宴席の経済論

「さて、工業はいいが、それと対をなす、強国にとって必要不可欠なものとは何だか分かるか?」


松方にそう聞かれた。


「はぁ…、インフラ、ですかねぇ…?」


正直全くわからなかったのでそう答えた。


「違う。”農業”だ。工業力だけ偏って伸ばしても、そこで働く人が居なければ意味がない。なら、どうやって人口を伸ばすか。

 ――それは、つまるところ安定的な食料の供給だ。」


松方によれば、今の皇國人口は4500万人強。史実よりだいぶ多い。なぜそこまで伸びたかというと、特庫、つまり史実知識で浮いた金から、かなりの量の資金を、品種改良や水田開発に費やしていたかららしい。


「それでも現状はかなりひどい。東北で冷害が起きれば他部地方との食糧融通もマトモに利かず、東北全土が食糧不足に直面するし…最悪は餓死者もでる始末だ。

「そうだったんですか!?」

「幕府期よりかは幾分マシにしても、お世辞でも褒められたものじゃない。」


酷い時代だぁ…。


「いま、皇國は肥沃な大地を求めている。」

「ですよね」

「そして台湾には、100年後、台湾随一の穀倉地帯と呼ばれることとなる"嘉南平原"が存在する。この意味がわかるか?」

「…なるほど?」


僕は相槌を返す。


「そこを大規模に開発し、皇國の食料庫とする、と?」


あったまいい〜、と感動していると、松方がとんでもない爆弾発言をサラリ。


「嘉南平原、明治281895年現在は干ばつ状態なんだよなぁ…」

「は?」


なんとこの平原、夏は洪水で一面海と化し、冬は雨がふらず一面砂漠と化すらしい。水田とかの前に人住めないじゃん、嫌がらせかよ。


「は?穀倉地帯?大嘘つきじゃないですか」

「答えは簡単。昭和の初め頃に巨大なダムが作られ、嘉南平原に量を調節された水が行き渡るようになったからだ。」

「すると?」

「話が見えてこないかね?」




「史実、たかが1200万円しか予算が振り分けられなかった台湾に、5000万円。もう何をするかは薄々わかっただろう?」


「ダムの早期建設、ですかね?」


「その通り。史実、大正の終わり頃……、1920年にようやく着工したダムを、今度は即座に作り始める。大量の資金と労働力を以て。」


「技術的な問題点とかは大丈夫なんですかね?」


ダムとか明治時代にあったんだろうか。技術的にまだ無理な気がするが。

すると松方がやや呆れるように言った。


「君は、少々この時代を馬鹿にしすぎじゃないか?流石にダムくらいはある。もう欧州では洪水調節を行うコンクリートダムだって浸透しているぞ。」


「へぇ〜。」


そりゃ知らなかった。ダム→水力発電→高度成長期ってのが僕の頭の中のイメージだったが、どうやらもう水量調節ができるダムは、存在しているらしい。


「皇國にはあるんですか?洪水調節できるダム。」


「いや、それがまだ無い。」


松方先生の話によれば、紀元前2750年にエジプトで造られたのが史上最古のものであり、616年には日本にも貯水用のダムが建設されたようである。意外とめちゃめちゃ古い。


「さて、この100年後、台湾人口2000万の食料を賄う嘉南平原を潤す烏山頭ダム。欧州から技術者を招き、国主導で建設するとなると、工期は大幅に短縮できる。なんせ史実の烏山頭ダムは、ほぼ個人主導での建設だったからな。」


そこに、技術の格差の問題を差し引いても、精々3,4年で完成に至るだろう、ということらしい。


「ということは食糧供給問題は解決、と?」


台湾の人口は現在260万人。台湾全土に食料を供給させるには数は間に合っている。余剰分を全て本土に回すとしても1000万人は軽く賄える。


「いや、それだけじゃない。」

「他にも?」

「災害・教育基金、というのがあったのを覚えているか?」


たしかにそう言えばそういうのがあったな。史実では非常時資金として扱われていて、その額も1000万円とたかが知れていた。


「災害、には『冷害』も含まれる。冷害というのは寒冷により食料が不作になることだ。災害・教育基金は今回5000万円。それと、今までの話を結びつけると―――」

「そうか!災害教育基金を、台湾開発資金に不正に流用するんですね!

