六話
あてがわれた部屋では既に出立の準備が整っていた。夜光付きの侍女が旅支度を済ませていたのだ。
これによってやることがなくなった夜光は、せめて知識だけでもとベーゼ大森林地帯に関する書物を読み漁ることにする……。
……ガタガタと窓が揺れたことで、夜光は書物から顔を上げて外を見やる。先の見えない暗闇が広がる外では吹雪が威勢よく暴れまわっていた。
(もうこんな時間か……)
読書に気を取られていて気づかなかったが既に夜――それもかなり遅い時間になっていた。
(寝よう。明日は早いみたいだし)
魔物との実戦――ベーゼ大森林地帯へ向かうのは早朝だと聞いている。侍女が起こしてくれるから寝坊の心配はないのだが、万が一体調不良にでもなったりしたら目も当てられない。
故に夜光は就寝を決め、寝台へと向かう――が、不意に扉が鳴ったことで足を止めた。
「どなたでしょうか?」
扉に向かって声を投げても返答はない――否、かすかにだが声が聞こえた。
「……夜光くん、私です……陽和です」
「陽和ちゃん?こんな時間にどうしたんだい?」
夜光は首を傾げながら扉に向かい引き開ける。
するとネグリジェに身を包んだ陽和が立っていた。
「あの、私……えっと、その…………夜光くん?」
言葉に詰まっていた陽和だったが、硬直した夜光の状態に気づいて小首を傾げた。
夜光が硬直した理由は簡単だ――陽和が煽情的な格好をしていたからである。
ゆったりとしたワンピース型のネグリジェは生地が薄く、その下に着用している下着が見えてしまっている。無論張りのある肌も見えていた。
幼さが残る顔立ちと大人びた服装――相反する属性が生み出す背徳感にも似た色香を陽和は発してた。
「あの……夜光くん?」
「――っ!?あ、ああ、何の用かな陽和ちゃん」
二度目の呼びかけでようやく我に返った夜光はそう尋ねた。
すると陽和は何か言いたげに手元に目線を落とした。
普段とは違う雰囲気を醸し出す陽和に、なにか大事な話があるのだと察した夜光は「とりあえず中に入りなよ」と彼女を室内へ招き入れる。
それから窓際にある机に向かうと壁際に置かれていた椅子を一脚持ってきて陽和を座らせた。
「水しかないけどいいかな」
「え、うん……ありがとうございます」
夜光は冷却魔法が掛かっている水瓶から水をすくうとコップに移して机に置いた。
それから自分も椅子に座って陽和と向かい合う。
「…………」
「…………」
しかし陽和は一向に話す気配がない。内気な性格とはいえ、今まで夜光と一対一の時にはこのようなことはなかった。
けれども今は状況が状況だ。それに七日間もろくに会話していない。
後者は自分の所為でもある。故に夜光は自分から会話の糸口を生み出すことにした。
「訓練の方はどうだい?上手く行っている?」
「えっと、その……はい。カティア先生は優しいし、明日香さんとか新さんも気を遣ってくれてます」
挙げられた顔ぶれの中に勇の名前がないことで、ある程度状況を察した夜光は心配になって尋ねた。
「……勇の奴が何かしてきたのか?」
「……少しだけ、ですけど」
と前置きしてから陽和が話始めた。
それによるとどうやら勇は夜光がいないのをいいことに陽和に対して何度も接触しているらしい。
やれ「夜光がいないから僕が代わりに守るよ」だとか「夜光は何の力もない。でも僕なら――」とか言ってくるという。
(……普通に気持ち悪いな)
これが両想い、あるいは僅かにでも気があるのなら問題はなかっただろう。しかし勇のことを語る陽和の表情が恐怖と困惑に彩られている以上、それはない。
(一方的な好意は行き過ぎると害悪でしかないからな)
想っているだけなら問題はない。けれどその想いを態度や言動で表してしまうのは駄目だ。ただ相手を不快にさせるだけなのだから。
「明日夜光くんが来るって新さんが言った時も『あいつがきてどうするんだ』とか『なんの力もない奴は足手まといにしかならない』って言ってて」
「そっか……」
正直腹が立つが自分に特別な力がないのも、足手まといにしかならないというのも事実だったため反論できない。感情に身を任せて言ってもいいが、庇護すべき陽和の前でみっともない姿は見せられない。
だから夜光は嘆息を一つして気持ちを整えてから口を開いた。
「……確かに俺には何の力もない。だけど――それでもついて行くよ」
新に言われて気づき、そして決意したのだ。自らの力量不足を言い訳に誓いを疎かにはしないと。
親友である蓮が帰ってくるその時まで陽和を守る。それが親友との友情の証だと信じて。
なにより――陽和と過ごした日々を経た今では親友への想いだけでなく、彼女だからこそ守ってあげたいと思うようになっている。
これがどのような想いに基づくものなのかはまだ分からないが……。
「……陽和ちゃんは迷惑かな。俺がついていくことに」
「そ、そんなことありませんっ!夜光くんが一緒に来てくれるの、凄く嬉しいです」
首を振って語気を強めた陽和の様子に一瞬だけ驚いたが、そういう風に素直な好意を向けられるのは悪い気持ちではなかった。
「……ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
そして訪れる沈黙――されど決して居心地の悪い空気ではなかった。
温かみのある、穏やかな時間が流れる。
