訪秋
小屋へ戻ってみると、居間には当然のように暖炉で温まる
「自転車?」
「待て。その一声はおかしいだろ。どうしてそこにいる」
「寒いから」
「違う、不法侵入についてだ」
「先週あたり、藜が、『毎回ノック煩い、鍵開けとくから勝手に入っとけ』って」
「……んなこと言ったか???」
言ったかどうかよく覚えていない。
最近の過労で記憶が曖昧なのだ。
「藜起きないから、本読ませてもらってた」
村娘は本棚のほうを指す。農業改革に使えそうな、21世紀からの様々な参考書とか専門書を適当に押し込めてたやつだ。あれ?見られるとヤバい類じゃね?
「ちょ、マジで?」
「よくわからない熟語たくさんあったけど…概要は理解した。これが、西洋農学?」
「あー…」
そういう風に受容してくれてたのなら良かった。
未来云々は察されなくてなによりである。
「あ、そうだ。楓の手伝いもあってやっと出来たよ」
「…?」
「自脱型コンバイン」
「っ…!」
僕が作業倉庫へ踵を返すと、楓も無言でついてきた。
「完成………?」
「ようやくだよ…」
僕は、完成した自脱型コンバインに触れる。
「特に唐箕の部分は自信作だ。」
まぁもとからこの機構が優秀なのもある。
唐箕の原理は、平成の自動脱穀機とコンバインやハーベスター等の農業機械の脱穀機で、穀物の最終的な選別機構として使用されてるくらいだ、この部分だけは現代と同一レベルである。
まさか、一部分だけでも21世紀と同等の機構が再現できるなんてな。
「とりあえず、だよ。これで、収穫工程の機械化は完成だ…!」
「おめで、とう?」
「いいや。我々の勝利だ!」
最終処理を残し、任務完了である。
・・・・・・
・・・・
・・
明治34(1901)年10月 紋別
眼前には豊かに実った稲穂。
「本当に…豊穣しやがった……」
「こんなの見たことねぇ…。」
「病気ほぼナシ、稲穂は例年の2倍…。豊作も豊作だ…」
驚愕する人々の脇を、自脱型コンバインですり抜ける。
「な、なんだありゃぁ…!?」
「でっけぇ…、牽引自動車に大きさ勝るぞ…??」
「さきっぽに2つの割れ目…?」
「さて皆さん。本日を以て鎌の役目は終了です!」
大きくそう声をかけた。
「自脱型コンバイン――、これ一台で収穫、脱穀、選別をこなします。後部の籾袋は自動精米機にそのまま突っ込めますよ!」
「……何言ってるんだ?」
「もういいだろ、なんか凄いんだよ、機械化だ。」
「いちいち驚いちゃキリがねぇ。常識通じねぇとでも思え」
なんか理解を諦められてる気がするな…。
全機構を稼働させる。収穫開始だ。
かくして2時間。
一通り収穫して、自動精米機につっこむ直前、楓から衝撃の一言。
「この籾殻…、若干、ガソリン臭い」
「えっ……」
籾殻を選別するのに、排気ガスを使っていたらそうなりかねなかった。だが、この事態を想定できなかった。僕は冷や汗を垂らしながら返す。
「ま、まぁ大丈夫だろ…、精米炊飯すりゃどうにかなる……。」
「そ、そう。やってみなくちゃ、まだ…」
結果は、すべての工程が終了したその2時間後に現れた。
「ガソリンの味…」
「やめて。設計ミス抉ってくるのやめて…?」
「若干。…許容範囲。」
ぜったいこんなの21世紀じゃ売れないぞ。『排気ガスで選別した籾殻を炊き上げることで、ガソリンの香ばしさ漂うお米に仕上げました。』とか洒落にならねぇからな。一瞬で消費者庁か最悪法廷送りだ。
「機械化の弊害がこれだけで済むなら…、十分。」
「……そう言ってもらえると本当にありがたいです。製造し直しは流石に気力が残っとりません…。」
陳謝してから、一通り周りを見渡す。
6世帯分、試験的に建設された乾田。
そこで取れた米を集めたこの倉庫の前にて、試食が開かれていた。
「こんな大きい米粒…、本当にこんな極北の大地で…」
「…うまい……、本当に豊かに実りやがった…!」
「あんまり気にはされてない。これでいい…、と思う。」
「……そうだよな、申し訳ないけど…」
自脱型コンバインはどうやら一つの大きな欠点を抱えてしまったらしい。だが、自動通風機構はただでさえ重い収穫機の重量をさらに嵩張らせて発動機の性能が要求最低限界を下回ってしまう。
少しの排気臭香は、発動機技術が進歩するまでの列島産米の特徴になりそうだ。
「作付面積当たりの収穫量は1.3倍、一人あたりの収穫量は6倍か…。」
長老がそう呟く。
6戸分の試製乾田は果たして、農業革命の圧倒的な成果を誇示したのだった。
「ええ。硝安肥料がピンポイントで窒素を投入してくれる上に、農業機械は一人あたりの耕作可能面積を大幅に拡張しますから」
「…とんでもないことになりおるわい、これは」
その言葉に、不敵に口角を上げる。
「とんでもないことにするんですよ、僕らで。」
長老も、ははは、と渇いた笑みを浮かべる。
「…もう、なりかけておるしな」
「?」
「この村の今年の豊作と、それを齎した新農法がここで進められているという噂が、もう随分広まったらしいのじゃ。紋別村への転入希望が…凄いことになっておる」
長老は、転入希望統計を僕の方へ滑らせる。
え、これって個人情報とか大丈夫なのだろうか?いや、ここは明治だ。行政におけるプライバシの権利とか云々は概念さえなかろう。
大丈夫だと自分に言い聞かせつつ、その詳細を覗き込む。
「近隣村落から…、だけじゃありませんね。内地からも入植希望者が結構…」
