鋼鉄の革命
明治29(1896)年4月 帝都
有志による戦勝打ち上げに、僕は足を運んでいた。
「よかった、よかった!遂に念願の賠償金が…!欲を言えば7億は欲しかったが。」
早速松方が酔っ払って絡んできた。
「ですねぇ〜、直接賠償金は3億両、すなわち4億6500万円ですけれど。」
「あぁ、領土交換条項の件で結局4億両は固い!」
領土交換条項―――日清間で領土変動がある場合、領土獲得側は領土割譲側に1億両、すなわち1億5500万円を支払う、と言うものだ。ちなみに日清戦争前の皇國の国家予算は8000万円だ。どれだけのものか、嫌でもわかるだろう。
更に辛亥革命も近く、清朝皇帝と天皇の間でしか成立しないこの条文は、清朝崩壊を以て効力を失する。
「領土交換規定…、絶対三国干渉は発生する。それで我が国は奉天省…、つまり遼東半島及び山海関以北の沿岸を手放さざるを得なくなるだろう。そこで追加で清朝から1億両を持ってくる―――総計6億2000万円の出来上がりだ!」
三国干渉――皇國の満州進出を警戒したロシアが独仏と組んで遼東半島を手放すように画策してくるのは、ロシアが南下政策をすすめる以上確実。そこで皇國はそれを利用し、遼東半島の代わりに領土交換条項で1億両をいただく、という算段だ。
国家予算の八倍の賠償金を皇國は得ることになる。しかもそれだけではない。
「しかも、紫禁城入城式の前に、紫禁城内の美術品や金銀財宝は全て略d…採集し、保護しておいたから実質的な価値は更に大きくなる!」
僕もやった。略奪…実質的にはそうだが、丁寧に傷つけないよう、部隊全員で紫禁城から運び出したから、言葉からイメージできる暴力的なものではない。
しかもこの時代には国際法がないし、英仏もこの間のアロー戦争でやってたし、咎められる謂れはない。だって勝者だもん。
所有権は皇國に移り、それらは宮城の保管庫で大事に保護されている。
「…けど」
疑問が沸く。
史実との比較も入る話だが、相手は枢密院議員の松方だ。最前提としての史実知識も当然ご存知、問題はなかろう。そう思った僕は彼に尋ねる。
「清朝を弱体化させすぎると辛亥革命が早まるんじゃないです?それじゃ時期戦争にも悪影響でしょう。」
「いや…、清朝の滅亡が決定的になったのは義和団事件の時の賠償金だ。」
「あー…そういやありましたね、清朝の自暴自棄」
義和団事件。
拳法道場を元とする秘密結社「義和団」が、扶清滅洋、読んで字のごとく「清朝を助けて西洋をぶっ潰す」という排外国粋思想の下に直隷省の各地で決起。
救国戦争であったことから西太后もこれを鎮圧することも出来ず、それどころか割と乗り気で加担、何を思ったか英独仏露墺日米伊の全8列強に宣戦布告に至ったリアルテコ朴戦争である。
1900年初夏に突如始まったこの「清朝vs世界」という究極サバイバルは、特筆するような勇者出現やどんでん返しもなく、2ヶ月経たずして列強多国籍軍の北京蹂躙という特になんとも面白くもない終わり方で決着する。
なお清朝はヴェルサイユフルな賠償金の支払いを余儀なくされた。
「その額…、利息を含めて9億両。」
「…マジすか」
こうして清朝は迅速に辛亥革命への道を突き進んでいったわけである。
「それに比べりゃ今回の4億両は半分以下。なんとか国家を滅亡させずに支払える範囲内だろうし、次の義和団事件も西太后が支持するとは思えんな。」
「今回、一時捕虜にまで成り下がったですもんね」
「西太后は身をもって近代軍隊の実力を思い知っただろ。史実のように安々と、義和団側にはつくまい。」
「ですが…、もしものときは?」
「まぁ…予定より早く、中華民国が成立しても、清朝皇帝が居ない限り、それを前提にしていた”領土交換条項”は破棄される。が、その分対華戦略はひっくりかえってしまうだろうな」
「万一が来ないのを祈るしかない、ですか」
「ああ」
「いやぁ〜、賠償金、何に使おうかねぇ〜。」
松方の機嫌がとてもいい。
その額、国家予算九倍分。何に使うか正直言って興味がある。
「何に使うんですか?」
「いや、大部分は決まっているんだ。」
そうだったんかい。
ということで詳しく話を聞くと、以下の通りらしい。
