決別
久々の更新となりますので、現在の戦局と進行中の作戦概要を忘れてしまった方も多いはずです。だって作者の私も覚えてませんでしたもん(ウー!)
3話前の「原点に立ち戻れ」だけを再読して頂ければ戦局と進行中作戦について両方わかるはずです。登場人物は、13章冒頭「戦史/設定」の [設定] をご覧ください。
では久々の更新となりますが、決戦、お楽しみください。
占冠 愁
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「勅令第227号発令中。」
勅令第227号発令中――反芻するように、電報機が唸る。
一歩も退くなという意味だ。
「止まるな!」
「怯むな、進め。踏み潰せ!」
各指揮官の号令で、装甲者が無防備なロシア軍の背に突っ込んでゆく。
「うわぁぁぁあ!」
「なぜ!なぜ後ろから?!」
「どっちが前線なんだ!」
後退する方向もわからず、突然前後ろで挟み撃ちの憂き目に遭ったロシア軍はまともに集団行動を取ることも叶わず次々と撃破されてゆく。
やがて、大帝湾を覆う重い海霧が鈍雲となって一面に広がる頃。
「命令、命令。発・上陸司令部、全部隊へ命ず」
導入から10年経つものの相変わらず質の悪い無線機から、ノイズだらけの司令部通告が飛ぶ。
「0130、『桜花』第一機甲聯隊海岸線到達。
0200、後続主力 仙台鎮台全面揚陸。
0215を以て作戦コード"
繰り返す。攻囲戦へ移行せよ――」
『桜花』本部。
「これを以て全部隊は作戦第二段階を開始。作戦コードは"
その命令の響きに僕は暫し手を戦慄かせる。ウラヌス――曰く、逆襲の合言葉。
この拳が震えるのは何度目か。
これが最後でありたいものだ。
「これで、半島部に30万を包囲した」
さて、戦果に興じている暇などない。
「『桜花』以下作戦部隊はアルチョーム戦域における包囲線を後続2個師団へ引き継いだのち、北西へ転進せよ。」
戦略衝撃力の鉄槌は、花吹雪を巻き上げて全力で反転する。
敵の息の根を止めるために。
「次なる戦略目標、帝国極東軍司令部・ウスリースク。」
ジリリリリリッ!
瞬間、電話機が鳴り響く。
大慌てで受話器を取れば、切迫した声がわんわんと部屋中へ渡った。
『第一空挺団より連絡!』
「「「!」」」
一瞬にして『桜花』司令部の空気が張り詰める。
第二作戦 "
曇天のもと始まった、帝国極東軍司令部の制圧だ。
「戦果か、不測か?!」
『不測であります!』
無意識に舌打つ。異常が起きたか。
『降下目標の甲点、乙点、丙点、全てハズレです。どの建物も偽装司令塔でした!』
「くそッ!」
思わず机に拳を下ろす。
「すぐに捜せ、絶対に逃がすな!」
『はッ、既に。ですが手掛かりも未だ見つけられず…雨も降り出し、1時間です』
受話器を持ったまま頭を抱えて机に伏してしまう。
拳を握りしめる
そうか、ウスリースクは雨も降り出したか。精神的にもかなり参ってきていたようで、立てなくなるほどの目眩はこれが初めてだった。
「……っ」
かなり弱った姿を晒す僕へ、声を掛けるのを誰もが躊躇う中。
尻込みすることない声が響く。
「こりゃダメだ」
石原莞爾が窓の方を見据えながら言った。
誰もが重苦しい雰囲気のなか発せなかった、一言を。
「逃げられたな」
「ま、まだ逃げられたってきまったわけじゃぁ…」
そうフォローに出る
「1時間。1時間もあれば、我々『桜花』ならとっくに脱出できますでしょう?それにこの悪天候です、晩生内次長代行。飛行船出したって見つけられぬと愚考します」
そう言うとつかつかと僕へ歩み寄って、彼は前から向き直る。
「空挺は失敗です。そもそも紫禁城での鮮やかなデビューは、世界初の三次元制圧作戦という『未知』と、敵の軍制の致命的弱体化によってこそ成し遂げられた"奇跡"。それを見たロシア軍という列強が、10年経ってなお、清朝と同じ轍を踏んでくれるという想定が甘すぎたのでしょう」
「…言うじゃないか、だがそうするしか」
「言い訳も現実逃避も正当化も、今この戦況でする余裕がありますか?」
「っ、何を」