「昨年末の人口が1300そこそこ…、それが今の時点での転入希望者を併せると、1700人となるんじゃよ。」
「今から本格的に秋も深まってきますし…、ここから冬、初春と考えるとまだまだ村への人口流入が進みそうですね…」
「うむ。それに、今年の豊作による人口増加を考慮すると…、春には人口が2000に到達して
「…しまいかねない?」
人口が増えるのは一見よいことに思えるが、その含みのある言葉に喜びを押し殺す。
「ただ、皮肉なことにこの新農業は従事人口をあまり必要としませんので…」
「流入したはいいが、仕事が足りない…と。
やっぱりそうですね、新事業を立――」
一瞬、そこで言葉を切る。
「…なぁ、楓。紋別本村より若干北側…、潮見町はどう?」
突然話題を振られた楓は少し慌てて、箸を取り落とす。
僕へすこしジト目を送りつつ、村娘は問い返す。
「っ…、なにが?」
「新田開墾。」
ふぅ、と長老が溜息をつく。
「…今年の6世帯分試験乾田が成功したからな。拡張するとは思っていたわい。」
「労働力が余れば、先行投資に掛ければいい。…そうでしょう?」
「じゃな」
ニカッと笑って続ける。
「どうせ一人あたり作付面積は増えるんです。1904年…、つまり明治37年までの3カ年に分けて…村内耕作地を拡大していきましょう。名付けて3カ年政策です」
「3カ年…、政策…!」
「ええ、なにせ労働力も原野も余ってる」
机上に地図を広げてペンで線を描き始めた。
「渚滑川の流域が最も耕作しやすそうですね」
「しょ…、こつ?」
本村とその耕作地から北へ4km弱。河口に渚滑という寒閑とした漁村を抱えるのみの渚滑川は、流域に手つかずの肥沃な堆積平野が広がっている。
「開墾するならここを、…上流から用水路を持ってきて、南の河岸に直線暗渠と線形田園を敷き詰める。ここから下流へ排水路を流せば完璧、でしょうか」
「おお……。渚滑川南岸まで、耕作地域を北進かの?」
「3カ年政策終了後のさらなる拡張も見越して、北岸にも少しは手を加えますがね」
【1901年10月 紋別郡】
紋別村落人口 / 1475名(あと3525名)
稲自給率 / 32%(残り18%)
_______
_渚滑川___
::::〈渚滑〉
:開:::▲:
::発::▲▲
▲::区::▲▲
▲▲::域::▲
▲::::::
::湿田::
川===== 海
〈紋別村落〉
湿田::湿田
:::湿田⚓
川===== 洋
6戸試験乾田:
::::::
▲:::::
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
至元紋別
「開発区域、と記されている平野に乾田を敷き詰めていく、という感じですね」
元来、紋別集落を挟むように流れる川の間に点在するだけだった湿田は、今年の6田36ヘクタールの試験乾田を経て、更にこれから村落北方、渚滑川までの北側4km一帯を埋め尽くすということだ。
「しかし…この規模の田園…。乾田馬耕や田植え、収穫から脱穀まではいいとして、まだ除草や代掻きは依然として人力じゃし、この広大な面積を維持するとなると」
「ならそいつも機械化してしまえばいいんです。」
「……なんじゃと?」
「機械化大農法はまだまだ中盤戦ですよ。これから――乾田馬耕に代わる田起こし、代掻き、リヤカーに代わる収穫物や硝安の運送手段としてトラクターを開発していきますから」
「っ…まだ、やるのか」
「ええ。完全な機械化まで、我々は止まりません。これは、農業革命なんです」
一人あたり耕作地の理論値を、合衆国の規模にまで拡張する。
集約農業の時代を、明治の間になんとしてでも終わらせるのだ。
「単純計算で行けば…、3カ年政策後には現在の8倍の石高となるでしょう」
「8…、倍…!!」
「九州や関東、中国じゃ急速な人口増大に食糧増産と農業近代化が追いつかず、食料庫は常に悲鳴を上げてる状態です。長江からの米輸入にも拍車がかかる始末で、幸い市場は需要を持て余してるようです」
現行の8倍の収穫を達成しさえすれば、稲自給率は240%以上に跳ね上がる。
自給率要件は軽く満了できる。
「これが成功すれば――、紋別の名は一気に全道へ響き渡るでしょう」
「…全、」
「道…!?」
長老や村役人は唖然とした顔をする。
全道に響き渡るようになれば、簡単に人口は5000を越えるだろう。追放解除の条件は平然と凌ぐ。しかし、僕の見据える先はそんなもんじゃない。
ゆくゆくはこの村を全国に轟かせる。
迫りくる日露戦争という国難を使って農産競争をのし上がり、道内でも札幌、旭川と肩を並べる東北海道の農産の富が集積する大都へと成長させる。
それが僕の野望であり、枢密への意思表示なのだ。
―――――――――
「……なんで、あたしが、こんなところに」
かつての広瀬の言葉を彷彿させるような呟きが、薄桃色の唇から漏らされる。
「応援人員が欲しいとか愚痴ってたら…、まさかお前が来るとは」
明治34(1901)年11月、元紋別。
親の顔より見た銀髪を靡かせ、極北の初冬に氷翠が舞い降りた。
「あたしも心底心外よ。26連隊の中隊長任を2年休職で…こんなとこに」
僕は思わず空を仰ぐ。
「まぁ、とりあえず…咲来裲花さん。
ようこそ―――人生の終着点へ。」
それはそれは、限りなく最悪の形での再会であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます