召喚獣

明治28年3月末、皇國は三国干渉を条件付きで受諾。

示された還付の条件を独仏露は首を傾げて認めたが、やがて自分たちが壮大な狂騒のスタートダッシュに遅れを取ったことに気付かされる。


大英帝国が皇國と日英協商を締結、南通半島の租借権を獲得したからだ。

大英が史実より1年ほど早く本格的な中国経営に乗り出したのだ。


帝国ライヒは大慌てで膠州湾、フランスも大焦りで広州湾を租借するも、日英に1年ほどの遅れを取ったのは否めず、国家を挙げて分割狂騒に乗り出していくこととなった。


これを受けて清朝世論は漢族を中心に憤慨。

皇國の還付・長江流域への進出は、「失ったはずの遼東半島を少ない犠牲で取り戻せた!」と歓喜を持って受け止められていたが、後から来た英独は「領土還付もせずに、脅迫だけで一方的に租借権と鉄道敷設権を強奪した略奪者」と広く抗議運動が発生する。

取引の体裁を成しているか否かで、明暗が別れた形であった。


皇國から租借権を移譲された形の大英は幾分かマシであったが、独仏に対しては長きに渡って抵抗感情が加速していくこととなる。

皇國はそうして、中華で最も怒りを買わない経営者となることに成功したのだ。


1898年に入るとロシアも本格的に参戦し、旅順大連を租借。

皇國世論は屈辱極まりないと反露一辺倒となり、皇國は大英へと接近してゆく。

こうして、日露戦の下地が上手い具合に形成されてゆく。




〈1898年 皇國勢力圏〉

長江以南から長沙=汕頭ラインまでの全地域すなわち、

福建省 浙江省 江西省

長江三角州 安徽省南部

湖北省南端 湖南省東北部


皇國租界設置都市

上海・蘇州・南京・杭州・寧波・南昌・九江・長沙・厦門・福州




国内では、”臥薪嘗胆”と”列島改造”を合言葉に皇國有史以来の経済成長が始まった。

12%という前代未聞の成長率が、皇國経済を徹底的に押し上げたのだ。


余剰労働力は軍隊と産業に吸収され、台湾では1000万人を支える穀倉地帯が猛然と計画進行。

大陸では建設の進む滬寧鉄道、滬杭鉄道を横目に上海=杭州=南京の長江三角地帯で米プランテーションが鋭意展開中だ。

食糧管理制度が始まると、備蓄米による安全な供給が約束され、農作物の値段が安定。安堵感から景気が一気に上向き、軽工業が有史以来の拡大を遂げていた。


内務省から厚生省が分離。

同省は「人口爆発」を掲げ、子供が6人以上いる家庭は徴兵免除、血税軽減を確約すると、前述の食料問題の一時的解決も相まって合計特殊出生率が5〜6を推移、銃後特有の人口増加に拍車を掛けた。


また、日清戦争で圧倒的劣勢から戦局を覆し、大活躍を見せ国内外で英雄視された防護巡洋艦『浪速』の設計社・アームストロング社は、この英雄譚を会社の誇りとし、全面的に皇國の技術分野を支援。本来部外秘とされる技術までもを海軍へ指導した。

松方は「まさか史実の日露戦後の、三笠とヴィッカーズ社の小話が、ここで現実になるとは…。」とこぼすこととなった。


明治29年(1896年)には、産業規格令が出され、"皇國統一規格"が、本格的に全国の官営工場に適用された。




堅苦しい話はここらへんに、少し息抜きの閑話として私生活の様相を語ろう。


下関条約のすぐあと、妥協アウスグライヒの始動にあわせて、のどかな田園の広がる(つまり地価の安い)帝都の外れ・三河島村に、本部建物を設置することとなった。

しかし肝心の資金がない。仕方なく、紫禁城の占領時に接収してきた芸術作品を売り払って、僅かばかり資金を得て、妥協本部建物を称する実に見窄らしい江戸長屋を建てることになったわけだ。


