八章 決壊 / 血海
世界秩序と旭章星
ロシア満州軍司令部・奉天
「ほぉ……これは壮観だ。」
「くくっ、全く。蛮族が可哀想じゃぁないですか」
クロパトキンたちの眼下に広がる軍団こそ、彼らが望んだ憧憬。
奇襲により遼東半島を電撃的に失ってから3ヶ月。未完成のシベリア鉄道に代わり、昼夜を惜しむモンゴル横断大輸送作戦によってウラル以西から騎兵団の大軍が送り届けられた。
「敵の動きは?」
「続々と前線に兵力を集中しているようですが、それでも我軍の総兵力の前では2割にも及びません」
「我軍の攻撃準備はどうかね?」
クロパトキンはそう言って髭を撫でる。
「いかなる戦域においても、対峙する敵軍を上回る騎兵戦力を配備しています。いつでも突撃が可能な状態です。」
「よろしい。ただ弾薬が不足気味であることは忘れるな」
「相手は黄色い蛮族ですよ?弾薬すら使わないでしょうに」
その一言に、クロパトキンは敏感に反応した。
「驕るな、カウリパウス。」
「はは、心配のしすぎですよ。文明もない子猿に対して、地上最強の騎兵団。そもそもが過剰戦力もいいところです」
「知っている。だが…我々には情報がない。彼我は未だ主力同士で交戦したことがないのだ。旅順では肝心の展開していた我軍が降伏してしまった故な。」
カウリパウスはそれを聞くと一笑に付した。
「はっ、蛮族ですから卑劣な奇襲しか使えなかっただけでしょうよ!そんな非文明的な手段しか使えない劣等人種どもの軍隊など…。ププッ、主兵装は剣か盾ですか?」
「さぁな。だが事実は4万の駐屯兵が一気に吹き飛んだ。敵情は必要性は否めない」
「4万?ろくな戦闘経験もない開拓者を無理に動員したシベリア騎兵団と満州警備兵の集まりじゃないですか。軍の中じゃ端くれもいいところでしょう。…蛮族共が奇襲で仕留めたしたのは我々のような精鋭でもなく、ただの警備隊レベルの兵ですよ。」
くつくつと口を抑えて笑う彼に、クロパトキンは晴れない表情だ。
「それも事実なのだが…。」
「それが全てですよ。警備兵の雑魚ども…半分民間人相手に、奇襲でもしないと勝ち得なかった蛮族は所詮蛮族!知性の欠片も感じられない…。」
彼は眼下にどこまでも広がる人馬の海へ目を戻し、恍惚の表情で続ける。
「対して我々は、この2ヶ月であの熾烈なクリミア戦争に従軍した本土の精鋭騎兵団と先鋒歩兵を補給線の許す限り投入したんです。その総兵力――なんと24万。」
彼は資料を広げてみせる。
「蛮族は最大動員でも20万に満たない。だが、我々は既に24万の精鋭を満州に集結させているんです。まともな近代文明すら生み出せないあの黄色猿が、我々創造種に敵う道理など存在しない。」
カウリパウスの高らかな笑い声が奉天の司令部に響いた。
その瞬間、伝令が飛び込んでくる。
「報告、全軍攻勢準備完了!」
「よし来たッ!」
カウリパウスはようやく戦場に出れるという歓喜のままに振り返った。それを諌めるように、クロパトキンは静かに訊く。
「…突撃可能か?」
「全軍、総力を挙げての突撃布陣ですッ!」
「騎兵突撃を発令、全騎は長槍短槍、並びに騎兵銃を惜しみなく投入し、無知にもそして無謀にも、我らコサックの前に憚るバカどもを蜂の巣にしてやれ!」
彼がそう怒鳴ると共に伝令兵は敬礼をして走り去っていく。
「司令、私の第2シベリア軍団にも出撃許可を!」
「……出来るのか?」
「黄色人種相手に勝利を心配されては、いくら司令とはいえ怒りますよ」
「愚問だった、許せ。」
「いえ構いませんとも。我が栄えあるコサック白騎士の名において、この極東の辺境の大地に美しき赤薔薇を、蛮族に文明というものを見せつけてやりましょう」
満面の笑顔で、勝利を確信したその表情でカウリパウスは意気揚々と出ていく。
「……賽は投げられた、か。」
どこまでも澄み渡る空を、クロパトキンは遥か高く見上げた。
