そして宗谷岬を斯く去りき
「紋別駅開通!!!!」
明治36(1903)年夏。
予定より少し早いが――紋別に、国鉄が来た。
「いやー、これでようやく旭川まで鉄道で行くことが出来る!」
「ようやく駅逓馬車とかいうあの腰痛装置から開放されるのね…」
「それな。不整地を馬車でガタゴト10時間が、快適客車で4時間強になるのはマジで強い。……それに、なんと言っても画期的なのは、大量輸送が出来るようになったことだよ。」
到着した一番列車が、側線からそのままカントリーエレベーターの直下に入り、本年度の収穫で満杯になったサイロから籾粒が、無蓋貨車へザーザーと流れ込む。
「アレ、去年までチマチマ自動車で輸出してたんだぞ?不整地と出力不足で旭川まで8時間掛かる上に、一回の輸送量は貨物列車の1%に満たない。信じられるか?」
「にわかには、ね」
「だろ。やっぱでんちゃしか勝たん」
ぴえんと拳を握りしめると、裲がひらりと、その銀色の髪を翻す。
「ね、案内して」
「?」
「あんたが設計を練り上げた街でしょ?それを見せてちょうだい」
彼女の柔らかな笑みにつられるように、挙動不審になりながらも歩みだした。
屋根のあるプラットホームをゆっくりと歩いていく。
「紋別駅って広いのね」
「……あぁ。なんたって紋別の玄関だ、旅客/手荷物ホームだけでも2面4線で4番線まである」
1・2番線が上り列車、名寄・旭川方面。北の渚滑市街へ出かける旅客を主体に、様々な理由で最も乗降が激しいプラットホームだ。
なお1番線ホームの頭端からは0番線ホームが伸びており、そこから軽便軌道が鴻之舞金山へ向けて鉱夫を送り込むための、鴻之舞金山方面の乗降場となっている。
3・4番線が下り列車で元紋別方面。将来は第三大隊本部の中湧別や、第二大隊本部の網走へと鉄道がつながる予定だ。
「さらに駅のすぐ南側には操車場が広がって、カントリーエレベーターや金銀鉱石精製工場の積込機構が設置されてるしな。日間100両以上の貨車が出入りする大貨物駅だよ」
そう語ると、裲はため息交じりに首を振る。
「…そういうんじゃなくて。」
「?」
「あたしがいいたいのは、駅の規模もそうなんだけど…人出とか、雰囲気よ。ここは『駅』らしい旅立ちの場所というよりかは…、日常の一部分って感じしない?」
なるほど、と頷く。
「駅といえば駅なんだけど、…雰囲気は平成の感じで設計したからなぁ」
「雰囲気?」
「70年代まで、私鉄以外の鉄道は長距離移動手段だったんだけど、以降は駅構内に自由通路や商店が出来て、周辺地域の住民の生活の中に溶け込んだんだよね」
俗に言う駅ナカの出現である。
首都圏畿内圏といった大都市部を中心に普及したその形態は、鉄道事業の収益に不動産や商業といった新路線を切り拓くことになった。
「というわけで」
ホームから階段をのぼり、この時代では珍しい橋上改札へ出る。
それを抜けた先にあらわれるのが――、
「画期的だろ?」
「……なるほどね」
南北に走る線路とホームの直上に設置された、東西自由通路。
幅20mの通路の両脇にはたくさんの商店が並び、駅構内の盛況を伝えてくる。
しかし平成ならコンビニや洒落た菓子店が出店していそうなそこには、八百屋だったり豆腐屋だったり、この時代ならではの風情溢れる看板が並んでいる。
「アレは?」
「駅宿。駅直結の宿屋だよ」
「……ホテルじゃない」
「基本JR東の駅ナカをパクってきた」
和装、たまにアイヌと思われる民族衣装を着た人々が、この平成味半端ない空間を往来する姿は、どこかおもしろくて。
「よくこんな物を線路の直上に作ったわね…」
「橋上建築の技術は夕張炭鉱から持ってきたからな」
扶桑型戦艦の艦橋と共に違法建築として並び称される夕張炭鉱の練炭場だ。峡谷に大工場を建築したあの連中にとっては、この程度朝飯前。
「多分…橋上改札も東西自由通路も、この時代じゃ唯一なんだろうなぁ」
夜間採掘帰りだと思われる鉱夫たちが、ぞろぞろと改札を抜けていくついでに、自由通路に出店している商店から品物を買っていく。