ふと、窓を叩く吹雪が耳朶に触れたことでその時間は終わりを告げた。
「……もう夜も遅い。明日は早いから今日のところは解散にしようか」
「そう、ですね……」
陽和は名残惜しそうだったが、それでも夜光の言が正しいと判断して席を立つ。
扉を開ければ彼女が廊下に出る。夜光も共に廊下へ出た。
「……夜光くん?」
「部屋まで送るよ。城内は安全だろうけど、陽和ちゃんのその姿じゃ万が一があり得なくもないからね」
お世辞抜きにしても陽和は美人だ。夜という状況、加えてネグリジェという薄着姿では危険があるかもしれない。
そう心配しての発言だったが、陽和はどのように受け取ったのか頬を赤らめて俯き、小さく首肯した。
「では、お、お願いします……」
「?うん、行こうか」
よくわからない反応に首を傾げながらも夜光は陽和と共に歩き始める。
……そんな二人の様子を廊下の暗がりから見つめる人物がいた。
嫉妬と憎悪に塗れた瞳――されどその視線に二人が気づくことはなかった。
*****
翌日。
連日降っていた雪が止み、厚雲の隙間からは陽光が差し込んでいる。
朝日に照らされる中で、夜光たちは王城グランツの正門前に集合していた。
「夜光、来てくれて助かったよ。陽和ちゃんも嬉しそうだ」
大勢の兵士たちに囲まれていた中から抜け出した新が、所在なさげに佇んでいた夜光に話しかけてきた。
「他の連中はそうでもないみたいだけどな」
と夜光が自嘲気味に言えば、新は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「陽和ちゃんだけじゃない、俺や明日香もだ。他の奴らは……すまないな」
「……別にお前が悪いわけじゃない。謝る必要はないさ」
「そう言ってもらえると助かる」
とここで不意に新が顔を上げて王城の方を見やる。
突然の挙動に驚きながらもつられて王城を見やれば、二階の一室――
「誰かいるな……あの人がどうかしたのか?」
「そうか、夜光は魔力がないから視力が強化されてないんだな」
魔力を持つ者――すなわちこの世界に生きる者たちは無意識化で五感や身体能力を魔力で強化している。
それは新たち勇者も同様で、しかも彼らのように体内保有魔力が高い者はより五感や身体能力に優れている。
つまり夜光の眼では捉えられなくとも、新の眼では捕捉できているということだ。
「あそこでこちらを見ているのは、シャルロット殿下だ」
「シャルロット殿下って……確か第三王女の?」
エルミナ国王には実子が何人か存在する。
異世界召喚初日に会ったオーギュスト・ヘレンニウス・ド・エルミナ第一王子。
現在は北方の視察に赴いているというルイ・ガッラ・ド・エルミナ第二王子。
支持を受けている貴族の領地に留まっているアレクシア・ユリウス・ド・エルミナ第一王女。
病弱のため王城に籠りきりとなっているセリア・ネポス・ド・エルミナ第二王女。
そして今こちらを見ているという女性がシャルロット・ディア・ド・エルミナ第三王女だ。
「俺たちは二日目に王族――オーギュスト第一王子とシャルロット第三王女に会っている。だからあそこにいる人が誰だかわかったわけだが……いつ見ても綺麗な人だぜ」
「そうなのか?」
直接あったこともなければ姿を見かけたこともない夜光は疑問符を浮かべる。
それを察した新は頷きを以って返した。
「ああ、とてもな。この世界じゃ割と有名らしいぜ。〝王国の至宝〟なんて呼ばれてるくらいだからな」
「ふぅん……」
男の性故か一瞬興味が湧いた夜光であったが、自分には関係のない人物だと思い直ぐにどうでもよくなった。
勇者ではない自分が目通りを許されるはずもないと考えたからである。
「それよりも出立はまだなのか?ここにきてから随分と時間が経ってるけど……」
「兵士の話ではもうすぐだそうだが――っと来たぞ」
王城の方から歩いてくる二人の人物に気づいた新がそう言えば、兵士たちも気づいて話を止め隊列を整える。
夜光もとりあえず新について行けば、陽和が嬉しそうにほほ笑んできた。そんな彼女に笑みを返して歩を進めると、今度は明日香が小さく手を振ってきた。
(流石にこの雰囲気じゃ明日香も静かにするか)
普段騒がしい明日香が静かなことに物珍しさを覚えながらも手を振り返す――と、その横に勇の姿を認めることができた。
「…………」
彼は夜光をちらりと一瞥してから不機嫌そうに顔をそむけた。どうやら新や陽和の話は真実らしい。
(苛立たしい奴だ)
冷たく接してくる相手に優しくしようと思わない夜光は勇を無視した。そして明日香の隣に並んだ新の後ろに立つ。
そして正面を見やれば、歩いてくる人物がアルベール大臣と年若い青年だということが分かった。
『クロード様だ……』
『〝王の剣〟ご本人だぞ……』
『なんでここに……?』
と、かすかなざわめきが兵士たちから漏れ聞こえてきたことで、夜光は記憶を探る。
(クロード……確か当代の〝王の剣〟だったか)
〝王の剣〟クロード・ペルセウス・ド・ユピター。
若干二十歳にして栄えある〝四騎士〟に抜擢された若き天才。
二つ名の由来となった神器〝王剣〟に認められた新しき英雄。
幾度となく北方に侵攻してくる魔物の軍勢を撃退してきた戦果を持つ。
そんな彼は茶髪の前髪を揺らしてアルベールの横に立っていた。
(なんて迫力だ……!)
