九話

 それから三週間が経ったが、初日のような危ない場面などなく過ぎ去っていった。

 初日の経験が良い方向に働いたのだろう、勇たちは得た力に驕らず連携を重視するようになったのだ。

 魔物も大鬼より高位の存在は姿を見せず比較的安全に戦闘を行うことができ、訓練は順調に進んでいる。


 その間、夜光はというと――なんとクロード大将軍から剣術を習っていた。


『ヤコウ殿、貴殿も訓練に参加したくはないか』


 この一言にどういった意味があったのか、夜光は思考を巡らせたが……結局クロード大将軍の言葉に従うことにした。

 力を得るに越したことはない。この世界は日常的に命のやり取りが発生する世界であり、自衛ができなければ不味いし、それに勇者でなくとも陽和の傍にいるためには役に立つところを示さなければならない。

 

(まあ、何もしないでいるっていうのもな)


 と、様々な考えから夜光はクロード大将軍の手ほどき受けることにしたのだが……。


「ハァッ!」

「脇が甘いぞ、ヤコウ殿」

「ぐぁっ!?」


 キィン――という硬質な音が鳴り響き、夜光の手から剣が吹き飛ばされ、彼自身は尻餅をついてしまう。

 クロード大将軍の一撃を防いだはいいが、このざまであった。


「……流石ですね、クロード大将軍。それに比べて俺は……」

「クロードで良い。それとそのように卑下することはないと思うぞ。魔力を持たぬ身でありながら短期間で剣を振るえるようになったことは賞賛すべきことだ」


 クロード大将軍が慰めの言葉を掛けながら手を差し伸べてくる。

 夜光はその手を掴んで起き上がると何とも言えない表情を浮かべた。


(その分大変だったんだけど……)


 この世界の住人は一様に魔力を保有し、それによって無意識下で身体能力を向上させている。その気になれば子供が剣を持つことだってできるという。

 対して夜光は魔力を持たぬ身。故に剣を持つにはまず筋力などを鍛える必要があった。

 

 そういう訳でまず最初にクロード大将軍が行ったのは徹底的な基礎練習であった。

 走り込みから腕立て、果ては実剣の素振り。これを休憩時間と睡眠時間を除く時間全てを使って行った。

 夜光は体育会系ではなかったこともあり、当然ながら途中で疲れ果ててしまう。けれどそこでカティアによる回復魔法で筋線維を治したり、あるいは疲労を消すことで強引になんとかしてしまった。

 これによって確かに身体的には問題なかったが、精神的な疲労まではどうしようもなかったが……夜光は耐え忍んだ。

 力を得ることは必要事項、故にやり抜くという強い決意の元――努力に努力を重ねた。食事が喉を通らない日などざらにあり、食べても吐いてしまうこともしばしば。陽和はもちろんのこと、新や明日香にも心配され、夜光を嫌う勇ですら憐みの視線を向けてくるほど訓練の日々は苛烈であった。


 そうしてあっという間に三週間がたち、ようやく剣技を学べる段階までやってきたのである。


「ヤコウ殿、まだやれるか?」

「……夜光でいいですよ。それとまだやれます」


 クロード大将軍は訓練において甘えや手抜き、手加減といった類のことは一切行わない。夜光が素人であろうが国にとって重要な勇者の知人であろうが容赦なしである。

 その苛烈な訓練にはクロード大将軍の元で鍛え上げられたであろうエルミナ兵士たちですら同情の視線を投げかけてくるほどだったが、夜光としてはありがたいかぎりだ。


(確かにきつかったけど……こうでもしなかったら剣なんて重い物、振るえなかっただろうからな)


 初めて本物の剣を握った時は持ち上げることすらできなかった。しかし三週間の訓練を経た今ではクロード大将軍と打ち合うことすら出来るようになった。

 と言っても、クロード大将軍が夜光に合わせて剣を振るってくれているおかげであるが。


「ハァアッ!!」


 夜光は感謝の念を抱きながら拾い上げた剣を以って再びクロード大将軍に切りかかるのだった。



 *****



 その日の夜は星空が良く見えた。

 拠点における明かりは松明や焚火程度で、だから少し離れた場所からは夜空満天の星々を見ることができる。


「綺麗だな……」


 食事を終えた夜光は現在、自分の天幕から少し離れた位置で夜空を見上げていた。

 そして元の世界では見たことが無いほど美しい光景に思わず呟いていた。


(……明日からはいよいよ大物に挑むことになった)


