勅令第227号

「ならご指摘賜りましょうかッ!」


作戦要港帳。

磯城が指揮する隣で書き上げた、事実上の代替案だ。



在ウラジオストク総戦力

 ◎第1軍【大阪鎮台 / 第十一師団】

 ◎第2軍【近衛師団 / 仙台鎮台】

 ◎増強即応集団【『桜花』/ 第1焼撃大隊 / 第3焼撃大隊】

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◎ウラジオストク市街

①ウスリースク ②アルチョーム

③ナホトカ







「まずは半壊した仙鎮含めた、全ての師団をウラジオストク半島の付け根・アルチョームへ後退させます。」

「な、初っ端から撤退だと!?」

「当たり前です。それとも、ウスリースクからナホトカまでの広大な戦線をたった4個師団で維持せよと?」

「ッ!し、しかしウスリースクは3鉄道線が交錯する交通の要衝だ。ここをみすみす敵に譲り渡すなど…」

「ならば譲り渡さなきゃいいじゃないですか」


藤井少将は言葉を失う。


「は…、はぁ?貴様が、後退すると言ったのだろう?」

「後退しても渡さない方法なんて、難しいもんじゃないじゃないですか」

「チッ!遊びたいなら内地に帰れ。やはり中佐ごときに立案など――」


踵を返そうとした彼は、ばっと振り返る。


「…なんだと?」

「ウラジオストクに繋がる、鉄道設備、道路、橋脚、隧道。ありとあらゆる物を寸断、破壊して、補給線を伸び切らせる…とまでは行きませんが、敵はただでさえ大軍です、その進撃速度を鈍らせて、指揮系統をかき乱すことは出来ましょう。」


続きを喋らせないように、僕は素早く駒を動かす。


「また、ウラジオストク半島に籠もることで、正面幅を圧縮できる。」


ウラジオストクの地形は愛知と考えればわかりやすい。

ピョートル大帝湾に一つ突き出す半島の様は、内海の伊勢湾と知多湾に挟まれた知多半島と、地理的にも面積的にもほぼ重なる。

知多半島とほぼ同じサイズの半島の先端に、極東ロシア随一の大都市が所在する。


「遠大な塹壕線を構築すると、その分たくさんの戦力が必要となり、数に勝る相手はより効率的に戦力を配備できます。限られた戦力を防衛線に展開することを強いられる我々は、多方面からの多重突撃を受け、即座に戦線もろとも融解します。この時点で、現在の防衛ラインで持久するという選択肢は死ぬ。」


ナホトカからウスリースクまででも120km以上ある。仙台鎮台が壊滅した今、4個師団と1個即応集団あわせて6.6万人しかこちらの手持ちはない。

ハルビンからやってきた20万人以上の主力軍を正面に、長白山脈を迂回した5万の部隊に背後から挟撃される形で、この長大な前線を持久するなど狂気の沙汰だ。


「しかし。――ウラジオストクは、半島です。」


「っ、だからなんだと…!」

「この半島の幅は、最も長いところでも7km弱。。」


7km弱では、前線1mあたり6人の兵士が並ぶと考えても、正面は4万2000人で事足りる。前線に余裕が生まれ、即応集団が機動防御を展開することが可能になる。


「また、これにより敵軍の数的優勢があまり効果を発揮しなくなります。なにせ戦場が狭いんですから、そこに大量の人間を詰め込もうとすれば一本しかない補給線と一個しかない物資集積地に負担が集中し、前線が麻痺してしまいます。」


いくらロシア軍が100万の数を誇るからといって、その全てをたった7kmの前線に並べては補給が燃える。

ロシア軍は最大でも10万人ずつしか送り出すことは出来ないだろう。


「これで敵は――戦力の逐次投入という悪手を打たざるを得ない。」


数で圧倒的に勝る相手と対峙した時は、各個撃破。

戦術学の基礎も基礎だ。


「し、しかし…!皇國の継戦能力は残り30日なのだろう?各個撃破などしていたらタイムリミットが…」


そう足掻く黒木に、磯城にもそういう姿勢であればいいのにと思いつつ、僕は答えを返す。


「それは大口径砲弾の枯渇が近いからです。

 近接戦闘による人的資源の消耗戦を徹底的に避けてきた皇國陸軍は未だ、溜めに貯めてきた小口径銃弾や迫撃砲弾を使っていない。」


正確には、松花江ライン攻防戦の終盤でトーチカを巡る奪い合いになってから機関銃による弾幕防御を展開、撤退に至るまでの1週間で長春にあった前衛基地集積の相当量を放出したらしいが、奉天や大連の集積庫にはまだまだ大量に眠っている。