「次の策を練りますよ。立ち止まって省みるのはこの戦況が落ち着いてからの
「……だが」
「時間がない」
その出過ぎた態度に東條が前に出た。
「石原っ!」
「――いいえ、何も間違ってないわ」
東條を制するように、凛とした声が通る。
「「「!」」」
誰もが息を呑んだ。目を奪われる。
そこにいたのは、透き通るような白き妖精――、
「……裲?」
ではなく、騎馬に跨る
「ひさしぶりね。」
僕へ一瞬微笑んで、銀髪の若姫はそれから場を見渡す。
「あいにく、再会を祝う時間はなさそうだけれど」
その少し小さな手が刹那、堪えるように握りしめられたのを見逃さなかった。ああ、そうか。彼女もか。すっくと僕は立ち上がる。
「……いや、そうだな。間違いない。」
「……ええ、そうよ」
「時間がないんだよな、僕たちには。」
石原も頷いた。その目は物語る――
「総隊出撃準備。ウスリースクへ全速前進。」
反芻するように、もう一言。
「司令部要員一兵たりとも満州から逃すな!」
・・・・・・
「どこに逃げたのか、だよな」
出撃準備が整うまでの間。逃げ出した敵司令部の逃げ先を求め、司令部では議論が錯綜していた。
帝国極東軍が司令部を構えていたウスリースクは、交通の要衝でもあり、沿海州から退却するための線路が3本ある。
内満州のハルビン、イルクーツク、果てはモスクワのほうへ伸びる東清鉄道。
ふたつめは、豆満江を越えて朝鮮へ入り咸鏡道、平壌方面へつながる咸鏡本線。
もう一つは北へ、アムール川(黒龍江)のほうへ伸びるアムール支線。
「選択肢はまず咸鏡本線から潰せるか。」
東條英機が言う。自明だ。自ら包囲網の中へ飛び込む間抜けはおるまい。そもそも咸鏡本線はロシア本土とは真逆の方向だ。
「北も……、ない」
戦務参謀の
「ん、確かにあり得ないな。肝心の鉄路は
石原莞爾がペラペラと喋るところへ対抗したか、東條の声が飛ぶ。
「凍結河川だからだな」
「よく知っているじゃないか、アホンダラ」
「アホンダラと呼ぶな!」
上官権限で再教育過程へぶちこむぞと東條はどやすが、指揮系統が違いますので、と縦割りを盾に受け流す石原。
「川が凍結しているからアムール川の水運は使えない。ゆえに、アムール支線で北へ退却したところで、氷結した水面を見ながら、河畔に呆然と突っ立つ羽目になる」
「北は行き止まり、ってことは、退路は西にしかないのね」
騒ぐ二人を視界の外へ消し、地図だけを見つめて僕と裲は呟く。
ふと立ち上がって、遠く西を見据える。敵司令部の追撃と、包囲の形成。一挙に行うには西へ進攻するしかない。つまりは、作戦最終段階の遂行だ。
待っていろ、帝国極東軍。
『桜花』はここに全ての花弁が揃った。
この蕾、見事に咲かせてみせてやる。
「総員、傾注!」
通る声で、石原と東條の口喧嘩をやめさせる。
誰もがこちらを向いた。
「敵司令部の捕縛は失敗。作戦第二段階 "
スターリングラードでソ連軍が反攻の布石を投じた、東部戦線最初の反撃。
この名にあやかった作戦は、ついに成功しなかった。
「ゆえに、作戦最終段階を繰上げて発動する。段階移行。コードは "大陸再打通"。」
もはや何も隠すつもりもない
戦局は即座に次の段階へ移行する。もう惜しむものはない、やり切る覚悟だけだ。
ツー、ツー、ピピピ!
ふと電報機がけたたましく鳴った。
何事かと駆け寄って電鍵に手を置くか、緊張で手先が覚束なかったか、
直そうと手を伸ばすが、それも続けて流れた旋律に止まってしまう。
『こちら聯合艦隊。こちら聯合艦隊。』
単調なモールス信号だが、桜花司令部要員は精鋭だ。ネイティブの如く瞬時に日本語へと復号してしまう。
『宛・皇國枢密院。並びに桜花司令部』
「??」
首を傾げる。
皇國枢密院へ連絡を入れるのはわかるが、なぜそれを僕らにも。
『哨戒打撃群が国籍不明の大艦隊を捕捉。台湾鵝鑾鼻沖南方60km、バシー海峡を航行中。バルチック艦隊と思われる。
聯合艦隊は速やかに釜山鎮を出港。敵艦隊に合流する。』
「「「え?」」」
しん――、と場が静まり返って、次の瞬間。
パシィ!