・・・・・・
同刻、西域戦線 露軍左翼。
「ふっ…、壮観だな。」
第17コサック騎兵団を率いるニコライ・カシタリンスキー将軍は、余裕の笑みを以て側近にそう笑いかけた。
「我々は従来の槍で付き合う騎兵という発想をついに超越し、騎兵銃を配備した戦列歩兵の発展型を発案した。その名も――『戦列騎兵』。」
「わが祖国の最先端軍事思想に基づくこの部隊…。対抗できるのは、数ある列強といえど…ドイツかフランスくらいでしょうね。」
「くく…。まさしく。我らは列強と華麗に対峙するために編成されたのだ」
そう呟いたあと、一転して彼は嘆く。
「しかし、奇襲とはいえ、ここまで攻め上がられたわけか。全く…小猿の奇襲も退けられんとは、旅順の駐屯隊も落ちぶれたものよ。」
「未開の蛮族と我ら文明圏人では体格差も凄まじいというのに…。たかが猿にたかられただけで、誇りある白騎士が足踏みするようでは…。」
側近の悲嘆をカシタリンスキーは手で制す。
「だが、早3ヶ月。我らは戦力を整えた。」
「くくく…。文明人の隙を卑劣に突いただけで粋がる野蛮な猿に、『列強の本気』を見せるときがやってきたのですね。」
「ああ。もはや戦局は覆ったのだ。あとは反攻あるのみだ」
「目に見えますよ、汚らわしい蛮族共がキィキィ悲鳴を上げながら逃げていく様が……!」
くくくっ、とカシタリンスキーは笑いながら槍を掲げる。
「銃装騎兵の一列射撃のあとに間髪おかず長槍騎兵の突撃…。相手は文明圏から遠く離れた未開の黄色猿。あっという間に蹂躙するだろうな!!」
・・・・・・
単発騎兵銃と長槍で武装した圧巻のコサック団を前に、プロイセンからの観戦武官のルーデンドルフまでもが嘆息した。
「さすがはロシアだ…、人が畑から取れると言われるだけはある。」
見渡す限り人馬の海。
「あのナポレオンを退けただけはある…戦力は一流だな。」
白騎士たちは短槍から長槍、そして騎兵銃まで、ありとあらゆる武器を装備し、史上最強の陸上戦力と恐れられるシベリアコサック騎兵団を組織する。
「この数の突撃では、我々でも抑えきれるかどうか…。」
それが総勢4軍団。はっきり言って異常な数だ。
「かのモンゴル以来何世紀ぶりに、黄色人種相手にロシアが本気を出したか…。クリミア戦争以来の大激戦になるぞ。」
あの宮中遊びで忙しいニコライ2世の重い腰を上げさせたのだ。普通であれば黄色人種などそのはるか前に踏み潰されているので極めて異例のことだ。
「虫の息の辺境の三等国に対する戦力としては過剰だ。…敵が蒸発してしまう」
彼はここまでの戦闘展開を振り返る。
2月の奇襲から10日余りで遼東半島を席巻する様は、一瞬だけ世界を驚愕させたが、無理をしたからか、すぐさま攻勢限界点に達してしまった。
「極東の非文明国らしい、後先を考えない戦争計画を世界に露呈してしまったな。まぁ、有色人種の部族?の兵士がやる奇襲としては、列強相手に善戦したほうか。」
滅びゆく敵へ、せめてもの礼儀として、彼はほんの少しの評価を与えた。
「なんたって、文明国を本気にさせたのだからな…。だが、そこまでだろう。」
あの帝室が動くことなく既存の極東軍の戦力だけで対応しようとしたらまだ皇國に勝ち目はあっただろう。だが、予想に反してロシアは本土に動員令を布告した。「敵」たりえると相手を認め、本気を出すという彼らの意思表明だろう。
「山岳の東域戦線では大規模展開が不能、西域戦線でも敵は歩兵しか持たず、戦力差が絶望的に開いている。……この状況で敵が戦況を好転させるのは無理がある」
彼は懐から戦局図を取り出しそれを眺める。
「日本人たちよ、これが白人最大領土を誇る国を本気にさせた結果だ。約24万騎にも及ぶ騎兵突撃…、まともな抵抗などできまい。日本兵があまりに哀れだ。」
はぁ、と彼は溜息をついて続けた。
