五話

 エルミナ王国首都パラディースは千二百年もの歴史を持つ最古の都市の一つである。

 放射状に広がる街並みの中心に座すのは荘厳なる王城グランツ。

 改修工事が幾度もあったとはいえ永き時を経ても尚、その威容を曇らせるようなことはなかった。

 

 神聖歴千二百年一月十日。

 この日は朝から雪が降っていた。

 そこに風が合わさることでパラディースに住まう人々は家に引きこもり、都市は寒々しい気配に包まれている。

 しかし、そんな首都の様子とは無縁の場所があった。王城グランツである。

 様々な魔法によって冷気を遮断しており、温度は適温を維持していた。

 故に高官や貴族諸侯は普段通りに仕事を行っていて、王城内は人の声で溢れていた。


 だが、何事にも例外があるように王城の一角――北区画には静寂があった。

 そこは一階と二階の敷居を外した特別な空間で、内部には夥しい数の本が収められている。

 図書室と呼ばれる空間だ。ここには現在、複数人の司書と――夜光がいた。


「はぁ……」


 本棚の合間に置かれた椅子に座り、眼前の机に突っ伏して夜光はため息を吐いた。

 ため息を吐いた理由は明白で。


「……俺が勇者でもなければ魔力も持ってないだなんてな…………」


 七日前、この世界シュテルンに召喚された初日に明かされた事実は未だ夜光の胸に重くのしかかっていた。

 勇者でない――というのは百歩譲ってよしとしても魔力を一切持っていないというのは堪えた。

 何故ならその事実は夜光がそのあたりを歩いている一般人にすら敗北するということを意味していたからである。


「魔力は誰もが生まれ持つ力。それをこの世界でただ一人、俺だけが持ってないなんて」


 その事実がアルベールの言葉を否応にでも思い出させる。――あなたは我々が望んだ勇者ではない、召喚に巻き込まれた只の一般人だ――、


「はぁ……まあ、いつまでも引きずってても仕方のないことだな」


 と、夜光は気持ちを無理やり切り替えることにした。そして眼前の机に置いた無数の書物に手を伸ばす。

 現在、夜光が行っていることは元の世界に帰る方法を探ることと、この世界の地理や歴史を知ることだった。

 前者は召喚主であるエルミナ王国――アルベールが隠しているのでおそらく徒労に終わるだろうが、後者はこの図書室に収められている書物から知ることができる。この考えは当たりで召喚に関する情報はまったく手に入らなかったが、地理や歴史を知ることは七日間で十分にできていた。


「北東から魔物の侵攻、東からは大国の圧力か……」


 それがここ二百年間エルミナ王国が置かれている状況である。

 北東に位置するベーゼ大森林地帯と呼ばれる場所から無尽蔵に湧く魔物の侵攻、東には王国と同等の歴史を誇るアインス大帝国という国家があり、虎視眈々と王国の領土を狙っているという。


「一応はバルト大要塞があるから大丈夫だろうけど……」


 という夜光の呟きはこちらに向かってくる足音によって解け消えた。

 

「やっぱりここに居たのですね、ヤコウ様」


 神秘的な白き長髪を揺らす女性――カティアが現れた。

 穏やかな微笑は夜光の胸を浄化してくれるもので、彼は知らず笑みを浮かべていた。


「カティアさん、こんにちは。訓練の方は終わったんですか?」

「こんにちは。ええ、つい今しがたユウ様たちの訓練が終わったところです」


 この世界に召喚されてから七日間、夜光を除く勇者たちは毎日訓練を受けていた。それは通常魔法や固有魔法を扱えるようにするためのもので、カティア指導の元、実践と座学によって行われている。


 つまりカティアは忙しい――にも関わらず、彼女は訓練と座学の合間の僅かな休憩時間を削ってこうして夜光に会いに来てくれていた。


(俺のことを見捨てずにいてくれる数少ない人だ。……本当に感謝しかない)


