交渉決裂、
明治37(1904)年1月27日
「最終確認を行う」
伊地知がそう言葉を発した。
円卓には彼をはじめに秋山、令嬢殿下、裲、そして僕が着席。
あの追放以来、初めての全員集合体制。
よくここまで再建してくれたものだ。
「現時点での皇國陸軍の編成は以下の通りだ」
彼がそう言ったのに合わせ、僕は資料を自身含め全6名に配る。
「説明します。――まぁ、ご覧のとおりですね。」
鴨緑江総軍
第1軍 朝鮮方面
◎近衛師団
◎仙台鎮台
◎第十二師団
第2軍 旅順上陸
・第一焼撃大隊
・第四焼撃大隊
・海軍陸戦隊
◎大阪鎮台
◎第十一師団
満州総軍
第3軍 満州電撃
・旅団戦闘団『奔星』
・第二焼撃大隊
◎東京鎮台
◎広島鎮台
◎北海鎮台
◎第九師団
第4軍 満州電撃
・第一空挺団
・第三焼撃大隊
◎熊本鎮台
◎名古屋鎮台
◎第八師団
◎第十師団
◎第十三師団
「海軍陸戦隊はどうなっていらっしゃって?」
令嬢殿下がそう質問する。先程から回転椅子で資料を両手で持ったまま、ずっと高速でぐるんぐるん自転し続けている秋山がそれに答える。
「威海衛では、多数のカヌーや艀に兵士が乗り込んで、必死にオールを漕ぎ回し着岸してからの戦闘開始だった。野ざらしにされた上陸隊の兵士の身体には銃弾が注ぎ、多くが上陸までに命尽きることとなった。だがぁぁぁ―――」
「秋山大佐、聞こえにくいのでストップ」
「トラップ!」
彼はそう叫んで窓側へ回転しながら進む。そのまま足を思い切り壁に激突させてしまい、あふぅんとか言いながら転げ回った。うるさい。
「お答えになさらなければ臨時軍費を陸軍に全部お渡ししても??」
「いいぞ!くれ!くれ!もっとよこせ!」
「ダメだ!答えるからそれだけはよしてくれ!」
僕がすかさず叫ぶと彼は絶叫して椅子ごと円卓に舞い戻った。
「大発動艇だ。着岸とともに前甲板が開いて、一気に前進突撃する形だ。水陸両用車も作ってはみたが、肝心の進水時に沈んでしまったので断念した」
「なんですか水陸両用車までつくったんですか…」
どこまで歴史を進めるつもりだ。
「焼撃大隊というのはなんだ?」
「火炎放射器の部隊です。三四年式火炎放射器として採用が決まりましたのを標準配備しましたね。ガソリンは内地の油田から適宜徴発します。」
「第2軍への集中配備……旅順要塞への攻撃か?」
「ええ。建造物内じゃ最強ですから。炎が跳ね返って最大限の効果が期待できます。ですが相当精神的にダメージ食いますよ。その分、敵軍の憎悪を受けるため致死率も高いです。僕らは、枢密指導での義和団鎮圧時、前線で使いましたから」
この焼撃大隊に所属していたからこそ身を持って知っている。
「……それでもやるしかないんだろう?」
「ええ。単純な歩兵突撃のみで、何度も旅順要塞に総攻撃を仕掛けるよりかは遥かに火炎放射器装備の焼撃大隊を使用したほうが致死率は低いです。」
史実よりかは50倍以上死傷者を押さえ込める。そのくらい火炎放射器が強いことも確かなのだ。
「鎮台及び歩兵師団編成です」
鎮台/正規師団編成
・司令部
・野戦病院
・工兵中隊
160人
・偵察中隊
60人 馬65頭
・兵站中隊
輸送車(コンテナ対応)×100輌
・機動砲兵中隊
牽引自動車×220輌 牽引駐退機野砲×200門
・歩兵連隊(×4)
・司令部
・砲兵中隊
・歩兵大隊(×3)
・歩兵中隊(×3)
・機関銃小隊
・迫撃砲小隊
・歩兵小隊(×3)
「近衛師団から第十三師団まで総計14個の歩兵師団はこの編成で充足率100%に達しています。機関銃と小銃と迫撃砲についておさらいすると――」
三二式歩兵銃
口径 6.5mm
銃身長 797mm
ライフリング 4条右回り
使用弾薬 三二式実包
装弾数 5発
ボルトアクション方式
全長 1,276mm(銃剣着剣時 1,663mm)
重量 3,730g(銃剣着剣時 4,100g)
銃口初速 762m/s
最大射程 2,400m
有効射程 460m
三四式機関銃
口径 6.5mm
銃身長 737mm
装弾数 70発
全長 1,220mm
重量 25.6kg
発射速度 500発/分
銃口初速 740 m/s
有効射程 1,700m
「特に迫撃砲は、思い入れ深いわね…」
「あぁ思い出すさ。かの動乱の名を、年を冠した迫撃砲…――そして実際、あの失われし地で作り上げたものなんだ。皮肉も激情も訓戒も誓約も、ありとあらゆるものをぶちこんで、この制式名にしたんだ。」
「…二種類あるな。」
「ひとつは、大型の新規試作版で、塹壕衝撃突破用です。可能な限りかの有名なストークス・モーターに近づけた奴です」
