鉄底海峡

受験終了 連載再開

諸事情により、弩級戦艦を『朝日』から『敷島』に設定変更します。

敷島型1番艦『敷島』のみが弩級戦艦ってことです。


久々の更新ですので、以下参照

戦史:https://kakuyomu.jp/works/1177354054891098184/episodes/16816452220059414815

登場人物:https://kakuyomu.jp/works/1177354054891098184/episodes/16817139556933027564

―――――――――





「司令、大本営より伝達です」

「くれ」


一枚の紙を、永野修身は秋山真之へ渡す。


「……はぁ」




発 枢密院戦争指導部

宛 戦艦打撃群・ルースキー附 秋山真之少将


 まずは十年前のことを、陳謝しなければならない。

 日清戦争以来、歴史は着実に変化し、戦場という一地域に限った出来事ですら、此方側が史実通りに動いたとしても相手側は史実通りの手を出さなくなった。もはや、史実は万能薬ではなくなってしまった。その萌芽は豊島沖で既に見えていたということ、その頃合いを見誤ったのは、ひとえに枢密院の責任であった。貴官、並びに貴官の当時の上官であった伊東大将への措置は過ちであったことを認め、枢密院議長伊藤博文の名を以て、ここに謝罪する。

 さて、皇國は敗北の危機に瀕している。聯合艦隊の反乱により、皇國の海上戦力は潜水・航空部隊からなる第四艦隊および貴隊のみとなった。妥協アウスグライヒに所属する貴官の、枢密院への懸念あるいは反感は頷ける。当然のことながら、東郷に従って背命することも視野に入れているかもしれない。そうなれば、枢密院としては敗北を甘受せざるを得ない。

 当然の報いではある。ゆえに、戦後の話をしよう。最悪の想定では、皇國はロシアによる占領統治に入る。この場合、ロシアに征服された諸国の先例に漏れず、既存の統治機構および権力は完全に解体され関係者は徹底的に処刑される。また、ソヴィエトの場合でも少なくとも皇族は全員処刑となるだろう。一方、ロシア側が皇國との無併合、無賠償による停戦を選んだ場合、皇國では革命が勃発する見通しだ。もはや此方に共産主義を弾圧する力は残っていない。怒りとアカに染まった民衆の手で際限なく、皇室や軍部を含む既存の権力は解体。関係者は処刑となるだろう。

 従って貴官におかれては、皇國の敗戦に際し、如何なる場合でもその身に危険が及ぶ。そのまま南洋方面に艦隊を進め、当面、帰国されないのが善いだろう。貴官の戦友諸氏には、遠い将来になるが、再び会えるように最大限便宜を図ろう。尤も、ロシアの占領下や革命下を、彼らそして我らが運よく生き残れたら、の話ではあるが。




