七話

 神聖歴千二百年一月二十日。

 エルミナ王国東方ベーゼ大森林地帯前。


 温かな馬車から降りてみれば、冷たい冬の風が肌に突き刺さった。周囲を見渡せば兵士たちが陣地の構築を始めていて、正面を向けばどこか不気味さを感じさせる森林が広がっている。


「ここが……ベーゼ大森林地帯か」


 夜光の呟きは薄暗い森林に吸い込まれた。木々が生い茂り、先の見えない世界――だからだろうか、夜光は思わず身震いをしてしまう。

 そんな彼の後ろでは同行者たちが馬車から降りて、同様に不安げな表情を浮かべている。


「ここってどこなの?」

「明日香……話を聞いてなかったのか?目の前に広がっている森林の名はベーゼ大森林地帯。魔物の生息地で今回俺たちが修行する場所だぞ」

「そうなんだ!?知らなかったよ~」

「お前なぁ……」


 明日香と新の会話はどこか間抜けで、それ故に夜光たちの笑いを誘った。


(明日香は気が利くな)


 元の世界に居た頃から彼女はそうであった。緊張する時、気まずい時などにあえて場違いなことを言う。今回のように時として自らの価値を落としてでも場を和ませるのだから本当に凄いと夜光は思っている。


(誰にでもできることじゃない。……少なくとも俺には無理だ)


 夜光の中で明日香の評価が上がっている時だった。


「諸君らに通達する」


 離れていても尚、耳朶に触れる声。

 覇者の声音に誰もが視線を集中させる場所には一人の青年が佇んでいた。

 

「陣地構築、小休憩を挟んだ後、五十を陣地防衛に残して出立する。初日は奥まで立ち入らずに入り口付近での演習とする」

『はっ!』


 百の兵士が一斉に応じるさまは圧巻であった。


「凄いな……なあ、勇。お前もそう思うだろ?」

「…………」

「勇?」

「……あ、ああ!僕もそう思うよ」


 話しかけた新にどこか上の空で応じる勇の姿に夜光は首を傾げた。


(……妙だな)


 思えば勇は馬車に乗った時からやけに静かであった。普段は率先して会話に参加するのに、王都からベーゼ大森林地帯までは何かを考えている様子で、言葉少なであった。

 何を考えているのか……陽和の事もある為、夜光は警戒心を強める。


「いよいよですね、夜光くん」

「うん、そうだね……」

「頑張りましょうね」

「……俺は頑張ろうにも何をすればいいのやらだけどね」

「あっ……ご、ごめんなさいっ!」


 皮肉げに言う夜光に陽和が慌てて謝罪を口にする。

 別に陽和が悪いわけではない――と告げようとした時、カティアが声をかけてきた。


「ヤコウ様は知恵をお使いになればよろしいのですよ」

「知恵……ですか?」


 と陽和が首を傾げれば、カティアは首肯した。


「ヤコウ様はヒヨリ様が魔法の訓練をされている間、毎日図書室でこの世界に関する情報を集めておられました。その中にはベーゼ大森林地帯のことや魔物のことも含まれています」


 カティアが言外に何を言いたいのかを察して夜光は恐縮した。


「いや、俺は別に……焼き付け刃の知識ですし、カティアさんには到底及びませんよ」


 教師という職に就いている彼女の方が知識量でも理解度でも格段に上であることは間違いないだろう。故に自分はたいして役に立たないと告げたわけだが、それでもカティアは首を横に振った。


「確かにそうかもしれませんが、私は皆さまにご教授するという大役がありますし、周囲にも警戒しながら行かなければいけません。そのような状態ではきっと説明がおろそかになってしまう。だからヤコウ様から勇者の皆さまにこの地のことや、現れた魔物の事を教えて欲しいと考えています」


