進め!紋別開拓地
「タイトル見て某別○造船所思い出した奴絶対おるやろ?な?」
「虚空に話しかけてないでさっさと作業すすめる!ほら!早く!」
ケツを蹴られて作業に戻る。
「なんですぐ暴力に訴えるの?なに?SM?」
「は?死にたいの?」
彼女は自動車の底で駆動機まわりを改造する僕の、外に放り出された足にトラクター用の激重タイヤを落とそうとした。ちなみに足は裲が落ちてきたとき踏み抜かれてくじいた。華の19歳だしすぐ治るだろと思ったんだが無理ですね。
「まってそこ捻挫してるからやめてくれ頼む」
マジ懇願。2回め。
よし、怒涛の解説で紛れさせよう。
「わかった!わかったから、トラクター乗せてやるから許して!」
「は?そんなので――」
「乗るには構造から把握しとかないとだめだもんな!教えるから!」
「ちょっと」
「トラクターは大出力が要求されるけど出番が限られるから、自家用車みたいに一家で一台みたいなのではなく、複数農家で1つの所有が多いから量産性に劣りコストが少し高くても大丈夫!つまりはディーゼルエンジンが最も適してる」
「……」
「さらに苅田工廠設立のときに導入された、炭素粒子を混ぜて超強化したゴムで、不整地を行けるレベルの空気タイヤ!ついでに原始的三点ヒッチ!ここまで実現!」
車体の各部分を指しながら叫ぶ。
「そして、油圧ドラフトコントロールの採用!と言いたいところだが油圧機構は無理!その詳細は某ユンボで日本を救う物語の方で確認しろ!ざっくり言えば油圧式技術は工作機械的に実現不可!結果制御機構を残して、ほぼ21世紀の形!」
バァーン!とトラクター完成。史実、油圧機構が実現し、完全体になったのは1930年代に入ってからであるので、今の皇國ではここまでが限界だろう。
「さて!あらかた完成!」
「え、何?もう完成したの??」
「まさか。全然微調整とか残ってるけど、とりあえず試運転はいける!」
「それでも早すぎるでしょう」
「そもそも苅田工廠のフォード工場長に設計書渡して、ディーゼルエンジン使う装甲車の生産レーンで特注生産してもらった、トラクター特化車体だから。でも、設計図は机上の理論にしか過ぎないので実はここからの微調整が大変!」
「……まだまだ続くってわけ?」
「その通り!さて、約束通り君は乗ることになる!」
「は?え?ちょっ」
「ほらさっさと乗り込んで!」
裲を補助席に押し込めて、足が捻挫していることをすっかり忘れていた僕は運転席に飛びつく。結果死痛が足を走り、運転台に登るための足場を踏み外す。だが気合で背を反り運転席に見事着地。なんと美しいフォーム。ハイスコア、100点、優勝。
その勢いでクラッチを入れる。
「起動!進行!!」
「え、ちょっと待ってよ!あたし自動車自体乗るの初めてなの!」
「あ、そうかお前なんだかんだ言って自動車未経験か」
「そうよ!心の準備くらいさせ」
「発動機全開前進!」
「待っていやぁぁぁっ――――!」
アクセルを踏み抜いた。流石フォードだ、加速力が桁違い。
「速い!速いって!」
「大丈夫だ時速20kmまでしか出せないから」
21世紀の速度感覚に慣れてしまった僕にとっちゃ少し遅く感じるこのスピードは、裲たち明治人にとってはさながらジェットコースターのようだ。
「トラクター使う大体の作業は歩行くらいの低速度だから。最高速度そんなにいらないんだなこれが。」
「何が低速度よ、大人の全力疾走くらい速いじゃない!」
「あ、そうか。この時代じゃこれで十分速いってことは、このトラクター、平気で移動手段になれるかも。農地走るくらいだから未舗装道なんて軽々だもんな」
「だから何よもうさっきから!」
「現代じゃ変速機使って、トラクターは農耕にも自家用車にも使える便利な乗りものなんだが、この時代だったら変速機使わなくてもその2つ両立できるかもって話。そしたら稲作の作業時間なんて最早従来の20%に短縮可能だな!」
「もうなんでもいいから止めて!減速して!」
「そんな地面ばっかり見てるから怖いんだって。遠くを見ろ遠く。」
裲は言ったとおり顔を上げたが、その表情はみるみる焦りのそれに変わった。
「盛り土迫ってるわよ、大丈夫なんでしょうね」
「え?ちょっとした不整地くらい走れるようになってるから――」
視線を戻した。そして僕は呆然とした。
「なにが盛り土だぁ!?これは廃棄土砂の山だ!」
