そうして「来年」を放棄する。
『は?敵司令部を逃した、だぁ?』
電話線の先で、磯城が思い切り舌打った。
『この無能がッ!俺の、この俺の英雄譚になんてことをしてくれる!!』
「"粘り強く交渉を続け合意を成すは、現場の責務也"。…――枢密院戦争指導部から有難いご命令があってな。黙って逃走劇を観ていろとのことだった。」
『当たり前のことだろうが!てめーは合意を取り付けられなかったばかりか、俺の!俺の大切な、枢密院の仲間にまで迷惑を及ぼしたんだぞ!?』
ぐっと拳を握って、思いとどまる。
いいや、そうだ。あながち間違いではない。
現場の指揮官であった僕が敵司令部を逃したという事実は、変わらないのだから。
「いや……僕のミスもある、それでもいい。」
『それでもいい、だと!?無責任な!』
「そうその通りだ。僕は"責任"を取らなきゃいけない。そのための仕事だ」
強引に話を繋げていく。
ここで磯城と口喧嘩をする時間などありはしない。
最速で、最低限のやりとりで、どんな形ででも――。
「いいか?これは僕の責任であって、だからこそ僕自身が迅速に取り繕わねばならない至急事項だ。」
『ちっ…、ようやく理解したか。俺に口で勝とうだなんて身の程を』
「したがって、僕の管轄内でケリをつけねばならない。違うか?」
『くくっ、負けを認めたか…!その通りだ!俺の物語によくも泥を塗ってくれたてめーが事態を収拾しろ!!』
「言ったな?」
口角を上げてそう確認する。
「ハルビンへ出撃する。
僕の責任に依る僕の残業だ。お手出し無用に願おう。」
電話線の向こうの言葉が途絶えた。
『………ッ!』
10秒経っても返答はなく。
一刻一秒、敵司令部は奉天から遠ざかる。
これ以上無益に時間を浪費するつもりなどない。
よろしい、黙認と解釈しよう。
「じゃぁな、"英雄"。」
受話器を電話機へ戻しかけた、
その時。
『…ククク、平成人によく見られる、論理性の破綻か。』
遅れて磯城はそう一蹴した。
説明を続けようと口を開くも、それを遮って彼は畳み掛ける。
『
「ハルビンだ。」
おもむろに、高らかな嘲笑が響く。
『ひひゃはははははァっ!いやはや、何も考えない愚民、所詮は”平成人”!
…目の前の方面軍集団の撃滅に囚われて、本命を逃す。”逆行者”はその失敗を、既に歴史から学んでいるってのに…、なぁ?』
「…歴史、だと?」
関係のない最後の一言に疑問を持つ。
『独ソ戦時のドイツ上層部の大失敗。通称【キエフかモスクワか】。』
磯城は、自信満々に語りだした。
『41年8月末、ドイツ軍は眼前にキエフを、そして敵70万の大兵力を包囲下に置き、絶好の撃滅ポジションにいた。だが、殲滅には戦力が足りず、モスクワ侵攻の中央軍集団を南部へ転進させる必要があった』
「あぁ」
『結局、ドイツ軍は眼前の70万という餌に喰らいた。赤軍南西方面軍は殲滅され、キエフは陥落したものの、キエフを攻略するのに消費された1ヶ月は取り返しのつかない悪夢となった。…どうだ?いや、初耳だろうな。』
否、既知だ。
そんなことは知っている。
露軍に電撃戦を仕掛けるのだ。枢密院に閲覧許可された資料の限り、独ソ戦4年間の記録を漁って、概論と考察の編み出しを何度も繰り返した。
『軍を疲弊させ、器材の多くをすり減らしたドイツ軍。1ヶ月遅れで開始されたモスクワ侵攻、11月。ロシアの厳寒が到来しないわけがない。』
実に典型的な対露侵攻だ。
ナポレオン戦役も、第一次大戦も、あの大地で繰り広げられた機動戦と焦土作戦と後退漸減術の限りを調べ尽くしている。
僕だって生半可な意思で作戦組み立ててるわけじゃない。