総額6億2000万円
16% 1億円 日清戦争戦費へ
51% 3億2000万円 軍備拡張費
11% 7000万円 産業資金
8% 5000万円 台湾開発資金
8% 5000万円 災害・教育基金
3% 2000万円 通信・鉄道資金
2% 1000万円 皇室財産
日清戦争戦費は、史実と比較して病人がほぼ出なかったこともあり、史実比で大幅に軽減されるかと思いきや、大量の弾薬を日清戦争序盤で消費したため、史実より2000万円上乗せされ1億円だった。
そして軍備拡張費。史実は2.6億円だったがこれに6000万円を上乗せして軍拡を実行するらしい。日露戦争は自軍の損害を大幅に減らす予定だからだそう。
問題は産業資金だ。
「産業資金って…史実58万円だった製鉄所建設資金のことですか…?」
「その通りだ。我が国もそろそろ重化学工業に本腰を入れていかないと、大戦景気に間に合わない。」
「はぁ…大戦景気ですか?」
松方は一瞬訝しげな表情で僕を見たが、ハッと思い出したように言った。
「そう言えば将来的経済構想をまだお前らには話していなかったっけか?」
「ええ、全く。」
「…大戦景気ってのは第一次大戦が起こって、戦場である欧州への輸出が爆発的に増加したことによる、戦前最大の経済成長だ。国力は爆発的に増加し、本格的に史実日本は工業国となった。」
国力が一気に4倍になったらしい。そいつはすげえな。
「しかし大戦景気は、企業が利益を独占し、あまり個人に金が行き渡らなかったから、物価と国力だけの成長で終わっていて、かつたった4年間という期間だったため、高度成長期とくらべて、結果では非常に劣る。」
「そりゃあ、ご愁傷様ってかんじですねぇ。」
「そこで、だ」
松方がダンと机を叩いた。
「この戦前唯一の、成長チャンス、逃す訳にはいかない!」
「具体的にはどうするんですか?どうやって高度成長を再現するんでしょうか?」
「非常に簡単だ。今のうちに基盤を作っておけばいいのだよ。戦後経済成長は、戦前重化学工業という基盤が出来上がっていたからこそ、成功し、戦後日本はめでたく列強に仲間入りした。」
「ということは、大戦景気の前に工業の基礎を完成しておけば、それに上積みするように高度な産業の成長が成立する、ということですか?」
「その通りだ。大戦景気の前にできるだけ工業力を伸ばしておき、大戦景気に突入後、その工業力を基礎とした産業の爆発的な成長が期待できる。いいね?」
「アンダーストゥッド」
「その為の、7000万円だ。さて、まず何に使うと思う?」
何に使うか。そう聞かれてみれば具体的に思いつくのは数個くらいしか無い。
「製鉄所、とかですかね…?」
松方は嬉しそうに頷いた。
「正解だ。史実58万で設立できた八幡製鉄所だが、これと同じ規模のものを一気に列島に建てる。その数なんと8箇所!」
「おおっ!」
そんなに建てて何か問題が起きないのだろうか。
「史実では試行錯誤の上になんとか操業開始数年で軌道に乗ったようだが、今回はその試行錯誤の過程を吹っ飛ばし、史実改良工事後の八幡製鉄所の設計で建設する。だから大丈夫だろう。」
当初の八幡製鉄所にはコークス炉がないなど欠陥続きで、銑鉄の生産が予定の半分程度にとどまり、赤字が膨れ上がって、1902年(明治35年)7月に操業停止となった。
そこで、政府はコークス炉を建設し、高炉の形状を改め、操業方法も改善するなど様々な改革に踏み切った。これは成功し、その後は順調に操業を進めて、多くの銑鉄を得ることができた。
要するに、この諸改革の結果の、完成形となった製鉄所を各所に建設するんだそう。
「肝心の建設地域だが、八幡製鉄所の小倉は確定として長崎、姫路、尼崎、川崎、平、室蘭、小樽だ。」
「おー、すげー。でも平ってどこですか?」
「あぁー…。福島県の東南の端…、太平洋側といえば解るかな?確か平成では…なんと呼ばれてたか…。」
「あー、いわき市のことですね」
しかし、そんな無秩序に建てていいものなのか。磐城とかなんにも利点がなさそうだ。交通網も現状発達していないし、港もお粗末なものだ。
「何か立地条件とかはあるんでしょうか…自分には無秩序に乱立させているようにしか思えないんですが…。」
