浸透戦術
内地の"
明治38年勅令 第236号
[当面機密]
戦後に五カ国から有償で引き渡される朝鮮半島について、処遇・統治ならびに倭館の虐殺に対する報復措置についての基本方針
そう銘打たれた機密勅令の内容は、大きく分けて4つとのことだった。
・大韓帝国の併合
・朝鮮半島における土地整理事業の実施
・大規模作付け可能な南西部は皇國へ統合
┗ 5世紀に喪失した旧任那日本府の回復という名目で実施
┗ 土地整理事業が完了次第、民族追放を実施する (報復措置)
┗ のちに開拓使のような和人入植行政機関の設置
・それ以外の地域は朝鮮総督府の統治下へ
「肥沃で温暖な半島南西部は住民の追放で無人化か。第二の北海道にしようって算段か…?」
北海道や琉球のような内国殖民地を、朝鮮半島の南西、5世紀にこの国が失った任那日本府の領域に構築するつもりらしい。
「個人的には、保護国化で放置が最適解な気がするんだけどな」
その手はミュンヘン共同宣言で列強に封じられている。
結局史実同様併合するわけだ。
(皮肉だな……。)
少しばかり、ミュンヘン会談の電報が届いた時の一幕を思い返す。
ちょうど一月ほど前、あれは黒田との電話だったか。
・・
『無産階級の影響力は史実と比べ物になりません。戦時というのに労働争議が頻発し、3月末には内務省が争議を処理しきれなくなりました。』
黒田の声。電話線の向こうからだ。
『皇國にも、時間はありません。できる限り早期に、臣民の納得できる物語を用意して、戦争を締めねばなりません』
僕は彼の言葉を反芻する。
「物語、ですか」
『ええ。臣民は勝利だけでは納得しません。さもなくば日比谷焼き討ちですよ』
そうだよな。
それが史実だった。
『戦争を継続するにしろ、終えるにしろ、大衆を熱狂させる物語が複数必要です』
「……」
『"ああ、この戦争に協力してよかった"、そう思わせる必要があるんですよ』
容赦ない物言いに、息を呑む。
『そうでなければ民衆は、国家が次の戦争に臨したときに協力しなくなります。信用を失わないためにも、協力の対価を民衆へ返さねばなりません。
それが、勝利という"実益"と、英雄譚という"熱狂"なんです。』
「待ってください」
震える手で、僕は問う。
「あなた方は、皇國の何なのですか?」
『……?
どういうことですか?』
「すみません、言葉が足りませんでした。」
僕はおそるおそる言葉を付け足す。
決して踏み外さないように。
「あなた方は、これからの皇國について…どういう政治体制を目指していらっしゃるんですか?」
『政治体制、ですか。貴族制や民主政といった類の話ですか?』
「はい」
そうですね、と黒田はしばし言葉を止める。
『自由主義と民主主義。
これは確定ですね。太平洋戦争の敗戦の回避とともに、枢密院で策定された歴史改変の方針の中でも主軸になります』
「民主主義、ですか…。正直、意外です。」
僕は思わずそう息づいてしまった。
電話の向こうの言葉が途切れる。
『逆に、それ以外の何を我々が目指そうとしているように見えたんですか』
「……いえ」
『20世紀末期から21世紀初頭にかけて、この国は世界を魅了する文化を確立しました。高度で多様な文化は、自由主義という風土あってこそ育まれるのですよ』
それはわかる。表現を規制するような社会では自由な文化は生まれない。
『我々は歴史を、より良い方向へ、より正しい方向へ導かなければなりません。
そのためには原爆一発とて阻止するし、敗戦も防ぐ。最小限の犠牲で、祖先と天皇陛下から預かったこの国を繁栄させ、後世に繋ぐ。ただそれだけです。』
けれど。