「!?」
右頬に衝撃が走って、次に僕を打った右手を滑らせるようにして電信機の拡音鍵を押し込む裲の姿が見えた。すぐに拡声状態はオフになって、信号音は途切れる。
頬を抑えて左下を向く僕へ、裲は受話器を差し出した。
状況を理解できず渡されるがままに受け取って耳に当てれば、そこから流れてきた信号の旋律に絶句する。
『これに伴い聯合艦隊は、現刻を以て、海軍軍令部並びに東京大本営、内閣、内閣総理大臣、その他の全ての指揮系統を離脱。全権を聯合艦隊司令長官の下に帰属せしめる。なおこれは、天皇の統帥権を干犯するものではない。』
ただ立ち尽くす。
『これより聯合艦隊は、皇國を救うための行動を開始する。』
救国。
救国の英雄。
史実、その名で通った東郷平八郎は――かくて、あの有名な電報を紡ぐ。
『天気晴朗なれども波高し』
されど、そこでは終わらず。
『
ぷつり、と電信が切れた。
「……。」
呆然と立っていると、顔の前でパン、と一拍手される。
目を上げてみれば、いつになく真剣な表情の裲が佇んでいた。
「どうするの」
「あのぉー…、りょ、裲花ちゃん。一体何が起こっ」
晩生内を手で制し、黙らせる裲。
「藜、あんたが動かなきゃ何も始まんないでしょ」
「……。」
そうか。
そうだよな。
攫われる前と遜色ない彼女の聡明さに、どこか安堵して。
そう考えれば、あの『英雄ノ凱旋』作戦もはるか昔のように思えてしまう、
たった半年前にも関わらず、だ。
ぱらぱらと雫をこぼし始めた灰色の空へ、ぽつり。
「……始まったのか、終戦が。」
こくりと頷く裲に、すぅと息を吸う。
これで正真正銘、双方ともに余力ゼロだ。
この一週間で全てが決まる―――戦争終結は、秒読みだ。
「ルースキー島泊地」
電鍵を叩く。
「ルースキー島泊地、こちらは桜花司令部。応答願う。」
『こちら泊地。いかがされたか』
「秋山少将に継がれたし」
『秋山艦隊は昨晩
「っ」
まぁ、そうなるよな。
「……だめか」
「どう?」
「無線封鎖してるらしい」
「そりゃそうでしょ。件を察知されたらたまらないわ」
まあそうなるな。東郷平八郎が叛乱宣言を出す前にルースキー泊地附の『敷島』と鹵獲戦艦4隻に無線封鎖での出撃命令を出した――、という風に説明がつく。
無線封鎖のせいで、秋山は叛乱の一報を受け取れない。ゆえに何も知らず聯合艦隊と合流することになる。
それが東郷平八郎の狙いなのだとしたら。
「わかった。別に手を打つ」
ならば、無線や電報以外で情報を届けるしかない。
出撃日時詳細乞う、とルースキー島泊地に電報を飛ばして、秋山艦隊のおおよその位置を把握。
「直掩航空隊から1隻、ルースキー島に送る。」
「…航続距離、足りるかしら?」
「彩洋の航続距離は完全爆装でも1800kmだぞ。艦隊がルースキー島を出港してから丸1日。最大戦速でもまだ1000kmは南下していないはず。片道でも伝令の役は全うできる。」
「復路はどうするのよ。あんな高価な飛行船、海中投棄ってわけにも」
「関門海峡を通る折に降ろしゃいいや」
「あっ…なるほどね」
裲が海図に手を伸ばして、秋山艦隊の航路を、その細い人差し指でなぞってゆく。
「関門海峡を、通る…折?」
僕がしれっと抜かしたその言葉を、裲は復唱した。
ルースキー島、日本海、対馬海峡、下関と、指で順番に沿わせていって、裲は気づいてしまう。裲の指先はそれから、関門海峡を抜けて、伊予灘を通り、太平洋へ。
「……もしかして、あんた」
「きっと秋山さんはそうする」
裲とは決して目を合わせずに呟く。
「僕がなんの準備も、後押しもしなかったとしても。」
多分きっと、彼は一人で征くだろう。
そう言い訳する暇も与えず、ジッ、ザザザァーと無線機が鳴り出した。
「?!」
すぐに無線機の方へ飛んでいく。
ノイズを放っていたのは陸上交信用のものではなく、僕が遠洋の秋山とも交信できるように改造しておいた大型大出力無線のほうであった。
「大出力無線…!?」