『――キエフの戦いは、結果的に赤軍にモスクワ防衛の時間を与える羽目になった。当のドイツは本命の中央軍集団までもを消耗させ、最終目標たるモスクワを攻めきれず終い。そして、最終的に連合軍の勝利を呼び寄せることとなった。』
だからな、と磯城は笑う。
『お前は”キエフ”を選ぼうとしてるんだよ。』
パン、と電話線の先で手拍子を打つ音が響いた。
『目の前に吊り下げられた司令部という餌に、疑いもなく食らいつく。浅はかで、低能で、実に”平成人”らしい…。』
クスクスと磯城が声を押し殺す。
「つまり、どうだと?」
『そうしてお前はハルビンを選び、
……歴史から何も学べない、知性の欠片もない!』
コツコツと机が鳴る。
『クククッ…、”改変者”と”平成人”じゃ、大脳の発達さえ違うのか…!』
溜息をつく。
一度、全満州と沿海州を描いた戦略図に目をやって、戻す。
「――ウラジオストクは、敵軍の中枢か?」
『はぁ?』
「モスクワのごとく、全軍の意思の最高機関であり、かつ全戦場へ放射状に補給路が伸びる、兵站の最根幹なのか?」
『あ?誰もそんな話してねぇよ、俺が問うてるのは【
「ウラジオストクは首都なのか??」
磯城は遂に言葉を失った。
『………は?』
「確かに、海上政策や政治上は歴然、首都だな。」
『だったら――』
「だが。僕らが対峙する最大にして最恐の脅威は、”ロシア満州軍”だ。」
ビッ、ペン先をと戦略図に向ける。
「ロシア満州軍にとって、ウラジオストクはそもそも
『で?』
「対するハルビン。ロシア満州進出の最初の拠点であり、東清鉄道一本でロシア本土と接続する植民都市。満州全土の鉄道網と補給路の根幹であり、交通の要衝だ。」
『だから?』
「故に、司令部を置かれたら最悪の好立地。」
『だから?』
「ハルビンを攻略するのは今しかない。」
『で、だからなんなんだ?』
磯城は返す言葉を変える気もなく、クツクツと笑った。
「だからなぁ――」
『何が”最大にして最恐の脅威”だよバカバカしい。俺たち英傑が仕上げた満州電撃戦作戦によって露軍はあっさり潰滅したじゃねぇかよ!
ククッ…それとも、俺らの偉業に嫉妬して、その戦果を過小評価したいのか??』
大きく彼は露軍総司令部を一蹴する。
『実に平成人らしい虚言と臆病、被害妄想癖だ。露軍がハルビンに逃げるなど大いに結構、ウラジオストクまでの道を空けてくれるんだからなァ!』
「逃げて建て直されるんだぞっ!」
僕はチィと舌打ち、言う。
「ロシア本土からの鉄道の要衝、全満州の物資集積地、補給線根幹。ハルビンは、総司令部に立て篭もられたら非常に厄介な城塞だ!」
『だからなんだってんだよバカが。要塞も司令部も、守る兵士がいなきゃ標的となんら変わらない!』
「だから今攻めなきゃいけないつってんだろ!!!」
天幕の支柱をガン、と叩く。
「てめーもわかってるはずだ!ロシアの大地では兵など畑から取れる――されど将校は、百日にして育たず、だ!」
前線の消耗品扱いで銃を握らせ戦地に送り出すなど誰にでも出来る。
しかし、それらを指揮する知的で理性的な賢人を整えるのは、一朝一夕じゃない。
「敵のただでさえ希少な将校団を叩き潰す機会は、今を逃せば二度とない!」
頭のない軍隊など兵力に非ず。
一人も逃さずひっ捕らえれば、その時点で満州軍は組織的な戦闘力を喪失する。
司令部という駐満露軍の唯一の知性の牙城が、眼前に丸裸で晒されている。
露軍の継戦能力を打ち砕くのは、今しか――、今しかないのだ。
「今ハルビンを放置し、皇國陸軍との戦闘記録と詳報、その戦略研究と経験を持ったままの強固な司令部要塞が完成してしまえば最後っ!
