総軍本部
「よぉ、出来損ない。」
「…忙しいんだが」
呼びつけといて随分なお出迎えだな。
「忙しい?はっ、笑わせてくれる…。俺の激務、一度やってみるか?」
「遠慮しておく」
「楽でいいよなぁ、お前は」
磯城は僕へそう言った。
「俺はこんなにも戦略を積んで、戦後処理を考えて、歴史の流れをシュミレートして、ここまで大変なのに…。お前は目の前の戦場しか考えなくていいから本当に楽だ」
(枢密院に籠もってテンプレ語ってるだけじゃねぇか…)
ふん、と磯城は鼻で笑う。
「まぁ仕方ないか。『平成人』と『改変者』じゃ能力もその責任も使命も違いすぎる。お前には理解できないだろうよ」
「はぁ…。」
「お前は『今』をどうにかすることだけを考えていればいいものな、楽に違いない。……俺がやったら、片手でも数分で終えられるのに」
「あのな…時間が惜しい」
さて、早速僕は呼び出され、沿海州総軍の仮本部にやってきたわけだ。
「くくくっ、『平成人』らしく実に短気だ…。『改変者』を前に妬いてんのか?」
「用件は何だよ」
「…いや、なに、簡単なことだ。これからウラジオストクを攻略するにあたり、実に残念ながら俺はお前を連れてかなきゃならない」
「は?」
「俺とお前じゃ実力の差は歴然。全体の統率にも影響を及ぼすだろ?」
磯城はくすりと笑う。
「だからな――…戦闘団団長を降りろ。」
何を言われたのか一瞬理解できなかった。
「なに、そもそもウラジオストクに乗り込むという偉業、歴史をひっくり返す大仕事は『英雄』の役目だ。」
「…は、はぁ?」
「小心者の『平成人』には重すぎる使命だ。お前を思いやってやってんだぞ?その重責から解き放ってやる、ってな。感謝してほしいもんだぜ」
「意味がわからん。そもそも、団長は僕ですらない」
「あ?なら誰なんだよ」
「伊地知中将閣下だ」
「…い、ぢち?」
暫し磯城は顎に手を置いて考える仕草をした。
「あぁ、伊地知幸介のことか…。く、くくくっ、ま、まさかあいつか?」
「…面識あるのか?」
「名高き旅順要塞戦のクソ無能っ!はははッ!」
持っていたペンを僕は落とした。
今こいつなんと言った?
「旅順、だと?」
「お、おまえそれも知らねぇのか!流石は歴史弱者だなぁ…。」
磯城は得意げになって語りだす。
「史実、旅順攻撃において乃木大将の下に参謀長を務めるも、融通の利かない無謀な作戦指揮を行い6万の死傷者を出した元凶、どうしようもないド愚将!」
「………。」
「こんな家柄だけのゴミ無能を中将にまで祭り上げてしまったのは藩閥の調整、情実のお手盛り人事だったわけだが…。変だな?悪しき藩閥は枢密院体制で終止符を打ったはずなのに、未だこんな残滓みたいなのが軍に残ってたとは」
まぁいい、と磯城は続ける。
「そんな牟田口同レベルの能無しと、中身空っぽの『平成人』が…、後の伝説になりうる『皇國戦車部隊』を率いる、だと?」
彼は僕の額に指を伸ばし、思い切り弾いてみせた。
「ガハハハッ!抱腹絶倒モノじゃねぇか!…――冗談じゃねぇよ。」
一転、冷酷な声音に変えて、僕に詰め寄った。
「その人格欠損野郎を引きずり下ろしてお前も降りろ。俺と交代だ」
「……人格欠損、だと?中将閣下が??」
「あぁ。お前と違って『改変者』は歴史に詳しいんだ。悔しかったら『坂の上の雲』でも読んでみろよ?奴はな、正真正銘の屑だ」
拳を握りしめる。
感情が豊かじゃない自負はあったんだがな。
自分がここまで冷静さを失うとは思わなかった。
「結局、『史実』かよ」
「何を今更!王道を見忘れたか?」
僕はそれ以上の言葉を手で制した。
「お断りだ。誰かの書いた王道でしか人を見れない奴には渡せない」
「へぇぇ…。総軍参謀、それも英傑に逆らう、と?」