 おまわりさぁーん!!」

「ちげぇよ。君も酔いが回り始めたようだな。」


呑んでねぇよ、まだ数えで16…いや、満年齢に至っては14か。

未成年飲酒もいいとこだろ。


「では冷害対策を?三陸海岸に壁でも作ってヤマセでも止めにかかりますか?」

「本気でお前呑んでんじゃねぇか?」


ガチで疑われた。冗談はここらにしておこう。


「冷害…、品種改良ですかね?」


すると、嬉しそうに松方はうなずき、言う。


「その通り。目標は道東佐呂間原野でも生産可能な稲の作成。」

「佐呂間原野…。平成でも稲作が普及してない地域ですよ…?」

「まぁ30年計画だな。国内の広範囲に渡って農業試験場を設立、一年ごとに品種改良を強力に推し進めて行く感じだ。そのための農村への投資も含めた、品種改良費がこの5000万円の中に含まれている。」

「はぁ」

「更に、だ。」


松方が一息置いて話し出す。


「食糧管理制度を実行しようと考えている。」


食糧管理制度。

政府による食糧流通の管制のことあり、食料価格の急変動を抑えるために、政府が食料の買入・売渡・交換・加工・貯蔵の管理を行う。

戦時下の昭和17年に始まり、高度経済成長を経てその役割を終え、自主流通米制度へ変革していったものだ。


「技術の未発達による、豊作凶作が激しいこの明治期、どうしても食料価格は酷く変動するし、そのたびに経済に悪影響をもたらす。」

「ですね」

「そこを政府が管轄することで、食料を豊作時は備蓄、凶作時には備蓄を解放することで、食料価格の安定へ挑む。」


すると、食料の安心が確約され、その安心感から投資が活発化し、世に貨幣が流通することで経済も人口も安定して伸びていく、との算段らしい。

たしかに、飯が年ごとに約束されない、と言うのはかなり不安だ。最悪は国家不穏まで引き起こす。昭和7年冷害は二・二六事件の遠因にさえなったしな。

それが改善されるのならば、効果は絶大。


「ほう。では最早、」


近い将来の経済成長は約束されたもの、ということですか?

そう言おうとしてとどまる。

流石に簡単すぎるのではないか、そんな思考がストップをかけた。


「……本当にそれだけで経済成長が起こるんでしょうか?些か楽観し過ぎでは?」


そうだ。労働力だ。

食糧問題が解決したとして、人口が増えたとする。

ならその増えた人口は即戦力となるのか?


否である。


誰が生後数日の赤ん坊を労働に駆り出すものか。

いま食糧問題を解決したとしても、それが労働力となるのは、早くても15年後だ。日露戦争にはどうあがいても間に合わない。


「無理だ。」


松方はあっけなくそう返した。


「なら、なら!5000万円もかけて、国家予算の半数レベルの金額を使って工業力を増強する意味はあるんですか?働く人が居なければ、いくら精度良く、より多く軍需物資を作る工場だってただのハリボテに過ぎません!」


そう抗議した。その5000万なら社会保障費か公衆便所の消臭か何かに使ったほうがまだマシである。


「皇國が今、どれだけの過剰労働力を抱えているか知ってるか?」

「過剰…なんですって?」

「それには…、君たちが旅順にいた時の、国内の戦時経済から話す必要がある。」


松方に曰く。

開戦当初、戦争経済はかなり悲観的な見通しであったものの、3つの要因によって不景気どころか、戦争経済下であるにも関わらず、どこもかしこも好景気だったということらしい。


その理由の一つは、日清戦争が比較的短期かつ小規模であったことが挙げられる。

徴兵動員率が5.7%にとどまった故、労働力の戦争動員による生産力への影響がほぼ無かった。


二つ目。当時最も懸念されていた、兵器や弾薬など軍需品の英国からの輸入増による国際収支の赤字化とその増大が、自然な輸出の伸びと、戦地における支払い(皇國陸軍兵は占領地での食料徴発時、強奪せず現金で購入した)(←実話)で円が滑らかに流通したこともあり、赤字は小規模なもので留まり、正貨準備額も激減しなかったこと。


さいごの三つ目、これが主題である。

皇國は現在、過剰労働力がかなり多く、とくに主要産業の農業でその傾向が強い。しかも、農村や農山村などで過剰労働力が滞留する中(東京で車夫が余るなど都市も働き口が少なかった)出征兵士留守宅への農作業支援もあった。


