斯くて、皇國は世界秩序へ――
明治37(1904)年2月2日 留萌
「ココ数年で大きく国内もかわったなぁ…」
「あぁ。環境保全政策のニシン漁制限と漁獲枠設定で結構苦しくなりやがった」
「しかたねぇ。本州の方じゃもうニシンが枯渇してきちまってるらしい。蝦夷狼と並んで絶滅危惧だそうだ」
「だよな…まぁ、俺らも利益の上がる食用じゃなくて、染物や藍として漁獲の9割を売りさばいちまったからなぁ…。もうすこし効率的な活用できたかもしれねぇ」
「まぁな。それを現に漁業聯合が進めてるわけで……」
「多くの漁師も農家に転職したなぁ」
「まぁ、ニシン漁より利益上がるからな」
「引き換えに…ニシンの減少傾向は大幅に減速したらしいが…いいことなのか悪いことなのか……。」
二人の漁師は、未明の船着き場で語り合い続ける。
「丹那
「内地のことはよくわからねぇよ」
「バカいえ、もう去年には庁令で内地編入されただろ。ここももう植民地じゃない」
「そうかぁ…、入植時代は終わり今や皇國本土ってわけだ」
「この北海道も、晴れて列島の仲間入りさ」
・・・・・・
「枢密院旧司令室…、ここで明二四年動乱の指揮をとったんですか」
「そういわれてもなぁ?俺はその時枢密院のことすら知らなかったぞ」
今や枢密司令部は血税をふんだんに使い新設された巨大な建物内へ移行しており、かつての小さい司令室は、今や誰も立ち寄らぬ枢密新庁舎の裏で廃墟となっている。
明二四年動乱の遺構を求めて僕は、朽ち果て、今にも崩れそうなそこへ、秋山と訪れていた。
「……あれ、この通信機動きますね?」
「へぇ…電源処理でも忘れたのか」
「ならこの回線は、向こう側――…樺太に繋がってるんでしょうか。」
「さぁ、な」
懐中電灯で備品が散乱した床を踏み分け歩く。
「しかし…よく間に合わせましたね」
「まじつらかった…本当ギリギリだがどうにか水中射表が作れたぞ。艦隊司令部に配布も終わってる。」
そう言った秋山から手交された機密である軍艦砲撃手順に目を通す。
「『砲弾の落角は14度以上22度以下であることが望ましい。距離2万mの中距離で戦艦の砲戦が起きた場合…』え、命中率が1.6倍に向上するんですか。」
「うむ」
そりゃ革命的だ。ただでさえTNTを英独に遅れず同時配備を完了させたのだ。それで徹甲弾の命中率が水中弾効果望めてかつ1.6倍とかお得すぎる。
「これですべての作戦は整った。あとは――…待つだけか。」
「ええ。ついにロシアも動き出し…、国交断絶措置を理由に、樺太での弾圧が一層強化されました。」
「あの地、戻れるといいな。」
「この足で戻りますよ、絶対。
…精算しなくちゃならない過去がある限り。」
多くの衣服製造工場の生産レーンの臨時弾薬工廠転換が進む。
皇國全土で総動員体制は盤石になりつつある。
―――――――――
明治37(1904)年2月4日 白主
樺太最南端、西能登呂岬を望む皇國に最も近いこの漁村。北方開拓団の開発により人口は2000を突破したのは遥か過去の話。
明二四年動乱でロシア軍が村を徹底的に破壊・略奪。この開拓村も極寒と飢饉の果てに、崩壊した。
弾圧12年。この街には繁栄を謳歌した在りし日の開拓村の面影はない。人口は230まで激減した。
連日、鎖で繋がれた旧北洋開拓団の人々が、劣悪な環境下で強制労働を続ける。
「汚い黄色人種共がうようよしてやがる、気色悪りィ。」
視察という名目でやってきた、とある貴族のボンボンが馬上から唾を吐き捨てる。
「おらっもっとパキパキ動けぇっ!」
「かはっ…!」
やせ細って正気のない日本人を蹴飛ばすロシア総督職員。
もう何日も配給はなく、給与もないから食べ物も買えない。
「ちくしょう…これならまだ人間動物園送りのほうがマシだっ……。」
「黙れっ、聞かれたら殺されるぞ…!」
コルサコフ、旧大泊には人間動物園がサハリン州総督令によって開設された。人種差別の究極というべきその代物では、主に旧北方開拓団の人々が見世物にされている。
別に世界的に見ても変なことではない。白人至上主義時代末期、それを最も極めていた時代であり、本明治37年の合衆国セントルイス万国博覧会では、「原始的」というプレートをつけられ原住民が出展されていたばかりだ。
「皇國統治時代に、戻りてぇ……」
「……もう手が届かねぇよ、ありゃ天国だったな」
「…けどその皇國に俺らは見捨てられたんだけどな」
「本当……ふざけてやがる」
