黄禍
明治37年9月5日。西域戦線の瓦解は極まっていた。
遼源 ロシア軍防衛陣地
「な――…な、」
「なんだ…あれ、は…。」
長白山脈の山稜線から巨大な影がいくつも現れた。
上空1000。不穏にもゆっくりとロシア軍に届く太陽光を遮っていく。
『硝安、爆撃開始。』
爆弾倉から騎兵の大軍に、無慈悲にも数百の硝安と焼夷炸裂弾が降り注ぐ。
ドゴォォオォ――ン
轟音と爆炎が響き渡り、黒煙が高く碧空に昇る。
「ごほッ、ごほ、かはぁ…ッ!な、一体何が――」
土煙がやがて晴れ、顕になっていく戦場。
飛び込む光景に、潰走する第3
「助けてく、うっ…!」
「ぐ…、ぁ…。」
「俺の、脚は…??」
どこもかしこも機関銃の弾薬が飛び散り、誘爆し、屍が折り重なって。
想像したこともない地獄絵図が織りなされていた。
「なん、なのだ…。これは……」
鉄壁の
鉄の烈風を前に、ヒンデンブルクは上の空といった風に呟いた。
「白騎士が戦場の華でいられる時代は、……終わってしまったのか?」
彼は俯いて、唇を噛み、拳を震わせる。
「無理やり終わらせられたのですよ、日本人に。」
ルーデンドルフは言う。
迫りくる旭華十六条、その裂光に奥歯を噛み締めながら。
「どうして、奴らはこんなものを…。たった40年前まで、サムライの闊歩する未開国家でしかなかったはずだ…。たかが、文明の欠片もない、極東の辺境の小島…」
そこまで言いかけて、漸く気づく。
「……ッ。待て、『文明の欠片』…?確かに、連中に”西洋文明”の片鱗はなかった。だが――仮に、代わりに…、別の文明があったとしたら?」
文明。
この時代は、白人たちしか持つことの許されない、『西洋文明』唯一を示すためだけにある用語。
「未開な蛮族の風習ではなく、立派に我ら西洋文明と対峙できるほどの、高度な文明であったのなら――…。」
西洋人が植民地支配の抑圧と暴虐を正当化するために、長年否定して久しい『異文明』という存在。
数世紀来、欧州戦場のアイデンティティであった騎兵を、木っ端微塵に戦場から排除した皇國という新興国を前に、ここに至ってようやく彼はそれを認めた。
「……危機だ。モンゴル帝国以来の脅威が、我らに差し迫っている。」
皇國兵士の近づく軍靴。
彼はドイツ軍観戦武官という立場を示し、彼らに投降することを決意しつつ。
されど、その視線に含まれるものはひたすらに皇國への憎悪であった。
・・・・・・
・・・・
・・
「営口への渡河圧力更に押しており、敵軍は撤退もままなりません!」
「よし。遼陽方面の戦況は?」
「熊鎮並びに名鎮が
「それで両鎮台はどこに」
「まもなく大興安嶺山脈の麓に到着、西部戦線のロシア軍の撤退路を完封!」
「これで、西域戦線の露軍計20万は完全に全滅…、か。」
乃木希典は、奉天の総軍司令部から、続くハルビンを見据えて呟いた。
「戦争は……変わったな。」
「全くだ。」
総軍司令・大山巌が、おもむろに隣に並び立つ。
「物量、火力、機械化。初めて聞かされた時さえ訳のわからないドクトリンだったが…実際やってみると、もはや異次元だな。」
「それがここまで目まぐるしく、そして一方的に戦線を掻き乱す…。
大山は肩を竦めて笑う。
「……ククッ、奴は何者なんだろうな」
「?『奴』とは?」
「こんなモノを思いつくばかりか、ロシアという列強の最先鋒相手に、まさか、戦争という形で実践してみせる。才能も、度胸も、半端じゃない――…」
「初冠少佐、か。」
乃木はくつくつと肩を揺らした。
だが、どこか淋しそうに大山はこう続ける。
「……だが、どうもな。儂ら老将は置いていかれている気がしてならん。」
「西部戦線より報告っ!名鎮が大興安嶺麓に到達!西部の露軍は完全に包囲下に置かれました!」
「それぞれの戦域からも各個撃破続きます!先鋒浸透で各地で小規模な包囲殲滅が敢行され、急速に進む補給不足と戦線展開に敵軍追いつけません!」
「錦州占領!繰り返します、第八師団、錦州を完全制圧!」
「第三爆撃船団、朝陽爆撃!敵露営中の奇襲敢行!付近の弾薬庫誘爆、コサック3個大隊が壊滅的打撃!」
「阜新包囲戦、第2シベリア軍団が全面降伏!」
「あの准尉はたった15年で、いまや佐官だ。…対して、儂は大将になってからもう随分と代わり映えもしない。」
「それは、…昇進には限度があるしな。『元帥』階級は未だ一人たりとも到達した試しがないわけで」
「着実と進む者を見ていると、どうも、な。
……奴のような人間こそが、皇國の針路を切り開いていくのだろうか。」
二人の会話は無線指令所を飛び交う怒号の中でも続けられる。
「『奔星』より無線連絡ッ!ウスリー湖に到達せしめたり、これより清露国境を越境、シホテアリニ平原へ南進を開始するとのこと!」
「ついに…皇國の先鋒が……ッ、ロシアの大地に足を踏み入れた…!」
「感慨に浸る暇はない!連京線から弾薬を流せ!装甲戦闘団への供給優先!」
「了解!大連から西部戦線へ向かう列車は基本退避、奉天・長春方面の貨物を最優先で運行させます!」
「信号閉塞の優先操作も忘れるな!」
その様を見て大山は溜息をついた。
「…本当に、よくここまで来たものだ。まさに皇國は、あの動乱の屈辱を、清算しにかかっている、か。」
そこで言葉を切って。
「だが…そんな”復讐”を、現に、そうやって戦線を引っ掻き回しているのは、儂らではなく、ヤツの装甲戦闘団か。」
乾いた笑みを浮かべ、彼は言う。
「老いては子に従え、という諺もわかった気がする。」
「第十三師団の先鋒、内蒙古まで侵入ッ!」
「第一混交爆撃船団、葫芦島絨毯爆撃!第三次敵2軍臨時司令部は廃墟と化し、指揮系統が完全に崩壊!」
「各戦域でも敵部隊の動揺確認されています」
「南票で敵軍相討ちの報告!双方に甚大な損害!」
「彰武では騎兵団が戦線を放棄、全面潰走。」
「包囲下の三宝営の一個連隊、降伏勧告に応じず止む無く殲滅!」
「敵最終防衛線と思われる大凌河からも敵軍撤退。」
「規律整わず!撤退中に随所で敵師団が空中分解していきます!」
「……でも。だから、だからこそ儂らにはそういう新進気鋭の変人共を、疑ってかかる必要があるのだろうな。」
「…どういうことだ」
乃木が首を傾げた。
しみじみと、綴るように大山は答えを紡ぎ出す。
「老兵は老兵であるからこそわかることがある。仮にそれが老害と呼ばれようが、な。儂ら古参の兵がほいほい新参者の言うことばかり聞いていては…。それもまた、奴の言うところの『思考放棄』に他ならないのだろう」
あの動乱で枢密に存在意義を踏み躙られたのはなにも北鎮だけではない。岡山会戦での強引な戦闘中止命令で、あと少しだった勝利を投げ捨てさせられ、骨をあの地に埋めたのは他でもない
「『完全無欠の人間など幻想に過ぎない』……、砲火飛び交う戦場で奴が直接儂に与えた教訓だ。…儂ら老兵は、導かれるだけじゃなく考えて、疑わねばならない。」
彼もまた、あの動乱以後立ち止まり続けていたわけではないのだ。
そうして来たる報告。
「――ッ、今報告入りました!西部戦線の敵残存部隊、降伏声明ッ!」
明治37年9月11日。
西部戦線に展開していたロシア第2軍は多数の死傷者を出し戦闘不能に追い込まれ、蒙古に撤退出来た5万を除く第2軍残存の8万が皇國陸軍に全面降伏。
現刻を以て西部戦線においての戦闘が終結した。
同刻、装甲戦闘団『奔星』は露満国境を突破、ウスリー湖岸平原に突入。
ロシア帝冠の地――、有色人種による白人本土への最初の一歩を踏み出した。
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