『そのための歴史改変であり、皇國枢密院なのです。あなたは何を勘違いしているのか知りませんが、いずれは完全に民政へ移行させます。これは確定事項ですから』
あなた方は気づいてないのかもしれないけれど。
いいや、むしろ見落としているのかもしれないな。
それは上からの民主主義だ。
”” そうでなければ民衆は、国家が次の戦争に臨したときに協力しなくなります。信用を失わないためにも、協力の対価を民衆へ返さねばなりません。それが、勝利という「実益」と、英雄譚という「熱狂」なんです。””
今になって、黒田の言葉を思い返す。
「パンとサーカス」とは、どこぞの詩人の言葉だったか。
――"安寧の他に、娯楽さえあれば大衆は踊る"。
それは、
それはさ。
まんま、独裁者の理論だよ。
・・・・・・
・・・・
・・
『パンツァーファウスト作戦は成功し、皇國は平壌を含む平安道全道を占領下に置いた。占領戦力は第十二師団を充て、四個機甲聯隊は西部戦線へ復帰済みだ』
満州総軍からの電鍵が鳴り響く。
「西部戦線には第十二師団以外全部割けます?」
『可能だ。立案に1週間、配置に1週間、作戦準備に1週間で3週間あれば』
「…21日ですか」
本日が5月1日だから、21日後は22日。
海上決戦――日本海での接敵はいくら遅くても5月下旬。
ダメだな、決定打としてはおそすぎる。
この攻撃は、海の結果を覆せる必要があるのだから。
「12日にして頂けませんか」
『……なかなかの無理を言うな』
ただの信号音だけど、その語調から伊地知だと理解する。
「パンツァーファウスト作戦による大韓収容行動中に、ここから西部戦線にかけて、航空部隊による強行偵察を実行しました。」
僕はそう切り出す。
この包囲戦は雪解けにより膠着状態にある。といっても、本当に銃弾一つ飛ばない膠着だ。そのくらいに、シベリアの雪解けの泥濘は凄い。
そういうわけで僕の隷下の即応集団『桜花』から直属の航空部隊を割いて、強行偵察に回す余裕ができた。
「敵情の大部分が判明しております。…とはいっても、うちの東條が『皇帝命令第21号』を持ち込んだのが決定打になりましたが」
狂気の攻勢に力尽きたロシア士官から一枚の命令書を剥いで、命からがら、あのとき東條は戻ってきた。
その手に握りしめられた紙と、手元の航空偵察結果と併せてみて、僕はようやく確信に至った。
「皇帝命令第21号の発令により、ロシア軍は最優先で戦力をこの市街戦につぎ込んでいます。稼働する兵器は片っ端からここウラジオストクが在する半島に動員されているんです」
『まさか。にしては我々が西部戦線で対峙するロシア軍が多すぎる』
伊地知は言葉を続ける。
西部戦線のロシア軍は最少でも20万は下らず、攻勢を掛けたとしても一ヶ月は突破できないであろうまとまった戦力を保持していると。
『我々満州総軍は総戦力たったの11.6万。攻撃側3倍の原則に当てはめるまでもなく、攻勢継続に必要な兵員が確保できない』
「ねぇ、伊地知中将。ほんとにこれ、攻撃側3倍の原則にあてはめてられます?」
『……どういうことだ?』
強行偵察の結果報告書に再び目を落とす。
「強行偵察においては、敵情を伺うために威嚇爆撃も実施いたしました。
ウラジオストク市街においては迎撃を受けましたが、ウラジオストク後背陣地や満州方面では一発も発砲を喰らいませんでした。それどころか、西部戦線で兵舎を爆撃したところ、命中爆破したのに関わらず、誰一人逃げ出てこなかったどころか…遺体一つ確認できませんでした」
少し時間を置いて、簡潔に4文字が返ってくる。
『なんだと』
伊地知は随分驚いているようだった。
「その20万という数字、航空偵察と諜報から得た、敵の規模別陣地数から導き出してますよね」
『ああ、そうだが』
