最豊

網走から80km東、流氷のオホーツクに面する紋別村。その南の外れの元紋別に僕の入植地があるわけだが。

古来から松前藩の交易港が置かれ栄え、現在1475人が、旭川から駅逓馬車で10時間のこの街に暮らしている。


「なにもないわね…」

「うるせぇ、硝安製造機とかいろいろ頑張ったんだぞ」


少なくとも、直線状に整備された広大な乾田がヘクタール単位で並んでいるなど、明治期内地じゃ見られない光景だ。


「さて、なぜお前がここに飛ばされてしまったのかというとぉー!!」

「うるっさい、聞かれたらどうすんの!」


畦道に立って叫ぶ。

そして頭に手刀を食らう。


「誰もいないから騒いでも大丈夫だろ!?」


ここは紋別村から南に数キロの原野・元紋別。

当然、人影はない。


「奇行をやめろっていってんのよ!」

「クソ、左遷初日から喧嘩ってか!」

「そうよ!誰が開拓なんてさせにこんなところに!」

「それは令嬢殿下だ」


はい、察せ。


「もとはといえばあんたが人的不足とか言い始めたからでしょう!?」

「労働者が居ねぇ労働者が居ねぇと電話で殿下に連日愚痴ってたら、まさかお前がここに飛ばされてくるなんて、普通思わんだろ!?」

「っ…、チャロと連日電話してたんだ…。」

「あ?なんだって聞こえねぇぞ」

「ッ、バカ!愚痴るんだったら…あっ、あたしに電話掛ければよかったのよ!」

「お前の連絡先知らない件」

「言ってくれたら教えたのに!」


わーわーぎゃーぎゃー誰もいない無人原野で騒いでいてもしょうがない。

僕は深呼吸し、手を叩いて言った。


「さて、我々2名は農業技術発展のため、残念ながら稲作の北限まで飛ばされてしまった。ここでどうやら異世界ごっかん農家ってわけだ」

「はぁ……、もう嫌帰らしてよ…」

「僕も帰りてぇ!!!」

「…とりあえず研究所はどこ?」

「あれ」

「バラック小屋じゃない」


僕が指した先にある貧相な小屋。あれでも元紋別入植地の本部家屋だ。


「あんなボロ一つ屋根の下にあんたと二人?冗談じゃないわよ!」

「そうだよその通りだついでにいうと明治36年終わるまで2年間!」

「誰よこんなこと決めたの!」

「令嬢殿下だ」


はい、察せ。


「もうその展開飽きたわ」

「皇室に楯突くのは諦めましょう、網走送りになりますよ。」


網走送りはヤバい。大量殺人や凌辱輪姦、その他諸々の超凶悪犯罪者たちが極寒の中ものすごい重労働を行っている。囚人虐待だとの意見も出るほどだが、その囚人たちは普通の刑務所じゃ手に負えないから網走に収容されるわけだ。