けれども、妥協加盟員の寮がない時点でその規模はお察しだろう。

伊地知と秋山は自邸、令嬢殿下は広尾の御用地があるからいい(なお裲はその離れに住まわせてもらってるらしい、いいなぁ)。けれどカネもなければツテもない僕は下十条に下宿を取ってそこから学校や妥協本部へ通っているのである。その下宿代だけで『翠北章』の勲章年金は全部吹き飛びパーだ。生きるってつらい。


妥協本部とて、所詮は江戸長屋。僕らが業務を拡大するにつれて本部建物は手狭になり、使い物にならなくなりつつある。というわけで、帝都の陸軍士官学校に通っている僕と裲の連名で学校の第2会議室を借り上げ、そこで会合を開いているわけだ。


しかし問題は消えたわけじゃない。

今年度末、僕も裲も士官学校を卒業してしまうのだ。裲は北鎮繋がりで北海道の部隊への任官が半確定といった状況で、集まりがあるごとに彼女は――交通費はもちろん妥協アウスグライヒ負担だが――わざわざ北海道から上京してくる事になるわけだ。

さすがにそれは酷だということで、卒業/任官以降、裲の出席は可能な限り免除すると決まった。まぁこの時代には電報も電話もある。遠隔地で会議に参加できないわけでもない。


で、肝心の僕の行く末は「不明」。伊地知が帝都のどこかへ人事をねじ込んでおくとは言っていたが、さて…どうなってしまうのか。

そもそも就職とか出来るのでしょうか不安だなぁ…。




個人的な不安を抱えながらも明治31(1898)年、日清戦争から3年。

現状国力は、人口5200万人、国内総生産940億ドル。

人口は史実比1.3倍、国内総生産は史実比1.2倍と、上々な成長を遂げている。人口国力ともに史実の大戦景気直前、1911年頃にまで、たった3年で13年分を駆け上がった。




・・・・・・

・・・・

・・




陸軍士官学校・第2会議室

妥協アウスグライヒ


報告書に記載されるそれに全てに目を通し、顔を上げる。


「こりゃ…物凄いですね…。」

「だろ?」


松方が得意気に語る。


「3月にはロシアは旅順を租借した。日露の開戦時期は概ね1904年頃、世論は反露一辺倒だから、国内からの突き上げもなさそうだ。…しかし。」


彼は顔を曇らせる。


「税収の伸びはいいのだが…、軍事費に金を取られすぎだ。ろくに内政に回せん。」

「いやでも、この『軍拡特需』はその名の通り軍備拡張に端を発しているんだから、軍事費の削減は無理ですよ。そんなことやったら、日露戦争を勝ち抜くことが厳しくなります。国力増強の上で亡国なんてバカですよ」

「それを言ったらおしまいなんだが…。」


松方は納得行かないようで、どうにか活路を見出そうと足掻くが、断念する。


「…海軍はどうなんだ。」


東郷は、豊島沖海戦で一夜にして清朝海軍を消滅させた英雄として、その名は国内外に広まり、枢密院としても彼を表彰し、大佐から中将に特進、更に史実にと異なり日清戦争で戦死した伊東祐亨の穴埋めとして、連合艦隊司令長官へ任ぜされた。


「どうやら…、東郷さん、枢密を皇國の脅威って認識してるらしいんですよ。どうにか参加させられませんかね、妥協アウスグライヒに。」


僕は頭を抱える。


「まぁまぁ。今日伊地知陸軍中佐に付き添われて、いいんじゃね?」

「確かにそうね」


裲も同意する。


「…枢密がどう出るかだよな。伊藤内閣は解散したけど、枢密院新制度施行のお陰で、枢密の政策は妨げられていません。」


僕はそう報告する。


天皇の最高諮問機関を成す、皇國枢密院。

史実、軍部の台頭には逆らえず次第に力を失い形骸化した組織。

この世界線では、この組織を枢密院が政権が交代しても政策に介入できるようにしておく、という役割に当てたのだった。


皇國枢密院は天皇陛下の勅命という形で枢密院から6名と衆議院の第一党党首、第二党党首、貴族院議長の3名、合計9名で構成される。皇國議会の決定を最終審議し、可決ならばそのまま通る。


否決の場合、再審査が為され、それでも否決の場合、天皇陛下のご裁量が下る。これを受けて議会は『民意表明』と言う名の拒否投票を発議でき、3分の2以上の議会票を集められれば、臣民投票が行われ、それにおいて否決の場合、やっと枢密院の案が拒否される。