「ほーん……意外といい奴じゃん」

「ぶっ」


秋山の呟きに、噴き出す永野。


「ほじゃ思っとらんねやろ!」

「さすがにわかるか」


永野の目にも本心ではないと映ったか、と秋山は笑う。


「んーでもなぁ。確かに俺は心底、東郷についてきたいって思ってる」


頬杖をつきながら漏らす秋山。

枢密院への復讐心は、十年経っても押し殺せないのだから。


「ほんなことしはろうなら、おいが縊りますなもし」


永野修身は一通り笑って、それから居直る。


「私が忠誠を誓うのは皇國です、秋山司令」


窮屈な標準語ながら、泰然と言い放つ永野。

秋山は首を振る。


「あぁわかってるさ。反乱しようものなら、きっとお前が止めるだろう。お前も俺自身も、俺一人の復讐に艦隊全体数千人を巻き込むことは許さないしな」


それに、と彼は続けた。


「……あんなに皇國に尽くした姫様が死ななきゃならんのは、癪に障る」


どの場合でも皇族は皆殺しになる。

ロシア帝国は旧支配層に容赦しないし、ソヴィエトや革命民衆なら一層だ。

報われぬどころか理不尽にも罰される。手の届かない場所で、無力に傍観することしかできない――豊島沖の二の舞か。


彼は有栖川宮に、伊東司令の影を重ねていた。

もうごめんだ。あんな思いは、うんざりだと。


「司令」

「あぁ。わかってる。枢密も俺が実際反乱するとは端から思っちゃいないさ」

「いえ、あの」

「響灘を突破するときに陸軍と連携しようとしただろ。枢密は多分、その時に察したんだろうな。あくまで俺は東郷には従わないと」

「ほぉじゃなく!」


司令室をグルグルし始めた秋山の足を止めて、永野は言った。


「続き、ありますよ」


電報紙の二枚目を手にして、彼はため息をつく。




 以下は、不要なら破棄しても構わない。もし貴官が、すべてをなげうっての復讐より、安寧を選ぶのなら――皇國の防衛を提案する。皇國が消滅しなければ、戦後の安全は保障される。聯合艦隊の叛乱に際し枢密院戦争指導部は、残存する海軍艦艇の総力を以て、皇國海軍総隊を結成。これにバルチック艦隊の迎撃を命じた。

 貴官の率いるルースキー附がここに加わることを枢密院としては願う。希望があれば、貴官に用意も出来ている。しかし、貴官が何を選ぼうと、枢密院は甘受するのみである。如何なる報いも覚悟は出来ている。

 貴官の武運長久を祈る。




「上手いよな。言いかたが」


腐っても維新の英傑か、と秋山は笑った。


「で、どうするんですか。司令」

「そもそも、こんな電報おどし寄越される前から決めとるわ」


宿毛湾を見据える。

鈴木貫太郎の率いる水雷戦隊が見えた。


「皇國海軍総隊、司令の任を拝命する」


聯合艦隊に代わる、皇國最後の砦。

秋山は背を伸ばした。



「これより本隊は水雷戦隊と合流。琉球方面へ突入し、敵艦隊を迎撃する」



永野は思わず微笑む。


「……ふふ。何より。随分急な話ですが、用意はあるんですか?」

「とぼけるな。随分前から俺らで練ってるだろう」

「はて?」

「迎撃は。よって直ちに一号を発令準備――『天一号作戦』。」


頷いて、永野は司令室を飛び出した。

ひとり残された秋山は息をつく。


「構想通り、三段構えでやるしかない」






・・・・・・

・・・・

・・






明治38(1905)年5月26日



ロジェストヴェンスキーは甲板に往立していた。


「我らは、世界最強の艦隊である!」


波風荒れる南シナ海。

洋上に伸びる38のウェーキ。


「戦艦11を基幹としたこのバルチック艦隊に敵う艦隊は、大英帝国といえとも用意できん!」


版図が広大な大英帝国の海軍は分散を強いられるからだ。当然それは同じく広大であるロシアもそうであったわけだが――。


「我らがロシアは、持てる海軍の総力を一年かけて極東へ集結せしめた」


この海峡に差し掛かる艦艇総数、優に38。

黒海戦域を除き、ロシア帝国が振り絞れる最大の海上打撃戦力だった。


「さて、陸上の話をしよう。彼我の満州における戦力差は6倍以上。ゆえに敵は決死の反攻に出たものの、残るすべての戦力をつぎ込むしかないようだ」


口角を上げて、甲板の木目に杖をガッと突く。


「連中に、後方を守る兵士など一人たりとも残っていない。丸裸なのだ。したがってこれから我らが叩くのは――敵の補給線の根っこ、大連ダルヌィー。」


揺れる艦上。傾く西日。

皇國海軍による補足を警戒して、艦隊は夜間に台湾海峡を突破する腹積もりだった。


「港湾機能も物資集積施設も一極に集中する大連へ艦砲射撃を加える。補給線が機能不全となれば、敵の狙う短期決着も難しくなる」


彼は語気を強め、海兵たちを引き締めようとした。


「艦砲射撃後、敵の抵抗が弱ければ海兵のみで上陸を行い、大連を奪回する」


皇國陸軍の戦力は全て前線に出払っており、補給線を奪回する戦力も、時間もない。


「そこまで至れば、敵も降伏を免れまい!」


わっ、と盛り上がる水兵たち。

しかし、その振る舞いにはどこか余裕があった。


「英国が相手ならともかく」

「相手は……アジアの、三流国家だろ?」


その様に若干の不安を抱きながらも、彼は続ける。


「そのためには、我々の前に立ちふさがる敵艦隊を叩き潰さねばならん!」


「提督!」


ひとりの水兵が手を挙げた。


「なんだ」

「敵は、鋼鉄艦を持っているのでありますか?」


どっ、と甲板に笑いが沸き起こる。


「……情報には、敵は8の戦艦を保有している、とある」

「敵は独力で近代船舶を扱えるのでしょうかね?」


おどける彼らに肩をすくめるロジェストヴェンスキー。


「あまり甘く見ては、手痛くやられるかもしれんぞ」


そう言い残して踵を返すバルチック艦隊司令の頭にも、どこか余裕気はあった。


(所詮、アジアの黄色人種。中国人の成り損ないだしな)


