ミュンヘン会談

時系列は少し遡る。


「大韓の参戦、どうなさるつもりですか…!」


思わず口に出しながら、電鍵をぶっ叩く。

電信機からは旋律のように信号が飛び、奉天へと届いて、それから跳ね返る。


『最低限の守衛兵で新義州を防衛してはいるが、このままではジリ貧だ』

「っ、新義州を失えば西部戦線満州は補給不全に陥るんですよ!?」


新義州と大連には大規模な港湾とコンテナ取扱設備があり、本土との補給の要衝でもある。片方でも失えば、西部戦線は半身不随を起こすのだ。


「………。」


長い沈黙の後に、満州総軍から返答が来る。


『こちらとしては、機甲聯隊を全て引き抜いて制圧に充てるつもりだ』


「大軍勢と対峙していながら、貴重な主戦力を南に回すんですか」

『装甲車は突破戦力だ。防衛戦では十全に長所を活かしきれない。逆にいえば、非装甲戦力に対する制圧戦力としては非常に効果的なのだ』

「ロシア軍と対峙しても効果は薄いから南に回すということですか」

『言い方次第だが、そうだ。そのために迅速な鎮圧と補給線の安全確保が必要だ』


地図に目をうつす。

新義州からどこまで制圧地域を拡大するつもりだろうか。

平壌までだろうか。

どちらにせよ、西部戦線でロシア軍と対峙するだけでも手一杯だった満州総軍に、漢城を一時的に制圧することはできても、朝鮮半島全土を占領統治する余力など無い。


「具体的には、どうなさるつもりですか」

『鎮圧作戦を…現在立案中だ。』


不可能だ、そんな言葉が頭をよぎる。


『しかし、大本営からは別途の作戦行動の待機命令を受けている』

「?」


顔を上げる。大本営、だと。


『枢密院戦争指導部だ』

「……枢密院は、何と。」

『"一週間以内に欧州で結論は出される。別命あるまで待機せよ"と』

「謎めいた文章ですね。この期に及んで現場を何だと…!」

『総軍内部でも憶測が飛び交うほどだ。ただ、枢密院からは続けてもう一通、暗号文が届いていた』


少しの間をあけて、電鍵が音を弾く。


『その名を、収容作戦――"パンツァーファウスト"。』




・・・・・・

・・・・

・・




「欧州列強間の安定と平和を守るため、帝国ライヒが仲裁に入ろう。」


帝国宰相のビューロー公爵が笑う。


「余計なお世話ですね、これは英仏二国間の問題です」


そう跳ね除けるのは英国首相のバルフォア。


「はぁ…。そう仰るが紳士さん、貴方がたの行動も考えものだ」


ビューロー公は溜息をつく。


「ケープでのボーア戦争といい、中国の両広問題といい、近頃の英国紳士の領土的野心と侵略的拡大は目に余る。7年前のファショダ事件で共和国フランスに譲歩させておきながら、まだ物足りないのかね?」


プロイセン宰相の言葉に、すでに根回しを受けているフランス全権はうんうんと深く頷いた。


(……言ってくれる。大洋政策を推し進めているのはどこの国だ!)