彼――クロードから放たれる雄々しい覇気に夜光は気圧された。
軍人として、武人として引き締まった体躯は見る者を圧倒し、金の瞳は強い意志を感じさせる。
腰に差している剣はかの有名な〝王剣〟であろうことは間違いない。
「兵士諸君、静粛に」
クロードが放った言葉――若いはずなのにどこか熟練の老兵を感じさせる声に、場は静まり返った。
静寂が訪れた場で、続いて言葉を放ったのはアルベールであった。
「皆、おはよう。早速だが演習について説明しよう」
そうして始まったアルベールの説明は事前に聞いていた通りであった。
日程は一か月。
王都より北東に位置するベーゼ大森林地帯に向かい、そこに住まう魔物との実戦訓練。護衛として王都守備隊から百の兵士が付けられる。
と、ここまではあっていたが、その後に付け足された言葉は誰もが初耳だったのか驚きの声があちこちから漏れることになった。
「最後に、護衛としてクロード大将軍が同行することになったことを伝えておこう。ああ、もちろん教師としてカティア殿もな」
(だからカティアさんが居たわけか)
正門前に来た時からずっと用意されていた馬車――その横にはカティアが立っていた。大勢の兵士に囲まれていたため話しかけることは叶わなかったが。
(カティアさんは分かるけど……〝王の剣〟まで同行するとはな)
小声でざわつく兵士たちと同様に、夜光もまた驚きを得ていた。
〝王の剣〟であるクロードは平時は国家の要たる王都の守護に就いており、有事の際には近衛軍団などを率いて出撃する。
その有事とて余程の物でない限りは出張らない。
それほどの人物が腰を上げた――この意味は大きい。
(勇者たちを重要視しているというアピールか)
内外両方に勇者は重要であると示し、またそれほどの人物たちを手元に置いていると誇示する腹積もりなのだろう。強かだと感じるが、それくらいできなければ大臣は務まらないということだろう。
(勇者を直接的な戦力というだけで見るのではなく、政治的にも利用する。……厄介だな)
こういった人物に対抗できるほど夜光たちは大人ではないし、政治的な立場も持たない。
(このままだといいように使われることになる)
危惧を覚えるがどうしようもない。夜光は勇者ですらなく、その立場は非常に危ういのだから。
と考えていた夜光だったが、不意に視線を感じたことで思考を止めて顔を上げた。
すると饒舌に語るアルベールの隣から鋭い視線を投げてくるクロードと目が合った。
しかし、彼はこちらが気づくや即座に瞼を閉じてしまう。
(……なんだ?)
一瞬考えていることを読まれたかと思ったが、それはないはずだ。他者の思考を読める魔法は未だ確認されておらず、そのようなことができるのは文献に記されていた三種の神眼――〝人眼〟くらいなものだろう。
(初対面の相手を観察するくらい普通か)
だから夜光はそのように思うことにしてクロードへの思索を打ち切った。
そうこうしている内にアルベールの説明は終わっていた。
「では諸君、武運長久を祈る。無事にまたここで会おうではないか」
その言葉を合図に兵士たちが一斉に動き出した。
夜光たちも兵士に促されてカティアが待つ馬車に乗り込む。
内部は夜光の予想以上に広く、彼が窓際に座れば隣に陽和が座ってきた。
「夜光くん、頑張りましょうね」
「え?あ、うん。そうだね……」
和やかに会話を始める二人に、夜光の対面に座った勇は鋭い視線を向けるのだった。
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