つまり、網走大監獄送りは相当やばい。某黄金のカムイを見た人民ならわかる。


「…わかったわよ」


裲が黙るくらいだ。さすが網走大監獄。網走効果と名付けた。飽きたのでやめる。


「さてこの、異世界でスノーライフを(絶望)なんだが …どっから手を付けりゃいいのか」

「そのライフが尽きないように精々頑張ることからね。あととりあえず有名所パクってくるのやめて。」

「なんで知っているんだ」


バレちゃったら叩かれるだろ。


「まず本入植地我が家の構造について色々紹介せねばならん」

「…っ、手短に頼むわよ」


とりあえず、先月あたりで適当に立ててみた看板を指す。



『元紋別入植地』

|硝安製造機| |

|家|田|田|田|

→用水路====|

|倉|田|田|田|

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


「これが現状だ。田園と用水路の原型は最初に入植した10年前に落成させてて、この一年で建造したのが硝安製造機と倉庫群。」

「倉庫群?」

「"倉"ってところ。用水路を隔てて家の向かい側。まぁ直接行ってみたほうが早い」


というわけで足を進める。


「お、届いてる届いてる」

「何が?」

「資材だよ。鉄材から精密機器まで、大蔵省の機転が及ぶ範囲は大抵ここに送りつけてくれる。」


倉庫には安定の苅田自動車が3両。

フォードさまさまである。


「で、収穫が落ち着いたここ一週間で本部をリフォームした」

「リフォームした本部って…あんた、あのボロ小屋が?」

「カネがないんだよぉぉぉぉおお!!」


色々実務的なものに投資してたら、硝安の売上金が溶けた。

だがその代わり、この小屋に外付けされた燃料貯蔵タンクに代表されるような超実用品を整備したのだから文句はないぞ。


「満杯だ、2ヶ月は持つ。」

「尽きたらどうするの?」

「旭川からガソリンと軽油の輸送車を手配して補充する」


うーん、我ながら非効率。

やっぱ鉄道があればいいのに。


「というわけで小屋へGO!」


僕は愛しの自宅へ入った。


「暖炉…あるのね」

「そりゃあるだろ」

「あんたならなくてもおかしくないかなって」

「お前は僕をなんだと思ってるんだ」


裲が煉瓦造りのそれを触って確かめる。


「最悪薪が尽きりゃそこのガソリン燃やせばいいんだ、凄いだろ」

「それはやめて。家じゅうガソリン臭くなるわ」


そこまで適当に軽口を叩いていると、ある重大なことに気づく。


(待てよ…、これは所謂『女の子を家に上げる』シチュなのでは…??)


残念ながら前世ではそのような経験が一度もないので、僕は一瞬でビビり上がってしまった。


(まずいまずい、見られちゃ不味いものとかなかったか?怪しいものとかいかがわしい物とか、不健全なものとか…、屋根裏あたりに全部隠してるよな!?」

「あんた、口を閉じるってことが出来ないわけ?」

「あっ」


口が多動してしまい堂々とブツの在り処まで教えてしまった僕。

うーん、あのさぁ…。


裲が2階(屋根裏)へと続く梯子目掛けて、床を蹴る。

慌てて追いかけるも、彼女はそのまま梯子に飛びついた。


「おいお前やめろ!知らぬが仏の世界もあるんだぞ!」


焦燥を大にして、袴を翻しやすやすと梯子を登る裲に、下から抗議した。

あれ、この位置関係って、彼女の袴からチラチラ――


次の瞬間、下に繰り出された裲の足が顔面を直撃。


「覗いたら蹴るわよ」

「もう蹴ってるじゃねぇか!」

「じゃぁ覗いたんでしょ、変態」

「変態はお前だ!人様の屋根裏を覗こうとはなんたる変態的行為!」

「っ、な!これは検閲よ!不健全なブツは取り締まらなきゃ!」


裲はそそくさと梯子を駆け上がる、


「や、やめろ!その先は――!」


アハァン///


「……ッ!」


裲の絶句。

僕も硬直。


「な、なによこれ…、」


あぁ、見られてしまった。終わりだ。


「全部――…、


 …――電車のポスターじゃない!」


「やめろいかがわしい!!!」


屋根裏に貯めまくった電車ポスターを、梯子の上から僕に見せつける裲。


「いかがわしいって、はぁ…?」

「そうだ!卑猥だぞ!魅力的だが…」

「ばっ、卑猥?こ、これが…?」

「やややめろ!はぁ…はぁ、国鉄185系電車…こ、この方向幕が、前照灯の位置が性癖を抉ってくる…。クソ、興奮させるなよ…!」

「気持ち悪い」

「でんちゃ、えろい。」


ひっ、と本気で引いた裲。

――ガタッ!

そのまま足を下げてしまったもんだから、梯子を踏み外す。


「きゃっ!?」


銀髪が上に靡く。

なお直下は僕の模様。


「ちょおま、グァ!」


頭上から落ちてきた裲の袴の中に、スッポリ。


ガタガタガタッ!!!