「指揮権権限の移乗は相互の合意によってのみ成り立つ。陸軍軍法第四章第13条の通りだ」
「『英雄に逆らった』んだぞ?俺が訴えて回れば、周りの将校はお前をどう見るだろうなぁ?」
「……英雄特権とでも言うつもりか」
英雄の使うような手じゃ断じてない。
「そもそもウラジオストク攻略は
「あぁ?枢密院が周到な計画と作戦立案までして回ったんだろうが。お前らがやったのは荒唐無稽な妄想だけだ」
「は?」
「アイデアだけだ、ってことだ!無能の寄せ集めが」
どうやら立案までもが枢密のお手柄である設定になっているようだ。基本案も、戦力整備も、作戦周りの調整も、他のどこでもない妥協がやったにも関わらず、だ。
「いいか?戦車部隊を率いて入城するは英雄の仕事だ。俺がやるべきだ!」
「はっ。俺がやりたい、の間違いでは?」
「――俺を侮辱してみろ、英雄への反逆と触れて回るぞ」
磯城はダン、と机に拳を打ち落とした。
「まぁそんなことをせずとも十分か。
俺がその気になれば、この場でお前を捻り伏せられる」
彼はその拳を、威嚇するように僕の眼前へと持っていく。
一瞬で殴り倒して黙らせてやる、と彼は脅しを囁いた。
「俺とお前、一対一。実力も、立場も、所属も歴然。選択は間違えないほうがいいと思うがな」
ここで軍刀抜いてやろうかとも思ったが、後が面倒なので思いとどまる。
(……はぁ)
僕は重い口を開く。
「わかった。 ウラジオストク近郊に迫ったら、お前の沿海州総軍に先鋒を譲る。ここで落とし所をつけてさせてくれ。」
「ああ?どういうことだってんだよ」
「お前にウラジオ入城は譲るってことだ」
磯城は眉をひそめる。
「俺が、最初から戦車部隊を率いるって言ってんだぞ?」
「それは無理だ」
「随分な低能だな、俺の言ってることが理解できなかったか?」
「そうじゃない、総軍の区割り的に不可能だってんだ」
至極丁寧に説明してみせる。
戦闘団は電撃戦を敢行するにあたり、その機動力と制圧力を活かして真っ先に重要な戦略目標を落として回らなければいけないのだ。
『奔星』は、奉天の次に四平街、続けて長春と進んでから西進となる。ウラジオストクへは一直線とはならない。
つまり、ウラジオストクを目指すだけの沿海州総軍とは行軍のルートどころか戦闘域でも不一致が出るのだ。
「そんなもの、戦車団?をこっちの沿海州総軍に移せばいいだけじゃねぇか」
「人事、補給、指揮系統、各所調整が最初からやり直しになる。時間がない」
「俺がなんとか出来る。なんたって『英雄』だからな!」
「後方だけでも従事者は万規模でいるんだぞ?全部一人でできると思ったら大間違いだ。」
「構わねぇよ、俺がやる」
「攻勢の日程でも遅れてみろ。負けるぞ」
「くははっ!王道チートに負けなんかねぇよ、哀れな『平成人』サン!」
どう話してもこれか。
全てはその自信に帰結して、結局通じないのだ。
(なら…論法を、磯城に合わせるしかない)
はーっ、と少し長く息を吐く。
「――『英雄』は、最後に登場するものなんじゃないのか?」
僕は、そう磯城に語りかけた。
「最後の最後、土壇場で現れるからこそ美しい。そう思うけどな。」
舌を噛みちぎりたくなる。
こんなふざけた虚言を喋る自分が、痛々しくてたまらない。
「ほう?」
漸く、磯城は考える仕草をした。
「世界に轟くんだろ?その瞬間は可能な限り英雄的でなくちゃならない。」
我ながらよくペラペラと口が回るものだ。
中二病期の名残だろうか。黒歴史だな。
「へぇ、召喚15年、ようやくモノゴトってもんが少しは分かったか」
ふん、と磯城は鼻を鳴らして立ち上がる。
「決まりだ。忘れるなよ?」
「そっちこそな」