「致命的なまでの定数割れと弾薬不足を引き起こしているんですよ。なんたって、ここの市街戦で皇國4万、ロシア23万が既に死傷しています。」
弾薬どころか、食糧にすら事欠くウラジオストク市街戦だ。
戦死者も弾薬消費量も鰻登りで、僕らですら食糧が底をつくまであと1ヶ月という状況まで追い込まれている。
「戦力の補充のために、満州から、弾薬も兵器も兵員さえも、東へ抽出している。もはや西部戦線にある陣地の中身はすっからかんですよ。」
『……すぐに航空偵察を出して真偽を確認する』
「そんな時間はありません」
伊地知には申し訳ないけれど、僕は断じた。
「作戦の原案は出来ています。すぐにでも準備に移らねばなりません」
『それは些か』
「段階を飛ばしてください。騎兵旅団の強行偵察による敵戦力推定からです」
『だとしても、まずは真偽を――』
「信じてください、伊地知大尉。」
あの北方戦役のとき、迫撃砲を携えた僕に賭けてくれたように。
『……全く、世話を焼かせる』
「戦争終わったら一食奢らせてください」
『下手なフラグを建てるな』
聞こえないけれど、電鍵越しに笑い合う。
「けどきっと、これが最後の作戦です。」
『だな。世界大戦もすんでのところで回避したのだ、そろそろ決めねばなるまい』
総動員で抽出できる国力は底をついた。
皇國国内も情勢は非常に厳しい。
「浸透戦術」
『……?』
おっと、これは伊地知も知らないよな。
事前に打ち込んでおいた浸透戦術の解説資料の文字信号を、電鍵を叩いて、向こうの電信印字機へ一斉に飛ばす。
しばらくせずに、向こうから受信成功と印字開始を告げる信号が帰ってきた。
"三七年式電信印字機"――モールス信号を受け取ると、対応する文字を印字してくれる代物だ。史実では大正期の導入だが、FAXの超初歩段階といってもいいだろう。
『なんだこれは』
長い沈黙のあとに帰ってきたのは、そんな返答だった。
「従来の塹壕戦は、砲兵による入念な準備射撃の後、大勢の歩兵が戦線全体で攻勢に出る方式であり、得るものが少ない割には多大な犠牲を払ってきました」
それが如月大攻勢であり、アルチョーム攻防戦である。
皇國は、同じく塹壕戦と電信による連携防御を導入したロシア相手に従来よりも苦戦を強いられ、キルレートも2倍にまで減少。当初の20倍などという戦果は到底挙げられなくなった。
「ゆえに、ここで塹壕戦を終わらせる必要がある。」
『浸透戦術』
・第1フェーズ "砲撃"
注意深く調整されており短いが強烈な砲撃により、敵の撲滅ではなく敵を混乱させ、防御システムを無力化させることを目指す。
・第2フェーズ "突破"
攻撃の先鋒を務める大隊は、敵の強固な迎撃に耐える装甲を持つ高速部隊を編成。
・第3フェーズ "迂回"
突撃部隊は敵の抵抗の中心を迂回して突進、敵司令部と砲兵陣地を破壊する。小部隊指揮官には、自分の側面を顧みずに敵防御のすき間へと浸透する権限を与える。
・第4フェーズ "敵後方の撃滅"
砲爆撃により通信と各指揮所を破壊。次に機関銃や火炎放射器で重武装した後続部隊を前進させ、突撃部隊が迂回した敵の抵抗陣地を沈黙させる。
・第5フェーズ "掃討"
歩兵を進発させ、総力で残敵を殲滅せしめる。
「これにより敵に士気崩壊を誘発させ、無秩序に後退させる。」
『にわかには……、信じがたいな』
けれど効果は折り紙付きだ。
1918年3月という、第一次大戦も末期も末期の頃。この戦術を編み上げたフーチェルは、浸透戦術を使ってあの西部戦線を突破し、連合軍兵士5万を捕虜としながら65kmを前進。帝政ドイツ最後の
「松花江の戦いのような、猛烈な火力で敵戦力を一掃する、という発想を捨てます」