「よくぞ聞いてくれたッ、同志よ!」
酔ってる松方って鬱陶しいな…。
「八幡製鉄所が何故史実あそこに建てられたか知っているか?」
「いやわかりません。知りませぬ」
「それは、筑豊炭田が近くにあったからだ。いいか?製鉄は燃料がないと出来ない。その燃料が
北九州にはそこかしこが石炭の山、福島県沿岸部はほぼ全域が常磐炭田、北海道は石炭製大地ときているそうだ。北海道に製鉄所を建てるのは、開拓の一環にもなるしな。
「では、姫路と尼崎と川崎は?」
「その3つは、工業地帯に属させることで効果を発揮するのだ。周辺にはこの産業資金を使用し、官営の軍需工場を建設したり、民間企業の大規模工場を誘致する。工場群は鉄を欲し、製鉄所はすぐにそれを供給する。一大工業地帯の完成だ。」
統一工業規格の本格的制定も近頃に行われるようだ。製鉄所設立には800万圓が使用されるらしい。すると残りの6200万圓は全て工場群の建設に使うのだろうか。
「いや、そうとは限らない。てか違う。」
「違うんですかい」
「太平洋戦争になるまで結局皇國の工作機械はカスだったって話は有名だろう?」
「ええ」
「それだ。工業力がすごくても、肝心の機械がゴミじゃ、独力で戦争は勝てない。そのための海外留学や技術研究だ。工業技術科学力向上のために、それらをひっくるめて約2000万圓を使用する。」
「は、はぇ〜」
「追加でもう2つほど。」
「え、まだやるんですか?もう良くないですか??」
「ダメだ。日英同盟へ舵を切るのに英国国債を買う。」
「あっ、なるほど。」
確かにそりゃそうだ。
手っ取り早く仲良くなるにはまず国債を買うことからだ。
「ついでに金本位制の確立だ。いつまで経っても銀本位制じゃぁ世界経済から取り残されてしまう。迅速な金本位制の確立には大量の金塊が必要だ」
「…なぁるほど、それで紫禁城を占領した時に」
「ああ。広義の意味の戦時略奪ではあるが、愛新覚羅皇室の財宝の金塊を優先的に押収させたのはそのためというのもある。が、それじゃ当然足りないから大量の金塊を買い付ける。」
その後、確定した産業賠償金の使いみちは――
英国国債購入に600万圓、金塊買い付けに、1200万圓。
今回、各地に製鉄所を建設するにあたり、800万圓。
皇國の技術力向上のための留学・研究費、1700万圓。
軍需工場群の大規模建設に残りの全ての、2700万圓。
史実、八幡製鉄所設立に使用した予算が、58万圓であることを考慮すれば、如何に巨大な規模で国力増強を推し進めようとしているのかは、ひと目で分かるだろう。
こうして皇國は、次の戦争へ向けての一歩を踏み出した。
―――――――――
時系列は、戦時中へと巻き戻り――、
明治28(1894)年7月25日 豊島沖
「ぐっ、はぁ……!」
彼は必死に波に呑まれないよう足掻く。藻掻く。
「くそっ、畜生!」
眼前には清朝艦隊。
戦艦『富士』、司令塔に敵弾が直撃。聯合艦隊司令長官・伊東祐亨大将以下、第一遊撃隊司令部は全滅した。その中の唯一の生き残りがこの男、参謀・秋山真之だ。
「枢密の命令に全従したらこのザマだ…!どう責任取ってくれる…!?」
彼は恨めしげに、旗艦命令に背き戦闘を継続する巡洋艦『浪速』を見上げ、唸った。
・・・・・・
・・・・
・・
「どう責任取ってくれるんだ?」
そう問いかけたのは、秋山真之ではなく、枢密院の人間たちだった。
「何故止められなかった?伊東大将の決断は明らかに間違っていただろう。」
俯いて奥歯を噛みしめる。
「アレほど史実有能だったのに、お前も伊東も…、何故自分で戦術を練らず、突破口を思いつけなかったんだ?そこまでの無能を枢密に招待した覚えなどない。」
秋山は震えながら返す。
「伊東司令は厳命されておりました。『極力独断は避け、枢密の作戦通り行動すること』と。史実を踏襲した作戦であり、勝利は確約される、と」
「極力と言っただろう。あの状況は、当初の作戦想定からは外れすぎていた」
「無論その通りです。だからこそ、敢えて申し上げます。」
彼は、吹っ切れたように目を見開いた。
