十話
「俺が詠唱の時間を稼ぐ。お前は――」
「言われなくても分かってる!さっさと行けよ」
「……むかつく奴だな、お前は!」
言葉の応酬を交わした夜光は地を蹴って駆けだした。勝てるなどと考えたわけでもなく、対等な勝負になると驕ったわけでもない。勇が固有魔法を発動するまで地竜の気を引き付けようと考えたためだ。
「こっちだ、化物!」
『グルァ!!』
夜光が眼前まで迫ると地竜は凶悪な牙が生えた口を突き出してきた。
咄嗟に横に飛んで回避すれば噛みつきを終える恐ろしい音が聞こえてくる。だが、恐怖に足を止める暇などない。夜光は再び走り出しながら地竜の胴体を剣で切りつける――が硬質な音と共に弾かれてしまう。
(鋼鉄並みに固いっていう情報だったが……それ以上じゃないか!?)
夜光が切りつけた鱗は夜闇の所為で確信をもっては言えないが……どうやらまったく傷がついていないようなのである。剣で切りつけても無傷ということはすなわち夜光では全く歯が立たないということの証左でもあった。
「くそ……勇の奴はまだか」
地竜の側面に回り込みながらちらりと勇の方を確認すれば、彼は眼を閉じてなにやらぶつぶつ呟いていた。おそらく極限の状況下で固有魔法を発動という難易度の高いことをやっているために、極度の集中状態に入っているのだろう。
であれば今の勇は完全なる無防備ということ。ひきつける役を負った身としては責任重大であると夜光は口元を引きつらせた。
「この化物が!」
大声を上げながら剣で何度も巨体を切りつける――否、剣で叩くと言った方が正確か。
何度も何度も硬質な音を奏でていると、いくら傷つかないとはいえ流石に苛立ってきたのか地竜が咆哮する。と同時に棘の生えた尻尾を振るってきた。
「ガァ!?」
咆哮に気を取られ地竜の頭部の方に視線を送っていた夜光は、その不意打ち気味の一撃をまともに喰らってしまう。
まるで巨大な槌で打ち付けられたが如き衝撃が全身を突き抜けた――そう感じた時には夜光の視界は星空で埋め尽くされていた。どうやら吹き飛ばされ、無様に仰向けで転がっているらしいと遅れて気づく。
口の中に液体が溢れ、鉄の臭いが鼻腔を刺激する。喉に詰まって咳き込めば視界が赤く染まった。
続けて大地の震動を感じたことで、地竜が迫ってきていることに気づき立ち上がろうとするが――体に力が入らない。
(ああ……ここまでか)
死なんてまったく覚悟できていない。死にたくないと思うが、死の足音は着実に近づいていた。
その時――、
「ハァアアァッ!!」
『グルァ!?』
勇の雄々しい声と地竜の驚いた叫びが響き渡った。
戦闘開始からここでようやく地竜が明確な痛みを表したのだ。
夜光が首を動かしてそちらを向けば、七属性の魔法を従えて地竜に叩きこむ勇の姿があった。
よく見れば勇が放った魔法で地竜の鱗が砕けていることが分かる。
(はは、流石は勇者ってわけだ)
経験は浅くとも保有する魔力量はけた違い、何より固有魔法という絶技はA位階の魔物にすら届きうるものだ。
魔法が鱗を破壊する激烈な音、地竜が発する怒りの咆哮が鳴り響く中、夜光は身体に力を込め、必死に立ち上がった。
「う、ぐ……」
満身創痍、口端から鮮血が垂れ落ち大地にまだら模様を描く。けれども夜光は倒れることを是をせず戦場を見据えた。
勇と地竜の戦闘は一見すると勇の優勢に思えるが――、
(魔力を使いすぎてる。このままじゃ倒す前に尽きてしまう)
魔力には総量という物がある。限界があるのだ。しかも勇は後先考えずに強力な魔法ばかりを使っている為、魔力の消費が著しかった。
このままでは――そう思った時には既に遅かった。
「うぉおお――なっ!?」
唐突にその時はやってきた。勇が驚愕の声を上げた次の瞬間、彼の周囲で展開されていた魔法が全て消えてしまう。集中力の低下によるものではない、明らかに魔力欠乏によるものだった。
「しま――」
『ガァアアッ!!』
魔法を失い硬直する勇を地竜が前足で薙ぎ払う。勇は〝大絶壁〟の方へと吹き飛ばされていった。