自身の境遇を嘆く間もなく、次の労働が入る。
「あいつらの配給?そんなの要らんだろう。俺らの罵倒だけで十分だ」
「違いねぇ。なんたって白人様の言葉を聞けるんだからな」
「はっ。たしかにそれだけで未開の蛮族にとっちゃ身に余る光栄だな」
談笑し合うロシア総督職員3人の脇を抜けて進む貴族の息子は、連行されゆく旧北方開拓団の人々の列のど真ん中に突っ込む。
「退きもせんとは、貴様ら無礼な!」
周囲を気にできる余裕すらない人々に、彼は大きく怒鳴った。
「ひれふして許しを請え!」
「ご覧の通り足が鎖で繋がれてる!伏したくても動けねぇんだっ…!」
樺太ではロシア語のわかる人が北に行くに連れ多くなる。この村の旧北方開拓団の人々も並大抵のロシア語はわかるようになっていた。そういうわけで、一人の青年が悲痛な声で弁解をしたのだった。
「てめぇっ!蛮族の癖に、俺様に逆らうだと!?」
こういうとき、ロシア語がわかるというのは不幸である。
「くそっ、お前ら…いい加減にしろよ!」
あまりに残酷な境遇に、ついに彼は旧北方開拓団を代表して抗議した。
「外からやってきたくせに散々威張り散らしやがって…、何様だ!?」
貴族の息子は馬上。自らの遥か頭上にあるにも関わらず青年士族は貴族の胸ぐらに掴みかかろうと足掻く。
「へっ、何度でも言ってやるさ、貴様らは未開の野蛮な猿だ!そんな奴らが我が偉大なるロシア民族の地サハリンを土足で荒らすなど論外!聞いただけで吐き気がする、蛮族は汚い列島に帰れよォ!」
へらへらと笑いながら貴族の息子は答える。その瞳は蔑視一色だった。
「…我々が血と汗を流して築き上げた白主を出て行けと…!」
彼は今にも殴りかかろうとする。だが、手と足を鎖で繋がれ動けない。
「所詮は猿が。キーキー喚くんなら貴様らの”神州”とやらの縄張りにしろよ、スラヴの土地で騒ぐんじゃねェ!あと出てく時は財産と女子供は置いてけ、我が神聖なスラヴ民族様がこき使ってやるからなァ、感謝して出てけよ?」
貴族の息子はそう言いながら馬から飛び降りた。
「俺様の所有物になるんだ、嬉しいだろぉ?」
そうして、同じ繋がれた日本人の若い娘の髪の毛を掴んだ。
怯える娘を背後に、その青年は動くこともかなわない。その瞬間。
「…――総督から命令が下った!ヤポンスキー政府の対露国交断絶の報復として、在サハリン旧北方開拓団民へ懲罰を加えよ、とのことだ!」
一人の伝令が走ってきて、そう伝えたのだ。
一気に場は沸き立つ。
「蛮族を処分せよ!」
笑いながら貴族の息子がそう言い放つと、総督職員が抜刀し、そこにいた青年に向けて一閃。大きく鮮血が飛び散った。
「ぐっぁ……!な、にを……!?」
「はははぁっ!ちょうど苛々してたんだよ、神聖な我々の土地になるべきの場所に、お前ら汚い未開の猿どもが未だうようよしてることになぁっ!」
目を見開く青年。だがその視界も、深く斬られた傷口から血が地を満たすにつれ、白く染まっていく。
「てめぇらの愚かな王はどうやら、我が大ロシアとの戦争を選んだらしいじゃないか!ひれ伏し跪けば、皇帝陛下の赦しをいただけたかもしれないのに…!」
「お前らと同じように、王まで酷い無能なのかぁっ!笑えてくるぜ!!」
「圧倒的な国力差も、我らの神聖さも理解できない非文明人種よ、死ぬがいい!」
高らかな笑いとともに、彼らは始まった私刑の虐殺を、聖伐と称し始めた。
「や、やめてくれぇっ…!」
「たすけてくれ!誰かぁっ!」
「殺さないでくれっ…、ぐはぁっ!?」
「働くから…!食わずに働いて見せるから命だけはっ、がはっ――かぁ!」
阿鼻叫喚、地獄絵図。
ズシャリ、ドシャリと、鎖で繋がれたまま無抵抗に斬り落とされていく人々。
「猿狩りだぁ!」
「俺らの素晴らしい西洋文明の恩恵を散々享受しておいて!」
「それを以て俺らに逆らうのか!」
「その罪、死を以て贖え!処刑の時間だ!」
女子供関係なく繰り広げられる虐殺。
理不尽と不条理が、旧北方開拓団に襲いかかる。
「……―――ッ!!」
難を逃れた一人の少年は、鮮血の飛び散る中を走る。
その小柄な体躯を活かして器用に巨体のロシア人たちを避け続けた。
「――…っ、はぁ、はぁ…っ!」
どうにか逃げ込んだ小屋の中で少年は、溢れそうになる涙を必死にこらえた。眼前で彼以外の家族は殺されてしまったのだ。
声を出してしまえば、追手に気づかれる。だから息を潜めて小屋を見渡し――
あるものを見つけた。
(……電話機?)