溜息と共に振り返れば、甲板で平然と煙草を吹かす水兵たちが見えた。


(ただ……あの英国が選んだ相手というのは、気がかりだ)


バルチック艦隊を茜色に焦がす、水平線に沈む夕陽。

日没とともに、艦隊は台湾海峡へ突入した。






長い長い夜が、始まったのだった。






深度30メートル。

待ち伏せる艦影を、当然ロシア軍は見つけることが出来ない。


「敵艦隊、全部が射程に入りました」

「よし」


ハワイ以来、数多の海を潜り続けた狼。

広瀬武夫は一息命じた。


「魚雷斉射」


ゴォォオォオ――……。


24の雷跡が海洋を辿る。

一撃目。


遠くに小さく灯る煙草の火が、爆ぜた。


「シュノーケル上げよ。潜航したまま戦隊散開」


必中少なくとも10。

潜望鏡で確認しつつ、広瀬は叫ぶ。


「袋叩きにしてやれ!」





轟音。





「な、なんだ!?」


寝間着姿で仮眠室を飛び出したロジェストヴェンスキー。

眼下、艦隊の有様に息をのんだ。


(水雷戦隊の夜襲か!)


闇夜に浮かぶ炎。爆炎こそ見えないが高く上がる水柱は、艦隊が雷撃を受けつつあることを示していた。彼は艦橋へ一直線に駆け出す。


「すぐに輪形陣を取れ!」


司令室に駆けこんで第一声。

大佐のネボガドフはすぐに返答する。


「既に取っております!」

「戦艦は絶対に護れ、魚雷を当てさせるな!」


声音とは裏腹に、ロジェストヴェンスキーはそれほど焦ってはいなかった。


(こちらには戦艦の副砲が健在だ、水雷戦隊の撃退はたやすい)


そう考えていたからこそ、敵の雷撃はこれっきりだと思った。留まって戦っても、重装甲の戦艦のハリネズミのような副砲を向けられては、水雷戦隊では勝ち目がない。だからこそ初撃の一発で奇襲し、こちらに幾分かの小破や中破を強いて、反撃されないうちにすぐ離脱する。定型戦法だ。


「このような定型戦法にまんまと嵌るとは、なんと無様な…!」


対策など容易だ。駆逐艇に先行させて、敵水雷戦隊を先に発見する、もしくは近づけさせなければいいだけ。なのに、それができなかったのか。


「先行駆逐隊はいたはずだ、なぜ敵水雷戦隊を発見できなかった!」

「それは……」


海峡という彼我どちらもが見つかりやすい海域で、一方的に奇襲を喰らったことも彼を苛立たせた。


「すぐに探照灯で探し出せっ」

「はっ!」

「我らに夜襲など仕掛けようものならどうなるか、思い知らせてやる!」


戦艦部隊は次々にサーチライトを灯す。

叩き起こされた見張り員たちは、血眼になって望遠鏡を覗く。

魚雷射程は約6000。6キロ先を見越して光線を投げるが、どの海面にも艦影はない。


「どこにいるんだ…っ」

「敵影、見えません!」


悲痛な報告が飛び交う。当然、この場にいる誰もが知らない。

サーチライトの投射は、この場において自殺行為だということを。



「……ッ! 右前方から雷跡!」

「は!?」

「1、2、3、……少なくとも10以上!」



ロジェストヴェンスキーは煙草を取り落とした。


「な……ぜ、二発目が……!?」


敵の目標は一撃離脱のはず。まさか、来るまいと思っていた二発目だった。

大佐のネボガドフが叫ぶ。


「ぜっ、全艦各自に回避運動とれ!」

「ネボガドフ!」


叫ぶロジェストヴェンスキー。


「勝手に指示を出すな、私に従え!」


彼は規律を相当に重んじるきらいがあって、下士官の独断に過敏であった。


「我が軍はただでさえ指揮統制が脆弱なのだ! 各艦が独自に回避運動など取ったら、収拾がつかなく」


しかし、彼の言葉はそこで途切れる。

外輪の駆逐艇が次々と爆発したのだ。


対潜戦闘で、各自回避を行わないのは死の選択だ。


「クソッ、止むを得ん! 右大回頭、各艦戦列を乱さない範囲で回避を――」



ドカァァアン!!



