海城

ガゴン、ガゴン、と兵員輸送車の群列が未舗装の街道を駆けていく。


「わぁ、さすがにようやく上り坂も終わりですか」

「ここから一気に下り勾配になるな」

「さすが遼東半島峠越え、道のり長いですね…」

「でも今までの軍馬行軍よりかは遥かに高速だぞ」

「馬みたいに給餌とか処理とか睡眠とか取らなくても、石油さえあれば動きますもんね。特に夜間ぶっ続けで走れるようになったのが強いです」


馬の休息だったりとか山賊への備えとかだったりで夜の移動が出来ないのが、兵員輸送車であると余裕なのである。


「車内って安全な空間で一気に20名の兵員を輸送できるようになったしな」

「ですね。昨日も待ち伏せてた山賊、アクセルかけるなり逃げ出しましたから」

「勢いで轢き殺すなよ…」


清朝末期なので基本夜道は治安が悪い。軍馬行軍でも生身は晒しているので大陸では基本、軍隊でも夜間移動には特別な警戒を要するのである。

それが兵員輸送車になれば前照灯で夜道ははるか先まで照らせ、万一囲まれても一方的に中から銃撃できるのだ。

怖いもんなしの『奔星』戦闘団である。


「どのくらい来たんでしょうか」

「この坂を2日ほど下れば営口市街。遼東半島の北の付け根だ」

「それって…」

「ああ。皇國陸軍は遼東半島を分断したことになるな」

「な、まだ開戦1週間ですよ!?」


僕も恐ろしいことだと思う。

たった1週間で遼東半島全土を電撃的に占領するのだ。

史実明治陸軍が半年かかって漸く成し遂げたそれを、先鋒の兵員輸送車で兵隊をピストン輸送、遼東半島の付け根へ迅速に最前線を築き上げるのだ。


「まぁそれもこれも旅順の陸海軍が奮闘してくれたからなんだろうけどな」

「… 一体、あれは奮闘というべきなんでしょうかね?」

「?」

「いとも簡単に旅順要塞落ちちゃったじゃないですか」

「いやいや。綿密な作戦計画と猛烈な火力援護があってこそ数日そこらで落とせたんだ。日程だけ見りゃすぐ終わったようだけど、多分、今頃旅順は焼け野原だぞ」


揃えられた兵器と人員と作戦と火力を知る僕だからこそ、この感想が湧くのかもしれないが。


「とにかく…露軍の南満州の防衛戦力のほぼ全てが旅順に集中してたことが助かった。あれを一発で潰せたから今の今まで無戦闘でここまで来れてるわけだし」

「ですね」


この快進撃は、戦闘による時間ロスや人員交代がないのが一番の理由かもしれない。

わかってはいたがもはやただのドライブである。


「とりあえず、だ。我らは最先鋒として営口を占領し、遼東半島全域を皇國陸軍の占領下に封じ込める。これで――満州平原への入口を築き上げる。」


旅順から始まる遼東半島は、大陸に入ると山脈となってさらに北東へ伸び、白頭山のある長白山脈と名を変えてウラジオストクに至る。ここは山岳地であり、基本大規模な行軍と戦闘に適さないので、主戦地にはならない。よって占領の優先度としてはかなり低いのだ。


対して、遼東半島の北の付け根からは奉天、長春、ハルビンと奥満州へ続く大平原が広がっており、ここが今時戦争での大舞台となるのである。


「機械化部隊は平原こそ命。営口から海上にかけての遼東半島北の付け根に前線を引ければ、そこが最強の突破口になりうる。旅順湾攻撃と仁川奇襲上陸に始まる、『ロシア軍の展開前』に主眼を置いた第一次電撃戦の最終目的は、ここに戦線を出現させることだ。」


