皇國の中国分割 後篇

「さぁて冒頭の説明通り、歴史の順序的には、中国分割が始まったのは本年以後、『眠れる獅子』が『くたばる死屍』だったことに気づいた列強諸国が下関条約の借款を使って租借地とでんちゃを作り始めたのに端を発します。」


世界地図を裏返し、もとの中華大陸の地図に戻る。


「僕は前まで勘違いしてたんですが…、本年の時点で、中華大陸における植民地獲得競争領土拡張ゲームに、なんと我々は一切遅れを取っていないんです。」

「まぁ…今から始まるゲームなんだし、当然よね?」

「そう。つまり…今からスタートダッシュを決めれば、英仏独の『持てる者先進資本主義国』どもに対して大きなアドバンテージを得ることが出来る。」

「……へぇ、そういうこと。」


裲が腹黒げに、にっと笑った。


「連中より先に港湾を租借し、鉱山経営権と鉄道敷設権を獲得、『附属地』を展開するってわけ?」

「『附属地』以外は全部正解だ。」

「以外は、って…どういうこと?」

「『附属地』は工場経営や商業展開…つまりは資本の投下先。帝国主義は次のステップだ。今は勢力圏の確定に関わる港湾とでんちゃを優先する。」


僕はそう言って、長江の下流域へとマークを付けた。


「まだ誰も手を付けてない中国分割へ先鋒切って飛び込むのに、まず最初に抑えておきたい大農業地帯…。南京、蘇州、上海、杭州といった長江下流域デルタに広がる『江南地域』。」


21世紀に入ると中華最大級の都市帯域となり、高度な発展を遂げる一帯。

1842年の南京条約により上海が開港、これを契機として英仏の上海租界が形成され、1865年には香港上海銀行が設立されたことを先駆として欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。1871年には清朝で初めての国際電信が開通、いちはやく中華の玄関口となったのだった。


「ここからは史実の話になりますが…下関条約後、1898年には大英帝国が上海=南京の滬寧鉄道ならびに上海=杭州の滬杭鉄道の敷設権を獲得、長江下流域一帯…すなわち江南地域の英国勢力圏への組み込みに成功します。」

