鴨緑ダッシュ
時系列は少し戻って旅順湾攻撃直後。
「全車、発動機正常に稼働ッ!」
「よし!『奔星』全隊は行動開始!」
砂埃を巻き上げ、仁川の桟橋を兵員輸送車が駆け下りていく。
「全軍我に続け!鴨緑江へ――ッ!」
土煙が仁川の貧しい市街を吹き荒び、発動機は轟々と音を吹き立てる。
錚々たるその数、120輌。
ひたすらに圧巻であった。
明治37年2月8日。旅順砲撃開始の同刻に、皇國陸軍・鴨緑江総軍は仁川へ上陸、朝鮮半島を速やかに北上し始めた。完全奇襲上陸である。
朝鮮半島の山だらけの地形では装甲車が馬力不足で満足な戦闘を展開できないため装甲車は引き連れられない。
「それに、今回の目標は〈鴨緑江を突破すること〉だしな」
史実、開戦から3ヶ月遅れて鴨緑江に到達した結果、当該地においてロシア軍の河川防御に遭い、戦死1000という少なくない被害を出したのは記憶に新しい。
それを無効化すべくの仁川奇襲上陸であり、だからこそ、機銃装備で比較的巡航速度の遅い装甲車はこの作戦にはそぐわないのだ。
「まず最初の電撃戦は『鴨緑江を制圧、南満州への橋頭堡を築く』ことだ」
「…タイムリミットは鴨緑江対岸にロシア軍が展開を完了するまで、ですか」
別海中尉が横で僕の言葉を継ぐ。
「ああ。そう考えると――、あと3日だ。」
残る3日で部隊は平壌を抜け、鴨緑江へ至らねばならない。
「伊地知閣下はどうされたんです?」
「本土に戻って装甲車軍団の最終調整中だ」
「あー、旅順投入は5月の予定ですからね」
旅順の占領次第、バルバロッサ作戦は発動準備となる。
まだ秋山機動部隊が空襲を開始したという情報しか入っておらず、威力偵察程度なら敢行されるかもしれないが、陥落を目的とした本格的な上陸戦を展開するのは1,2ヶ月は先になるだろう。
「内地では…戦時内閣ができたんでしたっけ」
「桂内閣だな。即日、戦時戒厳と総動員の布告だ」
「戦時…ですね」
「戦時でもなきゃこんな悪道3日もぶっ続けでドライブなんかしたくねぇわ」
「確かにそのとおりです」
装甲車を抜いた『奔星』戦闘団の本部中隊のみを率いて進む。
兵員輸送車の列は、夜も止まることはないだろう。
・・・・・・
大韓の王都たる漢城へ入城すると、人々が驚いて飛び出してきた。
そして、見たこともない鋼鉄の塊が憤進する様を見る。
瞬間で彼らは硬直した。
「おおう……」
その手元を見て僕は思わずそう漏らす。
誰もが石を抱えていた。投石のためだろうか。
「皇國嫌われてんなぁ…。」
刻下、大韓帝国内の世論は大きく2つに分裂していた。
皇國へ盟し近代化を進めようとする日清戦期から暫く政権を握った旧独立党すなわち開花派に対し、日露対立に際し強大なロシア側に事大主義で擦り寄って戦火から身を守ろうとする、明治29年クーデターで政権を再奪還した事大党が政権に君臨する。
現在、世界情勢的には圧倒的に日露戦争においての皇國側は不利となっている。皇國戦時国債は敗戦に伴い回収不能との見方が全てを占め、唯一それに今年までに五億圓を投資したシフは気が狂ったのかと言わんばかりの侮蔑の視線にさらされているくらいだ。英仏は再保障条約を締結し、日露戦争には不参加を宣言している。
皇國に大英帝国の援軍が有り得ないと悟った朝鮮政府はロシア帝国の勝利を確信し、一気に事大主義が国内を席巻したのだ。
「……大韓政府の中立なんて表面的なモノですよ副団長殿」
「副団長はやめろ。応援団みたいでダサい」
「なら本部中隊長殿。」
「中隊長でいいから」
「はぁ…。中隊長殿、大韓は韓露条約に基づいて支援物資垂れ流してますよ。実質的には現状ロシア側です。」
「まー…そういっちゃそうなんだが」
別海中尉ははぁ、と溜息をつく。
「しかし…まぁ同情できなくはないですよね、この漢城の有様を見れば」