「秋山艦隊は無線封鎖してるし、こんな高出力を飛ばしてこれる無線機械の持ち主なんてそんなの…!」
それこそ、枢密院か、それとも。
「っ」
刹那最悪の予想が頭を巡って、受話器を取った。
しばらくノイズが続くが、調整をしていると、やがてそれも収まってくる。
そうして聞こえてきたのは――。
「東郷平八郎、なぜ…貴様は、こんな、ことを?!」
焦燥しきった伊藤博文の声であった。
「なぜかと?答えは明白ではないか。愛国者ゆえ。その一言で十分だ」
「何を。陛下に刃を向けておきながら…!」
「二度と『陛下』という言葉を使うな」
東郷は、憤りを込めた低い声を出す。
「貴様らごときが悠久の御皇室を騙るなど、反吐が出る」
続けて彼はまた一言。
「言葉には気をつけたほうがいい。
この大出力無線を受信できるのは我々だけではない」
「っ、最新鋭技術だぞ!そんな者いるわけないだろう!」
「さぁどうだろうな。我々のものではないノイズが入っているようだが」
伊藤博文も、東郷平八郎も黙り込む。
しばらくして
「……誰だ」
伊藤の問いかけに無言で応えると、東郷平八郎は見事に言い当てる。
「中央即応集団といったか…あの"もうひとりの逆行者"のほうだろう。秋山艦隊のために『敷島』搭載の大出力無線を開発していたな」
「っ」
低い声で、伊藤が問う。
「応答せよ。そちらは『桜花』か?」
沈黙こそが正解か。
裲と目配せして、うなずきあう。いくら察されようとも、答えなければ100%にはならない。確信に近い疑念であろうと、疑念のまま残しておくことが重要だ。
「答えぬ…か。まぁいい、聞いておけ、『桜花』司令部以下。」
東郷は笑って、それから話を戻す。
「維新にて近代国家を謳いながら、西洋化を目指しながら、辿り着いたのは天皇の権威を利用して君臨する維新英傑の独裁。かつて倒した幕府と何が違うのか」
「君臨、だと。我らの在り方のどこが君臨だ」
「元老制度をも利用し議会の決議さえ退けられる枢密幕府。しかもその中身は、史実知識という虚像を盲信する一向宗。どうして皇國八洲の護りを任せられよう?』
東郷はもう一言も喋らすまいと、語気を強める。
「皇國に巣食う最終独裁機関。これを取り除くにあたり、今を逃せば機会はない」
最終独裁機関と呼ばれ、明らかに伊藤は憤る。
「我々はただ、あの悲劇を繰り返さぬために在るのみだ」
ふぅ、と東郷は一息。
そして、全く別の話を振った。
「令和日本と昭和初期の帝国。似ているとは思わんかね?」
「何だと?」
「太平洋戦争への敗北はそれからの復興20年を支えた。これはわかるな?」
「っ、どういう意味だ」
「敗戦の後、日本人は自身の身の丈を知ったのだよ。自分たちの国は決して、帝国主義など出来る器ではなかったと。」
「はっ。身の丈を知ってどうなったというのだ。」
伊藤がせせら笑う。
「敗戦を経て生み出されたのは、機能せぬ民主主義と壊れた民族精神。それでも貴様は敗戦を繰り返すつもりか?」
「逆に、敗戦によって得たものは何かわかるか?」
「……平和か?」
否、と東郷は机を指突いた。
「『先進国』という地位だ。敗戦という衝撃が、国民を帝国主義の夢から目覚めさせ、国民に、焦土と化した自らの姿を初めて突きつけた。国民はそれを認めて動き出したからこそ、敗戦たった20年で、世界二番目の経済大国まで上り詰めた。」
「己の実力を知るべきだと、そう言いたいのか?」
「その通りだ。だがそれにはきっかけが必要だろう?それも、黒船脅迫や敗戦に並ぶ、途方もない衝撃的な事実が。」
そう言葉を継いで。
「日本人は、巨大な衝撃が無いと動かない。本当に愚鈍なのだ。だが、危機を突きつけられると本能的に動き出す。そうして――、十数世紀分の秩序を簡単にぶち壊すレベルの脅威の力を解き放つ。」
そうやって今まで日本は続いてこれたのだ、と彼は言った。
「日本人――大和民族は平時眠らせておくのだよ。有事の際に解き放つ力を。”眠れる獅子”は清朝なんかじゃない、日本だったのだ」
「だからどうしたと」