「司令も自分も毎日戦術勉強して、演習に出て波に洗われ、時には怪我して、失敗しながら、その痛みで学んできました。ですが…、貴方がた枢密院の指導が、すべてを変えてしまった」
声が震える。
「怪我するかもしれない、リスクが高い、演習は非効率、時間の無駄だと、貴方がたは海上演習をさせなかった!」
秋山は、首を傾げるだけの枢密の人間を前に、我慢ならなくなった。
「命令通り、ずっと史実を。史実の豊島沖や黄海での敵の動き、そこでの作戦展開を机上演習しつづけました。ですが、蓋を開けてみたら敵は史実通りには動かなかった。ずっと、ありもしない机上の空論ばかりやっていたんです」
「演習が足りなかったのだろう」
肩をすくめる枢密院の英傑たち。
「もし貴官らが、しっかり史実通りに動いていれば。相手側も史実通りに動いたはずだ――そうでなければ、"史実"というひとつの
つまり秋山ら現場士官が、史実通り動かなかったから、結果が変わってしまったのではないか。そう、英傑たちは疑ったのだ。
「……我らが悪いとでもッ!?」
「当然だ。片側が史実通りに動けていなかったのだから、崩壊したに過ぎぬ。貴官らの机上演習が足りなかったのだな」
溜息をついて、英傑たちは「史実型行動をより練習させる必要があるな」と語り出した。史実の行動と、より完全に一致させるために。
眼前の男たちは、これからも史実知識を完全に踏襲するつもりでいるらしい。そう察した秋山は、重い口を開く。
「史実知識は万能薬か何かだとでも、お考えか!?」
拳を震わせ、左遷覚悟で彼は吹っ切れた。
「我ら…いや、伊東司令は。激しい演習と、それに伴う失敗、経験から学び続けてきた。だが、貴方がたの史実知識が、絶対だと騙ったそれが、司令から思考を奪った」
だが、英傑たちの表情は変わらない。
「机上、仮定、枢密院から与えられた作戦しか取れなくなった司令は、士官としての自分の思考を、もはや信じられなくなったのだ!」
「結局、貴官は、自身と自身の上官には罪はないと言いたいわけか?」
なぜそうなる。彼は論点すら合わせようとしない枢密の人間たちに激昂した。
「断じて否だろうがッ!」
「じゃぁ、なんだ。どっちにしろ貴様と伊東司令は紛れもない無能だった。
いや、ここまで言って過言じゃない――… 屑、国賊、恥さらし。
陛下の顔に泥を塗りおって。」
ピタリ、震えた拳も止まった。
激情を遥かに通り越して、逆に、彼は冷静の境地に至る。
(天皇陛下や民のために死ぬなら本望だ。…だが、司令閣下はどうだ? 枢密に忠誠を誓わされ、枢密の行為によって、死んだ。)
その理不尽は、あんまりだ。
(それを、屑、国賊、恥晒し…、だ?)
視界が歪む。
「枢密の言う通りにしてこの有様、なのにその枢密の貴方がたに、どうして死体蹴りを食らうんですか……?」
かくして秋山真之は絶叫する。
「俺は糾弾したいんだッ。貴様らの史実盲信とそこから来る烏滸がましい自己過信を、そしてそれが生み出した、罪なき水兵将官、計32名の犠牲を!」
ダン、と机に拳を振り下ろす。
「そして、これからも史実を舐め回すことで犠牲を生み続けることを、平然と受容するその態度をなぁっ!!」
なぜ死なねばならないのだ。
たった枢密院のために、そのしわ寄せを軍人が、市民が。…たくさんの無辜の民が。
枢密の連中は、ため息をついたかと思うと、こちらを軽蔑しきった視線で見た。
「結局コイツは自己弁護したいだけのようだが…。」
「全く、最高国家機関に入れてやっただけでこれだ。どうしてそこまで威張れるのか…、呆れるとしか言いようがない。」
「調子に乗る奴が出てくるのは仕方ないですよ。事実そうやって組織は腐敗するものですし。」
「っ……!」
あまりに的はずれな思考に、秋山の脳内が真っ白になる。
「貴官は自身の失敗を人になすりつけているだけだ。全く下らない。……そして、そんな図に乗った無能を枢密は求めない。さらばだ、即刻立ち去るがよい。」
「犠牲となった、『富士』の戦死者に対する追悼の言葉すらない、と……!??」
近衛兵の小銃に阻まれ、場から引きずり下げられながら、彼は咆哮した。
「このっ、大戯け共がァッっ!!!」
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