「枢密院は、『維新の英傑』が占めているわけで、大体枢密院の決定は通るんですよ。彼ら半ば英雄として信仰されてますから」


維新後、欧米の脅威に常に晒されながらなんとかこれを乗り切り、日清戦争を勝利に導いた凄腕の指導者、伊藤博文。”練達の内務師”の二つ名を持つ、黒田清隆。同じく、”開かずの金庫”松方正義。そして――、「栄光の逆行者」。


「あー、あー、イタい二つ名中二病。独裁者独裁者。早く○ねばいいのに」

「そういうこと言っちゃいけない」

「そういや松方さん枢密議員でしたすみません」

「わすれんな」


松方はため息をついた。


「確かに、『維新の英傑』は国内では根強い人気があります。実際彼らに任せていて、順調に事が進んでいる――、と彼ら自身と人民は思ってるわけで、枢密院は半ば信仰され、人民は順調に政治への関心を失ってきているわけです」


僕が松方に言うと、彼は肩を竦める。


「我々は第一次大戦まで枢密院は保持するという方向で話は決まっている。それ以降に、国家の安定に従って組織を解体していくように働きかけてく。」

「頼みますよ。山陽道戦争のときの大山陸軍中将みたいな将校が陸軍を支配したらそれこそ終わりですよ」

「まて、まぁ静まれ。緊急制動。停止。」


クソ、誹謗中傷がコントロールできない。


「東郷といえば…、乃木司令や大山中将は、枢密へ?」


僕は純粋に疑問に思って訊くと松方はこう応えた。


「東郷の前例があるから、安易に招いて、勝手に動き出され、潜在的脅威を撒き散らかされるよりかは、直接的にかかわらない方が遥かにマシだ。

 ということで現状枢密の手は及んでない。」

「ということは枢密院に加盟させるつもりはない、と。そうしたら、どうやって現場に枢密院からの指示を出すんでしょうかね?」


そう訊くと、松方が不敵に笑った。

背筋に悪寒が走る。嫌な予感。


「枢密に居る、もうひとりの逆行者だよ。彼は第三軍司令部参謀になる。そして、残念なことにお前は同じ戦場に立つらしい。」

「え…、それって……、最前線ですし、まさか……」


「そのもう一人の逆行者の目で、お前が枢密に戻すに値する人物か否かを見定める、という面目だ。貴官は、大尉への昇進とともに、本日を以て空挺団中隊長の任を解き、第三軍への転属を命ずる、とのことだ。」