 皆で焚火を囲んでの食事の際にクロード大将軍から告げられたこと。それは最後の一週間でB位階の魔物に挑むという内容であった。


(ようは訓練の総仕上げ、最後の試練みたいなものか)


 今回の実践訓練の期限は一か月。残り一週間しかない。故の決断、判断ということだろう。

 陽和や新、明日香はそれを聞いて緊張を顔に浮かべていた。無理もないことだ。初日ではそのB位階よりも低いC位階の大鬼を相手に危険な目にあっているのだから。


(そういえば勇の奴、様子がおかしかったな)


 緊張に包まれる勇者の中でただ一人、勇だけが俯いていたのだ。ただ単に極度の緊張からくる行為と解釈することもできるが……。


(それにしては奇妙な雰囲気だったんだよな)


 と、夜光が回想に耽っている時だった。


「ん、あれは……?」


 ガサッと茂みをかき分けるような音が耳朶に触れ、そちらを見やった夜光の視界に何者かの姿が映り込んだ。暗闇であるため誰なのか判別がつきにくいが、どうやら二人組のようだ。


(あの背丈……勇たちのいずれかだろうな。けどこんな時間に二人だけで森に?)


 夜のベーゼ大森林地帯は魔物の天下だ。大軍であっても入り込むのすら躊躇われるというのにたった二人だけでは無謀とすら言える。

 故に夜光はそのまま放置は不味いと判断し――躊躇う。


(どうする、誰かを呼んでから行くべきか?けど……)


 呼びに行く間に奥まで行ってしまう可能性があったし、この状況下でないとは思うがの可能性もある。後者であれば大勢で押し掛けるのは躊躇われるところ。


(……俺一人で行くか。その方が魔物が現れる前に引き留めて連れ帰れるだろう)


 夜光はそう決断すると、腰に帯びていた剣がきちんとあることを確認してからそっと謎の二人組の後を追い始めた。


(どこに行くつもりなんだ……?)


 かき分けて進んだことで斜めになっている草を目印に追いかける夜光は怪訝そうに眉を顰めた。

 二人組の進行方向は東――しかしその方角には〝大絶壁〟と呼ばれる南大陸を縦断する巨大な大地の割れ目があるだけだ。

 どういうつもりで二人組がそちらへ向かっているのか、想像しながらも歩を進めればやがて声が聞こえてきた。


「……へ……の?」

「も……から……」


(この声って……まさか)


 聞きなれた声の人物に思い当たった夜光は、驚愕と懸念からくる焦りを覚えて歩く速度を速める。そうすれば前方に開けた場所が見えてきて、そこに立つ二人の姿を認めることができた。


(勇に……陽和ちゃん!?なんでこの二人が……)


 勇が陽和に対して向けている強い感情を察している夜光は心配になったが、状況を良く確認せずにいきなり踏み込むのは不味いと判断して近くにあった木陰に身を潜めた。

 それからゆっくり頭を上げて正面を見やれば何やら緊張した様子の勇と陽和の姿を視界に捉えることができた。

 どちらも緊張した様子ではあったが、その色合いが違う。陽和が困惑とかすかな恐怖を漂わせてるのに対して勇は思いつめた雰囲気を滲ませている。


(どうやら関係ではないらしい)