 あの日以降アルベールやオーギュスト第一王子は夜光に会おうとはしなかった。それどころか王城内の人々も夜光の話が漏れているのかほぼ無視という始末である。


「今日は何か聞きたいことがありますか?」

「そうですね……じゃあ〝四騎士〟について教えてもらえますか。一応書物を読んで概要は分かっているんですけど、カティアさんから見た〝四騎士〟の実態を知りたいです」


 夜光が正面の椅子を勧めながら言えば、カティアはその椅子に座って応じる。


「ではまずヤコウ様が知った〝四騎士〟の概要について教えてもらえますか」


 そう言ったカティアは優しげな微笑を湛えたままだったが、その瞳には理知的な光が宿っている。

 教師然とした話の運び方に夜光は頷きながら応じた。


「はい、カティアさ――先生。……〝四騎士〟というのはエルミナ王国における武官の頂点に位置する四人の大将軍のことです」


 相手への呼び方を先生に直しながら夜光はスラスラと答え始める。

 

 四騎士。

 それはエルミナ王国に四人しか存在しない大将軍たちの呼称である。

 世襲制ではなく実力制で、その時々の王によって直接指名される。

 二つ名は〝王の剣〟と〝王の盾〟以外はその時指名された者の武勲によって決められ、守護領域もまた別々だ。

 

「彼らの内〝王の剣〟と〝王の盾〟の二名はその二つ名の元になった〝神器〟と呼ばれる特殊な武具を与えられ、一騎当千の力を得る。……どうでしょうか」


 と夜光が締めくくれば、カティアは我がことのように喜んだ。


「素晴らしいです、ヤコウ様!百点満点ですよ」


 美人に褒められて悪い気がしなかった夜光は恥ずかしげに眼を逸らした。

 そんな彼の様子にカティアが微笑みを浮かべながら口を開く。


「さて、ヤコウ様は概要をよく理解していますので今度は私が現在の〝四騎士〟についてお話致しましょう」


 そうして語り始めたカティア。

 彼女によれば、現在〝四騎士〟は〝王の盾〟が不在の状況らしい。二つ名の由来である神器〝王盾〟に適合する者がいないためである。


「〝王の盾〟以外の〝四騎士〟ですが、まず〝王の剣〟についてお話致しましょう」


 当代の〝王の剣〟の名はクロード・ペルセウス・ド・ユピター。

 若干二十歳にして〝王剣〟に選ばれ、王にも認められた傑物だという。


「彼は代々王家に厚い忠誠を誓うユピター家の長男で、現在はここ王都の守護を国王陛下より賜っています」


 王都――すなわち首都の防衛を任されるということは武人として誉れであろうことは間違いないだろう。そんな大任を任された男が自分と年が近いことに驚きを隠せない。

 と、夜光が強く興味を引かれているとカティアの説明は次の人物に移った。


「次の御方は実力だけで大将軍となった女傑です」


 その名はエレノア・ド・ティエラ。

 こちらも年若い二十二歳で、固有魔法や神器といった超常の類を一切持たない生粋の武人である。

 性格は生真面目で、現在は病に伏す国王の命に従ってエルミナ王国領土の秩序を保つべく各地を転々としているらしい。


「兵士の不正を許さず、果ては貴族諸侯の不正さえも摘発してみせた――そんな彼女についた二つ名は〝潔壁〟でした」


 清廉潔白――そのような性格は民衆には好かれるだろうが権力者には疎まれることだろう。だというのにその生き方を貫いているとすれば立派なものだ。


「最後は国王陛下のもっとも信厚いと言われているお方です」


 その男性の名はクラウス・ド・レーヴェ。

 四十二歳の老練な武人であり、若かりし頃は病に伏す前の国王と共に戦場に赴いたことすらあるという。

 それだけ聞けば気難しい武人なのだなと思うのだが、カティアの説明ではなんと軟派な性格だというから驚きだ。


「数多くの武功をたて〝征伐者〟の二つ名を持っていますから、直接あったことのない方はヤコウ様のように驚かれますよ」


 と、笑い声を漏らしながら言うカティアの説明は続く。


「クラウス大将軍は〝神剣〟の所持者であり、その武力と知略を国王陛下から認められ、現在は〝バルト大要塞〟の総司令官を務めていらっしゃいます」


 その言葉の中に夜光が聞きなれない単語があった。


(バルト大要塞については概要だけではあるけれど知っている。でも〝神剣〟って……?)