「相変わらず鉄道知識はやけに細かいわね…」

「いやいや、これが大事なんだぞ?どこの列強がどこの鉄道を、その敷設権を確保したかで、中華における勢力圏が確定していくんだからな」

「敷設権?…開通させる前でもいいのか??」


松方がそう尋ねる。


「領有宣言みたいなものだと思ってください。他の列強に対する意思表示ですよ」

「なるほどな」


僕はまず、上海市街のすぐ北に浮かぶ――崇明島と呼ばれる、長江河口の最大の中洲を指し示した。

まぁ、中洲と言ってもその面積は沖縄本島に匹敵するのだが。

つくづく長江の巨大さを思い知らされつつ、その崇明島に印をつける。


「先の三国干渉への返答、1つ目。遼東半島の還付代償にあたり…まず、この崇明島を皇國が99年間租借することを認めること。」

「福建省福州、南台島の租借に続いて…ここも租借、ということか?」

「仰るとおりです。さらに追加で、この崇明島の防衛を口実に、崇明島から北の対岸、海門街を含む南通半島を25年間の租借とすること。」


長江河口域、中洲の崇明島とそのすぐ北側の長江北岸・南通半島の租借。

租借地面積だけでも、その面積は徳島ぐらいには匹敵する。


「…いくらなんでも拡張し過ぎではないか?」

「いいえ?このあと大英帝国が租借する威海衛地域や帝国ライヒが租借する膠州湾地域と比べれば、南台島租借地と併せてもその総面積は25%程度。」


還付する遼東半島と比べても遥かに狭小だ。文句は言わせまい。


「崇明島には港湾と居留地と建設、史実の大連のような『皇國勢力圏地域への玄関口』の役割を期待します」

「なら南通半島は?なんのためにここだけ25年間の租借を?」

。」

「……は?」


僕はニィ、と口角を上げた。


「租借後、皇國が先鋒切って中国分割に乗り出したと悟った大英帝国は、大慌てで自分たちも参戦しようとする。そこで、南通半島の租借権の移譲を…大英へとチラつかせる。」

「話が見えてこないな、中国分割において大英はライバルになるんじゃないのか?」

「だからこそ、ですよ。」


一旦言葉を切って、継ぐ。


「日露戦争を前にして大英帝国と対立するんじゃ自殺行為です。けれども、分割には相当のリードをもって参戦したい。なら…大英帝国と『妥協』した形を取ればいい」

「『妥協』、だと?」

「ええ。大英帝国には南通半島を譲り渡し、大英が長江を境に北側を勢力圏とすること、並びに天津=浦口(南京)間の津浦鉄道の敷設権・附属地を認める。

 その代わり――連中には、上海から撤退して頂く。」


今度こそ、ニヤリと上海にバツをつけた。

伊地知がふむ、と頷く。


「…なるほど、魔都を明け渡せと?」

「いいえ。そもそも『魔都』にさせない。」

「「「???」」」


トントンと机を叩く。


「魔都というモノは実に厄介です。

 上海は、史実…下関条約を境に魔都への道を歩みだしました。」


少し詳しく解説していく。


下関条約以後で工業企業権が諸外国に与えられるとともに、帝国主義下で諸列強は資本を次々投下、工場建設が強力に推し進められた。上海は英領香港の高税率に対して課税が緩く、また租界も用意されたので、香港のユダヤ資本が上海に向かって全面的に移転し、第一次世界大戦後に全盛を極めるに至る。


1920年代から1930年代にかけて、上海は中華最大の都市として発展し、大英系の香港上海銀行を中心に東洋金融の中枢となった。上海は「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれ、ナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。こうした上海の繁栄は、中国民族資本の台頭をもたらし、階級闘争的な労働運動が盛んになっていた。


「…そう。魔都は、その国際性から来る共産主義と、民族資本から来る民族主義と独立運動の中心地となる。」


魔都の生み出す利益は破格だが、それは猛毒を孕む。

中国共産党創設の地が上海であることを忘れてはならない。


「皇國が一国で抱えるには、リスクが大きすぎます。なにより民族主義運動の中心が皇國勢力圏にあっては、まず第一の排外標的にされるのが皇國となってしまう」


抗日統一などとやられたら、それこそ史実の再来だ。


「まぁそもそも金融の国際性がなくちゃ魔都にはなれないだろう。どのみち皇國勢力圏に魔都を構えるのは夢物語だ」

「さすが松方蔵相、わかってらっしゃる」

「なら…この世界線の魔都はどこに行くのかしら?」

「その役割は広州にやってもらう。」


大陸華南、香港と澳門に挟まれた珠江の河口突きあたり、広州と記された都市へ視線を移す。


「大英とフランスの利権が交錯し、ポルトガル領の澳門まで抱える国際色多彩なこの立地は、一つ起爆させれば一気に上海の代わりとなりうるな」

「そもそものポテンシャルがあるってわけ?」

「ああ。こうして…、皇國から『魔都』を遠ざけることが出来る」


かわりに上海はぐっと衰退することにはなるだろうが、結局は皇國勢力圏に入るのだ、その港湾は大切に使わせていただこう。


話が逸れたな。


「まぁこうして、大英帝国には南通半島と長江以北を譲り渡す代わりに、長江を境に南の地域は、蘇州、南京、南昌、長沙、汕頭を結ぶラインで皇國勢力圏とすることを認めさせる、という算段です。」


これにより浙江省・福建省・江西省の3省が完全に皇國勢力下へ収まるだけでなく、古くから江南の中心をなす穀倉として知られた、肥沃で遠大な長江三角州を手に入れることができる。


「ここにおいて皇國は――、米プランテーションを展開します。」

「米プランテーション、だと?」

「ええ。原料供給地兼市場です。」


僕はその仕組みを、長江三角州へ書き込んでいく。


「ここに、列強諸国の第一次産業革命時代を支えたプランテーション制による稲作を実行します。フランスが仏印メコン川流域にて完成させたそれを理想形として。」

「……プランテーション、ね。あまりいい響きではないけれど」

「あぁもちろん奴隷制やったり低賃金で強制酷使したりとか、とんでもなく非効率な方法はやらないよ。銃突きつけて働かせても労働意欲がないんじゃぁいい成果は出ないしね。」


倫理観に欠けた上に非効率なだけの列強の失敗をも踏襲する必要はない。

僕らは先例から学ぶことが出来る。


「僕らはあくまで倫理的かつ経済的にやるべきだ。」


こほん、と咳払い。


「慢性的な米不足にある皇國は、史実、その貧しさに喘ぎ多くの移民を海外へ排出、国内市場の、皇國の歯車となるはずだった人々をむざむざ世界中に撒き散らしてしまいました。」


