十章 破綻
長春、永き春を臨み。
明治37年12月20日 奉天総司令部
「本作戦は、徹底的な火力集中と焦土戦術、遅滞戦闘とカウンターを基幹とする撤退戦法が要となる。」
「…拝見致します。」
伊地知が、資料を僕へ手渡した。
「11月の基本的構想に基づき、総軍参謀部が具体的な戦闘行動、戦術指針を煮詰めた形だ。」
「11月?」
「貴官が総軍参謀長閣下と張り合ったアレだ」
「なるほどです」
彼は資料の一枚目を捲る。
「貴官の提示した15防衛線案から5防衛線を採用、既成している松花江ラインから順次、次の防衛線陣地の構築に取り掛かる。…現在は、第2防衛線の塹壕部の造成を行っているところだ」
それを聞いて思わず僕は、首をかしげた。
「…待ってください、5防衛線?
11月の段階じゃ、50万に及ぶ敵軍を堰き止めるには最低7つの防衛線が必要と、そう申し上げたはずですが」
「工兵隊と重機が足りない。松花江ラインよりふたまわり小規模な塹壕戦とて、砲兵陣地や指揮所、機銃トーチカや土嚢詰めの装甲車壕を織り交ぜれば建設に1ヶ月はかかる。」
「で、ですが…」
「皇國の実力を過信する
少し強い口調で、伊地知はそう言った。
「……総軍司令部の手前、あの時は言わなかったが…流石に、15防衛線なんて陣地構築力の限界を超えすぎだ。」
「っ…。」
「非現実的すぎる。貴官らしくもない」
「そう…でしたか」
「皇國陸軍は第二次大戦の合衆国陸軍でもなんでもないのだぞ」
軍人としては優しく諭される。
しかし、それ以上に僕は落ち込んだ。
(現実が見えなくなるまで図に乗ってたのか?僕は…。)
前線指揮官が前線の概況を把握できないようじゃ致命的である。
なるほど、児玉総軍参謀長にどつかれるのも納得だ。
どうやら僕は、無自覚にも本当に有頂天になっていたらしい。
その心構えのまま今からの戦場に向かえば、リアルで命を落としかねない。
児玉の警告が現実味を帯びてくる。
(…こりゃあ、本気で戒めなくちゃな)
そう心に刻みつけた。
「まぁ…5防衛線になるとはいえ、最前衛がこの完成度ならば、当初の7に及ぶ撤退は必要もなかろう」
「どういうことです?」
「何を…。貴官が導入したのだろう?松花江ラインにおける、
すぐに思い当たる。
「…なるほど、そういうことですか」
「そういうことだ。これによって松花江ラインの持久限界は、従来想定の1ヶ月半から2ヶ月強まで伸びる」
「50万の大軍を相手にして、ですか?」
「ああ。…正直、あの砲火管制システムがチートすぎる」
だろうなぁ…。
21世紀のイージスシステムをパクってきたのだ、時間錯誤にも程がある。
「理解しました。つまり…我々、中央即応集団の第一任務は『松花江ラインにおける防衛・遅滞戦闘』ということでしょうか?」
「半分は正解だ」
「…と、言いますと?」
伊地知は咳払う。
「もうひとつ、貴官ら中央即応集団に期待されているのは『カウンター』だ。」
「カウンター…??」
彼は身を翻し、回転黒板をひっくり返して、裏側に描かれた松花江ラインの戦略地図を指し示す。
「敵は50万に及ぶ大軍を人海戦術で全面に一斉投入するのだ。必ず、一部に指揮から逸れる部隊が出てくる。」
いくら電信があろうとも、全部隊50万の肉弾突撃を末端まで統率することなど普通は不可能だ。それも、ただでさえ指揮統制の脆弱な露軍が、である。
「そこが、攻勢という一枚布の綻びになる。その瞬間に迅速にそこを突き刺し、分断し、各個撃滅。結果、敵軍の波状突撃に破局的な
「確かに…それは有効打ですね。」
相手側からしたら、攻めているはずの自分たちがどこからともなく攻撃を受け、蹂躙されるのだ。敵の自信と意思を挫くには、実に的確な一手だ。
「以上が我々の編み出した戦術だ。
貴官には…その先鋒を任すことになる。できるな?」
「やれと仰るのなら、存分に。」
「よろしい、十二分の回答だ。」
彼は満足げに頷いた。
「このカウンターは戦略機動の第一歩だと思え。
……存分に練習しておくように。」
「はっ!」
しっかり返した承喝に、伊地知は遠く、北満の果てを見据える。
「4月だ。4月まで、耐え延びろ。」
「4月…、ですか」
「4月には雪解けを迎え、大満州の全土が泥濘と化す。そうなれば、いくら露軍とて無理やり泥中を肉弾突撃かけ続けるわけにはいかない。」
「消耗しきった敵の攻勢が頓挫する、というわけですよね。」
「ああ。そこでようやく…皇國陸軍に、反攻の機会が訪れる。」
だから、と彼は息を継ぐ。
「今次作戦を一言で表すならば、――『
僕は無意識に手を握りしめる。
「この4月まで反攻の戦力を温存しつつ持ちこたえれば、戦争に勝てる。
故に…我々は春を待つ。さながら、雪下で雪解けを待つ
伊地知が、ふと笑った。
「
「――…了解。」