 疑問に思った夜光が尋ねようとした時――不意に第三者の声が耳朶に触れた。


「お二人さんの邪魔をして悪いが、そろそろ座学の時間だぜカティア先生」

「っ!?」


 驚く二人の眼前に突如として新の姿が現れた。

 まるでいきなり転移でもしてきたかのように、すっと現れたのである。

 そして姿を見せた今でも驚くほど存在感が希薄――まるでのようであった。


「驚きましたよシン様。訓練でも見ましたが……もうここまで固有魔法をものにしているとは」

「固有魔法……確か〝絶影〟だっけか」


 新が持つ固有魔法――〝絶影〟エレボスは姿を隠す魔法だった。

 その力は今しがた見せた通りで、魔力の流れに精通するカティアですら見破れないほどのもの。つまり新がその気であれば、夜光たちは成すすべなく殺されていたであろうことは間違いない。


(恐ろしい魔法だ。暗殺者向きともいえる)


 と夜光が戦慄している内にカティアが立ち上がった。


「もうそんな時間ですか。……ではヤコウ様、後ほどお会い致しましょう」

「分かりました。頑張ってください」


 別れの挨拶を済ませたカティアが去っていく。

 その背を見つめていた夜光だったが、ふと新がまだ居ることに気づいた。


「……新?どうかしたのか?」


 その質問に新は気難しげに唸ると、やがて考えを纏めたのか夜光と眼を合わせてくる。


「これは言おうか迷っていたんだが……」


 という前置きになにやら不穏な気配を感じ取った夜光が身構える。


「明日からはベーゼ大森林地帯に向かうことになった。目的は魔物との実戦だ」


 俺たち――というのはおそらく夜光を除いた四人のことであろう。勇者である彼らには力があるが、単なる地球人である夜光には力などなく、また身を守る術などないからだ。


「……そうか。気を付けて行って――」

「お前にも同行して欲しいんだ」


 夜光の言葉を遮って新が言ってきた。

 一体どういうつもりなのか、感情的な勇ならともかく理性的な新がそのような発言をするとは……。

 疑問に感じた夜光を察したのか、新が機先を制して口を開いた。


「陽和ちゃんのことだ。ここ最近元気がない。訓練中もどこか上の空でいることが多い」

「それは環境の劇的な変化や魔法という超常の力に触れたことによるものだろう」

「それもある。が、一番の理由はおそらくお前だ」

「俺?」


 怪訝そうな表情を浮かべる夜光に新が真剣な眼差しを向けてくる。


「彼女は兄である蓮が失踪してから今までお前を頼ってきた――いや、言い方を変えよう」


 ここには二人だけだしな、と言ってから新が言葉を続ける。


「彼女はお前にしている。それはお前自身、よくわかっているんじゃないのか?」

「……それは」


 図星を突かれた夜光は咄嗟に何も返せない。

 僅かな沈黙――されどそれはどんな言葉よりも雄弁に物語っていた。


「……とにかく、そんな陽和ちゃんがこの七日間、ほとんどお前と接していないのは不味いと俺は思っている。お前にも責任感というものがあるのなら――来い。もちろん俺や明日香がフォローするし、王国から護衛が付けられる。お前に力がなくとも害が及ぶことはないさ」


 ここで勇の名前が出てこないあたり新はよくわかっている。勇が陽和に抱いている想い、それ故に夜光を快く思っていないことも。


(……そうだ。俺は一体何をしている?守ると誓ったじゃないか)


 親友である蓮が帰ってくるその時まで陽和を守り抜く。そう己自身に誓ったのはほかならぬ夜光自身だ。

 だというのに異世界召喚という非日常や、魔力を持たないという事実に圧倒されて陽和と距離を取ってしまった。

 

(つくづく自分が情けなく思えてくるな)


 自嘲気味の笑みを浮かべた夜光は胸中で想いを新たにする。

 それから立ち上がると真剣な表情で新の方を向いた。


「分かった、行くよ。何か準備する物とかあるか?」

「既にお前付きの侍女に旅支度を頼んである。彼女に言えばいいだけだ」

「……お前って本当、凄いよな」


 新の気遣いや先回りの行動に称賛の念を覚えた夜光はそう言うと図書室を後にする。

 その背を見送った新は呟きを一つ。


「……お前こそ凄いさ――夜光」


 そして〝絶影〟を発動し、音もなく姿を消すのだった。

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