「なに?危ないの!?」
「やべぇやべぇやべぇ!制動!!」
ブレーキペダルを強く踏み込んだ。正確に言えば蹴った。
するとクラッチが吹っ飛んだ。
ついでにブレーキペダルが外れてひしゃげた。
「なんか外れて飛んでったけど大丈夫なんでしょうね??」
「ここで1つ悲報。どうやら減速装置は破壊されてしまったらしい」
「は!?何それ大惨事じゃ―――」
「止まるんじゃねぇぞ…!」
極めて冷静沈着に正確に現在の状況を表現したが、時すでに遅し。
「урааааааааааааааа!!!」
「きゃぁぁぁぁっっ――!」
衝突、圧壊、投げ出され。
土砂に頭から突っ込んだ。
「じこはほーらーおきるよ〜♪突然さ〜♫」
JR西日本の社歌を熱唱して自身を慰める。まぁ自信過剰だと集中力なんて大概散漫になっちゃうからね。
土砂から這い上がると、土を被った裲が仁王立ちしていた。
「わかってるわね?」
ここに僕の運命は尽きた。
・・・・・・
・・・・
・・
「なぁ…量少ない」
「煩いわね罰よ黙って受けなさい」
飯を減らされてしまった。仕方ない。
というか裲が台所に立つとは思わなかった。家事できたのか。
「さて、とりあえず問題が判明した。ブレーキペダルと減速装置、クラッチ機構の強度を結構上げねばならない。さらにあそこまで派手に圧壊したから、不整地走行能力のある牽引自動車も必要だよな…」
「どうすんの?」
「まぁカーボンにするか」
困ったときのカーボンである。軽いし強い。やっぱり炭素粒子は最強だ。
「秋山大佐に頼んどこ」
早速書留を記して、海軍宛に郵送だ。
「で、問題が発生した」
「なによ」
「寝床」
「屋根裏に一台ベッドあったじゃない」
「一台だから問題なんだよ」
「?」
「…お前、僕と同衾するつもりか???」
「――ッ!!」
みるみる裲の顔が赤くなる。
「なっ、バカそんなつもりじゃ――!」
「だろ?いいよ、僕は下の暖炉前の背凭椅子でぬくぬく寝させてもらう」
「ぇ…、いやでもそれは…あとから来たあたしが盗っちゃうみたいで悪いわ。あたしが下の椅子で寝るわよ」
「ダメだ、これは倫理的問題なので」
僕は先制的に背凭椅子へ飛び掛かる。
「はいここは僕の寝台です。只今満席になりましたのでこれからご乗車のお客様はB寝台をご利用ください」
「B寝台…?」
「屋根裏のベッド…あッ!いかがわしいものには触るんじゃねぇぞ、あれは僕のオカズ兼信仰対象だからな」
「っ、…ばか」
馬鹿馬鹿言いやがって。馬も鹿もこれから機械化で農業から永遠に消し飛ばそうとしてる時に縁起でもない。
裲は梯子を登りつつ、途中で控えめにこちらへ振り返った。
「……ありがと」
「電車ポスターあるけどペロペロ舐めるなよ」
「そんなことするのあんただけよ!この気違い!」
「は?お前それくらい鉄道ファンならみんなやってるぞ」
「き…、気色悪…。」
「さ、差別…!?アナタ、鉄道ファンを気色が悪いと言いましたね?障害者差別ですよ??反論できませんよね???」
「あんたが一番鉄道ファンに喧嘩売ってるわよ?あと、夜中に襲いかかってきたら返り討ちにしてやるから」
裲は、相変わらず背に差している短槍をチラつかせる。
「それだけはしない。マジで。槍で貫かれて享年19は冗談じゃないから。」
「わかってるようでなにより。……じゃぁ、謹んで使わせてもらうわ…」
少しためらいげに、彼女は屋根裏へ姿を消す。
うーん、ベット共用断念。全高校生男子の一度はやってみたいランキング1位(俺調べ)への野望は呆気なく滅亡である。当然か…。
「くだらん、寝よ」
・・・・・・
「……あいつのにおい」
延々と眠れず、裲花は静かに手を額へ乗っける。
「あたしにあんなことしておいて、よくもあんな平然と…」
思い出して、再び顔を赤く染める裲花。
「……あたし、鉄の塊より魅力ないのかしら…」
こんな事を言うと、階下から「アナタ、近年の電車は鉄ではなくステンレス製ですよ??」なんて声が飛んできかねない。
そんな事を考えているうちに、バカバカしくなってきた。
「…寝よ」
・・・・・・
・・・・
・・
「さて本日の議題は不整地走行能力の向上なんだが…」
「どうすんの?」
「もう一両試作しかないな」
僕は、早速送られてきたカーボンを手に取り、金属加工機へ向かう。
「これで改良する通常式の
「え?