旅順にて敵部隊を殲滅し、迅速な陣地転換と戦時体制への移行を阻む。

その隙を突いて、敵が予想もしない「自動車での展開」で想定外進撃を敢行、遼東半島を席巻する。


「……よく練られた作戦ですね。」

「な」


ただ、所詮は奇襲からの急速浸透である。

露軍が戦時体制に移行すればすぐにでも勢いは収まる。

国際社会の見方の趨勢を決することはないだろう。





―――――――――




「な、り、旅順が落ちただとォっ!!?」

「は…はぁ?」

「おま、お前なに抜かしてるんだ、フェイクニュースもいい加減にしろ!」


翌朝のロンドンでは衝撃が走る。


「嘘じゃない…ロシア軍が大敗した!奇襲で全滅だそうだ!」

「蛮族征伐で全滅ぅ!?いくらロシア人とは言えあり得ない!」

「アル中の鈍熊でも流石に猿には勝てるだろう!」

「冗談も大概にしやがれ!」


まず注がれる非難の嵐。

ただ、群衆に次々と新聞紙が行き渡っていくにつれて風向きが変わる。


「ば…馬鹿な…。本当だ、突破されやがった!!」

「はぁ!?」


号外が撒かれるたび、群衆に驚愕の波が打つ。


「嘘だろ…?同盟国とは言え、我ら大英は一切連中に援軍してないんだぞ?」

「ど、独力で数万規模の白人の軍を退けただぁ!?」


「いいや、…我らが大英帝国もボーア戦争で一度負けているか。」


彼らに苦いボーア戦争の記憶が甦る。


「…チッ、我々もロシア人を馬鹿にできん。」

「俺らの軍もアフリカ人に敗けたことがあるんだからな」

「待て、アレはなにも完封されたわけじゃない。敵の損害も甚大だった。だからこそ、数年経たずに結局あの憎きボーア人共を滅ぼしたんだろう」

「損害比はどうだ…。」


彼らはまず戦場詳細を把握しにかかった。


「ロシア軍損害40000に対し…日本人共、に、250ゥ!!?」

「馬鹿な!一桁間違えてんじゃないのか!?」

「ど、一体、どういうことだそりゃ!」


困惑と動揺が一気に広がる。


「それだけじゃない!や、やつら既に鴨緑江を突破した!」

「は…!?ま、まだ開戦4日だぞ!」

「なんて機動の速さだ…。」

「現在の進出ライン、〈営口・鳳凰城・丹東〉だと…」

「な、なんだそれは!遼東半島の大部分を占領しているじゃないか!」


愕然と紙面に見入る大英臣民たち。


「ま、待て!落ち着け…。どうやら宣戦布告前の奇襲だ…」

「いや、それでもおかしいだろう?白人が築いた近代要塞だ。奇襲だったとしても、蛮族程度が槍と弓で武装して勝てるような存在じゃあない」

「どうかわからんぞ?それに例の列島国家はあのボーア戦争のような部族社会ではないようだ。部隊もある程度は西洋化されている」

「それでも…損害比1:100は異常だ。有色人種の低知能種族相手にこんな負け方、どの列強でもやらかしたことはない」


多くの投資家は顔を曇らせる。


「突発的に始まったこの戦争…。低能な蛮族がまた、無謀にも白人に喧嘩を売っただけの、アフリカでよくある話かと思っていたのだが…」

「ロシア優位の見方は一気に壜雲に呑まれたな」


先行きの不透明感ほど、投資家たちを不安にさせることはない。


「…もしかして、蛮族がやるかもしれんぞ…?」

「まさか!ボーア戦争の時は一時撤退したが我々は即座に戦力を整えて反攻して勝利を掴んでる。それに露日じゃ人的資源差は歴然だ。」

「一理あるな。いいや、むしろただ序盤でロシア人にとって40000喪失など、畑から人が取れるんだから屁でもない。」


それでも遥かに埋まらない国力差ゆえに、栄えある英国臣民たちはその予想を変えることはなかった。


「…それに、ロシアは程なく戦時体制を築くだろう。そうなったら、いくら旅順を落とし遼東を席巻したとはいえ、黄色い猿どもに勝ち筋はない。」




―――――――――




「なんて、ことだ……」


満州軍司令官のクロパトキンは机上で頭を抱える。


「どうしてここまで敵の展開が速い…!」

「てっ、敵軍は既に営口に到達したようです…」

「……ッ!クソ、旅順要塞はなにをしていた…!」


額を抑えながら彼はコマの並べられた極東戦略図から旅順の40000を排除する。


「不味すぎる、緊急展開が間に合わん」

「それに現在、占領された旅順からも敵兵が内陸へ浸透しており…」

「…っ、遼東半島はもう落ちたか」


拳を握りしめ、彼はそう吐き捨てた。


「ただ、二つほど朗報が」

「…なんだ?」

「1つ目は、営口に到達した敵軍に、これ以上の進攻の動きが見られないことです」


ほう、と彼は息づき顔を上げる。


「敵軍は仁川からはるばる営口まで490km…異常な進撃、か。なるほど、補給線が伸び切ったと見たぞ」

「蛮族の魔法かどんな手段なのかはわかりませんが、1週間足らずで490kmを踏破。補給が追いつきませんよ」

「ふむ。準備が出来ていないのは連中もこちらも同じ、か。」

「少なくとも本官はそう愚考します」