藁葺平屋が乱雑と続く漢城市街の中央に聳える南大門を潜れば、衛生状態の非常に悪く、やせ細った人々が伺える市場がある。
この時期は李朝末期、朝鮮史最暗黒時代にあたるのだ。
「両班の搾取は…苛烈みたいだな」
「どこも悲惨な状況ですよ」
まだまだ不正な税の収奪が横行して人々が飢えに喘いでる。朝鮮全土の人口も20年前と比べて200万人減って現在総人口700万だ。
史実昭和20年、すなわち総督府統治から解放された年ですら朝鮮の総人口は2500万だ。支配層の横暴に国家が朽ちた李朝の末期さが数値に現れている。
されど、別海中尉は不満の表情を崩さない。
「ただ素直に連中の視線に立てるかは別です。」
カァン、と輸送車の外装に石が当たる。
「華外の蛮族がっ…!」
「わきまえろ、ここは小中華たる大韓だ!」
「奴婢倭族は出てけぇ!」
「偉大なるロシア万歳!」
「韓露盟約万歳!!」
ポツポツと、そして徐々に罵声が広がっていく。
「腹の立つものは立ちますよ。なんですか、媚びへつらってた清朝が負ければ次はロシアですか」
はぁ、と別海中尉は溜息をつく。
「そこまでの困窮で、投石してる暇なんてないでしょうに」
降りかかる声は大きく強くなる。
「この動く鋼鉄の塊だって中は倭族の脆弱な馬なんだろう!」
「野蛮な野猿に、列強様の特権の機械製造ができるはずもない!」
「ぶっこわせ!どうせハリボテだ!」
「石投げろ!蛮族を追い返せ!」
ついに投石を受け始めた。
「中隊長殿、威嚇行動を」
「…許可する」
しばらくせず、一輌が車列から飛び出して発動機を急速に駆動させ、投石する暴徒の群衆へと突進、上空へ空砲を放った。
暴徒は蜘蛛の子を散らし、投石はすぐに収まることとなる。
・・・・・・
・・・・
・・
鴨緑江総軍は斯くして2日をかけて半島を北上する。
平壌を出た頃には日韓議定書が調印され、予定通り枢密は軍の補給路の保証を大韓にとりつけた。
「総員迅速に兵員輸送車から降車!」
シュタタッと降りていく兵士たち。
眼下の河原に幾十隻の渡河舟を展開していく。
「直ちに渡河を開始せよ!」
次々と船艇が河岸を離れて向こう岸を目指す。
兵員輸送車の移動は後回し、橋頭堡を築いてからで十分間に合う。
「頼むぞ…。鴨緑江に最も近いは、旅順駐屯のロシア軍。海軍の旅順湾攻撃が成功してさえいれば、足止めになってるはずだ…!」
少し流されつつも、しっかりと前進する。
まだ向岸にはロシア軍の姿は見えない。
「海軍からの通信はまだ、か。奇襲失敗となれば、迅速に陣地転換、この対岸への露軍の到着は確実だ…。頼みますよ、秋山少将…っ!!」
7割がた漕いだ。
もうまもなく着岸だ。
「よしっ、行けるッ…!ゆけ!ゆけ!」
オールを漕ぐ手も早くなる。
此処に至って失敗は許されない。
第一の電撃戦、夜もぶっ通しで悪道ドライブ6日間を成し遂げたのだ。
何が何でも、意地で辿り着いてやる。
「ぐぉおおおおお――ッ!」
ドサッ!
船艇の先が、対岸に突き刺さった。
たまらず飛び出すように、両足を鴨緑江の清朝側河岸に投げ出してみる。
見渡す限り無人の原野。
振り返ってみれば、日章旗を掲げた船艇が次々と揚陸を開始していた。
「やった…、のか?」
この先には、ロシア軍旗も、人影も見当たらない。
多分、これはきっと――!
「緊急通報、緊急通報ッ!」
唐突に、後ろから船艇を降りたばかりの伝令が駆けてきた。
「な、敵襲か!?」
思わず身構えて、小銃に手を伸ばした瞬間。
「第一焼撃隊より連絡です!――旅順陥落せり、旅順陥落せり!繰り返す、陸海軍の旅順砲撃隊は敵旅順要塞を威力偵察にて占領せしめたり!!」
「………は?」
僕は自身の耳を疑った。
威力偵察で、落ちた?あの旅順が?
史実、与謝野晶子がその悲惨さを詠んだあの地獄の激戦地が?
