皇國の中国分割 前篇
明治28(1895)年4月23日
『き、緊急通報!』
ジリリリリと、帝都下町・三河島に置かれた
「何事だ!?」
松方蔵相が素早く電話を取る。
『外務省向けに独仏露の3列強から外交勧告書が送りつけられました!』
「内容は?」
僕や裲も、じっと耳を傾ける。
『"先の下関条約で皇國領と確定した奉天省は、その領域に遼東半島全域だけでなく、清朝帝城・北京まで陸上で100kmにも満たない山海関までもを含む。将来的に渡って清朝の存立を脅かし続ける当該地域の領有は、断固としてこれを認めない" ――以上です!』
「…外交通牒の法的拘束力は?」
『ありませんが…、拒否の場合、少なくともロシア帝国は、武力行使を辞さないと』
それを聴いた伊地知が、静かに拳を握りしめる。
「戯けを……。皇國陸軍将兵、1500もの血を流して手に入れた土地だぞ…!」
戦友を代償にして得た、文字通り血の領土。
それをやすやすと、文書一枚で譲り返せと脅される屈辱。
その憤慨は大いに分かる。
「しかし…独仏露の3カ国を敵に回して、生き残れる勝算は…、」
「……1%でもあれば奇跡、ってレベルですよね」
松方の言葉を継ぎ、僕が言い切った。
「返還の代償に皇國は何を得る?」
『三カ国の言い分としましては…、"新たに然るべき還付金を清朝へ請求すればいい"、と…。』
「連中は領土交換協定を知った上で言ってるのか!?奉天省を還付した場合、1億両の協定金が清朝から皇國に流れ込むことはすでに決まってるんだぞ…!」
これ以上、必要もないのに清朝から金銭を搾取しては清朝の崩壊を早めるだけ。
日露戦の前に王朝がぶっ倒れて辛亥革命でも起これば、それこそ皇國の国家戦略がひっくり返ってしまう。絶対にダメだ。
「けれども、ここで拒否するという選択肢は――」
「ま、待ってください!」
僕が慌てて制止を掛ける。
「10日ほど時間を稼ぐことは可能ですか!?」
「…なんだと?」
『え…えぇ、わかりました。とりあえず時間を稼ぎます!』
僕と松方の声の聞き分けが出来ないほどには向こうさんも切羽詰まっていたようで、すぐに電話がぶち切られてしまう。
「10日って…、今更一体何に使うってんだ?」
「これ以上カネを取り立てても、むしろ害しか生まない。ならば……別の還付条件を考えればよい」
裲が少しばかり眉を寄せる。
「はぁ?じゃ、一体何を求めるってのよ」
口に出すべきか少し逡巡する。
けれども、やはりこれが適解だろう。
決心して、口を開いた。
「でんちゃ!」
ぐしっ、と足を強烈に踏まれる。
「あんたねぇ…。」
「ぐおおおおおおォ!!!」
致命的激痛。ガチで潰しにかかったんじゃないのか。
「痛そうだな…」
「ふざけてるほうが悪いわよ」
「イタいな…」
「確かにね」
前者の伊地知、後者の松方どちらも同じことを言ったのにも関わらず裲の反応が真逆だ。あれ?コレもしかして松方にバカにされてる?
「オタクくんさぁ…」
「失礼な」
松方の憐れむような視線にそう抗議して、僕は立ち上がる。
「みなさん僕のこと、仕事にデュフフを持ち込んじゃうようなキッツいオタクくんだと勘違いしてません!?」
「「「違うの?」」」
「ちげぇよ!」
余りにも悲惨な一同の反応、怒りで震えて涙が止まらない。
「あのですねぇ!でんちゃはとっても大切なんですよ!?還付条約ででんちゃを要求するのは立派な戦略的一個布石であって――」
「うわぁ…。」
「ほんとキツいなぁ…」
「他とは『違う』外交要求をする俺、カッケェ!とか思ってそう」
クソ、地獄すぎる。
どうして理解できないんだ、どいつもこいつも間抜け共め。
全員自民党のネトサポに違いない。
「列強諸国がどうやって清朝分割やったと思ってるんだぁァァ――!!」
僕はそう咆哮した。
「…分割?」
「言葉を変えるなら『中国の半植民地化』!史実、皇國と合衆国が間抜けにも出遅れた、16世紀から続く領土拡大ゲームの最終盤!」
「あぁ…!連合王国が九竜半島北部・威海衛、
松方が相槌を打つ。
そうだよそれだよ。
「あの有名な風刺画は覚えてますよねぇ!?CHINAと書かれたパイを列強諸国がナイフで切り分けてるアレ!ここのみんな史実知識あるんだからわかるでしょ!?」
「あー…なるほど、思い出したぞ。」
「それが何か関係があるのかしら?」
「大アリだ!!」
「大アリ?すまん、アリの種類はシロアリしか知らんのだ…」
松方のろくでもないボケは華麗にスルー…、いやお前、シロアリはアリじゃねぇよ。生物学的上はゴキブリと同じ種族だぞ。
結局スルーできず突っ込んでしまったことを悔やみつつ、僕は述べ立てる。
「列強諸国はまず港湾を確保し、そこから細長い『附属地』と呼ばれる事実上の植民地を形成、鉱山や各種工場と接続。この"半植民地化"と呼ばれる手段でボロ儲けをしたんです! さて――鉱山と港湾を結びつける大量輸送手段は?」
いったんデュフリと息を継ぎ、その答えを告ぐ。
「――でんチャァ…。」
オタクスマイル。
「カッケェ!w」
大蔵大臣から最低の賛辞を頂く。ありがとよ。後で蜂の巣にしてやる。
「はぁ…なにが"でんちゃ"よ、最初から鉄道と言えばいいものを…」
「鉄道だけじゃ表現しきれない。電車、列車、線路、附属地、撮影地、乗客、鉄オタ、迷惑行為、無賃乗車…その全てを含めた言葉が『でんちゃ』だからな。」
「オタクくんさぁ…。」
裲はすこぶる呆れ返る。
アナタ、鉄オタを差別しましたね!?