更に皮肉なのは、その相変わらずの勤勉性を移民先で発揮した結果、仕事を奪うとして"排日移民法"に代表される対日バッシングに発展していったことだろう。

国内に留まり、勤勉性を遺憾なく発揮、皇國という巨大機械の部品となってくれればこういったことは一切起こらずに済んだのだ。


「維新以後、皇國は毎年膨大な移民を垂れ流しています。この傾向は――今年を境に、絶対に粉砕する。」


移民ゼロ社会だ。

さあ行かう、一家を挙げて南米に…など冗談じゃない。


「皇國にとっては百害あって…いや、一利くらいはあるな。向こうで日系ネットワークを構築できるのはデカい」

「どっちなのよ」

「いやーそれでも国内に留まってくれたほうがいいよ。それに、維新からもう30年経ってるんだから随分と流出したでしょ。これ以上はもう良くない?」


というわけで、と長江三角州に目を戻す。


「長江三角州には、台湾嘉南平野とともに『皇國の食料庫』を担ってもらいます。」


なにせ、春秋戦国以来の江南の穀倉だ。

これ以上の適任はなかろう。


「ここにて我々は"原料供給地"を確保。大農法プランテーションで低廉に生産されたコメは、滞りなく皇國の不足分を、余るくらいに満たしてくれます。そこで我々は、国内の軽工業製品をこれらの地域へ売り飛ばす。"市場"の役割です。」


このプロセスでまずは『経済的従属地』を形成する。

農産物を買い、工業生産物を売りつける。その差額でボロ儲け、国内の軽工業を完全に成熟させるのだ。


「待って、大農法って言わなかった?」

「言ったよ」

「これまでの集約農業やめるんだから、失職する農民が溢れかえるんじゃない?」

「大農法への移行だから、まぁそうなるよな」

「どうすんのよ失業者は」

「『附属地』で働いてもらう」

「は??」


裲がイミワカンナイ、と視線で訴えかけてくる。


「あんた附属地作らないって…」

「大農法が浸透、米プランテーション原料供給地 兼 市場が成立するにつれ、第一次産業革命は成熟する。すると次のステップ、『帝国主義』だ。」


儲けたカネを、今度は投資に回していく。

帝国主義と、第二次産業革命への第一歩である。


「余剰労働力を、先程大英に認めさせた勢力圏での鉄道敷設と、その沿線に起こる投資で出来る工場群に殺到させる。」


まぁこれはもうすこし先の話だ。

まずは目先の勢力圏を確定しようじゃないか。


「大英帝国は、皇國から直接南通半島を獲得することで、中国分割への第一歩を皇國から提供してもらった形になります。これは一種の『貸し』です。」


それで、史実は全域が大英勢力圏に入った長江流域の南半分を、皇國勢力圏へ入れることに同意してもらうわけだ。

なにせ大英にとっても、他の列強に先んじて中国分割に乗り出せる。

悪い話じゃない。


「さて、敷設するでんちゃ!の話入りますか」

「その呼び方やめない…?」

「やだよぼくでんちゃオタクくんだもん」


軽口を叩きつつ、ペンを持ち出して鉄路を記していく。



____________

[皇國勢力圏 / 鉄道線略図]


北京 ―― 天津⚓

¦    |

¦    |

武==九=南京

漢  江  ┗┳上海⚓

┃  ┃   ┃

長沙━南昌━杭州━寧波

¦   ┃

¦   福州⚓

広州⚓


┃:皇國   |:大英

¦:複数共同 =:長江

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



「まぁこんな感じだ」

「へぇなるほど、あんたにしちゃわかりやすい地図ね」

「だろ?自信作。」


天津と南京の間でドイツ経営の済南鉄道があったりなかったりするが、まぁそれは今回全く関係ないので省いてもよかろう。


「図の通り、長江より北側は完全に大英へ譲り渡します。」

「そんな感じよね」

「大英は史実通り天津から南京(浦口)までの津浦鉄道の敷設権を要求するでしょう。これで長江以北は彼らの勢力圏に入る。」

「"複数共同"、とは…?」

「北京から武漢(漢口)は露仏ベルギーの三国借款団、長沙から広州は英独仏米の四国借款団です。まぁ史実通りに敷設権を手に入れるでしょう。」


独力では参入できないベルギーや合衆国といった後発プレイヤーはこういった共同経営の形で、中国分割に乗っかったのだった。


「共同経営路線の中の一区間だけ、皇國経営というのは…」

「あ、気づきました?」


僕はニヤつく。

広州と北京を結ぶ共同経営線。しかし、その一部、長沙から武漢(武昌)にかかる鉄道線は純皇國経営区間だ。


「この世界線で『魔都玄関口』となる広州と、清朝帝城の北京を結ぶ重大な鉄道。多国籍借款によって敷設されるのも頷けます。―――しかし、その一部区間が皇國経営であったのなら?」