時代感がちぐはぐで、見たこともないのに、どこか懐かしさを感じずにはいられない。
「あれっ?技師さん!」
向こうから手を振って近づいてくる人影がひとつ――、いや、ふたつ。
「もーっ、リューリ!しっかり歩けないのー!?」
「まだ午前8時だぞ…、寝させてくれ……」
「もう十分朝だよぉ…。」
死にかけの表情で、青年がどんよりと引きずられている。
「おうおう、そっちは元気そうだな」
「技師さんも――…ってあれ、…デート中だったかな?」
すすす、と晩生内が口元を隠して真横へよける。
「っ!んなわけ――!」
裲が顔を赤くして、ばっ、と否定しに飛び出しかける。
が、その前に晩生内がぱーっ、と笑った。
「大丈夫ですよっ!ボクだって、リューリとデートしてるもんねっ!!」
「………違う。少なくともデートってのは人を引きずるもんじゃ」
「じゃ、ばいばいっ!お二人さん!」
「ああああ…――」
青年を引きずって、そのまま村嬢は駆け出していった。
「……まるで嵐ね」
「だな」
うん。あの村嬢には春の嵐という言葉が一番似合う気がする。
「……はい、駅前ロータリー。」
通路を抜けると駅東口、通称「港湾口」に到達する。
「ロータリー、全部トラクターじゃない」
「ここ特有の光景だぞ、なんたって田園内の移動手段は基本トラクターなんだから」
自由通路なんて作っちゃったものだから資金不足で駅舎は木造。装飾もない。
が、そこに出入りする人の多さは、帝都の上野駅と比べても遜色ない。
なんたって駅全体が一つの商店街になっているのだから。
「利用客数では札幌駅に並ぶらしいな」
「…嘘でしょ?」
「だって毎朝毎夕鉱夫のラッシュがあるし、普通列車の数が札幌の比じゃないから」
「普通列車?」
「隣の渚滑市街に向かう普通が毎時1本に設定されてる。基本この時代の鉄道は特急街道だけど、紋別じゃ庶民の足として使われてるだろ?」
ロータリーから駅前大通に出る。
右手には巨大なカントリーエレベーターのサイロが天高く聳えていた。
「アレがここ一帯の農作物の集積地。ここから旭川や札幌、道外へ穀物が一斉に運ばれてく」
「それは聞いたわ」
「で、隣が金銀鉱石の精製工場。あの下にも線路があって、金銀を流し込まれた貨車と穀物満杯の貨車が20両くらい連結されて、汽車に引っ張られて旭川に行く。」
「…これ全部あんた名義でやってるの?」
「まさか!経営は長老様以下、村の有力者たちの会合で行われてるよ。夏までは村営事業だったけど、この駅が開業してからは駅ナカで事業の黒字化が成ったから…独立採算経営体でやってるみたい。」
メモをペラリと捲って調べてみる。
「代表者は楓だね」
「…へぇ、あの
「長老様が堂々と紋別村長と兼任する形でやっちゃ不味いだろ…。いや、でも楓はあいつ普通に賢いから問題はなさそうよな。」
「ふぅん」
「肝心の社名は…」
その名を見た瞬間、不思議と笑いが漏れた。
「…――『北紋財閥』、か。」
財閥、なるほどな。
鉄道事業に都市計画、硝安工場から大農法農園、金銀鉱山まで。
一家経営ではないから語弊ではあるものの、イメージとしては悪くない。
駅前の大通り左手には、従来の紋別村落が広がる。
しかし、寒々しい平屋が数十メートル並んでいるだけだった数年前と比べると、断然に店舗の数が増え、2,3階建ての建築も通りの向こう側まで数百メートル続く。
なにより、手前に建つ4階建ての煉瓦造りのビルディングが物語っていた。
「拓殖銀行が…紋別に支店を開いた、か。」
旭川や札幌、室蘭といった正真正銘の都市部にしか置かれない銀行。
ここにその支店が出来たというのは、紋別がその見込みのある地域と見られていることを意味するわけだ。
グォン、という音とともに隣をトラクターが通過する。
車道と歩道を分けてはみたが、いかんせん歩道が狭かった感はある。
まぁこのへんはこれから、楓たち『北紋財閥』がどうにかしていくだろう。
「10年前は正真正銘、未開の寒村だったのになぁ…」
街路を延々と続く木造建築を眺めて呟く。
嬉しいようで、どこか寂しいようで。