覚悟を決めて、そう頷く。
冬が来た。
これから、更に寒さと雪は深まる一方だ。
しかし、それさえ抜ければ春が来る。
明けない冬はない。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び――春を待つ。
「春風はいずれ吹く」
僕はそう、白い息を吐いた。
「ああ。」
伊地知も身を翻し、言葉を継ぐ。
「木枯らしに白蓮が舞ったように、大春風に雪解け水の濁流が北満州から
ふきのとう、か。
"よいしょ、よいしょ、おもたいな。"
誰の台詞だったか、そんなことをふと思い出す。
小学校の国定教科書とて、あながち馬鹿に出来ないな。
「そうだ」
ふと、伊地知が振り返る。
「中央即応集団の称号を決めていなかったな。」
「…あ、そういやそうですね」
毎回毎回中央即応集団などと言っていては面倒だ。
旧旅団戦闘団のときのように、なんらかの通称を決めておくべきだろう。
「自由に決め給え。」
「いいんですか?」
「今回ばかりは儂の介入する余地もなかろう。貴官が部隊総長なのだぞ」
「…では、謹んで」
だとすると、春関連にしようか。
少し考えを巡らす。
そうして、一つ思い当たった。
「――『
「その名を……、選ぶか。」
伊地知の含みある言葉にも、何ら違和感を覚えることなく、僕はうなずく。
「はい。…おかしいでしょうか?」
「いや、貴官がそれで決めるというのならば、異議はない」
決まりだ、とそう言い残して伊地知は去っていった。
―――――――――
明治37年12月25日 長春
「なるほど……」
前衛司令部、城下にて。
「わからん」
総勢1400に達する隷下戦力を見下ろし、そんな一言が漏れた。
平原はあたり一面すっかり銀色に染まり、前世界の僕ならホワイトクリスマスだのなんだの言って浮かれ上がっていただろうが、残念ながら到底そんな気分じゃない。
「誰が言ったか、『クリスマスまでには戦争は終わる』か…。」
皮肉げに、遠大な平原の寒空へ乾いた白息を吐いた。
戦争が始まる前は、敵さんがまさにそんな雰囲気であった。
それが、バルバロッサの作戦終盤には、沿海州総軍と東京大本営がその空気に呑まれ、今やこんな成れの果てに双方が愕然とする有様だ。
「……これからが、本番ってわけだな。」
「そうね」
後ろからそんな声がかかった。
大陸の乾いた風に靡く、銀色の長髪。
見慣れた人影がそこにあった。
「来たか…、裲。」
「ええ、定刻には間に合ったつもりよ」
僕は後ろを振り返る。
「他の司令部要員は?」
「あたしのうしろ」
ぐい、と上半身を傾けて死角になっている裲の背後を覗き込む。
「…?気配が見えないが」
「あんた…部下とはいえ、失礼でしょ」
裲が呆れ返って、さっと退く。
そこには、消えそうな存在感で黒髪灰眼の青年が立っていた。
「……うす」
どこか鈍暗な雰囲気を漂わせる挨拶。
それを打ち破るかのように、
「もーっ、リューリ暗いよ!」
バン、と青年の背を叩いて、その後ろからひょこっと現れたのは、これまた対極的に明るい少女。
待って、見たことあるぞ。
「おひさです、技師さん!」
「晩生内と…、雨煙別??」
「わぁっ、覚えててくれたんですね!本日付で団司令部に配属された、集団旗手の
少女にそう促されて、青年は動く。
「…戦務参謀の、
「どっちも旭川士官学校の6期生、総長さんたちの1つ後輩です!」
「知ってる。しかしこりゃ…奇跡だな」
「?ボクたちって、軍管区的に同じ湧別大隊…」
「あっ、なるほど」
息を呑む。そうか、それか。
「紋別以来か…、宜しく頼む」
手を差し出すと、少女ははにかみながらその手を取る。
「技師さんが柔らかい上官さんでよかったです…。
この自己紹介で怒鳴られたらどうしようかって、内心ビクビクしてましたから」
「いや正直博打に出たなとは思ったよ…、これで相手が総軍参謀長みたいな方だったら一発で斬られておかしくないぞ」
「ま、まぁ…技師、いや総長さんの人となりは知ってますから。多少の打算と確信はありましたよ」
なるほどな。
「では、これからよろしくお願いしますっ、初冠総長中佐!」
「あぁ。期待している、晩生内准尉。」
「はい!張り切ってまいりましょーっ!」
片手を挙げて晩生内がハイタッチを求める。
それに答えて掌を挙げると、准尉はその翠色がかった茶髪を揺らして軽く飛び上がり、パチン、と快音を小さな手で響かせた。
続けて僕は、後ろで縮こまるように息を殺している青年へと足を運ぶ。
「雨煙別中尉…、だったか?久しぶりだな。」
「……はい」
相変わらず暗い、暗いぞ。
「同じ北鎮の出、だったよな」
「………」
「北方戦役のときはどこで?」
「…第2中隊の、第1小隊です。」
「なるほど…。2中隊もたしか…激戦だったな」