松花江序盤から大量にぶちこんだ大口径重砲弾とは違って、近接武器の弾薬には余裕があるのだ。


「重砲を使わずに、相手をすればいいんですよ」


ダァン、と黒木は拳を机上に叩きつけた。


「ッ、このガキが!重砲を使わないで数十倍の露軍を各個撃破だとォ?よく言ってくれる、戦争を舐めやがってッッ!!」

「市街戦ってご存知ですか?」

「はッ、はぁ?」


思わぬ一言に肩透かしを喰らったかのように動揺する黒木。

だろうな。皇國陸軍は、第一空挺団を除いて一切の市街戦経験がない。


「そこらじゅう障壁だらけの市街戦では重砲攻撃の効果が非常に薄く、主体となるのは接近戦です。そもそも、重砲陣地を設営できるほどの広大な空間がないですし」


白兵戦が中心となる真っ向からの兵力の削り合いだが、市街地というフィールドではそれを補えるほどのアドバンテージを防衛側が得る。


「遮蔽物の連続する地形。整備された街道とは裏腹に、細かく入り組んだ路地。予測のつく敵の進撃路。弾道が上下左右を飛び交う立体的戦場。使えない重砲と事前計画。猛威を振るう近接火器。入り乱れて把握が困難な前線様相。

 …――これほどまでに、今の皇國陸軍に都合良い防衛戦なんてないでしょう?」


「な…っ。ま、まさか…貴官の第1命令、は…?」

「『市街内部にバリゲートと戦車壕を造成・市街地全域の迷宮化』

 敵軍をウラジオストクの大迷宮に引きずり込み、可能な限り消耗させます。」

「ッ、しかし近接火器など…!」

「第4命令を読み上げれば解るでしょう?」

「『焼撃隊は火炎放射器を装備し市街に浸透展開』…ッ、そういうことか!」


回送戦力として沿海州へ送り込まれた部隊は中央即応集団と2個焼撃大隊の混成、増強即応集団。

市街地という舞台で、突撃直衛中隊の重迫撃砲24門に焼撃大隊の火炎放射器、個人携行型の軽迫撃砲を組み合わせれば、鉄壁――いや炎壁の迎撃体制の完成だ。


が、しかし。


「同時に、民間人問題と補給の孤立を打破しなければなりません。」

「そうだ…それが残ってんだ!偉そうに色々語ってるけどなぁ、俺が出来なかったこれだけは、お前なんかに――!」


磯城の声を遮って、先手を打つ。


「輸送船から漁船まで全ての船舶を掻き集めて、内地から予備4個師団4.8万人と弾薬を送り込む代わりにウラジオストク市民35万人を脱出させる。」


弾薬を満載して、民間人を送り返す。


「はッ、戯言を!弾薬を送り込む、だぁ?コンテナ取扱設備がねぇから補給できないとか抜かしたのは誰だったかをもう忘れたか!妄痴はこれだから――」

「大鉄塊の重砲弾はクレーンとコンテナでしか積み下ろせないが、銃弾と迫撃砲弾ならば、リヤカー牽いて直接、桟橋に積み上げることも出来る。」


松花江のように数千トンに及ぶ砲弾を使うわけじゃない。コンテナじゃないと運べない重量物ではないのだ。

ここに来るのは軽くてお手頃6.6mm弾や手榴弾、迫撃砲弾なのである。


「食糧/弾薬庫と石油貯蔵所は最優先で司令部ともども地下壕に建設する。食糧と弾薬は今言った方法で積み上げ、石油は直接地下タンクへ流し込む。」


これにて往路の任務は終了だ。

次は復路。掻き集めた船舶に市民35万を詰め込んで内地へ撤退させる大作戦。


「陸戦条約を遵守し、民間人の保護を徹底しなければいけませんからね」

「ッ、皇國には35万の市民を収容する施設など――」

「ロシアに押し付けますよ?当然じゃないですか。」


黒木が呆然と口を開ける。


「は…、はぁ?」

「陸戦条約を守らねばならないのは向こうも同じ。捕虜ならともかく、自国の民間人なんですよ?世界の視線に晒されているこの場面で、皇國が全てのロシア民間人をニコラエフスクへ送還するという『人権的配慮』をロシア帝国が断るなんてことは出来ません。」


なにせ、列強国が極東の島猿に倫理観で劣っているなどと言われればロシア帝室の面目は丸潰れだ。プライド的に、立場上、ロシア帝国は35万もの「難民」を極東の端に抱える選択をせざるを得ない。


「さてこれで、ただでさえ逼迫しているロシア軍の補給線に『35万人の民間人』がのしかかる。」


藤井少将がその真意にたどり着き、愕然とする。


「――敵の補給を麻痺させる気か!?」

「陸戦条約と民間人保護という素晴らしい大義名分があるんです。これを使わない手はありません。」


ウラル山脈より西から極東の端まで35万人の衣食住を、半壊したシベリア鉄道を単線酷使して送り込む羽目になるのだ。ただでさえ120万の軍隊の補給が限界状態であるそこへ、その負担は計り知れない。


「ロシア帝国は、その補給線から体制まで、内側から圧潰させます。」


民間人とはいえ35万もの海上撤退劇。

ヨットだろうが艀だろうが、日本海を渡れるならば全部を動員する必要があろう。


「弾薬どころか食糧の補給さえも不能な軍隊など…もはや、まともな行動が不可能です。ここまでが作戦――『ダンケルク』。」

「『ダンケルク』、だと……!?」


ダイナモ作戦という名も考えたが、やはりあの奇跡の名を借りるのが望ましい。

磯城以外、この名を理解できる人間はここにいないのではあるが。


「さぁ、あとは陣地構築、援軍揚陸、民間人避難の時間を稼ぐだけです。」


4個予備師団の増援は、すでに磯城の旧『英雄ノ凱旋』作戦にて内地側もこちら側も準備済み。一週間もあれば輸送船を動員して送り込むことができよう。

船舶掻き集めが懸案だが、陣地構築も、民間人の桟橋誘導も、7日あれば十分だ。


「そのために、第2命令と第3命令で部隊を半島付け根まで撤退させるわけです。」


アルチョームには堅牢な機関銃陣地を拵えて、史実の二百三高地よろしく熾烈な消耗を敵に強いる。

ルースキー島にある、泊地ついでに設営した飛行場からの航空支援も含めれば、敵軍が市街地に至るまでに相当の打撃を与えることができよう。


「アルチョームでは一週間を稼ぎます。その間に、市街地へ重機を全力投入、戦車壕から塹壕、地下にも司令部や弾薬庫から食料庫を造成、連絡通路を張り巡らせます。こいつらで――蕗の芽吹くまで、3月1日からの二ヶ月を耐える。」


これまで幾多の戦争が、その行く末を決した天王山が、市街戦であった。

この麗しの沿海の大都とて、例外じゃない。

かくて、世紀の決戦地となるのだ。


『ウラジヴォストーク攻防戦』


その名で永遠に語り継がれる逆転劇を、此処に。


「にに二ヶ月ゥ!?敵軍は100万だぞわかってるのかッ!」

「そんな…そんなに上手くいくわけがない!」

「第一、そこまでの展開力など――」


「装甲車と空挺隊の統合運用により、市街地における迅速な機動防御を実現できる。最早『桜花』は、従来までの混成旅団とは比較になりません。」


黒木大将が、手を震わせながらも頭を横に振る。


「発想は大したものだが、認められん…!そんな混沌とした市街戦はこちらが想定しておらん、情報処理能力に限界がある……本司令部との指揮統制が確立できん!」


彼がそう言うと、参謀部の多くは首を縦に振って彼に追従する。俯いていた磯城もここぞとばかりに立ち上がって僕を糾弾した。


「そうだぞ…!てめーは散々に粋がりやがっておきながら、指揮体制なんて何も考えてねぇ!浪漫ある作戦立案も、鮮烈な勝利も、俺に在るべきなんだッ!!」


だが――、と彼は言葉を止める。


「その勲章、寄越すなら考えてやる。」


彼は僕の胸元で鈍くも輝く北辰の翠星を指差した。


「…は?」

「『奇跡の勲章』だったか?――素晴らしい肩書だ。英雄で主人公な俺が持つにピッタリな逸物…。それをなぜクソ雑魚平成人のお前が持っているのかは謎だが――」


磯城の言葉に司令部は一層困惑を深める。


「勲章一つで作戦立案を動かそうというのか磯城少佐!?」

「さ、さすがに枢密の英傑と言えど、それは頂けない…!」


参謀部に走る動揺を完全に無視する形で、彼はゆっくりと僕へ歩み寄る。


「『ダンケルク』だったか?お前のその無茶苦茶で検討する価値もないくだらない妄想に、俺が手を加えてやる。するとどうだ?それは、英雄の組み上げた勝利の方程式に一瞬で変貌する…。」


彼はくつくつと笑う。


「そうか、そうだったのか…。確かに破滅的な危機に立たされてからの大勝利は、『主人公』のテンプレだもんな。通りで俺はピンチに追い込まれているのか!

くくく…行き詰った戦場をひっくり返し、世界にその輝きを放ち、尊敬を集める。…ここまでいろいろあったが、俺の王道の落とし所としちゃ、悪くねぇ…!!」


恍惚とした表情で、彼は続けた。


「間違っても『作戦立案は僕がやった』だなんて言うんじゃねぇぞ。…お前がやれば失敗する作戦を、成功させてみせるのは俺なんだから、立案までひっくるめて栄誉を与えられるべきは俺だからな。…常識、か!」


接近した彼は、そうしてゆっくりと僕の胸元の勲章へと右腕を伸ばす。


「お前みたいな穢らわしい汚物にネッチャネチャ触られて、"奇跡の勲章"が可哀想だぜ…。どうせ知らないだろうが、世間には『豚に真珠』って言葉があってだな?」


そうして胸元の翠星を掴もうと伸ばされる、磯城の右手。


「持つ人間に価値があるからこそ、それは一層光り輝いて見えるんだよ……!」


それを、僕は――



「往生際が悪い」



パァン!!

「――ッ!?」


思い切り、はたき払った。


「お前も、司令部も皆様も――、なにか、勘違いされているようですね。なにも、我ら即応集団が貴方がた沿に指図を受けるいわれはないんですが。」


「き、貴様!指揮系統に背くというのか!?」

「速やかに指揮体系に帰属しろ!叛乱行為だぞ!」


当惑しながら僕をこぞって非難する黒木大将以下司令部。

断ったことがそんなに衝撃だったか、磯城はぽかんと口を開けて唖然としている。


「指揮体系に帰属?――何をわかりきったことを。笑わせないでください、本官の所属部隊の正式名称を読み上げてみてはいかがです?」


藤井参謀次長が間髪おかずに答える。


「は、はぁ?貴官の部隊の正式所属名称?『桜花』……正式名称、満州総軍直属中央即応集団――、」

「『』、中央即応集団。そう仰いましたね?」


そう藤井に笑いかけると刹那、戦慄を走らせる。


「――ッ!?!『満州総軍』、だとォ!?」


「ええ、全くその通りです。第1軍と第2軍で構成される貴方がた沿海州総軍ではなく、満州で死の防衛を展開する第3軍と第4軍から成る、もうひとつの総軍――、我々の所属は『満州総軍』。」