ふと、裲が硬い表情をした。
「……肝心の人口は?」
「あ…そっか、追放解除の条件ってのがあったな」
もはやここまで行くと気にしていなかった。
今朝ちょうど先月の統計が発表されて、長老様から資料を手渡されたところだ。
自分の懐をまさぐり回して取り出す。
表紙を捲って、概要を目に入れた。
「…――そっか。」
「で?どうなの?」
「ふぅ」
少し疲労を込めた溜息をつき、次いで来る感情に、自然と頬が緩む。
「ほら」
裲へと見せつけた数値、そこには――。
「やっと、ここまで来たよ。」
・・・・・・
・・・・
・・
皇國の国勢調査は7月。
あの記録はしっかりと集められ、冬の間に全国の統計データが揃い、解析、編集される。そこから発表となるのが9月の頭あたりで。
明治36(1903)年9月。
北海道庁によって税務署と支庁役場が紋別市街に開設されると同時に、国勢調査による統計を基に、紋別郡は、拓務省ならびに庁の定める"未開地帯"から解除された。
短い夏が駆け足で去り、秋も来て、名寄本線は走る。
「まったくええ、すごいところに送ってくれたわねぇ?殿下。」
「……まぁ、そういう日もありますわよ」
「見てちょうだいよこの情景。見渡す限り、山、草、海、寒い。周囲200kmに大都市なし。シベリア送りか何かかしら?」
「……元気でいらっしゃってそうで、なによりですこと」
「チャロちゃん、お戯れはそこでおやめくださいまし」
「真似しないで頂けて?」
「チャロが真面目に会話しようとしないからでしょ」
「……調子悪い日もございましてよ」
裲が増援という名の左遷の実態を追求しようと張り切ったのだが、話をそらされ続けている。
「このクソアマ70回位しばき倒してやろうしら」
「やめろ、不敬罪で死刑必至だぞ」
「上級国民(事実)(華族制)め、くたばりなさい」
僕は溜息をつく。
「まぁでもですね、極北の原野とて、人材が良かったことだけは救いでしたよ」
興部を通過した列車は、黒煙を吐きながら大きくカーブを曲がり切り、冷え込みも段々厳しくなってきたオホーツクに出た。それと同時に、"旧"紋別郡が開ける。
「帝都で書面見るだけじゃわからないことだってあるんですよね」
同乗する裲が自信ありげに目を瞑って軽く上を向くと同時に、ボックスシートの向かいの席に座る令嬢殿下と松方の目が、流れ行く情景に釘付けになる。
「御覧ください―――これが、皇國の農耕最前線です。」
人が一斉に繰り出して腰を折り曲げ苗を植えていくなんていう、浮世絵に描かれてきた従来の稲作の光景など見ることはもはやかなわない。
恐ろしく広大な農地に、ポツポツと田植え機が動いているのがわかる。4条植付爪が、人力の数十倍の速度で一列に苗を植え込んでゆく。
『まもなく渚滑、渚滑。』
列車が川向仮乗降場を抜けたあたりで、遂に渚滑の新市街が見えてきた。
巨大な硝安工場。日産20tへと更に拡張されたそれの真横に広がる、陸海軍工廠。
ベルトコンベアで次々と硝安が運ばれ、工場から工廠へ、貨物駅へと注がれる。
貨物側線、そしてコンテナ。
今年、硝安の需要が爆増し貨物列車がひっきりなしに行き交うようになった渚滑駅の前には。この夏でまた人口の増えた新市街が広がる。
「嘘――。ここが、誰も住んでいなかった原野ですの……!?」
「ええ、そうですとも。14年前には、配給された貧相な小屋しかありませんでした。まぁそれは今でも絶賛供用中なんですが」
車窓に流れる、せわしなく動き回る牽引自動車や田植機の農業機械の群。ここまで完成度の高い機械化を構築しているのは、世界で唯一、ここだけだ。
列車は田植えの進む潮見町を駆け抜け、用水路を渡って紋別市街へと入る。
右脇に聳え立つカントリーエレベーターを見上げ、列車が紋別駅へ滑り込む。
「食糧増産は必須ってことはわかるんだが。……これは何だ?」
松方は絶句する。
「文字通り開拓村ですよ。…ちょっと近代的ですけど」
「近代的ってレベルじゃないぞ、どこだここは!?」
ふっ、と僕は笑う。
「北海道庁指定一級町村――…『紋別町』。」