後方3隻目、戦艦『インペラートル・アレクサンドル3世』が爆発した。

堰を切ったように次々と主力艦が被雷し、戦列が乱れていく。


Blyatくそッ、敵の水雷戦隊はすぐそばにいるんだぞ!」


艦隊外輪に目を向けてみれば、炎上していた一隻の駆逐艇が沈んでいく。

この規模の雷撃なのに、敵の艦影ひとつすら見当たらないのだ。


「駆逐隊も見張り員も何をしているッ」

「提督!」


望遠鏡を覗く水兵の一人が叫んだ。


「二時の方向に4000、浮上する構造物を確認!」

「何っ」


慌てて望遠鏡に手をかけた。

そこで、彼は絶句する。




「……潜水艦、だと」




史実、日露戦争直前に開発された兵器。

日露戦争では、日本はロシアの、ロシアは英国の潜水艦を警戒しながら戦った。だが、史実においては日英露の誰もが所持していなかったため、杞憂に終わった。


「なぜ、三流国家が、潜水艦を…!?」


この世界のバルチック艦隊も、潜水艦に警戒はしていた。

しかし夜は暗闇。ただでさえ視界の限られる潜水艦に、襲撃はできまい。高級将官の誰もが思っていた。だが。


「ちくしょう、副砲展開!」


潜水艦の独壇場こそ、夜なのだ。


「二時の方向4000、海面に撃ち込め!」


15.2cm連装速射砲が唸りを上げる。ボロジノ級には6基12門、各艦総計60門。

続いて三段櫂船のごとく船腹から飛び出た7.5cm速射砲、片舷10門が火を吹いた。


「提督っ」

「どうした」

「八時の方向から雷跡、10以上!」

「はぁっ!?」


ロジェストヴェンスキーは驚いて振り返る。

浮上した敵潜の方向とは真反対。艦隊めがけて魚雷が迫っていた。


「挟撃されているのか!」


大粒の汗が噴き出す。

冷え切った、嫌な汗だ。


「五時の方向からも雷撃!」

「バカなッ」


彼は今度は身体を左に捻る。そうして気づく。

視界の右、左、そして正面。どこからも雷跡が迫る。

嫌でも、彼は察してしまった。


「包囲……されている、のか」


もはや言葉尻に覇気もない。

全方向。一斉に魚雷が向かってくる。


「回避不能です、提督!」

「——ッ!」


輪形陣へ、放射状に魚雷が交錯する。

途端に佇立する水柱。

10の駆逐艇が立て続けに爆発炎上した。


続けて、戦列中央。駆逐艇列を抜けた魚雷が主力艦へ迫る。


「衝撃、備えっ」


爆発音。

揺さぶられる艦内。

水飛沫。電気が消える。


「推進機破損!」

「転舵不能!」

「右舷大破孔、浸水拡大!」


果たして、旗艦の『スヴォーロフ』は2発の直撃を喰らった。

ロジェストヴェンスキーは叫ぶ。


「直ちに復旧作業にあたれ!」


その瞬間、彼の横顔は赤く照らされる。

後方を航行していた戦艦『ナヴァリン』が、次々と炎を噴き上げた。右舷で誘爆を起こしている。指示を出そうと通信機に駆けだせば、みるみるうちにその船体は右に傾き、甲板の炎を海が呑み込んでいった。