「不味い……!」
このままでは勇は喰い殺されるか、押し込まれて絶壁に落ちてしまうことだろう。前者は確実に死ぬだろうし、後者でもおそらく死ぬ。〝大絶壁〟は高さが不明、落ちた者で帰ってきた者はこれまで一人もおらず、調査の為に降りた飛空艇ですら消息不明になっている、帰らずの奈落なのだ。
「勇、起きろ!」
「…………」
叫ぶも返事はなく微かに身じろきするだけ。気を失っているか、先ほどの夜光のように満身創痍で動けないのか。
どちらにせよこのままでは勇は死ぬ。いくら険悪な仲とはいえ、見殺しになどできようはずもなく夜光は傷ついた身体に鞭打って駆け出した。
大声を上げ、落ちていた己の剣で鱗を叩く。とにかく勇から注意を逸らそうと夜光は必死だった。
地竜はそんな夜光を煩わしく感じたのか――尾を軽く振って夜光を背中から吹き飛ばした。
「あがっ!?」
凄まじい激痛を感じたのと視界に迫る勇の姿を捉えたのはほぼ同時だった。
夜光はようやく立ち上がろうとしていた勇に激突する。それでも勢いは殺せず二人して絶壁へと転がっていく。
そして――、
「う……っ!?」
「く、そ……!」
奈落へと落ちる寸前、勇が咄嗟に崖を片手で掴み、もう片方の手で転落しそうだった夜光の左手を掴んだ。これによりなんとか転落を免れた夜光だったが、直後眼下に広がる光景に悪態を吐いてしまう。
――虚無だった。何もない、ただ暗闇だけが広がっている。見ているだけでうすら寒くなってしまう黒だけがそこにはあった。
「や、夜光……」
勇の苦し気な声に夜光が慌てて上向けば、頭から血を流す勇が必死の形相でこちらを見ていた。
「勇、もう少しだけ頑張ってくれ!大分時間は稼いだからそろそろ助けがくるはずだ」
なんの根拠もなかったが励まさなければと思い言葉を掛ける。それほどまでに勇の表情に余裕がなかったのだ。
「……お前のことは嫌いだ。いつも彼女の傍にいて、僕が入り込む余地がない。でも、それでも……」
突然の勇の独白に一瞬驚いた夜光だったが、その先に続く言葉は思い当たる。何せつい先ほど夜光もそう思ったのだから。
「……ああ、俺もお前のことは嫌いだ。いつも俺を目の仇にして陽和ちゃんを怖がらせているからな」
言葉を切った夜光は常々疑問で、けれど半ば答えを確信している問いを発することにした。このような状況下で何をのんきにと平時ならば笑っただろうが、この時は何故かそうは思わなかったのだ。
「……なあ、なんでお前は俺を嫌う?なんでお前は陽和ちゃんに執着するんだ?」
その問いに、一瞬言葉に詰まったような顔を見せた勇だったが、観念したように口を開いた。
「……陽和さんのことが好きだからだ。だからいつも傍に居られて、信頼を寄せられるお前が嫌いなんだよ」
「そう、か…………」
分かっていたことだ。けれども何故か胸がざわつく。
黙り込む夜光につられてか勇もそれ以上何も言ってはこない。
僅かな静寂が訪れ――それは不意に終わりを告げる。
「いたぞ、魔物だ!」
「地竜!?何故このような外縁部に!?」
「そんなことはどうでもいい。二人は何処だ!?」
聞きなれた声、それは複数人分あった。つまり助けが来たということだ。
「助かったな」
「ああ……」
夜光が安堵の息を吐いた――その時。
「夜光くんは無事ですか!?」
陽和の声が聞こえ、直後夜光の耳朶に怨嗟の声が触れた。
「やっぱり……彼女の眼にはお前しか映らないのか」
「勇……?」
毒々しい声に夜光が勇の顔を見やれば――彼は怒りの炎に包まれた形相を浮かべていた。
「お前さえいなければ僕は――……」
「勇、おま――ッッ!?」
勇の眼に仄暗い光を見た夜光は本能的な危機感を覚え――次の瞬間には体を浮遊感が襲っていた。
「え――」
「消えてくれ、夜光。僕と彼女の未来のために」
勇が掴んでいた手を離したのだと理解した時にはすべてが遅く、夜光は奈落へと墜ちていくのだった。
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