たった一週間で?
「皇國は完全に敵極東海上戦力を封鎖、撃滅せしめたり。旅順に敵影なし、旅順に敵影なし。詳細は追って連絡するとのこと。鴨緑江総軍諸君は、海軍並びに満州総軍に遅れをとらぬよう、各自奮励努力せよ。…――以上です、中隊長殿!」
「旅順、陥落ぅ…ッ!!?」
愕然と、僕はその報告を受け止めた。
露軍が鴨緑江に間に合わなかったのではない。
既に旅順にて殲滅されていたのだ。
―――――――――
「はぁ!!?旅順からの交信が一切途絶えたぁ!?」
その動揺は味方ばかりに収まらず、もちろん敵をも愕然とさせた。
「馬鹿なッ!旅順は近代要塞だぞ!たった一週間でかのような打撃を食らうだなど冗談もいいところだ!」
クロパトキン極東総司令はそう叫ぶ。
それに対し第2軍司令のカウリパウスは苦々しく続ける。
「いえ…打撃ではなく――もはや陥落したものと見られます…!」
「戯言をッ!!」
「敵は大々的に国内外に旅順陥落を宣伝しています、今朝のことです!対して…旅順に駐屯しているはずの防衛隊からは昨日の『おお神よ』を以て通信が一切途絶しています…、応答もありません……!」
「な、ぁ……っ」
その悲痛な電文内容にクロパトキンはそう唖然とする他ない。
「開戦1週間での奇襲攻撃で防衛戦力が整っていなかったのは認める…、だが平時体制でも包囲されて2週間は持つように戦力配置がされていた筈…!」
「ええ、それは万全でした。弾薬と食料の残量ともに半年分はありましたし、防衛陣地も完璧だったはずです…。」
「じゃぁなにが悪かったんだと言うんだ!?」
「電報情報では、敵軍は飛行船を以て爆撃を敢行、弾薬庫と食料庫、並びに艦隊と通信施設に大規模な打撃を食らわせた後、湾外からの艦砲射撃を以て旅順要塞を無力化したものと思われます…」
「……飛行兵器を、そう使う、だと…!」
現在ロシア軍が把握できた情報は、飛行船による爆撃、その一点のみであった。弾着観測射撃や潜水艦作戦などの核心に迫るにはあまりにも情報不足であった。
「その他に情報は?」
「…ありません。通信途絶が早すぎて情報処理が追いついていません。」
「なんてことだ…。敵戦力の分析もしようがない…!」
「…総司令、蛮族相手にそこまでする必要など――」
「我々は旅順を失ったのだぞ!!」
ロシア軍将校きっての慎重さで知られるクロパトキンはそう唸る。
「蛮族だからこそ、敵は異文明なのだ。怖いのは我々の知らぬところで旅順の戦況がたった1週間で崩壊し、現地部隊が独断で降伏しているところだ…!敵の詳細不明は致命的だ……!!」
拳を震わせて彼は言葉を継ぐ。
「それに、我々文明国が蛮族相手に敗れたなど、皇帝陛下――いや、あの憎きラスプーチンに知られれば文字通り首が飛ぶ。それに開戦直後での大敗の情報は一気に士気を減退させる。……今件の旅順喪失は、戦略的撤退と発表しろ。」
「……どういうことです?」
「旅順を放棄したのは
「対外宣伝…いえ、対国内向けの戦意高揚プロパガンダにするおつもりですか。」
「ああ。実際、敵の数だけ見れば多くはない。満州の広大な平原を維持できるほどの数を、あの辺境の列島からじゃ抽出できないだろう。
――ナポレオンの頃からのお家芸だ。ロシア人ならできるよな??」
クロパトキンは皮肉げに笑ってみせる。
カウリパウスはそれに受けて口角を少し上げる。
「やってやりますよ。敵は自ら底なし沼に片足踏み入れたと、ね。」
そうしてクロパトキンは地図を睨み、続けて鴨緑江を指し示す。
「次の交戦はここだ。旅順から何も学べなかった以上、敵を知る機会はここに限る。ここを抜けられたら満州だ。損害を抑えるためにもここは死守せ」
その瞬間。
「緊急報告ッ!緊急報告!!」
バァン、と乱暴に扉が開く。
「なんだね君?少し礼儀というものが――」
「敵が鴨緑江を渡河しましたッ!!!」
「「なん、だと!!?」」
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