「バカな。相手は……遅れた小国、だぞ」


通信機の前に立ちつつ、後ろを見定めて、硬直するロジェストヴェンスキー。

彼の手元の通信機の、戦艦『ナヴァリン』を示すランプは、フッと消えた。


「あれは、戦艦……なのだぞ…!」


戦艦は戦艦によってしか沈み得ない。そんな彼の、いや世界の信念を打ち砕く轟沈劇が、繰り広げられていた。


「戦艦『ナヴァリン』以下、巡洋艦1、駆逐艇4、轟沈!」


通信機を飛び交う信号。

次々と消えていくランプ。


「戦艦『ボロジノ』ならびに『オスリャービャ』、大破炎上!」

「第二戦艦隊列に被害集中!」

「装巡2、駆逐1が航行不能、第二巡洋艦隊は壊滅!」


2波に渡る雷撃で、バルチック艦隊は窮地に追い込まれた。


「おの…れぇ……!」


水面を睨みつけるロジェストヴェンスキー。

爆発炎上する輪形陣。闇夜に立ち上る黒煙の先を見据えた彼の目に、ふと、奇跡が起こった。


「……敵艦?」


一瞬、幻かと戸惑う彼に、見張り員たちが声を上げる。


「二時の方向、敵艦、続々と浮上!」

「五時の方向同じく敵艦、多数浮上!」

「八時同じく!」


一斉に水面に顔を見せる敵潜。

ネボガドフが叫ぶ。


「提督! 今ですッ」

「っ」


拳を握るロジェストヴェンスキー。


「副砲直ちに撃ち方始め!」


爆ぜる両舷32門。

撃ちだされた数多の砲弾は、弧を描きながら敵潜のもとへ。


「主砲、触発信管。感度最大で装填!」

「はい!?」

「遅延設定も忘れるな!」


感度最大。水面に着弾したら、すぐ爆発するだろう。

そこに遅延設定ということは、水面に着弾してから数秒で爆発するわけだ。

そこまで考えて、全てを察するネボガドフ。


着水後、数秒は海中へ沈む。そこで爆発させる。

一種のを、ロジェストヴェンスキーは思いついたのだった。


「目標、二次、五時、八時の方向に4000先の水面!」

「了解」

「各艦主砲、撃ち方はじめ!」


バルチック艦隊の30cm砲が、一斉に咆哮した。











「敵艦隊発砲!」


大粒の汗が額から零れる。


「回避、最大戦速!」


広瀬は叫ぶ。想定外だった。


「伊7、伊11、浮上しません!」

「応答もなし!」


震える拳。


「くそっ、意識をやられたか」


作戦が悪かったのではない。いいや、作戦だけなら完勝のはずだった。潜水戦隊が直面したのは構造的欠陥だった。


「これよりシュノーケルの使用は、指示があるまで厳禁とする!」


5月27日未明。台湾海峡は荒れていた。

ここを一昨日に通った低気圧は北上して現在は対馬海峡にあり、台湾の天気は晴朗で星もよく見えた。しかし、波が大変に高かったのだ。


(弁が波をかぶって、排気が出来ないとは…!)


潜航中でも吸排気ができるよう開発されたシュノーケルは、その通気口の先端から艦内へ浸水することが最も警戒され、この開閉に海水の浮力を使った浮力弁フロートが採用されていた。

しかし、広瀬たちは知る由もないが、シュノーケルは、通気口が波を被るほどの荒天時には弁が閉じてしまう。すると艦内の気圧が急速に低下したり、排気不能となって艦内に排気ガスが充満、酸欠になる危険が高まる。


「全艦被弾に警戒しつつ浮上航行!」


排気が出来なければ、潜航中にエンジンを動かすことが出来ない。

シュノーケルが使えない上に、推進に回せる貯蔵電力もない。敵は発砲し、被弾の危険がある。潜水戦隊は回避運動のために浮上せざるを得なかった。


(……蓄電池さえあればっ)


広瀬は海軍工廠を恨む。海軍工廠――正確に言えば、妥協アウスグライヒは24隻にも及ぶ潜水艦の量産を優先して、生産コストの重い蓄電池の搭載を躊躇。シュノーケルをこれの代用とした。


ここに、貧乏国家の無理ボロが出たのだった。


「弾着ァーく!」


次々と水柱が上がり、爆発する。

立て続けにバルチック艦隊は発砲し、その弾着は、最初のうちは見当はずれの海面だったものの徐々に近づいていく。それと共に、艦内の緊張も高まる。


「司令。このままでは」

「わかっている…」


そこに飛び込む怒号。


「先行する伊21より報告、われ座礁せり!」

「なにっ!?」


振り向く広瀬は、しばらくせず感づいた。


「っ、追い上げすぎたか!」


台湾海峡。開口部は南シナ海に面して、水深は深い。潜水戦隊はそこに待ち伏せしたのだった。しかし、敵の砲撃を躱しつつ浮上航行するうちに、海峡の狭窄部に差し掛かってしまった。