「……くくっ、関所のつもりか」

「その通り。給水代や給炭代で稼げる。」


魔都と帝城を結ぶ超重大路線には必然的に物流が集中、非常に様々な国籍の多くの汽車が行き交うこととなるだろう。

されど、汽車は冷却水と石炭がなければ動かない。さらに、その乗務員は途中に休憩地と食事を欲する。


「補給してもらおうじゃありませんか、長沙から武漢(武昌)までの皇國経営区間で。」

「そういうこと…。あんた意外に腹黒いわね」

「しかし大丈夫か…?列強の顰蹙を買いかねんぞ」

「直接的に通行料取り立ててるわけじゃないんですから大丈夫でしょう。まぁ最悪は値を吊り上げて売っ払ってもいいですし」


とりあえずは敷設権という名の先取宣言だけだ。


「図に示した中でまず建設していくのは、南京上海間の滬寧鉄道、上海杭州間の滬杭鉄道ですね。地形が平たく建設しやすいし、長江三角州地帯を走るので農産物の輸出にすぐ使いますから。」


明治34(1901)年までには開通させたいものだ。

それが出来れば、次に先程の長沙武昌間の"関所"を、続けて長沙から長江の南岸の山間を走って寧波に繋ぐ通称『南長江鉄道』を建設していく。南昌から福州までを繋ぐ鉄道は山脈をぶち抜くためめちゃくちゃ難工事だ、正直最後だろう。


「長江の蒸気船航路と、鉄路を織り交ぜた長江南岸、皇國勢力圏。

 第一次産業革命を進めるにも、第二次産業革命を進めるにも、うってつけ。」


史実、日本という後発プレイヤーは、あとから来たのにも関わらず積極的に拡張しようとしたため、既存の列強権益を脅して敵に回したに留まらず、中国民族主義の排斥運動の矛先までもを向けられてしまうという散々な目に遭い、大失敗した。


しかし、今回は最先鋒での参加。

それも、遼東半島の還付の代わりに、という正当な取引の上である。


あとから来て拡大する者が中華の民族主義の標的となるのは史実が実証済みだ。

皇國に続いてやってくるのが他の列強になるのだから、新たに『魔都』となる広州において興隆することとなる中国民族主義の恨みを買うのは英仏か、もしくは合衆国か。


ただひとつ言えることは、皇國は最低限の犠牲と反発で、中華最豊の地域一帯を手に入れることができるということだ。


「長くなりましたが、遼東半島の還付に代わり――

 ・皇國による崇明島99年・南通半島25年の租借を認める。

 ・長江南岸6区間の鉄道敷設権、沿線の鉱山採掘権を皇國が獲得する。

 この条件が、妥当なラインでしょうか。」


松方は、どこか戦慄しながらも、こく、と頷く。


「わかった。」 


これでもなお、引き渡す遼東半島における農地、官有物、都市、工場の全放棄分を埋め合わせるには至らない。

ゆえに、列強諸国も民族主義も納得する。

中国民族主義に至っては遼東半島の還付分のほうが大きいと喜ぶところだろう。


これで、遺憾なく中華経営に乗り出せるというものだ。


「…資金的裏付けは?」

「解決済みです。分捕った賠償金を元手に半植民地を展開しますから。

 賠償金うち、鉄道基金の2000万圓からいくらかを使ってまずは滬寧鉄道、滬杭鉄道。八幡製鉄所の建設資金が史実58万圓ですから随分余裕アリでしょう。」

「ああ、たしかに十二分だな。」

「労働環境は教育基金のほうから出して整備しましょうか。しっかりとした賃金と権利の保証された雇用関係でないと労働意欲も沸きませんから。それじゃ奴隷制と同じです」

「それでも皇國の人件費より遥かに安いんだがな」

「そこは…まぁ大農法ですし、ご愛嬌ということで。列強から非難されたり中国民族主義の矛先になったりしない程度にお願いしますよ?」

「任せておけ」

「沿線の鉱山採掘と米プランテーションの展開には産業基金総額7000万圓から1200万圓ほど。史実の台湾経営基金と同額です。大丈夫ですよね?」

「有り余るくらいだろう…余ったら国内の軽工業に使うからな?」

「ええ、それでお願いします。」


のちに世界はこう語る。

、と。

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