「このレイシストめ…。ツイフェミにLGBTへの差別だと通報してやる…!」
「あんたを叩くことのどこがLGBT差別なのよ」
「はー、無知はこれだから…。LGBTは何の略か言ってみろよ」
「レズ、ゲイ、バイセクシュアル…、待って、あれ…、Tってなんだったかしら」
「ほらわかってねぇだろ。"LGBT"、すなわち Lesbian, Gay, Bisexal...
そして――…Train。」
彼女は言葉を失った。
「は???」
「つまりでんちゃ好きをバカにするのは性的マイノリティーへの迫害、ひいては性多様社会への挑戦なのだ!」
「いつも通り頭おかしいわね」
呆れ返る裲。
飽き始めた伊地知。
寝てる松方。
やめよう、妥協名物グダグダ茶番をこれ以上続けても何も得るものがない。
折角貰った10日をこんなマヌケなことで消費したなんて言った日には外務省から全員諸共消し炭にされる。
「はぁ…、史実のおさらいしましょう。
清朝政府は下関条約によって生じた多額の賠償金支払いを、連合王国など列強に対して外債を発行、借款によって凌いでいました。列強は、借款を通じて鉄道敷設権や鉱山採掘権、さらに商業地や居住地となる鉄道沿線に治外法権や徴税権を要求、『附属地』として事実上の植民地を拡大していきます。」
「つまり、細長い植民地ってことね」
「そうそう」
「でも気になるわね、なんでインドやアフリカみたいに直接統治にしなかったの?」
「それは近年の民族主義の高揚が関係してる」
僕は机上に中華大陸の地図を広げ、その左下、チベットを越えた南側を指差す。
「代表的なモノはインド。インド大反乱だ」
「あー…、確かに、祖国が奪われるってのは決起や蜂起における最大の大義名分になりうるから、ってこと?」
「そう。近年は、ちょうど直接統治が割に合わなくなってくる頃だ」
特に、インドや中華といった人口が膨大で文明文化と民族意識が確立されている地域でこれをやると、とんでもなく不味いことになる。少なくとも連合王国が40年前、身をもって、そして血を流して学んだことだ。
「まぁ、愚かにも史実日本や合衆国はその後も平然と朝鮮やフィリピンを併合して、長期的な抵抗運動に悩まされ、赤字を垂れ流し続ける羽目になるんですけどね」
まぁそれになにより、完全併合すると、当該地域の面倒事まで責任を持たなければならなくなる。しかし半植民地化というものは、利益はしっかり吸い取るにもかかわらず、面倒事は清朝へ押し付けられる。
何とも便利で陰湿で腹黒い方法を思いつくもんだ、流石は欧州列強である。
「さて、次に列強は、港湾を清朝から租借という形で奪っていきました。そうして居留地を造成し、本国からの荷揚げ場所となるそこから、獲得した鉱山へ向けてでんちゃを敷設、沿線の『附属地』に自国資本の工場を設立したり商業を展開することで、多額の利益を清朝から吸い上げていったんです。」
これらの方法によって列強は、19世紀末に清朝国土を分割し、中華は事実上の半植民地状態に陥った、というわけだ。
「ははは…、資本投下とそこから展開する独占資本主義か…。重財閥主義というか、第二次産業革命独特の色で殴り塗られている感じがして……、薄ら寒いな」
「正常な感想ですよ、伊地知閣下。」
まぁ、そこはやはり欧州列強である。
僕はそこで、ふと問いかけてみようと思った。
「伊地知閣下。『第二次産業革命』とおっしゃいましたね?」
「?あ、あぁ。植民地主義には二段階あるからな。
第一次産業革命、つまり軽工業時代の『初期植民地主義』、
続く第二次産業革命…重化学工業時代の『帝国主義』。」
後者が現在、欧州列強で絶賛進行中のモノだと彼は続ける。
「完璧な回答ありがとうございます。さて…これから始まろうとしている中国分割は、後者の『帝国主義』に基づく、最後の
「言い方はアレだが…、まぁそうだな」
「しかし、『帝国主義』は第二次産業革命…つまり、重化学工業の確立下で行われる植民地経営思想。これを、マトモに軽工業すら育っていない皇國が遂行できると思いますか?」
「……っ、なるほど?」
松方が、ビクリと震える。
「皇國大蔵省の多くが理解できていない根本の問題を…言い当てるとは」
「ええ。皇國の人間の多くが、産業革命の1次2次を混同したまま、植民地獲得へと突き進んでいるような状況です。」