「ってぇな…、ここ is どこ?」


目を開けると、一面肌色の世界。

なんかつるつるしてる。

一体ここは――


「ぁッ、どど、どこ入ってんのよヘンタイ!」


刹那、首に激痛。


「ぐぶぉあっ!?」


意識を手放しそうになる脳をどうにか制御して、飛び退くように立ち上がる。

眼前には顔を真っ赤に染めた裲。


僕の頭って、落ちてきた裲の袴に突っ込んだんだよな?

待って、あの肌色世界はまさか…、


「お前…。もしかして、穿いて――」

「和服なんだから当然でしょ!このばかぁっ!!!」


直後飛んできた長脚に、安心して僕は意識を手放した。



バサッ――。



「その人、だれ……。」



その声に慌てて僕は意識を連れ戻す。

朦朧とする視界に頼らなくとも、声だけでわかる。


「…かえで?」

「その女、誰??」


なるほど修羅場らしいということも分かった。



・・・・・・



「もうお嫁に行けない…!」

「僕も…」

「なんであんたもなのよ」

「秘蔵のいかがわしい物々を全部見られちゃった…///」

「死ね」


右頬を拳でやられて後ろに吹き飛ぶ。

おいお前マジで失神するからやめろ。そもそも君が人様の屋根裏へ無許可で侵入したのがコトの発端だろう。


「っ…!」


楓が駆け寄ってきて、僕の腕を掴む。

碧色がかった髪を揺らして抗議した。


「藜兄を、いじめないで…!」

「……こいつの妹?」


裲が僕を指して楓に問う。


「うん!」

「いやちげぇよ」


笑顔で頷いた楓に、すぐ僕は首を振った。



「そういうわけで、腐れ縁というか呪いというか…、」

「…幼馴染って言いなさい」

「……幼馴染の咲来裲花さんが、こいつ。」


未だ赤みの残る表情で、裲がふん、と顔をそむける。ひぃ怖ぇ…。


「で、このは北の紋別村の長老…村長の孫娘、浦幌楓。」

「ふぅん」


いかにも興味なさげにそっぽをむいて頷く裲に、楓は頬を膨らして、おもむろに僕の右腕に抱きついた。


「藜兄、どっち…選ぶの?」


何いってんだこいつ。


「はっ、はぁ!?」


無関心を装っていた裲が突然飛び出すが、残念。

答えは決めているのだ。


「……っ」

「どっち…?」


僕は静かに立ち上がり、床に散乱したポスターを拾い上げる。


「電車!」


「「……うわぁ」」


楓がそそくさと裲のもとに寄っていく。


「……アレ、何?」

「いつもの発作よ、気にしないことね」


お前ら修羅場ってたんじゃないのか?