『松花江では、あの弾幕に守られたのだと思ったのだが。』
「あれほどの弾薬を今や皇國は用意できません。むしろ、そのようなことをせずとも、完全に塹壕戦へ移行したロシア軍は撃滅できます。」
松花江では、ロシア軍は塹壕を掘れなかった。
まだあの頃は、丸裸の密集歩兵や騎兵といった中世抜けきれない部分がロシア軍に残っており、ゆえに、彼らに対してあの
しかし。彼らも学ぶ。あれから如月大反攻、アルチョーム、ウラジオストクと幾度の激戦を経て、ロシア軍は塹壕や一掃砲撃といった戦訓を急速に取り入れ適応し、ついには塹壕戦ドクトリンを一通り完成させてしまった。
向こうが塹壕戦を取り入れてなおこちらが塹壕戦で対応していては、第一次大戦の二の舞だ。
ゆえに、こちらは戦術を一つ進める必要がある。
より効果的に。より効率的に。
時代は――塹壕戦から浸透戦術へ。
「四平まで後退している西部戦線を、ハルビンまで押し上げる」
距離にして300km。
300kmを、二週間で踏破。
ロシア軍がやったことを、次はこちらがやるのだ。
『賭けだな。』
「そりゃぁ、もう。国家を担保に
『はっはははは、そうかもしれん』
そう気さくに笑う伊地知の声が聞こえてくるようで。
『……バルチック艦隊は、目標を旅順強襲に変更したようだ』
「そう、ですか」
『ああ。5月までのウラジオストク奪還は難しいと見て、西部戦線の補給の最根幹である大連・新義州両港の制圧、上陸に舵を切ったようだ。
満州総軍には港湾守備へ割ける兵器も戦力もない。もし今次の攻勢に頓挫すれば、背後に上陸されて西部戦線は詰む。そういう状況であることは理解しておけ』
けれど、それでも。
伊地知は言葉を継ぐ。
『貴様に賭けてやる。
貴様が14年間積み上げてきた信頼は、それだけの価値がある。』
その言葉を聞いた時。
追放、失敗、屈従。
ずっと今まで報われなかったから。
よかった、って。
この14年は無駄じゃなかったって思えた。
「……もうひとつ、頼みがあります」
『なんだ』
「伊地知司令。東部戦線へ着任して頂けませんか」
・・・・・・
・・・・
・・
「「「一粒でもいいから、お米をください!」」」
"富山県水橋で始まった米騒動は、メーデーとなって全国へ急速に拡大…"
「これ以上の戦時税は家計が死んでしまう」
「戦争を直ちに中断しろぉおお!」
"…暴騰した米価を安定させるために放出した備蓄米も、底をつき……"
「国民を食わせずして続けていい戦争などない」
「政府は、戦争は皇國勝勢だと言っている!ならば即日講和せよ!」
"……文壇界も荒れに荒れており、かの与謝野晶子女史は…"
「うちの工場じゃ、もう40人が過労で自殺した」
「これ以上の長時間労働は不可能だ!」
「せめて週3でいいから寝させてくれぇ…!」
"労働争議も頻発。一部では幼児の拘束労働さえ発覚し……"
「交戦国のロシアの民衆は蜂起したぞ!」
「人民を弾圧する政府は武力でしか排除できないのだ」
「全国の労働者よ、団結せよ!!」
"一部過激派はすでに警官隊と衝突、内乱の抑止力となるはずだった本土の予備師団は、ウラジオストクへ緊急派兵されており…"
「メーデーだぁ!」
「休戦は十分可能なはずだ!伊藤戦時内閣は退陣せよ!」
「天皇陛下!民はこのほどに飢えております!」
"議会前では、東京府下の民衆数万が自然と集結…"
「「「すぐに戦争をやめろぉぉぉお!!」」」
"……戦争の継続は一層困難なものと見られている。"
5月1日 東京府発 -『帝都日日新聞』一面より抜粋
🚫大本営枢密院宣伝部により発行不許可🚫
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます