十二章 誰が為に華は咲く

正体

「決戦地を、ウラジオストクと定む。」


皇國枢密院にて、最終宣告がなされた。

明治38(1905)年2月18日、静かに雪の降る帝都。押しつぶされるように、有栖川宮と松方正義は鈍重な溜息をつく。


「…もはや説得も意味無し、ですのね。」

「ええ、殿下。ウラジオストクまでもを失っては皇國に勝機はありませんので」

「そのために、旅順や大連を喪うとしても?」

「ご説明致したはずです。皇國の進撃を象徴するウラジオストク、失えば国内でも海外でも信用が失墜し、戦時国債は暴落、戦争継続は速やかに困難となるでしょう」


逆に言えば、と西園寺公望は続ける。


「ウラジオストクさえ保持していれば、確定的に講和の機会が訪れるんです。

 バルチック艦隊の帰港先が消滅する上に、春明けまでに最終目標を奪還できないとなれば泥濘で勝負は夏以降に持ち越し。帝政ロシアの内情的に、それは難しい。」


コンテナ取扱設備の制約でウラジオストクへ直接海上から物資を揚陸することが出来ないことも、一年がかりで構築した鐵道管制室による高度兵站システムやイージスシステムを即時に沿海州に転用することは不可能であること、ゆえに松花江のような耐久は到底できるわけもないことも、説明した。

けれども、根本的な理解を得るに至らなかったのだ。


思えば必然かもしれない。コンテナ、鐵道管制室、イージスシステムと、全ては初冠や咲来が中心となって組み上げた、登場間もない新技術群だ。

枢密院が関知しているならまだしも、"妥協"という完全なる有志団体が、北海道や満州といった辺境の地で理論を組み上げ確立させたモノである。一年経たずでそれを枢密院が即座に根幹まで理解することなど、無理があろう。


戦争遂行に関する技術研究の分立。

両組織間の交流の致命的欠如。

そこから起こる認識非共有。

史実・太平洋戦争、航空技術研究の陸海軍二重体制問題と同じ欠陥が、明治38年のここに露呈していたのであった。


ただ、だからといってウラジオストクを放棄すれば、西園寺の言うとおり皇國戦債が暴落しかねないのも事実。その視点は、有栖川宮には見えていなかった。

軍人と政治家では見える世界が違う、ということは事実でなのであろう。


「それに、我ら枢密院議員たる磯城中佐が直接戦線を動かすのです、殿下。」


『維新英傑』の一人、黒田清隆が笑う。


「随分なご信頼であられますこと。噂には…脱出した露軍司令部の追撃を認めなかったばかりか、機甲戦闘団に進撃停止を命令。電撃戦に1ヶ月のタイムロスと、不追撃による致命傷を負わせた張本人、と聞き及んでおりますけれど」


「当然の判断でしょう。陸軍中将として申し上げますが、ハルビンへの追撃など不可能にもほどがあります。」


自身の中将章をわざと見せつつ、彼は言う。


「作戦の見直し、測量されていない地形や道路の把握、食糧弾薬の用意、兵站計画の白紙化と再策定…。とても一朝一夕で組み上がるものではありません。『事前の戦闘計画に含合されない進撃はリスクが大きすぎる。』――戦争学の基本です。」


助け舟を出すように、松方が口を開く。


「それでも露軍司令部を放置して、今のような持久戦に持ち込まれるよりかはマシであったように思いますが。特に…奉天で1ヶ月を浪費するよりかは、遥かに。」

「長春から、蛇行する松花江を二度渡ってハルビンへ行くのですよ?松花江の遠大さは戦闘詳報から貴方もご存知のハズ。たった1ヶ月で確実に制圧できるとでも?」


松方正義は黙り込む。

畳み掛けるように伊藤博文が溜息をついた。


「…まぁ、なるわけがないわな。」

「仰る通りです、伊藤閣下。」


黒田が追従する。


「抑、歩兵の追いつけないほどの急速な装甲車の進撃は、突出と包囲殲滅の危険性を格段に押し上げるんです。ハルビンを経由してウラジオストクに至る長大な進撃路など、夢物語も甚だしいのですよ。」


皇國は5年掛けて1500輌の装甲車を用意したのだ。

天下の苅田工廠とてここは貧乏三等国・皇國。装甲車は日産1輌にも満たない程度、これをまるまる撃滅されるような危険性を孕む作戦など許可できるはずがなかろう、と伊藤は言葉を付け足した。

総括するように黒田が続ける。


「奉天以後、磯城陸軍中佐の判断に、一切のミスはないと考えておりますよ。」

「むしろ――奉天にて降伏処理を後続に任せて進撃しなかった現場指揮官。

 初冠藜といったか、あの逆行者の判断ミスが全ての発端なのだがな。」


伊藤の言葉に有栖川宮が、むっと顔を上げる。


「戦闘詳報からは、大本営の枢密院戦争指導部からの交渉指示によってその行動を大きく制約されていたように読み取れますけれど、いかがでらして?」

「敵軍が脱出を企んでいるならば交渉も何もありませんよ。その場合打ち切って即攻撃という暗黙の了解を理解している、という前提で交渉を指示したのですがね」

「敵軍脱出の兆候あり、と打電して指示を仰いだようでしてよ?」

「兆候だけでは判断できますまい。確定的な証拠がなければ高リスクです。」

「戦場で確定的証拠を掴むなど如何程に無理難題か…、わかっていらして?」

「それも含めて実力ですよ。あの逆行者は出来なかった、事実はそれだけです。」


それを聞いて、松方が肩を竦める。


「やはり、随分なご不信ですな?黒田さん。」

「磯城は今まで一度も重大なミスを犯していません。対する初冠は今回、見事にやらかしてしまった。私はただ事実を――いいや、"結果"を言っているだけです。」


皇國への多大な貢献は認めるが、ハワイ救出作戦のように不必要な軍事行動を取ったり、今回の奉天のような致命傷を負うことがある。それが初冠だと、黒田は語る。

見当違いにも程がある、とその物言いに反論しようとした有栖川宮だが、それを遮って松方が言葉を発した。


「ハワイの件、未だ不必要だったとお考えか…。」

「当たり前だろう?」


それに答えたのは、伊藤だった。


「将来恒久に渡って同盟を組むこととなる合衆国への布石など、打つ必要がない。この戦争が終わった後は、日英米で三国協商締結で満州共同開発、ゆくゆくは無敗の三国連盟を構築して二度の世界大戦を勝ち進むのだからな」


伊藤博文は、枢密院議会中央に掲げられたスローガンを指し示す。

そこには大きく筆書きで『太平洋戦争 敗戦回避』と記された幕があった。

14年前に掛けられてから揺るがない、枢密院――皇國全体の最終目標である。


「よく……戦後のことなど、考える余裕がおありでらっしゃいますこと。」


うつむきながらも、堪えきれずに有栖川宮がそう言った。

その手は震えて、ドレスの裾をくしゃと握りしめる。


「歴史が大きく歪みかねないにも、かかわらず…」

「同じことをよく言われます。そこの松方にも、新参議員にも、そして…東郷にも。」


その名を聞いた瞬間、彼女は、ばっと金髪を揺らして向き直る。


「それを史実盲信と、申し上げているのですわ…!」

「説明申し上げたはずです殿下。開戦前夜に、一度。」


彼は枢密院議員章を揺らして有栖川宮の言葉を遮る。


「史実、日清戦争や日露戦争に負けていたのなら、なるほど、ここまでの改変は世界史までもを歪めることになりましょう。ですが、そうではない。」

「……っ」

「史実でも日清戦争を、日露戦争を勝った。ならば、結果さえ揃うのならば戦争の組み立て方など自由です。なにせ、史実だろうがこの世界線だろうが、どちらにせよ勝つのは変わらないのだから。殿下、世とは"結果"が全てなのですよ。」


ドレスの裾を掴んでいた有栖川宮の左手が、するりと抜け落ちる。

その薄桃色の唇が、少しだけ開いた。


此処に至って、有栖川宮は気づいてしまったのだった。


(そうか…、そうですわ…。)


いいや、漸くというべきだろうか。

考えてみれば、これまでの対立全てが必然であったのだろう。


伊藤博文は言葉を止めない。


「"結果が全て"。歴史改変も、人生も、戦場も、全て同じ。それは――ウラジオストクを巡る先の論争とて変わらない。敵軍の猛反攻の最終目標は、誰が見てもウラジオストクに相違ありません。

 いくら理由を付けようと、我々がウラジオストクを手放した時点で敵の『戦略的勝利』なのです。その時にいくら皇國陸軍が戦力を温存していようとも、我々が戦略的勝利を敵に譲ったのは変えられない"結果"で、諸外国の目にも事実としてそう映る。皇國戦債は速やかに暴落し、戦争続行は不可能になりましょう。どう足掻こうとも世界は無慈悲にも"結果"でしか評価してくれません。21世紀の社会構造実力主義と同じですよ。

 結果こそが唯一の正義、""なのです。」



有栖川宮はその言葉を反芻する。

深く、心に滲み込ませるように、何度も。


(結果が…全て。)


皇國枢密院。

史実という『全ての結果なれのはて』を知る、世界唯一の集団。

最終的結論を知り得る彼らは、ゆえに "結果が全て" という価値観を導き出す。


なるほど、間違いじゃない。それは一つの真理なのだろう。

21世紀という未来は間違いなく成果至上主義。

結果という縮尺でしか評価されない世界なのだから。


如何なるプロセスを辿ろうと、ただ一つの答えを目指して歩みを進めるのみ。その歩幅が少しばかりズレようとも、一番最後に弾き出す答案ゴールさえ間違いがなければ、結果が望むものであるのならば正解だ。

『敗戦の回避』という至上の命題を掲げる彼らにとって、歴史改変とは結局の所――数学なのだ。



「だからこそ…――枢密院とわたくしたちは、。」



誰にも聞こえないように、されど、強く、強く吐き出した言葉。

それは、有栖川宮が辿り着いた最終的結論で。


(これではっきりしましたわ。枢密院は、悪でなければ、愚者でも、不正解でもない。わたくしたちと決して相容れることのない――もう一つの『対立軸』。)


枢密院は史実を盲信する大間抜け共の阿片窟ではない。

伊藤博文、黒田清隆、そして西園寺公望やその他限られた選ばれし"偉人"の集う枢密院は、むしろ知性の牙城だ。

だからこそ、理性を、理屈を、論理を追求し、たった一つの究極を導き出そうとするのだろう。


(けれどもそれは、『唯一の正義』ではなくってよ。)


一つの真理ではある。だが、それが唯だ一つじゃない。

ましてや正義などという代物でもない。


有栖川宮は、まっすぐに西の方角を見据える。

そうして紡ぎ出す言葉に、もはや迷いはなかった。




「ならば示さなければなりませんわ。もう一つの『軸』の存在を。」




瞬間、ドドドドド、と伝令が議場へ駆け込んでくる。


「き、緊急報告!」

「なんだ?」

「磯城中佐の指揮下で戦闘中の沿海州総軍6万が、長白山脈の迂回突破を受けてウラジオストクに包囲!繰り返します、磯城中佐の総軍が包囲されました!!」

「なッ、なんですと!!?」


黒田清隆が驚愕に目を見開いて叫ぶ。

けれども、有栖川宮だけは冷静であった。


「……こうなることは予想もついておりましたもの。」

「そ…う、ですか…。」


磯城も失敗したという事態に、落胆する黒田。

有栖川宮は勝利宣言をするように、ばッとドレスを翻す。


「磯城中佐とて初冠中佐と同様ミスをする。さぁ、これで振り出しに戻りますわ。」


そうして向き直った先は、こちらから顔を背けて立ち尽くす伊藤博文。

あれだけ『結果が全て』と自信満々に語っていた彼に、その矜持を折られ、今や拳を握り奥歯を噛み締めて俯くほかはないであろう彼に。


ざまぁみろとも言わんばかりに、有栖川宮は語り返す。



「ご覧くださいまし。わたくしたち"妥協アウスグライヒ"の――戦争芸術を。」







「ククッ、それには及ばびません、有栖川宮殿下。」


沈黙を打ち破った、最初の一言。

その伊藤の声に震えはなく、その意思は依然折れていないことを凛と伝えて。


「……はい?」


「磯城君もついに失敗、ですか。」

「まぁ逆行者とて人間です。仕方ありませんよ」


溜息をつく黒田に、西園寺が慰めの言葉をかける。


「ゆえに、そこは我らがカバーしてあげましょうよ。想定されうる全ての可能性に、我らは対応策を構築してきたのですから」

「……西園寺さんの仰るとおりですね。私も、期待しすぎたのかもしれません」


会話が交わされる。

まるで、対応の手筈はもう整っているかのように。


「何も心配なさることはありません、宮様。」


ゆっくりとこちらへ振り返る伊藤博文の表情は、有栖川宮の想像とはかけ離れていた。屈辱感も悲壮感も一欠片たりとて見えず、むしろ、眼を不敵に爛々と輝かせて。

顔を上げた彼は、深く笑っていたのだ。



「我々は――…、想定済みですから。」



その瞳に果てしない深淵を覗かせて、伊藤博文は斯く言い放つ。

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