 そこまで言われてしまえばこれ以上の恐縮はかえって失礼であろう。

 そう考えた夜光は頷きを見せた。


「わかりました。……でもそこまで危険なんですか、ここは」

「書物を読まれたのであればご存じかと思いますが……?」

「情報として知っていても、現実にどうなのかまでは分かりませんからね」


 よくある話だ。情報として知っていても現実にどのようなものなのか理解はしていない。知ると理解は似ているようで違うのだ。

 このような初歩的な事柄を教師であるカティアが知らないはずもなく、彼女は頷いて口を開いた。


「それもそうでしたね。……まだ出立まで時間があるようですし、おさらいもかねてベーゼ大森林地帯と魔物についてお話しましょう」


 と、カティアは新たちも呼んで説明を始めた。


「まずは魔物について。魔物はいくつかに区分されているということはご存知ですよね?」

「ええ。危険度でFからSSまでの位階レートに分けられている……ですよね」

「その通りです」


 数多くの種類が存在する魔物を大きく区別するときに使われるのが位階である。

 最も危険度が少ないF位階は夜光たちの世界では野良猪などが該当する。最も危険度が高いSS位階は該当するものがなく、A位階で戦車と同じくらいの危険度であると夜光は考えていた。


「FからBまでは冒険者でも対応できるでしょう。けれどAからはそうはいきません」


 A位階が現れたのであれば一国の軍隊が掃討に向かわねばならず、S位階に至っては少なくとも一個師団(一万程度)で挑まねば勝利はおぼつかないとされる。


「SS位階は……国が亡びる覚悟をしなければなりません」


 二百年前の魔物の大侵攻の折、いくつもの国家を滅ぼしたのがSS位階に位置付けられた魔物たちである。彼らは多国籍連合軍、他種族連合軍を以てしても倒すことは叶わなかったという。


「え、じゃあどうやって倒したの?」


 という明日香の問いに、夜光が答えた。


「〝王〟たちと彼らが各種族に授けた〝神剣〟によってだよ」


 図書館でカティアの口から出た〝神剣〟という単語が気になり、調べていた夜光であった。

 

 圧倒的な力を有するSS位階の魔物を討伐すべく、〝王〟たちは己が力を以って武具を創り各種族へと下賜した。それが〝神剣〟と呼ばれる物である。


「選ばれた者しか持つことを許されないという制限はあるけれど、その縛りを補って余りある力を〝神剣〟は持っていた」


 所持者は超常の力を得ることができ、その武力は一軍をも凌駕するほどであったという。

 その圧倒的な力を以って〝神剣〟所持者たちは各国各種族を率いて〝王〟と共にSS位階へと挑み、討伐に成功する。

 しかし一部のSS位階は逃走し、世界のどこかへと姿を消したという。


 とここまで説明した夜光はふとある可能性に至って息を呑んだ。


「カティアさん……まさかとは思いますが」


 何故カティアがベーゼ大森林地帯の説明の前にこのような話をしたのか。それは――、


「ベーゼ大森林地帯に――その逃げたSS位階が居るんですね?」

「察しが良いですね、ヤコウ様。その通りですよ」


 これには話を黙って聞いていた勇たちも息を呑んだ。

 それもそうだろう。何せそのような危険な存在が居る場所に今から入っていくのだから。


「大丈夫なんですか?」

「問題ありませんよ、ユウ様。そもそもSS位階がこの地に逃げ込んだというのは伝承――噂のようなもので、二百年間姿が確認されていませんから」


 勇の不安を一蹴したカティアは夜光たちの顔を順繰りに見回す。


「とはいえS位階の魔物の生息は確認されています。私が言いたいのはそれほど危険な場所に足を踏み入れるということを理解しておいてほしいのと、だから油断はしてはいけないということです」


 異世界にきてから未だ実戦経験のない夜光たち。魔物の姿を見たこともなければその脅威もうっすらとしか理解できていない。

 加えて夜光を除く勇者たちは強大すぎる力を得ている。圧倒的な力は時として人の目を惑わせる。それは慢心や油断という形で表れてしまうことだろう。

 故にカティアはここで釘を刺しておこうと考えたのだろう。自らの力を過信せず、警戒を怠ることなく慎重に行動してほしいと促している。

 

 その心遣いに感謝しつつ皆が了承の意を示す中で、勇だけが曖昧な返事をしていた。

 わかりました――と口では言いつつもその顔は納得の色を浮かべてはいない。


(なんか様子が変だな……?)


 そう思った夜光は新に相談しようとするも――クロード大将軍の号令が聞こえてきたことで断念した。


「時間だ。予定通り出立する」


 簡素簡潔――されど兵士たちの士気は爆発的に上昇した。

 

 こうして夜光たちはクロード大将軍を先頭に、士気の高い兵士たちに囲まれて魔境へと足を踏み入れるのだった。

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