露軍はハルビンを拠点に大兵力を流し込み、破局的な持久戦に持ち込まれる!」
連中にとって兵の補充など容易い仕事だ。
将校団さえ無事ならば、ひと冬で立ち直ることなど造作ない。
『なぁにが大兵力だよ、なんだろうが片っ端から皇國枢密院燻製の装甲車軍団で踏み潰せばいい!お前と
机上に拳を振り下ろす。
ガァン、と重い音が響き、手にも鈍痛が走る。
「『奔星』をナポレオンのロシア遠征隊にでもするつもりか…!」
どこまで進んでも焦土。伸び切った補給線。欠乏する弾薬。落ちる士気。湧き続ける敵軍、人海戦術。すり減る戦力。
『バルバロッサ作戦』と呼称しておいて、本当に独ソ戦のような結末になっては目も当てられない。
「――潰走する露軍を破滅させるのはいとも簡単で、
計画的撤退と焦土戦術で退き構える露軍の前に破滅するのも、容易だ。」
後退戦において最高司令機関が機能しているか否かは、特に対露戦においては最も重要な意味を持つ。
革命下の東部戦線は、司令塔がない露軍の際限なき後退により、迅速に瓦解した。
されどナポレオン遠征、独ソ戦のような”計画された撤退戦”は、死に至る。
なのに、磯城は自身の勝利を一塵も疑わず。
『クク…来年には血の日曜日が起こるんだ、大兵力を極東に割けるわけがない。歴史を勉強してから出直してこい、”平成人”さんよぉ?』
「それは史実の話だろうが…!」
北方戦役、山陽道戦争、北京降下、真珠湾進攻。
「僕らお前らがどれだけ歴史捻じ曲げてきたと思ってる!」
もはや、史実の戦争経過なんてあてにならないだろうに。
決まったように磯城は撥ね退ける。
『…ププッ!まだお前はそんな、ありえもしない妄想に、囚われてんのか…!』
電話線の先に、ピシャリと平手を机上に打ち付ける音が響く。
『史実とはそれ即ち、”改変者”にだけ与えられた”召喚チート”なんだよ!
俺の王道英雄譚で、チート能力が否定されるなど有り得ない!
――覚えとけ、それは英傑並びに、それを国体とする”皇國”への侮辱だぞッ!!』
枢密院を”国体”とのたまうか。
『皇國への叛逆は俺が許さない。それが侮蔑であろうと、だ!枢密院が貴様を大逆罪で吊るすのは容易と知れ!』
実にふざけたことを。
『いいか、奉天で俺を待て!これは勅命に代わる、英雄の号令だ!!』
磯城は勝手にこう続ける。
「ッ、奉天だと…!?」
僕は耳を疑った。
『奉天で俺の総軍を待て。以後は最終目標まで俺の軍を先鋒に電撃戦だ。』
「電撃戦の真っ最中に、その先鋒集団に、足を止めろと?」
『ははーん…その反応、やはりか。クククっ…”平成人”ならやりかねないとは思ってたが、なぁ?』
僕の問いに答えることはなく、磯城は嗤いを押し殺す。
『感謝しろよ?成り損ない。初戦突破の名誉を譲ってやったんだ』
磯城の満ち足りた声に脳が鈍重となる気がした。
『本来、戦場の栄誉は最初から最後まで”英雄”が冠するんだ。お前の駄々と無能のくせに尊大な承認欲求に付き合う形で、俺の偉大な功績の一つを、その”名誉”だけお前に寄越してやってんだからな』
相手が寛大で慈悲深い「英傑」でよかったな、と電話線の先で磯城は高笑う。
『ただいくら俺が優しくても、馬鹿じゃない。全部の功績の栄誉をお前に渡す気はない。最終目標都市の攻略は、俺の仕事だ』
「…何が言いたい。」
『お前、最終目標の攻略を、俺から奪い取るつもりだったんだろう?』
「は?」
『思えば簡単な話だ。矮小な平成人が考えそうな、安易で低レベルな陰謀……!
”主人公”に勘付かれないと思ったか!!』
勢いづく磯城。
奥歯を噛みしめる僕。
それは会話の体裁さえ整わない、余りに醜悪な感情同士のぶつけ合いであった。
『残念だな、そんな醜穢な企てはここで潰させてもらう。正義執行の時間だ!
二度と―――救国の英雄に逆らうなッ!!』
ガシャリ、と乱暴に電話がぶち切られた。
「――枢密の野郎ァッ!!」
椅子を蹴って立ち上がる。
抗議する間もなく、部隊の行動を勝手に決められる。
指揮統制も越権影響も、一ミリも考えていやしない。
理不尽と無理解、場違いにも程がある。
僕は、静かに決意した。
「この一瞬で、戦争が続くのか、終わるのかが決まるんだ…!」
軍人として、やらねばならぬ責務がある。
「あまり…こういうことはしたくなかったんだが」
溜飲を下げる。
これは覚悟のための時間だ。
「旅団戦闘団はこれより、独立戦闘権限を行使する。」
「…ッ!」
「総軍の大山大将に連絡、発動許可を取れ」
「それは、つまり…」
「――…拒否だ。指揮系統に則り、鴨緑江総軍の『要請』には従わない。」
別海中尉が息を呑む。
出来れば、こんな手は温存しておきたかった。
発動強行は、枢密院の戦争指揮を拒める唯一無二の
二度目の行使は枢密が、磯城が確実に阻止出来るよう手を打ってくるだろう。
この手札が仕えるのは一度きりだ。
枢密が導くこの戦争が万一、あの動乱のときのような――どうしようもない破綻に直面した時。
そのときの保険に取っておきたかった。
なのに、早々こんなところで捨てることになろうとは。
されど仕方ない。この作戦の成否を左右する瀬戸際なのだ。
僕は声を張り上げる。
「全部隊、即刻転進ッ!ハルビンを焼くぞ!!」
自騎に向けて駆け出す。
「動ける車輌だけで全力出撃だ!なんとしてでも――「少佐殿!」」
遮るように、別海中尉の声が高く響く。
「満州総軍より、戦闘団へ返信。"最優先特命"です…。」
震える手を抑えつけるように、軍刀を強く握りしめた。
既視感。
例の、幼女が一次大戦の世界に召喚されるアニメだったか。
帝国が全てを得るか失うかの瀬戸際、そんなシーンだったのを覚えている。
だから、歯を食いしばる。
アレと同じ展開になってたまるか。
「皇國を、地獄の消耗戦になんか――!!」
「―――『進行中作戦からの一切の逸脱を許さない』。
繰り返します、『進行中作戦からの一切の逸脱を許さない』。」
力が一気に抜けた。
手から軍刀が滑り落ち、カァンと音を立てて地に横たわった。
続くように、僕の身体が崩れる。
裂一号は、ハルビンの攻略など想定していない。
もはや、追撃は不可能だ。
愕然と地に手をつく。
別海中尉はそんな僕から目をそらして…、
それでも、最後にはこちらに向き直る。
「…少佐殿、時間がありません」
「……っ。」
遥か碧空を睨めつける。
あんなに澄み渡る天の下は、こんなにも矛盾と理不尽に満たされている。
なのに蒼穹は、変わることなく、高く、広く、美しく。
それは実に嫌味のようで。
「…。」
俯いて、瞼を閉じ、
静かに立ち上がる。
ゆっくりと、目を見開く。
「――ハルビンの攻略は放棄する。」
磯城の命令と並行して攻略するのは無理がある。
広大な満州の平原に分散する戦略目標群を全て叩くのは不可能だ。
「よって、作戦中の露軍の反撃を防ぐことだけに目標を置く。」
ハルビンを捨てたのだ。なにがなんでも本来の、最終戦略目標を制圧しなければ、本当にこの戦争で得るものがなくなる。
「バルバロッサ作戦だけは意地でも成功させる。」
覚悟を深く、心に刻み。
「これより、旅団副団長として、本官は戦闘団に命ず―――。」
『回天』秋山少将も、『震天』の長岡少将も笑う。
これより下すのは、尉官も将官も関係なく、そこになんら忖度も躊躇もない『戦争するためだけの命令』だ。
「機械化歩兵。吉林、敦化、牡丹江、鶏西。以上、到着順に散開せよ。」
「途中下車ですか、未練ですな。」
長岡少将が笑う。
「戦力再配備となり酷い迷惑をかけるが、満州総軍には自動車部隊を出してもらう。これによって長春を護り背後を固め、続けて高原進軍路に機械化歩兵『震天』を置き、補給線を横から寸断されないようにする。」
相当な戦力出費だ。
最終目標の攻略参加戦力を、当初の予定からここまでで半分削っている。
それでも、まだ十分に実現可能なラインだ。
「『回天』。最終目標制圧の任務。当初の予定通り、先鋒となれ。」
「―――了解ィッ!」
秋山好古少将は深く獰猛に笑う。
「これで、年内は露軍の反攻を防ぎ切る。」
確実に、絶対に、命じられた作戦だけは完遂する。
軍人としての責務だ。
矛盾?理不尽?不条理?天の
全て結構。僕がここに何をしに来たと思っている。
勝手に決められ、押し付けられた秩序を、全身全霊でぶち壊す。
――『革命』だ。
「やるぞ。全軍行動開始ッ!」
さぁ、軍人の義務を果たせ。
・・・・・・
・・・・
・・
翌朝 撤退列車車内
「…おかしい、なぜ敵軍は追ってこない……?」
いや、追いつかれて嬉しいわけではないが、とクロパトキンは続けた。
奉天を出て汽車は鉄路の上を一晩ひたすら走って長春を抜け、今や徳恵に差し掛かりハルビンへのラストスパートを駆けている。
その間、敵軍接近の報告すら一つも入ってこないのだ。
「随分な朗報じゃないですか。敵から逃げられたんですから。」
「だが、な…。どうもここまで不気味に追撃の気配がないと…。敵軍の進撃速度とこの汽車の速度の差なら、もうとっくに追いつかれていたっておかしくない」
「連中の作戦になにか不具合が発生したのでは?」
されど彼は首をひねる。
「それでも変だ。眼前に無防備を晒す敵軍総司令部がおめおめと逃げるのを普通、手を出さずに傍観するか?」
「せいぜい、蛮族の考えることですから我々には」
「その蛮族に我らはここまで惨めに逃げているのだぞッ!!」
彼は拳を震わせて唸る。
「絶対に、これ以上出し抜かれるわけにはいかない…!クリミア戦争で国土を焦土にされて、今度は有色人種相手に敗けるなど…皇帝陛下の面子に関わるッ!」
揺れる列車の中、戦略地図へ目を落として彼は皇國陸軍の動きを辿ってみる。まずは地図の海城を指で示した。
「ここ海城から敵軍はあの奉天までたった2日で進撃した。一方我々は刻下、長春を越えてハルビンへの敗走中か。」
「近代戦争は点と線、すなわち鉄道網を基軸にして展開されますから、奉天から連中は長春、そしてハルビンへ進攻します、か。」
側近が首を傾げる。
「確かに。連中の攻撃路と我々の撤退路は重なっているのに連中が来ないってのは怪しいですね」
「だろう?なにか引っかかりを覚える。
……我々を敢えて逃している、か?」
クロパトキンは髭に手を当てて熟考する。
「連中には、我らの総司令部を超えた戦略目標がある。そのためには我ら総司令部は北に追いやるだけでいい、……そういうことか?」
指で頭をトントンとやって、思考をフル回転させた。
「だが…総司令部を超えた戦略目標とは一体なんだ??
敵軍は次に長春を制圧する。その次、鉄道網に従ってハルビンへ向かう。駄目だ、これだと我々を放置する利益がない。我らが北に行くことで開く隙間…、長春から出る鉄道線のうち、そんなものがどこに――」
瞬間、彼の脳裏をあの忌まわしき鉄の悪魔がよぎった。
「…――自動車、だ。」
愕然と、彼はそう漏らす。
「?どういうことです、司令?」
「そうだ…完全に失念していた。連中は自動車による機動戦力、つまり鉄道沿いでなくとも高速の進軍が可能なんだ。この世界の軍隊で、日本軍だけは戦争で点と線を繋がなくても良い!」
「ッ、そういうことですか!」
装甲戦闘団は既存のインフラに縛られない。
「そうしたとき、我らが長春から北に退くことで戦線に開く隙間…
――ッ!不味い、東部の長白高原ががら空きかッ!」
鉄道のないこの高原。まず線路の敷設から始めなければならず、歩兵は進軍が大きく滞るだろう。だが独立戦闘団『奔星』ならば、この高原をやすやす抜けられる。
「長白高原を行った先には、満露国境、ウスリー湖。
そこから開ける平原を南下したら…!」
みるみる顔を蒼く染めるクロパトキン。
「――… 一直線で、ウラジオストクに至る…ッ!!」
戦線の壊滅からたった3日。その期間で皇國陸軍の最終目標を暴いてみせたのは、むしろ相当早いほうなのだ。
「不味いッ!やらかしたァッ!!」
だがそれでもなお、事態を止めるには遅すぎる。
・・・・・・
「
「同じく、周辺地域からも敵はハルビンへ撤退したようです!」
「…そうか。」
僕は静かに拳を握りしめる。
そうして、ひどく透明な笑顔で、部隊へと振り返る。
「敵さんはゴールへの直通路をわざわざ譲ってくれた!最早進撃路上に敵影など微塵も存在しない!」
否応なく戦闘団に戦慄が走り。
僕は旅団長の中将閣下を振り返る。
「伊地知旅団長、進軍許可を。」
彼は目を瞑り、白煙を静かに口から漏らしながらこう告げた。
「言ったはずだ、実戦指揮は貴官に任せると」
「……ありがとうございます。」
言葉を継いで全旅団に述べ立てる。
「無血攻勢を掛けるぞ――…残り、600kmッ!!」
明治37年7月9日 奉天陥落
史実、両軍合わせて60万が衝突、7万の死傷者を出しつつ漸く10km戦線を押し上げて占領したこの街は、裂一号の発動よりたった2日で無血占領されたのだった。
そして戦線は大きく東へ動き出す。
遥か、沿海の大都へ向けて。
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