三十式重迫撃砲
重量 31.17kg
口径 75mm
有効射程 686m
最大射程 731m
使用弾 1000g/75mm下瀬榴弾
「そしてもう片方が、小隊携行型の小型擲弾筒――先の動乱で火を吹いたモノ。」
24年式迫撃砲
口径 50mm
銃身長 254mm
全長 610mm
重量 4.7kg
使用弾 三四式下瀬榴弾
最大射程 三四式下瀬榴弾 670m
二八年式手榴弾、三十式手榴弾 200m
有効射程 三四式下瀬榴弾 120m
―――――――――
時系列は3ヶ月遡る。
明治36(1903)年10月某日 ウラジオストク
「あなたがたロシア帝国は国際法違反の状態が続いている!」
小村寿太郎は大きくロシアを糾弾した。
「…どういうことですかな?」
帝国外相・ヴィッテはにやつきながら首を傾げる。
「すでに義和団事件が解決している今、ロシア軍は速やかに清朝全土から軍隊を撤兵させるべきだ。これは、清朝への主権侵害でありそれ以上でもそれ以下でもない!」
「まったく…。今なおチャイナの東北部は混乱が続いている。われわれロシア帝国が幾千万のチャイニーズを戦火から保護するのが気に入らないとでも?」
「それが許されるのであれば、皇國が樺太に進駐してもかまわないと仰せに?」
「重大な内政干渉とロシア人への攻撃とみなすが?」
「だとすればおかしいでしょう?満州の状況は。」
「サハリン州はロシア内地の法令によって統治される、秩序保たれた地域だ。混乱が続くチャイナ東北部に進駐するのとは訳が違う。」
小村は奥歯を噛みしめる。真縫領土協定には、枢密院が領土条項に固執した結果、開拓団の人権保証の条項がひとつもない。
旧北方開拓団人民は、ロシアの土地再分配で土地をロシア人開拓者に没収され、8万のうち3割が餓死する結果となり、残りはシベリア抑留のごとく極寒の地で強制労働を続けている。今なお、奴隷のような扱いを受けているのだ。
「同胞を弾圧し続けているのに…よく言えますね。」
「それは主観で、実際君たちが確かめる手段はない。だろう?」
肩をすくめてみせるヴィッテ。
小村はもう一つ、資料を提示した。
「ならば――…これはどういうことですか?」
真縫領土協定。12年前樺太・旧真縫(現アルセンチエフカ)にて調印された屈辱の条約には、得撫島以北の千島列島のロシアによる12年間租借という条件がある。
「本来ならば本年9月が返還期限だった千島列島が、一ヶ月遅れた今も返還されていない。これはれっきとした条約違反でしょう?」
そう。本来の返還日付に達しても、ロシア帝国は返還の動きを見せないばかりか、租借料さえ滞納し、払おうとすらしない。もはや世論は我慢の限界にきている。
「ええ。そのことだが――…、その前に、貴国交渉団に見せたいものがある」
ヴィッテが交渉団の一人に部屋のカーテンを開けることを命じた。
ざァッ――と布が開き、交渉が行われている荘厳な西洋建築の3階の一角に光が差し込む。その眼下に広がる光景を指し、ヴィッテは言った。
「刮目して見よ。これが、我が大ロシアの強大な陸軍だ。」
小村は窓の側に寄り、下を眺める。
そこには、長槍で武装した1万はいると思われる、コサック騎兵が整列していた。
「これは……?」
ヴィッテが指を鳴らすと、交渉団の一人が窓から大きくサインを出した。
前列から順に、眼下の陸軍演習場を騎兵が駆け出す。
馬々は迅速に演習場を一周し陣地転換を済ませたかと思えば、旅団の大半を占める長槍の部隊は退き、騎兵銃で武装した数少ない騎兵が一列に並んで銃撃を行った。
「さぞかし驚かれたことだろう。戦列歩兵…いや、ここから説明しないといけないか…。我々、文明の最先端を行く列強国の軍隊は基礎戦術として、戦列歩兵というものが存在する。一列の一斉射撃で、敵の前面を一気崩す戦法だ。」
「…はい?」
小村は困惑する。皇國陸軍の末端兵さえ知っている基礎教養だ。
「既存の剣と弓では太刀打ちならない…それだけでも貴国には衝撃だろうが、我らが偉大なるロシア帝国は騎兵銃の開発に成功し、『戦列騎兵』を実現したのだ。」
ヴィッテは笑う。
「陣地転換は既存の戦列歩兵よりも遥かに早く、そして追撃速度や撤退速度に至っては比べ物にならない。この我軍の圧倒的な機動戦闘の展開を前に抵抗が出来るのは、我が軍とフランス共和国くらいしかないだろう。」
「……はぁ。」
小村は間の抜けた声でそう返す他ない。
(旅団戦闘団『奔星』の圧倒火力と装甲戦闘車による縱橫浸透戦術を……非装甲にして速射力を取っ払った騎兵版、といったところだろうか…?)
