲しませたくないと思っていた。

 だから夜光は深く追求はせずに右手を必死に動かしてガイアの手に触れさせた。


「あ――」

「俺はお前のおかげで死なずにすんだ。だから謝る必要はないよ。……ありがとな」


 それが限界だった。無理に身体を動かしたことや長時間話していたことで疲労がどっと襲い掛かってきたことで意識が保てなくなってしまった。

 暗闇に堕ちていく意識の中で、夜光は少女の手の感触に安堵を覚えながら目を閉じるのだった。

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