ここより北は、東シナ海。海深の非常に浅い大陸棚だ。


「……ここから先は、動けませんね」


艇長の言葉に、広瀬は苦虫を嚙み潰したような顔をする。精確な海図はあるものの、潜航技術が未発達であるから潜航中の位置推定がどうしても粗くなってしまう。

浅海で座礁しやすくなる。これ以上、戦隊は動けない。


「深入りしすぎた…っ」


心配げに広瀬を伺う艇長の顔。船員たち。

ハワイ作戦のときから変わらない面々。


それを見て、広瀬は覚悟を決めた。


「機関停止」


まずは一声。


「全艦へ伝達。敵艦隊を指向しつつ、その場で急速潜航」

「司令っ、それは」

「殺られる前に殺る」


その息遣いと、煌めく狼の眼光。


「……被弾は覚悟ですか」

「あぁ。いくら犠牲を払おうと、敵を最大限削る」


その言葉に逡巡する艇長。

広瀬は笑った。


「貴官が教えてくれたんだっけな。『沈められてしまえば、すべての可能性はゼロになる』と」

「はい」


おもむろに広瀬は歩み出し、潜望鏡に手を駆ける。


「安心しろ。今回ばかりは、ならないさ」

「……と、言いますと?」

「沈められようと、敵を一隻でも多く葬ること。ここでの敵の漸減次第で、海戦……いや、戦争の勝敗が決まるのだから」


後ろに構える航空爆撃も、その後の艦隊決戦も。もはや、皇國に残された戦力はわずかだから。死を覚悟で、ここで撃たなきゃ全てが水の泡だ。


「ここで我らが命を惜しみ、攻撃を惜しんだとする。生きて帰った我々を迎えるのは焼野原になった本土だろう」


水兵たちが命を差し出さなかった代わりに、犠牲になるのは祖国――いいや、守りたかった人々の命だと。


「我らが沈む直前まで足掻く限り、沈もうとも、バトンは繋がる」


いいや、繋げる。それが軍人だと。


「——そう真珠湾で教えてくれたのも、貴官だ」


艇長は瞳を見開く。彼は覚えていた。座して死を待つか、死の内に活路を見出すか。自分たちの死のうちに活路があるなら、喜んで散ろう。それが海軍軍人の本望だと。


二人は頷く。

七年前、真珠湾で誓った通りに。




「「我ら神州の護り、皇國海軍Imperial Navyなり」」




爆音。軋む艦腹。

30.5cm榴弾の雨は、着々と戦隊に近づいていた。


「伊16、スクリュー故障」

「伊2、上部構造物破損。転舵不能」


敵艦隊との距離3500。相互に完全射程内であった。主砲だけではない。片舷16門、おびただしい数の副砲も立て続けに海面下を狙って火を噴く。


「伊10、船体圧壊。浸水制御不能!」

「伊3、通信途絶っ!」


降り注ぐ砲弾は、着水してから数秒沈んでは様々な深度で炸裂する。なのに、座礁の危険、シュノーケル使用不能。潜水艇は、動きたくても動けない。


「魚雷装填まだなのか!」


広瀬の舌はとうに乾いていた。

轟々と黒煙を吐くバルチック艦隊へ向けて、水兵は必死に焦点を合わせる。


「伊5、応答ありません!」

「伊18、同じく応答途絶」


冶金技術の不足も祟る。先行技術の潜水艦を完成させるには、鋼鉄の強度も足りていなかったのだ。即席の爆雷と化した砲弾の水中炸裂は、その水圧で容易に潜水艇をへし折っていく。


「魚雷口開放」

「雷撃準備完了!」


残存潜水艇14隻。その雷管28門が一斉に牙を剥く。


「撃てッ!!」


広瀬の咆哮。

潜水戦隊に残された全ての魚雷が放たれた。


鼓動。呼吸。波の音。


祈りを込めた雷槍クングニルは、朧月夜に照らされた敵戦列へと一直線。しかし、その行く末を彼が知ることは、遂にない。


バシャッ!


戦艦『オリョール』の放った砲弾が、至近の海面に突き刺さった。

炸裂とともに、強烈な水圧が伊17の艦腹を薙ぎ倒した。

メキ、と鋼板が歪む。亀裂が入る。

直ちに圧壊する艦内。


広瀬は瞑目した。


「——ここまでか」


刹那。

すべては、台湾海峡の泡沫うたかたと消えた。






1905年5月27日 午前4時。

総隊潜水戦隊、台湾海峡に壊滅。

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