酷い面倒事を押し付けられた。


「ちょ、ちょっと待って下さい!第三軍て、あの第三軍ですか!?」

「そうだ、その通り。二〇三高地を死闘の末奪い取り、莫大な屍の上を踏み越えて旅順を手にした、乃木希典司令以下、第三軍だ。」

「やだよ死にたくない」


思わず本音が溢れる。


「なら死なないように、部隊を編成・指揮して最低限の損害で旅順を落とせ。」


淡々と返され、茫然自失とする僕。


「なんとか…」

「ならん。」


松方にすっぱりと断られ愕然。

やるしか無いようで。

クソ、ならば自作兵器でもなんでも使って生き残ってやる。


「……やるとしても、戦力は大丈夫なんですかね?兵器はいいとして、肝心の師団が史実のように不足するようじゃ、苦戦は不可避ですよ。」

「それがお前の役割だろう。陸軍の編成の助言もできるんだから、お前が主導でやらにゃならん」

「枢密のストップ入ったら終わりですけどね。」

「入らないように上手くやるんだよ。さて、さっさと説明するんだ。


松方に急かされるかたちで、僕は色々と処理するつもりの陸軍の現状を話す。


「戦力集中による重要拠点突破。近代総力戦の常識。ってわけで、軍備増強します。

 あ、それにあたって一つ。史実では日清戦争前にはとっくに師団へ改変されている鎮台ですが、敢えて解体しないみたいですね。」

「どういうこと?」


裲が首を傾げた。


「日清戦争に従軍した七鎮台は、近代化鎮台としてとどまってる。

 明治初期より存在する最も歴史ある古株たちで、栄えある『鎮台』の名を授かる歴戦の師団としての誇りと責任への自負があると思うし、まぁ士気の面で助かるかも」

「なら…『鎮台』は栄誉称号ってだけで、実質は師団ってこと?」

「その通り。だから、これ以降配備される師団は全て『師団』と呼ばれる。」


資料を配布して続ける。


「開戦前までに整備される帝国陸軍の軍制は現状、以下のとおりです。」


・正規師団

東京鎮台 仙台鎮台 名古屋鎮台

大阪鎮台 広島鎮台 熊本鎮台

北海鎮台 第八師団 第九師団

第十師団 第十一師団 第十二師団

第十三師団


・予備師団(防衛隊)

第十四師団 第十五師団

第十六師団 第十七師団


・特別部隊

第一空挺団

第一焼撃大隊 第二焼撃大隊

第三焼撃大隊 第四焼撃大隊

以下未定




「予備師団とは?」




聞いたことのない声が、後ろから響く。


「誰だお前」


知らない奴が立っていた。

軽くホラーじゃねぇか。


「すまん、遅れた。」


続けて伊地知陸軍中佐が顔を表した。


「伊地知閣下おかえりなさい。で、そこの方は?」

「海軍から迎えた新入りです。秋山真之海軍少尉ですね。」

「……あ、聞いたことあります」


松方が笑った。


「一回言ったとは思うが、彼は豊島沖海戦の第一遊撃隊司令部、唯一の生き残りだ。そして先日、枢密に大佐から少尉に降格処分された後、こちらに追放された。」


随分と本人の前で直接的だな、とは思いつつ。

大抵の事情は先週、伊地知からの説明で理解している。


豊島沖で何があったのか。


「……。」


僕も正直な心情を吐露する。


「奇遇ですね、同じ境遇の方が居たとは。」

「……どういうことだ?」


秋山が訊いてきた。


「同じく、枢密から追放、泥水すすってきた人間ですよ。

―――明二四年動乱をご存知ですか?」




・・・・・・

・・・・

・・




「―――陸でも、同じようなことがあった、と?」


「幾度もです。西方内戦で亡くなった山縣有朋陸軍中将も、大隈重信立改党党首も同じでした。」


ペンをコトリ、置く。


「いい機会です。失念しかけてましたけど、この『妥協アウスグライヒ』は、表向きは枢密院の政策遂行の補助組織ですが、」


僕は言葉を切って、少し息を吸ってから吐き出す。


「僕ら…少なくとも、僕は――明二四年動乱の北方戦役と山陽道戦争を見てきて、少なくとも枢密院がこのまま上手く行くとは思えない。

 この組織は、皇國枢密院への抵抗意思そのものです。」


言い終えて、一気に顔を上げる。


「まぁ、暗い話は一旦置いときましょう。とりあえず、そんな堅っ苦しい組織じゃありません。だいたいふざけてるんで、公的な態度とかは必要ないです。

 ようこそ秋山真之海軍妥協アウスグライヒへ。」


笑って手を差し出す。

彼は、そこまできて漸く頬を緩めた。


「…そういうことなら。こちらこそよろしく頼む。」


握手。

実に平和的だ。


「そういえば冷えるな」

「そうですね。もう12月ですもんね。味噌汁でも飲みます?」

「みそしるか、いいな」

「でしょう。作ってまいりますから少しお待ち下さ」

「それには及ばん」


秋山は一息置いて踵を返す。


「俺が起業する。」

「は?」

「起業だ。会社を起こすんだ」


唐突だな、会話が噛み合っていない。


「え、あ、はぁ。一体なにやるんです?」

「世界中の水道からみそしるが出るようにする」

「は?」


場が凍った。


「寒かったら味噌汁飲むだろ?」

「飲むときはありますね」

「蛇口ひねって出てきたら便利だろ?」

「テロですよそれ」


彼は気にせず、外の水道管を、なぜ持ってるのかは知らないが自前のみそしるタンクに接続しようと工具を持ち出した。


「ちょ、待っ!おい誰かこのヤベェやつを取り押さえろ!」


類が友でも呼んだのか?

戦慄した。変な奴がまた来た。

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