「それにより、結局のところ…過剰労働力の減少に伴う、作業の効率化によって、戦時下にも関わらず農業生産額が増加したのだ。」

「…ということは、皇國は現在労働力が過剰状態で、働き口を民は求めていると?」


松方が頷いた。


「産業基金による工業地帯拡張においての建設ラッシュ。

 工業地帯で働く人のための、工業地帯周辺の市街新規開発。

 更に工業地帯完成後の過剰労働力の吸収。

 その工業地帯を使って、3.2億円――国家予算の四倍規模の軍備拡張。

……もう、何が起こるか分かるだろう?」


そのほぼ全てが、国家予算八倍分もの金によって行われる。


「少なくとも…、ものすごい額の金が、都市に流通しますね。」


金が動けば景気が良くなる。


「さらに、政府による食料の安定管理とくる。」


農村にも金が周り、列島全土において金が流動する。


「かなり、経済への起爆剤になり得ますね…。」


そう言うと、松方が不敵に笑った。


「しかもまだ戦時好景気の余韻が十分国内には残っている。金も動きやすい。

――ここから予想される推定経済成長率は7〜8%だ。」


百数十年後の、お隣の超大国並みの成長率。

その恐ろしさに、寒気が走った。


「私は、このチャンスを、逃さない。………”軍拡特需”、とでも称されるであろう、これから始まる人類史上初の爆発的経済成長に、史実の『大戦景気』の役割を担ってもらおうと考えている。」


大戦景気――。それが史実日本にもたらしたものは大きかった。


近代資本主義然り。

重化学工業の発展然り。

財閥の出現然り。

労働闘争然り。


自衛できる力を持つ国家――大国になるために、避けられない道筋。


それを経験し、基盤とすることができれば―――。


「大戦景気において、皇國は高度成長期に匹敵する経済成長を迎えることも、可能になる。」


事実、松方はそうするつもりだ。


大戦はたった4年しか続かない、という問題もある。

欧米との圧倒的技術格差は、大戦後皇國を恐慌に突き落とす、という問題もある。


だが。

米英と共同での満州開発の、列島の後方基地化による経済活発化といったような火葬戦記のテンプレやらでも使って、経済成長期をなんとか4年以上に延ばせたら。


技術力をこの時代に伸ばし、経済成長を経験しておくことで、大戦景気において技術革新を成し遂げ、大戦後も欧米に対する輸出が滞らなければ。


「皇國は、大英帝国に匹敵する国力を保持することも…可能と?」


皇國には潜在的な力がある――それは、勤勉な国民性。

事実、戦後日本はそれで、焦土から世界第二位の経済大国にまでのし上がった。


その力を、未だ敗戦を経験していない、この皇國が行使したら。

僕は、頬を戦慄き気味に引きつらせた。


「――皇國は、強くなる。」




―――――――――




秋山は、ぼーっと枢密院議会議事堂の外で静かに佇んでいた。


(なにやってんだろうか、俺は…)


彼は考える。保身のために、平伏しておけばよかったのかもしれない。でも、そこで明日から頑張るだなんて釈明しても、枢密が思考を奪い、占め続けていれば、きっと何も変わらない。次の戦場でまた失態を晒し、枢密に愛想を尽かされるだけだろう。


「同じ追放されるなら、言いたいこと言って出てった方をとる、な。」


秋山は呟いた。彼は少し、自身の決断に自信を持てた気がした。


(…戦争は史実という机上で起こってんじゃない――)


「――戦場で起こってるんだ、か。」


秋山とは違う男の声が聞こえた。


「…だれだ……、と思ったら、松方蔵相ですか。」


彼は失望したようにそっぽを向いた。


「まぁそう言うな。」

「どの口でいいますか…。あなたも枢密議員でしょう?史実をどこまでも盲信すればいいですよ。いつか破綻を目にしますから。」


彼は未来を諦めたように軽薄に笑う。


「そういうと思ったさ。」


松方は、煙草を取って吸う。

そして、煙を吐きながら付け加えた。


「…枢密とはまた違う、”会合”に参加する気はないか?」

「なんですか突然。枢密議員の誘いなんか受けるわけ無いでしょう。ここまで割り食ったんですから」


それを聞いて、一瞬秋山はポカンとした。


「…どういうことですか?」

「――明二四年動乱の時の士官たちの会合、名を妥協アウスグライヒという。」

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