 分かってはいたことだが、こうして改めて確認すると安堵が零れるものだ。しかし、それは聞こえてきた声によって霧散する。


「陽和さん、夜光からは離れるべきだ。それが互いの為にもなる」

「……どうしてそんな事を言うのですか」

「夜光は弱い。僕たち勇者とは比べ物にならないほどにね。それはキミだってわかっているだろう?」

「それは……そうかもしれません。でも夜光くんは頑張っています。頑張って私たちに追いつこうとしてる。だからいつかは――」

「そんな日はこないよ」


 陽和の言葉を両断した勇の様子は明らかに変だった。平時の時とは違う、異様な気配を纏っている。


「来ないって……なんでそう言い切れるのですか」

「あいつには固有魔法がない。それどころか魔力すらないじゃないか。そんな奴がいくら努力したって絶対に追いつけはしないだろう。いつか超えられない壁に当たって挫折するだけだ。だったらその前に突き放して安全な王都に居てもらう方が良いに決まっている」

「……でも、でも私は――」

「でもじゃないっ!」

「っ!?」


 なおも反論しようとした陽和を遮って勇が半ば叫ぶように言った。その声や浮かべる表情に異常を感じたのか陽和が怯えたように後ずさる。


「なんであいつを庇うんだ。なんであいつを頼るんだ!?僕の方が強いのに、僕の方がこんなにもキミを――」

『グルル……』

「「っ!?」」


 勇が陽和に迫り、そのあまりの強引さに夜光が止めに入ろうとした時だった。

 獣のような唸り声と共に、一体の魔物が陽和の背後の森から姿を現した。

 

(こいつは――地竜アースドラゴン!なんでこんなところに!?)


 己が記憶を探って魔物の正体を悟った夜光を息を呑んだ。

 まるでトカゲが巨大化し、ワニと同化したような風貌を持つその魔物の名は地竜。竜種の中で最も下位の存在ではあるが、その凶暴さと鋼鉄のような鱗に覆われているという驚異的な防御力からA位階に指定されている危険な魔物だ。


(ふざけるなよ、B位階どころの話じゃないぞ!)


 驚愕と焦燥、恐怖から目を見開く夜光だったが、地竜が眼前で立ち尽くす陽和たちの姿を認めて咆哮した。


『グルアァアアアアアッ!!』

「っ、くそっ!」


 あまりにも唐突な展開に固まっている陽和たちに襲い掛かる地竜を見た夜光は木陰から飛び出した。その際拾った石を地竜に向かって投げれば、偶然にも額に当たって注意を引くことに成功する。

 その隙に夜光は陽和と地竜の間に割り込んで剣を抜き、油断なく地竜を睨みつけながら口を開いた。


「陽和ちゃんは行くんだ!こいつの位階はA。俺たちの手には負えない!」

「や、夜光くん!?で、でも――」


 陽和が何を逡巡しているのか、瞬時に理解した夜光は続けざまに言葉を発する。


「逃げるんじゃなくて助けを呼んできてほしいんだ。頼む、陽和ちゃん!」

「っ、わ、分かりました!どうか気を付けて!」


 夜光の鬼気迫った物言いに気圧されたのか、弾かれたように陽和が走り出した。

 その背を見て本能が刺激されたのか、追いかけるそぶりを見せた地竜に剣先を向けて夜光は牽制する。


「おい、勇!突っ立ってないで手を貸せ!」

「な、なんだよいきなり出てきて!さっきの話も聞いてたのか!?」

「そんなことは今重要じゃないだろ!お前勇者なんだろ。時間稼ぎくらいできるだろうが」

「はあ!?お前さっき僕たちの手には負えないって言ってたじゃないか。逃げた方がいいだろ」

「今すぐ逃げたら陽和ちゃんが危ないだろうが!彼女が逃げるまで時間を稼ぐんだよ。そんなことも分からないのか?」


 夜光が挑発的に言えば、勇はいきり立ったのか腰に差した剣を抜き放った。

 正直に言えば夜光も陽和に対する勇の言動に腹が立っていたが、今はそれどころではない。

 故に夜光は怒りを抑えて誘導することにした。


「お前、俺のことが嫌いなんだろうが今は協力しろ。陽和ちゃんを無事に逃がしたいって思いだけは同じはずだろ」

「…………分かったよ、今だけ協力してやる」


 上から目線の物言いにまたしても怒気が沸き上がってくるが、共闘という流れに持って行けたので反駁せずに無言で剣を構える。すると勇も夜光の隣に立って剣を構えた。

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