「旅順の件で、もしかしてとは期待させてくれたが、この程度か。結局敵はただロシアに踊らされただけ…、か。やはり、黄色人種が白人に打ち勝つなど無理がある。」
なんらおかしいことではない。
カウリパウスが言ったように、最大動員450万を誇るロシアが失った戦力はたったの4万、それも極東の警備兵程度の練度の部隊。
対する皇國は、最大動員さえあのイタリアにも遥か及ばず、正面へ展開する総兵力もロシアの半数にすら満たない。
国内総生産から見ても、皇國の総合工業力ではすぐ生産限界が訪れる。弾薬が尽きれば兵器は機能しないのだ。それまでの僅かな時間を、ロシア軍は無限に湧き出る人的資源で文字通り肉壁を築き上げて耐えればいいだけ。
確かに、彼らの知りうる情報だけつなぎ合わせれば、もはや足元にも及ばない。
そう、彼らの情報把握の限界の遥か上に理屈が存在した。
ハーバーボッシュ法による空気と水からの火薬無限生産、農業革命による生産人口大半の製造業への移動、以上より成る皇國総動員体制。
そして――…1904年バルバロッサ作戦『裂号』。
当然、彼らは知る由もない。
再び視線を前線に戻し、まだ見ぬ日本軍に彼は呟く。
後ろから、ヒンデンブルグが追従するようにルーデンドルフの肩を叩く。
「連中は…文明の守護者白人に、よく『世界秩序』に刃向おうと思い立ったな」
「はい、そしてよくここまで攻め上がりました。お疲れ様ですよ、彼らには。」
「その蛮勇さだけは、手放しで褒めてやるべきか?」
「ええ――その国名が地図から消える前に、ですね。」
かくて静かに彼らは歩みだし、外に繋いでおいた馬に乗る。
「詰んだな、日本人よ。最期くらい看取ってやる。」
プロイセン軍人たちは、観戦武官としてコサックに追随する。
・・・・・・
一方、カシタリンスキーは騎兵団を離れ野営本部に一旦戻っていた。
「…さて、準備は整ったな?司令部に出撃報告を入れるとしよう」
「はっ、連絡します!……『第17騎兵団、出撃す』!」
側近はモールス信号機を素早く弄り、出撃宣告を司令部に送信した。
ほどなく返答が帰ってくる。
「『了解。こちらも本部に――^-..^.....、』
……?変ですね、返答が途中で途切れました。」
「まぁよくあることだろう?電信機なんぞ頼りにならん。」
「ですね。出撃命令は出てるんで行っちゃいましょう。」
指揮統制の脆弱なロシア軍では、情報共有の不徹底など日常茶飯事なのだ。これくらいでロシア帝国士官たるものが動揺するわけがない。
「さて――、蛮族蹂躙の時間だ。」
カシタリンスキーは騎兵団の最先鋒へ舞い戻る。
ヒンデンブルクが騎兵団の最後尾へ並んでいる姿をそこで認め、プロイセン人にいい姿を見せようと、ニィと片頬釣り上げた。
かくて、一気に槍を振り下ろす。
「全騎、前進!!」
ロシア軍の全騎兵団が進発し始める中、戦線左翼の中核戦力を担う第17騎兵団は、遂に出撃した。
・・・・・・
「爆撃完遂、敵重砲陣および前衛司令部は沈黙!」
「素晴らしいッ!」
僕はグッと拳を握りしめる。
陸軍航空隊は大石橋航空基地より順次出撃、一隻あたり5tのアンホ爆弾を詰め込んで第一航空隊30隻が盤錦を、第二航空隊30隻が鞍山を猛襲。事前の航空偵察で完全に丸裸にされていた2つの敵前衛司令部と、展開する重砲連隊を一方的に撃滅した。
「まずは事前掃討が満了、ですか。」
「ああ。元々脆弱な敵の指揮系統だ、現刻を以て完全に消失とする。」
僕は片頬吊り上げてみせる。
「敵には頭もなければ、重砲による火力支援もない。射程外から僕らを阻害しうる敵戦力は存在しない。」
「本領発揮、といったところでしょうかね少佐殿。」
自騎に騎乗する。
僕ら本部中隊だけが装甲化されていないだけで、眼下はどこまでも鋼鉄の海だ。
機甲連隊『回天』を指揮する秋山好古少将が、車上で血に飢えた狼のように迫る前線の騎兵団を睨め付けている。確か彼は秋山海軍少将の実兄だったか。
一個装甲大隊は3個装甲中隊からなる210輌の装甲車を有し、これが3個並んだ機甲連隊こそ『回天』である。
装甲車総数、実に630輌。
630の弾幕が、分速600発の威力で一斉に展開されるのだ。
ガシャン、と馬鉄が軋む。
見れば手が戦慄いていた。
ああ、戦場が迫る。
「『回天』準備完了。進発用意よし。」
「了解。――副旅団長より全戦闘団へ命ず。」
眼前に整列した牽引自走砲と兵員輸送車、そして装甲車の大群に向けて告げる。
「機械化歩兵連隊『震天』、『回天』の後に続け。機甲連隊の敵騎兵突破の後に、歩兵を車内から開放展開して掃討、順次制圧せよ。」
兵員輸送車が発動機を駆り立ててる。
機械化歩兵連隊も準備は万全か。
「牽引野戦砲部隊は『震天』の更に後続。機動力を活かしつつ敵射程外を保持しながら敵の直衛野戦砲に砲撃支援を実行。草一本も残すな。」
口径88mm、分速18発。
ここに弾着観測射撃の補正が入る。
「『回天』。対騎兵戦闘、掃射術式。」
ガチャリと機関銃にベルトが差し込まれる音。
「『奔星』全戦闘団、第一種制圧態形。」
全てが揃った。もうなにも憂いることはない。
「少佐殿、旅団司令より連絡!」
「伊地知中将からか?」
別海中尉は覚悟の表情で頷く。
「発 総軍司令部 宛 全部隊
明治37年7月7日午前6時半。現刻を以て、『裂一号作戦』を発令する。
指揮下の各部隊は直ちに進発、正面に突撃する敵を撃破、殲滅せよ。
――以上です。」
僕はそれを受けて頷く。
かくて、深く、深く、息を吸う。
「隷下旅団に告ぐ――…『世界秩序をぶち壊せ』。」
凛と、軍刀を打ち付ける。
「統治者の座にふんぞり返る白人どもに皇國の名を刻みつけよ。その堕ちきった自負を粉砕せよ。」
この理不尽をぶち壊せ。
「麗美なる戦場という白騎士共のファンタジーを踏み躙れ。泥と血にまみれて、壮烈なる火力の狂奏で正面からぶん殴れ。」
一つの築かれた時代を覇壊せよ。
「世界を捻じ伏せ、縛り付ける『旧時代』という体制への蜂起たれ。
旅団諸君、血で血を洗え!白き支配者に、復讐の
兵士たちはその魂を震わせて鳥肌を立てる。
「これは、革命である―――!」
平原の彼方を睨みつけ、刃を抜く。
「『裂一号作戦』、戦闘団発令。隷下の旅団全軍は速やかに行動を開始。
――…ロシア帝冠の地を、血みどろの恐怖で染め上げろ。」
「「「オォオオオッッ!」」」
発動機が一斉に唸り立ち、土埃が舞う。
「全車前進ッ!」
革命の旭旗が刻下、翻り―――。
散々『失敗は文明の根幹なり』だか抜かして来たが、今度こそは許されない。
瞑目して、静かに息を吸い、吐く。
明治電撃戦という正念場に際し、鉄オタという初心に戻って何かここに宣うなら。
目を見開いて、ニィと口角を上げる。
「全車、出発――進行。」
さぁ、戦争を始めよう。
白青赤の三色の旗を掲げ、双頭金鷲紋の下に数万と迫り来るロシア騎士団。
短槍片手に軍馬に跨り、颯爽と駆けゆくコサックに率いられた世界公認の地上最強の白騎士たちは、一塵も勝利を疑わない。
彼らは蛮族征伐の気構えで鼻高々に南下する。
そんなファンタジー、彼らの華麗な幻想を打ち砕くが如き轟音と共に。
翻る旭光十六条の上空に数十の飛行船団が超えていくかと思えば、地上には菊華帝紋をあしらう機神数千輌が続く。
熾烈を極める弾幕を張り、歯車の音と砲火の爆音だけを戦場に響かせ。
武士たちが、ただただひたむきに世界を覆しに進む。
明治37年6月22日。相反する二つの剣が、満州の地にて交錯する。
のちに世界はこの戦いをこう呼ぶ。―――『終わりの始まり』、と。
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