平然とそうのたまってみせる僕に、唖然とする藤井少将と黒木大将。

磯城が机上に思い切り拳を打ち付けて叫ぶ。


「ふ、ふざけるのも大概にしろッ!!じゃぁなんでウラジオストク入城時は俺の指示に従った!?」

「沿海州総軍参謀部の『指揮』と称するそれを受けたのは、ただ僕ら即応集団の全面的な『善意』による『要請受諾』であり『協力』に過ぎないが?」

「……は、ぁ…っ…!?」


抑、沿海州総軍との指揮系統など存在しないと、事実をただ淡々と突きつけて。


「満州総軍司令部にも、本隊は『自由意思に基づく機動戦闘を以て戦局を打開する』旨の了承を得ています。」


眼下の正方卓に広げられた戦略地図に視点を戻し、『桜花』の駒を持って見せる。


「本司令部との確固たる指揮統制と情報処理を犠牲にする代わりに、現場裁量に任せた柔軟な戦局対応と戦略機動力を確保する。

―――それが、即応集団『桜花』に根ざす戦略思想ですよ。」


斯くして、図上のコマを全て市街に詰め込み、建物という建物に、屋上から地下まで陣地を張り巡らせる。


「整然としたメインロードには、くまなく射線が通るように建築物の上から下まで機関銃陣地を設営。入り組んだ裏路地には、要所の建築物を爆破解体して袋小路を形成、退路を塞ぐように小隊単位の待ち伏せを決行。」


たった4個師団のその駒は、途中から本土増援の4個師団が加わり、8個師団12万人へ。市街に引きずり込まれた敵を各個撃破で弾きつつ。

地下壕とトラップ織り成すこの世の地獄が、ロシア軍を10万人ずつすり減らす。


「空挺団と焼撃隊による強力かつ迅速な建物制圧には、最大正面を10万に制限されるロシア歩兵じゃ到底追いつくことができません。

 敵が数に勝り、此方が質に勝る。ならば―――敵の数を強制的に制限すればいい。そのための舞台を、用意すればいい。」


それが此処、ウラジオストク。

それが3月1日開演の『ウラジヴォストーク攻防戦』。


氷空そらを塞いで。

路地を縫って。

地下で耐えて。

泥水を啜って。

堪えて、粘って、凌ぎ切って。


「――以て、春を待つハルヲマツ。」


そうして漸く。

120万という数の夥しい敵駒が、長白山脈の雪解けの泥濘に呑まれるのだ。

根雪が溶け切るまで耐えた蕗ノ薹ふきのとうだけが、芽吹けるのだ。



「「「は、蕗ノハルヲマツ――…!!」」」







今になってから思う。

磯城を見下しすぎた。完全に軽蔑しきっていた。その称号が偽りであったのだとしても、僕はあまりにも鮮やかに『英雄』を引きずり下ろしてしまったのだ。


観客の前で有頂天になって崩れた磯城を見て、こうはなるまいと決めて。

いつしか僕の視界は、部外者や観客やじうまといった存在を無意識に跳ね除けるようになった。磯城が喜び舞った彼らの注目に、僕は踊らされるまいと誓って。

だから、気づくのが遅れたのは仕方ない事じゃないか。なぁ?