史実のように、2段階の産業革命を一気に受容しようとして脆弱な軽工業の基盤のまま、その上に重工業を重ね積み、結局工業国の地位を確立出来ずグラグラのまま世界大戦へ身を投げるなどという愚行を繰り返しはしたくあるまい。
「従って――我々は、維新以来続く第一次産業革命を、できるだけ早く完成させねばならない。正直、第二次産業革命は文字通り二の次です。」
下地を整えるには今しかないのだ。
確固たる基盤があれば、必ず高度な重工業が育ってゆく。
「…待て。そのロジックだと、中国分割に参加するメリットがないように思うが」
「僕がいつ『帝国主義で参加する』と言いました??」
「なんだと…??」
松方へと笑いかける。
「我々は――我々の第一次産業革命を、史実より強固に強大に完成させるため――『初期植民地主義』で、中国分割へ参加します。」
「初期…、植民地主義……?」
絶句する松方とは対比的に、裲がそう首を傾げる。
「つまり、原料供給地ならびに市場として、半植民地化する、ってこと?」
「……待って待って待って、お前なんでそんな博識なの?おかしくない?逆行者?」
「あんたの持ち込んだソレを丸暗記」
「はぇ〜…、は???」
彼女が指差した後ろには『要説 世界史』と記された資料集が。
うわぁ、松方との討議のために一度持ち込んだやつ持って帰り忘れたか。けども裲には逆行者であることをカミングアウトしてるし、ここはなにせ"妥協"仮設本部。
別に置いておいても問題はないはずだ。
「けどそれ全部覚えたの?凄くね??」
「別にそーでもないんじゃない?」
そう言いながらもどこか得意げな裲の横で、唸る声が。
「原料?…供給地、、、??」
困惑する伊地知へ、僕は説明のチョークを上げる。
「初期植民地主義とは、つまるところ軽工業における加工貿易です。大英帝国の例が非常にわかりやすいですが…、」
中華大陸の地図をひっくり返し、裏面の世界地図を広げる。
まずはインド大陸へと書き込みを始めた。
「第一次産業革命期インド。まだ大英帝国の統治が完全に及んでいなかった頃の時代ですね。さて、ここで綿花が作られる。」
綿の栽培という第一次産業だ。
その綿花はインドから喜望峰を回りはるばる大英帝国本土へと送り届けられ、そこで綿製品へと加工される。それは再びインドへ戻り、インド全域で販売されるという仕組みだ。
「まぁこの差額で儲けてるわけなんですけど、重要なのはこれが必ずしも
「…というと?」
「つまり、『肥沃な経済的従属地』であればいい。」
ゆえに、第一次産業革命期の植民地主義は、強力な領土と軍備の拡張が伴わなかった。従属地の全域を植民地支配する必要がなかったからだ。
「まぁ…これが第二次産業革命によって重工業が興隆すると、その発展には高度な技術や巨大な設備投資が必要となるから、従来の企業が銀行と手を組んで金融資本を形成していくんですけどね…」
財閥の出現である。
さらに、企業が集中、その独占的傾向が強まるに従って、植民地は当該巨大資本たちが資本の投下、つまり投資によって利益を得る地域へと変貌してゆく。
工場を作ったり、その労働者を育成するための学校を建てたり、生産品を輸送するための鉄道を敷いたり。大量の不動産が植民地に築かれていくのだ。
「こうして大量の資本投下を受けた植民地に資本が蓄積されてゆくと、列強諸国にとっての植民地の重要性が跳ね上がります」
「…なんでよ?」
『これが他国に分捕られたり独立でもされては、折角の蓄積資本が全てパーじゃないかぁ!!(精一杯のイギリス人のモノマネ)』
「ぷっ」
「笑うな、死にたくなる。」
まぁそういうことで、植民地における政治的支配が喫緊の課題として浮かんでくるわけだ。
「というわけで、直接統治を是とする『帝国主義』へ突入していくんですが…」
それは今じゃない。
いま皇國が求めているのは帝国主義ではなく『肥沃な経済的従属地』だ。
「はい!それでは…、原料供給地アンド市場を求めて中華へ進出しよう!のコーナーです!」
「なんか始まったぞ」
我、分割狂騒に突入す!
――――――――
つまり
第一次産業革命
『初期植民地主義』/ 貿易差額で収益→経済的支配
↓
第二次産業革命
『帝国主義』/ 資本投下で収益→直接統治(全域)
↓
民族主義の興隆
半植民地化 / 資本投下で収益→
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