相手側の思惑が今ひとつ捉えられないでいる彼に、ヴィッテは続けた。
「ククククククッ…。いやはや、確かに先を行き過ぎて理解が追いつかないのはわかるとも。だが、この導入によって既存の戦列歩兵すら陳腐化し、我が大ロシアの軍事総合力はかのドイツすら凌駕した。この意味くらいは流石にわかるだろう?」
「…一体、どういうことですか?」
「慈悲深き皇帝陛下は、貴国に機会をお与えになった。先程、その目で見たものを踏まえて、感謝しながら受け取るがいい。」
笑いながら彼が提示する調停案と称したそれに、小村は愕然とした。
対日21カ条要求
◎第1号「北海道について」
・日本政府が北海道に持つ官営権益をロシアが継承すること。
・北海道内やその沿岸島嶼を他国に譲与・貸与しないこと。
・帯広から網走に至る鉄道(網走本線)の敷設権をロシアに許すこと。
・
◎第2号「サハリン及び
・北クリル・中クリル(千島列島)の租借期限、1号に継承せられたる北海道の権益期限を99年延長すること(千島列島は1997年まで、北海道は2004年まで)。
・ロシア帝国臣民に対し、各種商工業上の建物の建設、耕作に必要な土地の貸借・所有権を与えること。
・ロシア帝国臣民が日本皇國の領土全域において自由に居住・往来したり、各種商工業などの業務に従事することを許すこと。
・ロシア帝国臣民に対し、指定する鉱山の採掘権を与えること。
・他国人に鉄道敷設権を与えるとき、鉄道敷設のために他国から資金援助を受けるとき、また諸税を担保として借款を受けるときはロシア帝国政府の同意を得ること。
・政治・財政・軍事に関する顧問を要する場合はロシア帝国政府に協議すること。
・宗谷本線の管理・経営を99年間ロシアに委任すること。
◎第3号「三井/三菱両財閥について」
・三井/三菱両財閥を日露合弁化すること。また、日本政府はロシア帝国政府の同意なく両財閥の権利・財産などを処分しないようにすること。
・両財閥に属する空知並びに筑豊炭田付近の鉱山について、ロシア帝国政府の承諾なくして他者に採掘を許可しないこと。また、ロシア帝国臣民に直接的・間接的に影響が及ぶおそれのある措置を執る場合は、まずロシア帝国政府の同意を得ること。
◎第4号「日本皇國の領土保全について」
・沿岸の港湾・島嶼を外国に譲与・貸与しないこと。
◎第5号「日本皇國政府の顧問としてロシア人を雇用すること、その他」
・日本政府に政治・経済・軍事顧問として有力なロシア人を雇用すること。
・日本内地のロシアの病院・寺院・学校に対して、その土地所有権を認めること。
・警察を日露合同とするか、またはその地方の日本警察に多数のロシア人を雇用することとし、皇國警察機関の刷新確立を図ること。
・日本政府所有の半数以上の兵器の供給をロシアより行い、あるいは皇國国内に日露合弁の兵器廠を設立し、ロシアより技師・材料の供給を仰ぐこと
・釧路と網走を連絡する鉄道(釧網本線)、および北見・旭川間(石北本線)の鉄道敷設権をロシアに与え、並びに根室・函館・東北・北陸の計4本線の全区間を、費用は日本政府の全額負担でロシア標準軌1520mmへ改軌すること。
・東北地方における鉄道・鉱山・港湾の設備に関して、建設に外国資本を必要とする場合はまずロシア帝国政府に協議すること。
・日本皇國全土においてロシア人の布教権を認めること
「はは、ははは……―冗談でしょう??」
「いえ。これにより両国間で懸案になっている問題を一挙に解決できるとも。貴方がたの言うところの、『国際法違反』とやらの状態も解消するのでは?」
小村は、拳を震わせる。
「これは…もはや服属要求だな……。」
「まさかご冗談を。両国の平和と友好の、素晴らしい第一歩となるだろう。」
これは傑作だ、とヴィッテは他のロシア人交渉団の仲間と笑い合う。