「その、力を解き放った時代というのが終われば、大和民族は夢を見て、その莫大な力を眠らせる。 たとえば、黒船という衝撃が明治期というおぞましい出力の時代を与えた。されどしばらくして帝国主義という夢に微睡んで、眠りこけてしまった」
伊藤は黙ってしまう。
「そしてその眠りにつけ込まれ、”敗戦”という衝撃が走った。
それが高度成長期という恐怖の出力の時代を与え、そして令和日本は、”平和”という夢を見て眠る。そうだろう?」
衝撃、出力、入眠、昏倒。そして衝撃――、そんなサイクルをまた一巡。
全く正反対で相容れない時代であるはずの昭和初期と令和。それは本質的な所、全く同じことを繰り返しているに過ぎなかったのだと。
「太平洋戦争の敗戦について、司馬遼太郎が残した言葉を知っているか?」
「何が言いたい…!」
「『日露戦争の勝利は、日本の優れた計画性と敵の命令系統に弱さに成り立った幸運だったが、その事実は国民に知らされずその勝利を絶対視し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになった。これを分岐点とし国民的理性が大きく後退した。』」
東郷は不敵に続けた。
「出力の時代を終わらせたのはロシアへの勝利だ。日露戦争の勝利は、太平洋戦争への敗北の布石だったのだ。だからこそ、それを防ぐという意味合いもある」
そしてそれは相手がこの時期のロシアであるからこそ、なお良いのだと彼は述べる。機会は今しかないのだと。
「太平洋戦争に負ければ、合衆国は大和民族を根本から破壊しに出る。合衆国は史実、私が今言った大和民族の真の恐ろしさに気づいてしまったのだよ。」
「……」
「だからこそ、教育改悪で、半世紀先の日本を支える世代を破壊し、半世紀を経て再起不能にした。故に、令和日本は二度と”眠り”から覚める事はできぬだろう。」
「”眠り”から覚めることがなければ、日本はどうなると?」
「永眠した令和日本に待つのは、完全なる破滅のみだ。」
僕の故郷の世界へ、東郷はどうやら憎悪にも近い感情を燃やしているようで。
「合衆国への敗北は、すなわち大和民族の恒久的な滅亡。
しかし今のロシアならどうだろう?」
崩壊し混迷へ突き進むロシアには、皇國への指導はおろか、統治すらままならないだろうと彼は言う。
「しかし、それでは道理が合わんではないか」
なおも伊藤は反発する。
「眠りから覚めるからこそ力を解き放つんだろう、今、この明治期は貴様の言うところの"出力の時代"ではないか!」
眠れる時期に衝撃を与えねば意味がない、そうでなくては貴様の理屈は通らぬと伊藤は反論する。そこへ、敢えて東郷は尋ねる。
「本当に今は出力の時代か?」
「…何??」
「貴様らのような盲信者を、英雄と崇め奉る。自分で疑おうともしない。実質的な幕府状態に、近代化を誓ったにも関わらず声一つすら挙げず、英雄に黄色い声を投げかける。――そんな国民の目は、開いているとでも?」
ふと僕は、自分の拳に力が入っていることに気づいた。
東郷の遠大な民族論には同意できないが――それだけは、わかる気がする。
「思えばこの国の国民も、貴様らによって随分歪められてしまった。
貴様らはこの世界の合衆国なのかもしれぬな。」
無線の先の男が何をしでかそうとしているか薄々察しがついた伊藤は、西の方角を睨めつける。
「具体的に、何をするつもりだ…!」
「無条件降伏。国体の破壊、植民地化。」
伊藤博文は、近くの椅子を思い切り蹴飛ばして叫ぶ。
「ふざけるなッ!貴様、陛下に反逆するつもりかぁッ!!」
「2600年の不滅の皇統などという下らない虚栄心と引き換えに、このままゆけばあと40年で滅びる6000万の民族が救われるのなら、これ以上有益な選択など無い」
「植民地化など死んでも臣民は受け入れない。本土決戦になるまで臣民は退かん。
「ああ。存分に、玉と砕けて散れば良い。」
東郷のその答えを聞いて、一瞬頭が真っ白になる伊藤。
「本土決戦となれば、何十万、いや何百万という命が失われる!