【1903年9月 旧紋別郡】
総人口 / 15893人
└紋別町 / 8607人(クリア)
└渚滑町 / 5326人
└鴻之舞村 / 1395人
└未開地区 / 565人
稲自給率 / 164%(クリア)
明治36(1903)年、北海道庁の内地編入とほぼ同時に町村制が施行。
従来は
同時に郡は、財政と産業規模に応じて"一級町村"と"二級町村"、自治体としての独立採算が不可能であるため町村制を敢えて未施行とする"辺境地区"へと分割されることになった。
「紋別郡は、一級町村の紋別町・渚滑町、二級町村の鴻之舞村、開拓予定地の小向や滝上などが辺境地区に分割されました。」
かつて慣習的に紋別村と呼ばれていた一帯は、正式に自治体となった上に、一級町村へ昇格、町政を施行したのだった。
「旧郡の中心、紋別町市街は人口1万に迫ろうとしています。」
人口8600、上下水道ガス電気の整備は完了。
そこには、駅ナカと自由通路のある駅を中心に、内地からの農学者や農村困窮者の移住と多産少死による人口の自然増加で急速に発展の進む紋別市街が広がる。
病院や図書館、銀行といった大都市には不可欠の施設が次々と進出。町役場の予測では、このペースで行くと5年後には紋別町は市に昇格し、10年後には人口10万へと到達、旭川と肩を並べるとのことだった。
「まるで……異世界だな―――。」
「ええ、本当ですこと…。まさかこんな情景が、明治になんて……」
有人改札を抜けて、迎える東西自由通路を前に、令嬢殿下が呟いた。
松方はふと笑う。
「これなら――磯城とて、認めざるを得ないだろう」
僕も深く頷く。
「認めてもらわないと困りますよ。ここまでやってまだダメじゃぁ、もうゴールが見えませんって」
「ああ。君たちは任務を十分に遂行し、皇國の農業発展に大きく寄与する結果になった――ゆえに、大蔵大臣としては追放解除もやむなしと愚考する。と、そう伝えておこう」
松方の言葉に、僕は令嬢殿下のほうを向く。
はっ、と令嬢殿下は何かを思い出したように慌てた。
「そうでしたわ!」
「?」
「お伝えすのを忘れていましたの。…
「…マジですか」
「ええ。だから…とっとと帰ってきてくださいまし?」
殿下が、僕ら二人へ微笑みかける。
「それは…、つまり?」
「ああ、帝都への帰還令状だ。」
松方から渡されるそれに目を通して、騒ぐこともなく僕は案外ただ落ち着いていた。ただ、安堵と達成感が心を満たしているのに気づいた。
かくして一行は駅から大通りを歩きだす。
・・・・・・
・・・・
・・
『まもなく、始発列車・準急/旭川行きが発車致します―――。』
「ほら、行くぞ!」
改札を抜け階段を降りつつ、手荷物と乗車券を確認する。
ホームにはもう、汽車が黒煙を吐きながら、出発を万全の状態で待ち構えている。
「急げ…って、この期に及んで荷物再整理するか??」
「急いでるわよ!女の子は準備が色々必要なのよ!」
「え?おま…女??」
「殴るわよ」
「すみませんやめてください死んでしまいます」
逃げ出すようにプラットホームを行き、客車の扉を手で開けつつ待つ。
暫くすると裲も追いついてきた。
「この汽車?」
「おう。3日かけて帝都に戻るぞ。」
「名寄本線で名寄行ってそこから宗谷本線と函館本線で南下して函館よね?そっから青森行きの連絡船にでも乗るのかしら?」
「基本的にはそうだけど――…いや待って、一つ寄るとこがある。」
折角ここにいるのだ。寄らなきゃならない場所がある。
そのことを思い出した。
「…――早朝で町を離れるとは、逃避行のようじゃのう」
おもむろに長老の声が後ろから届く。
びっくりして振り返ると、長老と楓の姿がそこにあった。
「こいつで旭川、さしずめそこから列車を乗り継いで帝都かのぅ?」
「すみません…、町を去るのを黙っていて」
「いいんじゃよ。お前さんたちが帝都に戻るなんて知れ渡ったら、町内大騒ぎで列車の発車どころじゃなくるじゃろうよ」
「い、いやまさか!そこまで人気者だったら苦労しませんって」