対華21箇条要求そのものであるこれを呑んだ結果どうなる。北海道ほぼ全域の輸送網はロシアの統制下に置かれ、進めた緑の革命も一瞬でパーだ。硝安工場は瞬く間に接収され、国内の炭鉱と商業中枢はロシアによって支配される。
(検討する余地もない――…。これは、実質的な併合条約だ。)
「さて、これを受け入れられないのなら……我が国も望むところではないが、満州に駐屯する軍隊を動かさざるをえない。」
「……最後通牒のおつもりで?」
「よく考えることだな。我々は欧州一の大国であり列強筆頭。領土はフランス植民地帝国や合衆国よりも遥かに広大だ。それに比べて諸君は――…」
プッとヴィッテは吹き出した。
他の交渉団員と目を合わせて吹き出す。
「……極東の辺境、矮小な島国とでも言い表せばいいだろうか?面積我が国の57分の1、工業力8分の1、人口約4割。
以上より導き出される総合国力――我が大ロシアの5%。」
吐き気を抑えて小村は椅子から立ち上がる。
「非常識な要求、独立国へ内政干渉、そして公式会談の場での公的な罵倒。数を挙げればキリがない、その姿勢。とても交渉する気があるとは思えない。」
「ほぉ?」
尚、小村へ余裕の笑みを向けるヴィッテに、彼は言い放つ。
「―――交渉決裂だ。
本日を以て、ロシア帝国に対し皇國は国交断絶する。」
「はっ――…。気でも違えたか?」
「全くだ。どうやらウォッカ漬けでヘッドが溶けてるご様子だな。」
「好きなだけ言うがいい。貴国は愚かにも
ロシア交渉団からは失笑が漏れる。
「こんなものの、何が…『慈悲』だっ――!」
「チャンスをやるということ、寛大なる御慈悲以外の何物でもないだろう?それすら……くくく。次、会うときは降伏文書調印式典になるであろうが…、そのご尊顔…早く拝みたいものだ。」
くすくすと口を抑えて視線を交わす相手を前に、小村寿太郎は毅然と告げる。
「この不法なる侵略行為に対し、皇國は断固として抵抗し、その意思を示す。
1596年朝鮮戦役以来300年、安寧のうちに封じられて久しかった戦闘民族の血を――今、他でもない貴方がたは解き放ったのだ。」
その言葉とともに踵を返す小村。
こらえきれなくなったようで、その背中にはゲラゲラと大きな嗤笑が降り注ぐ。
ヴィッテはひとしきり笑い、その余韻残り頬を吊り上げたまま、一枚の紙を拾い上げた。
「しかし、まさか自身で自身の活路を封じるとは…――」
小村の去り際に、勢い良く席を立った拍子にか。
彼の鞄から対露妥協案がひらりと落ちていた。
皇國側の対露交渉案だった。
満韓交換論――。日清戦争で獲得したはずが三国干渉で清への返還を余儀なくされ、挙句の果てにロシアは清朝へ脅迫し租借した旅順。さらに義和団事件が起こると満州進駐を起こし、義和団鎮圧後も撤兵しなかった満州。
自らの絶対安全保障圏である朝鮮半島に隣接した満州でのロシアの権利を認める代わりに、その朝鮮半島での日本の権利を認めてもらおうという考えであり皇國の事実上の譲歩である。
それを拾い上げて、ヴィッテは目を通し、ほくそ笑む。
「…――本当に、開国40年にも満たない、ただの黄色猿だな。」
彼は、部屋に残るロシア交渉団の面々にそれを見せる。
「非常識な要求とはこちらの台詞だ。列強筆頭である我がロシアに、未開国がこんな傲慢な要求…身の程をわきまえるという、最低限の礼儀すらわからないようだ。」
ビリッ!と、小村の抱えてきた日露妥協案を彼は一気に破り捨てた。
そうして、自身の髭をひと撫で。
「言葉で伝えてわからないおサルには、文明の灯火でわからせるしかないな?」
周囲に笑いが起きる。
そうして、外相ヴィッテたちは椅子を立つ。
「…――さぁ諸君、蛮族征伐だ。」
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