貴様はその莫大な犠牲を背負うという覚悟はできているのか!」
気づいたときには、彼はそう怒鳴っていた。
「背負う覚悟で錨を抜いた。」
聯合艦隊司令長官として、東郷は一言。
「この平八郎を舐める
「っ……!」
伊藤は思わず机に爪を立てる。
「貴様の戦略眼はわかった。思想も理解した。貴様は遠くからこの国を、民族という概念を達観しているのかもしれぬ。」
まるでその姿は、英雄のようで。
「されど、貴様には目の前の、一人ひとりの命というものが見えていない!」
巨大な理想のために数百万の無辜の民を殺す。
そのひとつひとつを、東郷、一体貴様は見ているのかと。
伊藤は声を張り上げた。
「東郷――、貴様は決して超越した存在ではないのだッ!!」
たかが人間。それ以上でもそれ以下でもないのに。
何処にあって、そんな権利を行使するか。
そう彼は咆哮した。
東郷はそれを聞くと、しばらく黙る。
もしや心変わりしてくれたのではと、伊藤は希望を抱いて――。
「本当に―――貴様らは、英雄様なのだな。」
なお、東郷は。
「超越した存在だぁ!?
そんなのは世界の何処にもない。なのに、それを気取ってる連中がいるじゃあないか、この無線機の先に。」
僕は息を呑む。
わかってるのか、東郷平八郎は。
「数百万の犠牲を背負う覚悟、だと。笑わせるな。
太平洋戦争の敗戦を回避するがため、日清戦争で清兵3万近くを殺し、今や無辜のロシア兵80万人の亡骸の上に立つ貴様らに言えることじゃあないだろう!」
自国の民を殺すも敵の民を殺すも、同じ
「枢密院?歴史改変?
逆に聞こう、貴様らこそなんの権利があって歴史を歪めているんだ!たかが人間――そう自覚すべきは、一体誰なんだろうな!」
そうなのだ。
巨大な理想のために数百万人を犠牲する、なんてことは、東郷も、皇國枢密院も、やろうとしていることは同じで。
なのに。
「一緒にするな…!我々は、天皇陛下に仕える身として、この運命をっ」
「それが免罪符か、莫大な犠牲を背負う覚悟すらなく?」
「我々の行いは莫大な犠牲とは言わぬ!崇高なる皇室への献身であり、救国だ!」
自らを英雄と認めた者たちは、それを否定する。
「救国?
そうか、そうか。
ならば始めようではないか。私も、救国の道を!」
そうして、彼は息を吸う。
「貴様らは傲慢だ。貴様らも”超越者”たる存在なんかじゃ決して無いんだよ!」
ダン、と拳を打ち付ける音が無線機の向こうで聞こえた。
続けて、冷徹に東郷はもう一言。
「――『桜花』に命ず。事前の指示通り行動せよ」
「!?」
有無を言わさず、ブツリと無線が切れる。
事前の指示、だと。そんなものは――、
そこまで来て気づく。
これは東郷の罠だ。
「――ッ!」
大慌てで口を開きかけた僕を遮る、威圧の声。
『やってくれたな』
伊藤博文が、憎悪を宿してそう言い放った。
「っ、あれは東郷の妄言です!本官は――」
『ああ、動機はわかるとも。貴様が逆恨みしている
そうして伊藤博文は、その理性を取っ払う。
『やってくれたな、本当に――!』
「ま、待ってくだっ」
電話線を震わせたのは、激情とも憎悪ともつかない、強烈な唸り声だった。
『
ブツッ!
ツー、ツー、ツー……と、断線音が、耳腔に反響する。
そうして呆然と立ち尽くす僕の影を、決別の雨は掻き消した。
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