明治9(1876)年、憲法発布で皇國が成立するよりも、逆行者が召喚されるよりも遥か前に、旧大日本帝国は、ロシア領が確定したばかりの樺太を通じて、日露の通信手段を確保するために宗谷海峡に海底ケーブルを敷設していた。
明二四年動乱発生時、北海道に最も近い西能登呂岬に通信手段として、そのケーブルから電線を引っ張って、電話機を臨時に開設した。それが奇跡的に今も機能する形で残っていたのだ。
「…っく…!!」
少年は、手負いの腕で必死に電話線を手繰り寄せ、受話器を取る。どこでもいいからどこかに繋がれと願った回線は―――
ジリリリリリリリ―――!
「っうわぁ!?」
「秋山大佐!電話、電話かかってます!」
1200kmの軌跡を電子は走り、奇跡が起きた。
僕は慌てて受話器を取る。
「―――こちら帝都!」
「…え、…――あ、ぅ……繋がっ、た…??」
途切れ途切れになりながら、幼気の抜けない声が聞こえる。
「此方帝都、繰り返す!此方帝都・東京市なり!!」
切羽詰まってそう大声で伝えた。
「聞こ、えてる……?」
「ッ!まさか樺太からか!?」
僕が取り乱しつつもそう問う。
「……っ、ここは、白主…!こっちは、白主!」
「白主…――北海道見えるか!?」
「はい…、海峡の漁村…岬に望んでる…」
「西能登呂岬か…!」
先月、宗谷岬から望んだところだ。
「どうした、なにが―――」
「……助けて、助けてよ。」
「何があった」
その悲痛な声に、これはただ事じゃないと自身を落ち着ける。
「殺されてる…、殺される…――。異人に…村が…!」
「―――!」
その叫びに、秋山さえ黙ってしまった。
「焼かれて、斬られて…、死んでく。村のみんな、残らず…もう誰もっ!」
「………っ!」
「誰か、救いを――…救いは…ないの…。」
急速に力を失っていく声。
何もできない無力感に、肩をただ震わせた。
ガチャッ――。おもむろに電話線の向こうで扉が開く音がする。
『おい、チビ猿が残ってるじゃねぇか!』
『処分し忘れだぞ貴様…、今晩のウォッカ瓶、一本減らしだな』
『くっそ…手間かけさせやがって!』
グシャリ。突き刺さった音がして――…
「たす…、けて。。。。」
それっきり、電話線の向こうから息遣いの音が聞こえることはなかった。もはや、僕は呼吸をすることすら忘れて、受話器を持ったまま立ち尽くす。
『おい…――この猿、受話器抱えたままだぞ」
『未開人が文明の利器とは珍…、いや我が大ロシアの技術供与で、か。』
『全く腹立たしい……、どこに繋がってるかはしれねぇが、どうせ猿同士だろ』
『ははっ、なんか見舞ってやれよ』
そうして、受話器を取ったロシア人はそれを耳に当てる。
「いいか聞け!国力差もわからない極東の辺境の、未開な猿ども!…――いまから、お前らを列強大ロシアが併合して、文明化してやる、感謝しろ!」
続く嘲笑を最後に、電話はぷつりと切れた。
僕は、力抜けたように手の力を。カタン、と受話器が床に落ちて電話線が大きく垂れ下がった。
そして、倒れ込むように膝をつく。ちょうど視線と同じ高さにあった机上に、電信機が置かれていることに気づいた。
ほぼ無意識にそれに手を伸ばし、10年溜まった埃を払う。
そして、モールス信号で、敢えて送信先を設けず、無造作に、無差別に、全世界へ、電鍵を打つ。
””嗚呼、此の激情よ、激情よ。復讐の烈火となり――焼き尽くせ。'''
すべての文字の打電を終了してからやっと、憤激が全身を渦巻いて張り詰めているのを自覚した。
「秋山さん、行きましょう。」
「…そうだな」
廃墟を後に、外界へ一歩踏み出す。
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