バルフォアは吐き捨てるように溜息づく。


「しかしながら帝国ライヒは、欧州の平和の守護者でもある」

「だから、余計なお世話と――」

「今回はロシア帝国も共和国こちら側ですよ?」


フランス全権の言葉に、大英宰相は黙ってしまう。


「あなた方が大陸を全て敵に回す判断をなさるなら、尊重しましょう。さればこちらとしてももう一度、を出さざるを得ない。」


フランス人に彼の国の英雄、ナポレオンの為し得なかった夢に掛けたその言葉を、ここで発言させる。

これこそヴィルヘルム2世の狙いであり、共和国への譲歩の顕れでもあった。


「今度はロシアもあなた方の敵だ。極東の未開国ごときと組んだところで、覆せるような国力差ではないのです。どうか賢明な判断を。」


「……ッ」


共和国の全権は、言葉を続ける。


「今度こそ、我々が遠征する理由などありません。ましてや、それで自滅するのを待つ戦術など、期待するだけ無駄なのです」


100年前のウィーン会議の雪辱を晴らすように、英国人へ笑う。


「大陸を全て敵に回すつもりですか、島国さん?」

「……!」

「まぁそこまでに。そろそろ実務的な話をしよう」


帝国宰相が共和国全権を手で制する。

ふぅ、と少し不服げに溜息をついた共和国全権は、一封の書簡を大英宰相へ手渡す。


「我が共和国の提示する和解条件は、我が国がエジプトにおける管轄権を全面的に英国へ引き渡す代わりに、英国は両広をフランス勢力圏と認める、ですな」


それに一通り目を通した大英宰相は、書面に並べ立てられた和解案と称する大いなる屈辱に、バン、と書簡ごと机へ叩きつける。


「両広?御冗談を。香港と隣接する戦略要衝を嘘つき共フランス人へ渡せと?」


「何を仰るか。ハノイから広州の鉄道は我が共和国単独での建設が決まっており、香港内でしか権利のない詐欺師英国人に、我らが両広へ口を挟む理屈などありません」


火花を散らす両者。

その場面を待ってましたとばかりに、プロイセン宰相は立ち上がる。


「ではどうだ、分割しては如何かな?両広のうち、香港と隣接する広東省を連合王国勢力圏、広西省を共和国勢力圏とする、という具合に。」

「何を仰るかと思えば…。連合王国は広西省内にも利権を持つのですよ?」


バルフォアの抗議をビューロー公は鼻で笑う。


「捨てればよろしい」

「……言わせておけば!」

「ただし!」


ビューロー公は声を強く遮った。


「貴国が秘密裏に買収工作を掛けている香港-広州の鉄道敷設権を、代わりに我々は黙認しよう。」

「ッ、なぜそれを…!?」

「広州を境に東側の、香港を含む広東省を連合王国。広州を境に西側の、広州湾フランス租借地を含む広西省を共和国。このあたりが妥当な仲裁ラインであろう?」


機密で進められてきた国家方針を裸にされたバルフォアの驚愕もさることながら、ビューロー公は構わずに仲裁まで落とし込む。


「広西省領域における島国やつらの利権が全て消えるなら、共和国としても譲歩しないこともない。広東省を譲り、香港-広州の鉄道敷設も容認しよう。」

「……、しかし」

「それでも不満か?ならば、エジプトも譲ろう。我らは今後一切エジプトについて権利を要求しない。」

「それで広西省を譲れ、と?」

「これ以上譲歩しろと?」


独仏の視線が突き刺さり、オーストリアさえも懐疑的な視線を英国宰相へ向ける。

孤立無援。完全に根回しを済ませてある帝国ライヒと共和国に、その場限りでしのげるはずもない。


「……、受け入れ、ましょう」

「広州は英仏両国の緩衝地として自由都市としよう。専用議会を置いて、我等5列強の役員を出し合って総督する。それでよろしいかな?」

「上に同じく」


広州を、史実の上海と同じ境遇とすることが決まる。

これは魔都の幕開けであるのだが、当然、ここの誰もがそんなことには気づかない。


「ああ、そうだ!そういえば、ボーア戦争に関して懸案が残っている」


ビクリとバルフォアは肩を震わせる。

ボーア戦争――英領ケープ植民地と北東で接するオランダ人植民地との戦争は、未だ続いている。帝国ライヒがオランダ人植民地側に武器を援助しているせいで泥沼化しているのだ。


「オランダ人植民地、すなわちトランスヴァール共和国とオレンジ自由国に関しては、大英帝国のケープ植民地への統合を認めよう。その代わりに、2国以北の係争地域に関しては、ドイツ帝国の主権を認めていただきたい」


ボーア戦争が終わらないので、その更に北にあるボツワナ、ローデシア、ザンビアには未だ大英帝国の統治が及んでいない。そこに目をつけたのが帝国ライヒだった。


この3地域はドイツ領東アフリカとドイツ領南西アフリカを接続する無主地であり、ここを統治すれば、アフリカにおける帝国植民地は東西で大陸を横断することになる。ゆえに帝国としてはぜひ手にしたい土地で、ゆえに英国としては阻止せねばならない土地であった。斯くして同地は係争地帯となったのだ。


「フランス人との対立につけ込んで、国境線を変更しろと?」

「そもそも無主地だ。そこへ先占で鉄十字が打ち立てられたのに、どこの誰が文句のつける権利がある?」

「先に英国臣民が探検した場所だ!」


「ファショダも、フランス人が先に探検したのですけどね。」


共和国全権が口を挟む。

アフリカに関して大英帝国に譲歩した過去がある共和国。この言葉は、英国人にとっても、フランス人にとっても、最大限の皮肉だ。

帝国がすでに根回しを済ませていることを悟った大英宰相は、舌打ちする。


「……わかりました」


ここに至っては英国も長くは踏ん張れない。

だから、戦略を変えた。


「共同して日本に抗議声明を出しましょう。それで手打ちです」

「抗議、と言うと?」

「この多国間戦争の危機へ列強諸国を引きずり込んだのは、元はと言えば大韓。」


いいや、と一言おいて、彼は笑う。


「ここで我々がどう和解しようとも、大韓帝国の宣戦布告は覆りません。露仏同盟と日英同盟によって、容赦なく両国は衝突する未来なのではないですか?」

「それが、抗議声明とどう関係が?」


「大韓帝国の宣戦布告を認めないためには、大韓帝国の外交権――強いては、主権を否定する必要がある。そうでしょう?」


刹那、沈黙。

一拍置いて帝国宰相が、ふむ、と頷く。


「ではあの半島は、どこの主権下と?」

「主権は。しかし、朝鮮半島地域について、責任を負うべき国家ならあります。」

「ほう…。それは?」



「―――日本皇國です。」



大英帝国は、盤外からの一手を放つ。



「日韓協定にて記される通り、軍事通行権を得ている日本皇國は、大韓帝国を外交的影響下に置いています。日本皇國は、大韓帝国の暴発を防げた立場にあったのです」

「それで?」

「かれらの監督を疎かにした日本人には、抗議せねばならない」


そうでしょう?と問いかけるバルフォアに、帝国宰相ビューロー公は内心ほくそ笑む。


(間抜けなジョンブルめ。暗にロシアを援助して日本を牽制する……皇帝陛下が望んでおられる展開の通りだ!)


けれど、老獪なる大英の策師さくしは、その更に上を行く。


(日本人よ。貴様らが好き勝手やってくれたツケは――払ってもらうぞ)


表情にはおくびにも出さず、狡猾な搦手の第一手を差したのだ。

腹黒紳士は確かな手応えを覚えながら、次につくための嘘を探す。


当事者である日露は招かれぬこのミュンヘン会談にて、歴史が動き出した。




―――――――――

☆300ありがとうございます!!!!!!

勢いのままにめっちゃ書き溜めましたので、これからしばらく高頻度更新になると思います!いつも読んでくださる読者の皆様に感謝です…。

占冠 愁

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