・・・・・・

・・・・

・・




「おくるま確認」

「作業始めるんでしょ?」


裲が工具を渡してくれた。

車の下に潜り込んで改造を始めると、楓が訊いてくる。


「とらくたー、…だっけ?」

「多目的農業用重機だよ。いつもどおり試作から。」


故郷は札幌だが実家は列島米どころの石狩平野・新十津川。というわけで幼い頃から農業用機械は見慣れている。自称農業機械を見るプロだ。


「だが農業機械を製造し操縦するプロじゃない。僕は見ることに関してのみプロだから、上手くいくかどうかは知らん」

「は?だめじゃない」

「まぁ整備のとき触って内部構造とかは大体わかるし、設計図とかはよく読んでたし、大丈夫だろ。」


まぁ、現に21世紀の農業機械専門書がそこにあるわけだし。召喚に巻き込まれた自室においてあったやつだ。

田植機も自脱型コンバインも作れたのだ。多用途農業機械という最難関とて、今まで通りにやればいい


「裲すまん、それみせて」

「はいはい」


彼女は投げる動作をしたので慌てて手渡しするよう請願し、届いたそれを開いて、そこにあるとおりに改造を始める。

車の下から抜け出す。


「発動機周りはこれで大丈夫だと思う…タイヤくれタイヤ!」

「これでいいかしら?」


彼女はそこに置いてあった特殊タイヤをひょいと持ち上げ振りかぶる。


「だから何でもかんでも投げるのやめろ!てかなんでお前片手で激重タイヤ持ち上げられんの!?もうお前が強いの知ってるからとりあえずそれを降ろせ!」


制動。彼女はそのタイヤを転がしてよこした。


「ありがとうございます」

「どうでもいいんだけど、なんでそのタイヤそんなに重いわけ?」

「え、トラクター用だから。」

「なに?とらくたぁ?」


裲が首をかしげる。


「畜力に代わる農業用の機械動力だよ。牽引自動車、農地上でいろんなものを引っ張り回すの」

「……牛や馬を、置き換える?」


こてり、と首をかしげる楓。


「ああ。農業家畜を、全て自動車に置き換える」

「乾田馬耕、は?」

「廃止だな。自動車と農耕用家畜を併存させるのは非効率だし」


田植機や自脱型コンバインは自動車、耕起や農作物運搬は馬耕、代掻きはクワで人力という現状では、余計に非効率だ。

特に、代掻き。耕起が完了した田に水を張り、土をさらに細かく砕きかき混ぜて、土の表面を平らにする作業。田の水漏れを防ぎ、土表を均し苗をムラなく生育させ活着と発育を良くし、雑草やその種を細断し切り刻み埋め込む、大切な作業。

水を張るため馬が入れず、これが未だに人力なのは、一人あたりの耕作可能面積を大きく狭める重大なボルトネックとなっている。


農業モータリゼーションなのだ、自動車に統一してこそその本領が発揮される。


「すまん楓、リヤカーで機材持ってきてくれないか」

「っ、わかった。」


てててて、と駆け出していく楓の背を見送り、僕は車体に向き直る。


「欧米じゃ100年前から据え置き式の蒸気エンジンが一般に販売されていたけど、1850年頃までにボイラーが高圧化、充分な出力を得られるようになった。」


その蒸気エンジンに減速機と車輪をつける形で1859年に蒸気式トラクターが。しかし、蒸気式はボイラーが爆発しやすく、操縦者がベルトに巻き込まれる可能性があるなど、安全ではなかった。


「今作ってる内燃機関式トラクターは、最初のものはちょうど10年前に合衆国で実用化されたよ。16馬力の発動機で前進と後退が可能だった。けど高くて普及はなかなか進まなかった」

「だめじゃない」

「だが、1910年代後半になると状況は一変する。」


僕は口角を上げる。


「流れ作業の大量生産で、フォードが1917年に発売したフォードソン・トラクターFが、その価格と扱いやすさで爆発的な人気を博した。フォード自動車の特徴の、簡略的操縦機構で、現在のトラクターの構成とほぼ一致した構造をもってたんだ」

「それってもしかして……」

「そう、現にフォードは此処国内に在る。」


筑豊炭田と八幡製鉄所をすぐ西隣に持つ苅田工廠で、開戦を2年後に控えて既に自動車の大増産が始まっている。


「F型は米英愛露で生産されて、1923年には合衆国内で77%のシェアを占めた。結果、20年代には内燃機関式のトラクターがトラクターの標準となった。

――さて、未だ手作業牛車真っ盛りの皇國でそれ使ったらどうなると思う?」


裲が顎に手を置いて唸る。


「鍬だけじゃなく…エサ、運動、屎尿といろいろ管理に労力を割くハメになっている牛さえ、列島全土の農地から消え去って、燃料とタイヤしか必要としない自動車が農地を席巻すれば…。」

「皇國は、地上で最も豊かな土地になる。」


目を瞑り、裲は肩を竦めた。


「過言でしょ。屎尿がなくなれば肥料は減るし、まだまだ人海戦術が要る作業もあるわ。田植え、収穫とか――」


すたり、と楓の足音が響いた。

戻ってきた彼女は、どこか誇らしげな表情で笑う。


「育苗器、田植機、収穫機。それと…、硝安製造機。」

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