「じゃけれど、引き止められるくらいには人望はある」
長老が一歩引くと、楓がばっと前へ出る。
「…帰るの?」
「おう。帝都じゃやらなきゃいけないこと山積みだ」
「どのくらい」
「わからん。少なくとも明治40年より早く帰ってくることはないと思う」
そう答えた瞬間。
「嫌」
碧色がかった髪を揺らして、村娘が僕に抱きついた。
「行かないで」
「……ぁ、いや…それはちょっと難しいかなぁ」
「なんで」
「仕事場は帝都と戦場だし…」
「いや」
肩口に顔を埋めた少女は頑なに離れようとしない。
「完全に戻らないわけじゃないって。夏とか長期休暇には必ず帰省する」
「それでも嫌」
「ほら、申請すれば短暇だって貰える。半年に一度は顔は見せる」
「でも、藜兄は町を去る。」
「…まぁ、言い方次第では」
「そんなの」
村娘は、ばっと顔を上げた。
「絶対に、受け入れられない…!」
その目尻には涙が
その手先は、しっかりと裲の袖口を掴んでいる。
(はは…知らぬ間に僕ら、よく懐かれたもんだ)
僕ははぁと
「僕らは、入植者じゃない。」
「……?」
「開拓者である前に、『皇國軍人』であるんだよ。」
僕は言葉をいったん切る。
「だから、皇國が存亡の岐路に立たされたら、仕事をしなくちゃいけない。やる時にやらなければただの無駄飯喰らいだからな」
半分ほど自嘲を込めて、そう語る。
そうだ。
あのときの僕ら北海鎮台は、あまりにも無駄飯食らい過ぎた。
北方戦役の最終場面を思い出す。あの屈辱を、再来させぬように。
「やるときは、やるしかないんだ。」
僕は頭を下げて。
少しの沈黙。
楓は、僕と裲を交互に見上げる。
「…戦後。」
そんな掠れて消えそうな声を少女は返した。
「戦後、必ず戻るって、約束して欲しい」
戦後、か。
さて、あの大戦役を生きて残れるか。
(………)
こればかりは、もはや天に祈るしか無い。
ただ、ただ一つ。
もし、生きて内地を再び踏めたならば、僕はまずこの街を目指すだろう。
それだけは確信する。
「――それまで頼んだぞ。」
「わかった。…任せて」
少女は涙を振り切って、漸く笑顔を見せた。
・・・・・・
・・・・
・・
名寄から宗谷本線稚内行に乗車する。汽車は音威子府で大きく東側に逸れ、戦後には
鉄路はやがてオホーツク海に再び出る。興浜線が全通していたら紋別から直線で行けるのだが、ない以上しかたない。
鬼志別駅を抜けたあたりで列車は再び山の中へ入る。そうしてしばらく揺れること20分。静かにゆっくりと、汽車は声問停車場に到着する。
「ねぇ、ここからどう行くのよ」
「なにかんたんさ。道なりに沿って北だ。」
ゆっくりと歩いていくと、やがて宗谷海峡に出た。
海沿いをただひたすら歩く。そして漸くたどり着く目的地。
「ついたぁ…っ。」
北緯45度、宗谷岬。
皇國最北の地に、足を踏み入れた。
霧が晴れた対岸には、少し霞みがかりながらも、はっきりとその島影を確認することができた。
「望むは、
「多分。そこから先、北へ500kmくらいかな。あの、北緯50度線が通ってるよ。」
明治8年に喪失するまで紛れもなく本土であった地。
明治24年の爪痕、枢密院の負の象徴。因縁の極北の大地。
今から12年前、死闘を繰り広げ―――失い、帰ること叶わなくなった島。
「今も覚えてるわ。あの…、大泊の桟橋を離れたときの、人々の顔。さぞや……あたしたちを恨んでるでしょうね。」
「はっ――…当然だろ。あんなの、軍人として以前に人間としての恥晒しだ。」
波打つ岩の一番先までよじ登って、立ってみせる。
いくら恨まれて憎まれようが、それでもきっちり、枢密院の失態と僕ら軍人の行為を精算しに、この向こうに行かなくちゃならない。
運命の1904年2月まで、残り半年を切った。
この薄青の海峡の向こうに届かなくとも、せめて誓わせてくれ。
決意新たに、対岸を睨む。
「絶対戻ってやる、この海峡の向こう、あの陸地に―――。」
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