「敵は現状、攻勢限界点に達した、と。そう見ていいんだな?」


彼は地図に目を落として暫し、熟考する。


「……戦線を営口-鞍山-通化を結ぶ線まで退け」

「蛮族共の現の進出線に合わせるおつもりですか」

「ああ。ここに持ち前の機動力を活かして迅速に騎兵を展開し――」


カタリ、とシベリア騎兵軍団とコサックの駒を北満州や沿海州から南下させて、クロパトキンは営口の防衛線に置く。そこから、一気に突破浸透を描いてみせた。


「――奴らの補給線が整う前に一気に騎兵突撃で叩く。」

「確かに、騎兵団と正面から戦えばサルどもに勝ち目はないですね。所詮は蛮族らしい卑劣な攻撃、ここまでの快進撃も隙を突いた一時的なものでしかない」

「しかも相手は軍馬主力の軍隊ですらない。攻撃機動力なら我が大ロシアはどこの列強にも退けをとらん。」


で、もう一つは?とクロパトキンは訊く。


「――ドイツの連中から観戦武官団です。」


彼はおお、とつぶやいてみせる。


「世界の頂点に君臨せんとするプロイセン軍から、か。」

「はい。…まぁ、最強の我が帝国による蛮族の教育に、観るに値する戦闘があるかは疑問甚だしいですけどね。総司令閣下さえよほどの慎重であせられる」

「戦況というものは可能性というレールの上で常に転がっている。慎重にして助かることはあっても困ることはない」


この司令が俺TUEEEくせに慎重すぎる、などと21世紀では呼ばれるかもしれない。


「観戦武官団一行を盛大に歓迎して差し上げろ。誰が来る?」


その問いに対してカウリパウスはわけもなく淡々と名簿を読み上げる。


「パウル・フォン・ヒンデンブルク陸軍中将、並びにエーリヒ・ルーデンドルフ陸軍少佐。」


現代人が聞いたら卒倒するであろう人選。

後にロシア帝国という国体さえ破壊することとなるきっかけ、第一次大戦・タンネンベルクの戦い。圧倒的不利な戦況からロシア軍を完封した『プロイセンの2英雄』。

第一次大戦のプロイセン参謀本部を代表することとなるこのコンビが、皮肉にもロシア軍観戦武官として満州の地に立ち塞がり。


「直ちに騎兵軍団を南下させよ。奴らの補給が伸びてるうちに潰せ」


ついに、ロシア正規軍が動き出した。

世界最強と名高き、あのコサック騎兵を引き連れて。




・・・・・・

・・・・

・・




明治37年2月20日 前線・海城


「膠着、か…」


僕は戦略図を見下ろす。

https://26418.mitemin.net/i452603/


上図の通り、営口から海城にかけて皇國陸軍は戦線を構築、ロシア軍と向かい合う形で膠着状態にある。

そしてここは戦線より20km後部にある街、海城。


「営口からしばらくは河川を挟んで両軍が睨み合うって形なのね」

「そこからしばらく塹壕が続いて長白山脈に当たるまでが戦線だよ」


長白山脈は3000m級の険しい山々が聳える、事実上の大規模行動不能地域だ。鴨緑江で随分な打撃を受けた鴨緑江総軍が分散展開して防備をしており、実質ここは戦場にならない。


『全作業区、全作業区に通告する』


おもむろにスピーカーが鳴り響いた。


「…なんだ?」


『沿海州総軍司令部が海城駅に到着。これより各所に高官要人がたの視察が入る。中には――〈英傑〉たる枢密院議員、磯城盛太 特別高等参謀もいらっしゃる!』


その名を聞いて、一気に悪寒が走る。


『……決して。決して!粗相のないようにすること。以上である。』



「…どういうことかしら」

「沿海州総軍…沿海州総軍って何処だ…?」


鴨緑江を突破したことで改訂された陸軍戦力の要覧を見返す。


そして程なくその文字を見つける。




・沿海州総軍(旧鴨緑江総軍)

 第1軍 長白山脈:◎近衛師団 ◎第十二師団

 第2軍 沿海州進攻:◎大阪鎮台 ◎仙台鎮台 ◎第十一師団 ◎第十三師団

・満州総軍

 直属戦闘団『奔星』

 第3軍 北満州方面:◎東京鎮台 ◎広島鎮台 ◎北海鎮台 ◎第九師団

 第4軍 西満州方面:◎熊本鎮台 ◎名古屋鎮台 ◎第八師団 ◎第十師団




「ッ…!そういうことかっ!!」


「どういうこと?満州総軍とは関係ないじゃない」


裲がこてりと首をかしげる。


「違う…。僕らは途中まで満州を進攻するから満州総軍に組み込まれてるだけであって、である僕らは目的地を『沿海州総軍』と同じにするんだ…!」

「つまり?」

「…途中から最後まで、奴と一緒だ。」


特に最後にはウラジオ陥落というフィナーレが待つ。

それが狙いか。


「すまん、少し取り込むかも。後任せた」

「?…任されたけれど。」


怪訝な表情をする裲を後に立ち上がった。

そうか、彼女はまだ磯城を見たことはないか。いや、出来る限り合わせたくはないのだが。


(嫌な風向きに変わってきたぞ……)


鬱蒼とした心地で、僕は鉄道連隊の本部を出る。

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