僕は即座に磯城の前から踵を返す。
一刻も早くこの部屋を去りたかった。
「……はぁ」
ガタリ、と参謀部のドアを締める。
(あれ…)
相当疲れたようで、そこで足が止まってしまった。
少し佇んでいると、ドアの内側から磯城の笑い声が聞こえてきた。
「……ぐくくっ、早く死んでくれないかなぁ」
その不穏な内容にぞっと背筋を震わせる。
なにを独りごちているんだこいつは。
「あの、あの平成人が死にさえすれば。漸く現代の遺物が全て手に入る…。
最前線に酷使してやる…。さっさと敵弾に倒れて欲しいもんだぜ」
そっと聞き耳を立てる。
「そもそも、『改変者』は後方で世界線を組み立てる優美で高尚な存在…。最前線で泥被るのは汚れた『平成人』で十分か。流石は俺、英断だった。」
満足気に彼は続けた。
「奴が死ねば――奴の遺物は俺のモノになる。紋別?とかいったな、あの硝安都市も、戦闘団も、アウスなんとかも、…全部『英雄』の俺を頼ってくるに違いない」
くすくす、と扉から笑いが漏れてくる。
「奴の部隊は…。北鎮?だっけか、北方戦役で無能の限りを晒したクソ汚い屯田兵どもの成り上がりだからか、女も多いからな。時が来たら俺のハーレムに加えてやることも考えてやるか…!」
瞬間、拳銃を懐から取り出した。
「――ッ!」
本当に、反射的に扉の向こうを撃とうとしていたのだ。
その反動で、肘を扉枠に打ち付ける。
(…あ)
ガタリ、と音が鳴った。
「――誰かいるのか?」
磯城の足音が迫り、僕は大急ぎで階下へ姿をくらました。
・・・・・・
・・・・
・・
憤慨と憂慮とその他諸々をごちゃまぜにした、途方も無い鬱屈感を抱えて司令部の廊下を歩く。
「はぁ、やだなぁ…。ほんとゴミだわこの仕事」
ようやく作ったばかりの進軍計画は、磯城の沿海州総軍との合流というクソ日程の追加のせいで、洗いざらい再構成を余儀なくされたのだ。
「どうにか磯城を電撃戦からは退けた、はいいが…、」
営口からハンカ湖の南湖畔までは装甲車隊で突き抜けるが、そこからは歩兵隊と合同でウラジオを目指さなければならない。
「湖畔にさえ至れば、まぁ、もはやあとはどうにでもなるとは思うが…」
そこまで来れば平野を南に下るだけだ。
「けど、作り直しかこんちくしょー…」
舌打ちをして角を曲がった瞬間。
「お、いるではないか、副団長」
僕はその人物を前に目を丸くした。
「――伊地知閣下。」
伊地知は煙草を口から降ろして、白煙を吐く。
「一月ぶりだな。なに、元気そうでなによりだ」
「全然元気じゃないですよ鬱ですよ鬱」
「かかっ、減らず口が叩ける気力はあるじゃないか」
ため息をつく。
煙草を片手にした伊地知は、ついてこい、という仕草をして歩き出した。
僕はその背を追って、適当に駄弁りながら歩く。
「なんですかこのありとあらゆるハラスメントを封じ込めた職場環境は」
「当たり前だろう。それが陸軍だ」
「ハラスメントの缶詰か何かですか」
「戦時は衛生環境も底辺になるぞ」
「やめてくださいこれ以上は労基に駆け込みますよ――」
おもむろに伊地知が立ち止まる。
「ここだ」
「?」
何か訊く暇もなく、彼は扉を開けた。
「――!!?」
飛び込んできた光景を目の当たりにして絶句する。
並び座る将校たち。肩の階級章はほぼ全てが少将以上の将官級。
これでもかと勲章を吊り下げて、髭を荘厳に伸ばした将軍が錚々と。
そしてその中央に『総軍司令官』の肩書を記した机。
杖を携えて金箔で装飾された革椅子に座るは――
「乃木希典、陸軍大将っ……!?」
伊地知は笑う。
「ようこそ、満州総軍司令部へ。」
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