「………」
会話が続かねぇ…。
前世の学校にいるときの僕くらい陰キャしてる。
しかし気持ちはわかるぞ、怖いもんな会話って。
自分の返答次第で相手の表情が綻んだり歪んだりする。それも、画面の中じゃなく現実世界、眼前において、である。
鋼のメンタルでもない限りコミュ障にとってこれは拷問だ。
しかし大丈夫だ中尉、解決策はある。
メンタルだの誇りだのプライドだのを一切合切捨ててしまえばよいのだ。
失うものがない人間になれば、もはや気が楽だ。
僕がいい例である。
「…安心したまえ中尉。あんまり勧められる方法じゃないが解決の道はある…。」
「……?」
雨煙別は少し当惑した表情を見せる。
そこへ、額に手を当てながら割入る晩生内。
「あーもうリューリ、そんなんじゃだめだよぉ…」
すみませんっ!と一礼して晩生内が雨煙別を牽いて行った。
僕は慌てて彼へと手を振る。
「同じ陰キャ同士がんばろうや!」
ずるずると曳航されていく中尉のほうから、ほんのわずかながらも会釈が返ってきた気がした。言葉の意味を理解してくれたとは到底思えないが、雰囲気で察してくれたと信じよう。
すると、おもむろに背中を叩かれた。
「――貴官が、初冠総長と?」
その呼び方から上官かと思い、立ち直って振り向く。
が。
そこに居たのは、軍曹章を提げた少年であった、
こちらを品定めするような視線。
完全に据わった眼、落ち着き払って僕の直前へ佇む不動の魂胆。
ただの間抜けなガキとも、気だけ大きくなった思春期とも違う。
こいつは――何者だ?
「…名と所属を述べよ。」
「
彼は確固たる口調でそう述べた。
その名を聞いて、言葉を失った。
(石原…、莞爾!?)
関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件・満州事変を引き起こした首謀、「世界最終戦論」を著した思想家。
あの、石原莞爾だと?
「任司令部武器掛、数えで18。」
「……18だと?随分若いな」
「中央幼年学校生志願兵」
迷いもなく言葉を続ける。
「机上よりも、砲火飛び交う戦場で学ぶのが有意義。そうでしょう?」
幼年学校における志願兵制度。
少年兵同然となることから、幼年学校においては落第生の放り込み先として、
要は、戦時下での退学適当者の処分先というわけだ。
だが、ここで不可解な点が浮上する。
石原莞爾といえば、昭和の頭には高度な戦術眼と戦略思想と完成させるに至り、満州事変を遂行した実力者のはず。
そんな彼が、少年期だけ落第生だったとでもいうのだろうか?
「成績が悪かったのか?」
「いえ?昨年度成績は学年4位。」
「…あぁ、理解した。」
なにせこの態度だ。怒らせた教官の数は知れず、だろう。
それで前線跳ね飛ばしか。
「後悔はあるか?」
「ふっ、まさか」
「…もしかして、自ら前線行きを望んだのか?」
まさか、とは思うが、そう問うてみる。
「当然」
「はぁ…?」
「『先の戦争の戦訓』と称して死体への鞭打ちかたを教える、間抜けな教官共の戦場像とやらを、前線から遥かに離れた内地にて聴くことが勉強になるとでも?」
少しばかり息を呑んだ。
日清戦を、僕と全く同じ種類の比喩で皮肉るとは。
「根本の戦争構造から圧倒的なアドバンテージのある戦争など、標的が生身の人間であるだけのただの実弾演習。それじゃぁ戦術も何も学ぶことがない。まだ、24年動乱を教授したほうが有意義ってもんです」
へぇ。
確かに24年戦役は、勝ちきれなかったこともあり、また現在進行系で枢密院と反枢密派との政治闘争が大いに絡む話となっているため、『軍人は政治に関わる勿れ』を基礎精神とする皇國陸軍全体で、公然のタブーな話題となっている。
24年戦役が陸軍学校で授業される機会はあまりなかろう。
「…くくっ、面白い。それで前線に来たと。」
「えぇ。幸運なことに教官からも推薦して頂けたので」
すこし笑いが漏れる。
教官が進んで追い出しにかかるとは、やはり態度も絡んでいたか。
「ですから――、期待していますよ」
「…実戦に、か?」
「もちろんそれも含めて、戦場、部隊、
そして――…あなたにも。」
7つも歳が離れている相手に、一歩も怯まず不遜にもそう述べ立ててみせる性格。
「ふっ、貴官は変わっているな」
なるほど、彼が史実、異質な才能と散々に
「だが…、覚悟しておけ。
貴官が考えるほど、前線は甘くない。」
その、全く死を恐れない前線行きへの決意に釘を刺す。
いや、伏線張ると言ったほうが正確か。
「本物の戦争というものを見せてやる。」
これより始まる
石原のその笑みに透かして、見据えた。
これからが本当の戦争だ。
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