そんな言い訳も一つはきたくなるさ。


総軍司令部置かるる大聖堂へ、外から降り注ぐ数多の視線と。

そうして彼らが手元の手帳に書き記した内容を、この段階で知っていれば、気づいていれば。――あんなことにはならなかったのに。






―――――――――






「全て、想定の範囲内ですから」


そう言い切った伊藤博文に、有栖川宮は顔をしかめる。


「…まさか御冗談を。この致命傷を、想定内であると仰せに?」

「ええ。そもそも咸鏡本線を防備するほどの戦力を皇國は保持していません。私が下したウラジオストク防衛の決断は――当然、その攻囲戦も視野に入る」

「んな、わけが…なくってよ、、、?」


伊藤は溜息をついてみせる。


「言ったはずですよ、あの時。磯城は初冠と同程度の実力だと。

 初冠が間違えるのならば――磯城とて、間違える。たったそれだけの話です。」


「ッ…あれだけあの逆行者を擁護して来られましたのに、随分な掌返しですこと」

「おや、これは心外な。いつ私が擁護したんです?私は初冠の届かなかった点については指摘しましたが、だからといってそれが磯城の擁護にはなりますまい?」

「っ!」


有栖川宮は思い返す。

磯城を庇っていたのは黒田清隆だ。

眼前の老獪なる皇國重鎮は――、一切たりとも言及していない。


「磯城盛太とて、失敗する。…まぁ、あそこまで自分に酔っていたらいつかは手ひどくやらかすとは思っていましたが。」

「…それを分かっていて、放置したのでして?」

「よい糧ですよ。アレは皇國枢密院に服従する駒で、もう片方の逆行者という不安定要素への牽制になる。だから、一度失敗を経験させるんです。」


あくまで磯城は育成する方針だと、彼は言う。


「そのための大いなる屈辱、いわばスパイスとしての初冠ですよ。

 利用させてもらいますよ、あの博打好きの青二才を。」


反感を覚えた有栖川宮は溜憤を呑み――けれども、ふと留まる。


そう。この場がなんであろうと、何が言われようと。

こちらが主導権を握れば勝ちなのだ。


「それならば…――ウラジオストクにおける戦闘中の一切の指揮権を初冠に。これを約束して頂けるのなら」


果たして有栖川宮は、あくまでも打算的に動く。

磯城を退けて、初冠に託す。

それさえ成し遂げれば"妥協アウスグライヒ"の勝ちだから。


「いいでしょう。皇國に栄光を」


噛み合わないはずの歯車が、異音を立てて、おかしく繋がって、それは奇跡的にも回り始めた。

奇妙な利害の一致が、有栖川宮と伊藤博文の間に生まれたのだった。




しかし、

合わない歯車はすぐ抜け落ちるモノだ。


「ではまずはじめに――…陛下より賜った戦時勅命代行の権限を非常発動。」


有栖川宮に一切の言葉を挟む暇を与えず、

伊藤博文は躊躇なく続きを放つ。



「天皇陛下に代わり、皇國戦時内閣の長たる首相・伊藤博文が、此処に勅を発す。

 明治38年勅令――『第227号』。」


一. 大本営と全ての前線指揮官は従わなければならない:

 甲) 確実なプロパガンダにより、前線の兵士から厭戦感、および退却に危害がないという考えを、無条件で取り除くこと。

 乙) 前線司令部からの命令なしに、占有すべき位置から無許可で退却を容認した指揮官は、無条件で、軍法会議にかけるため最高司令部へ出頭させること。

 丙) 指揮官、より高位の指揮官、それらに対応する上官将校は、1~3個の懲罰連隊を編成し、作戦に従事する全ての部隊から臆病者、卑怯者、または規律違反により有罪である者を編入し、皇國に対する罪を彼らの血により贖う機会を与えるため、前線で最も困難な位置に配置すること。


二. 全ての前線総軍と司令官は従わなければならない:

 甲) 占有すべき位置からの撤退を容認した指揮官、指揮本部付、将校は全員無条件で更迭し、軍法会議にかけること。

 乙) 充分に武装した憲兵隊は、師団の中で臆病者と卑怯者が出た際に射殺できるようにし、師団の忠実な兵士が皇國に対する義務を遂行できるために役立てること。

 丙) 軍ごとに10個を上限として懲罰中隊を編成し、臆病者、卑怯者、または規律の違反で有罪である者を編入し、皇國に対する罪を血で償う機会を与えるため、最前線で困難な位置に配置すること。


三. 師団および総軍の指揮官は従わなければならない:

 甲) 師団または軍指揮官の命令なしに、占有すべき位置から許可なく兵を撤退させた連隊長、大隊長とそれに対応する上官将校は、全員無条件で更迭し、勲章を剥奪、軍法会議にかけること。

 乙) 兵士に命令を忠実に実行させ、また秩序を強化するため、総軍憲兵隊には必要な全ての援助と補給を与えること。


この命令書は全ての小隊、中隊、騎兵隊、砲兵隊、飛行隊が読むこと。


御 名 御 璽

皇國枢密院連名




「なにせ、ウラジオストクまで失陥してはそれこそ敗北なのですからね。

 旧『英雄ノ凱旋』作戦によって、本土の4個予備師団は出撃準備は満了済み。明日にでも送り込んで、なんとしてでもウラジオストクは死守せねばならない。我々はこれ以上、絶対に撤退することは出来ないのです。」


歴史の修正力か、はたまた神の気紛れか。


「これは勅令であり、他の如何なる軍令にも優先して遵守される。これに背く軍属並びに部隊は直ちに大逆と見做される。発効は皇室典範の規定に基づき3月1日付。

…繰り返す。」


この明治38年2月末の、氷雪の極東に。

歪みきって時空の彼方へ消え去ったはずのあの世界線の遺物が――鮮烈に甦る。





「勅令第227号―――『退』。」





明治38年2月末。

斯くして『ウラジヴォストーク攻防戦』は始まった。


地獄が。

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