「戦場で弾丸飛び交う中、鉄条網踏破して機関銃陣地を捻り潰しに向かうような過酷な使用用途じゃ、今回はないから。」
「利用環境が消耗を強いられるようなところじゃないから大丈夫ってこと?」
「そうそう」
火花飛ばして加工、減速装置強化のパーツを作り出す。
「履帯トラクターについちゃ、合衆国のキャタピラーが1904年に蒸気式、1906年にガソリン式を開発してる。当時究極の不整地踏破力を持ち、折からの第一次大戦では軍によって重量物牽引に用いられ、そしてそれは戦車の開発母胎になった。」
「そうなの?」
「実用的な無限軌道の蒸気式牽引車が製作されたのは、合衆国で、去年のことだよ。メイン州で製作された履帯式木材牽引車を、開発者から4万圓とかいう超高額で技研が買い取って、無限軌道の技術導入を図ってる。」
4万圓は平成価値で6500万円に達する。大出費だ。
「さらに1905年には大英で、装軌車両の特許が取得され、農具会社が開発を進めた。設計はそれまでのものとは違って、履帯ロックで操舵するんだ。」
「よくわかんないんだけど、それがどうなの?」
「覆帯の操作方式は現代の装軌車両と基本的に同じスキッドステアでさ、その動作を見て英兵が毛虫、つまりcaterpillarって皮肉った。結果、キャタピラー社の爆誕につながる」
「あぁ、それが語源ってことは…そのくらい革新的な操作方式ってことね。」
「そ。そして、多分どうにかなる……」
そのまま僕は車体の下に潜った。煤にまみれながら本日も作業開始である。
・・・・・・
・・・・
・・
「…――というわけで、1ヶ月…。どうにか根雪季の前に全成しましたよ」
「なるほどのぉ」
長老が頷く。
「で、コイツを使って農地拡張をしていくわけです。」
11月の初頭から、リヤカーとネコ車を駆使して大規模な造成が始まった紋別から渚滑にかけての乾田耕地。
どうにか、本格的に氷点下20度が訪れる極寒期の前にはトラクターを間に合わせ、農地を完成させることができそうだ。
周囲を見回してみれば、早速村民たちが新兵器を見に集まってきていた。
「あー…先に耕耘機のデモンストレーションをやっちゃいますか」
「宜しく頼む」
僕はトラクターに飛び乗って、後部耕耘機を操作する裲へ叫ぶ。
「耕耘機起動させて!」
「わかった!」
「な、なにか後ろについてるのが回転し始めたぞ!」
後部に接続した耕耘機がキュオォォォ――、と耕起作業を始める。
「裲!どうだ!?」
「異常ないわ!」
操縦席から、耕耘機に座って操作と動作確認を並行してする裲へ尋ねると、元気よく返事が戻ってきた。
「おい見ろよ!あ、あれ…。」
「まさか…耕してる…!?」
トラクターだけあったって役立たずで、
「実はこれ1920年頃に豪州で発明されたんだよね。1931年には国産化に初成功するんだけど、普及が本格化するのは戦後、合衆国の影響を受けてからなんだよ」
「なにそれ…それも合衆国なの?ほんと影響力凄まじいわね…」
「まぁまぁなんたって開拓者魂だし」
見物客にはいつのまにか老人や子供、女たちも加わっていた。
「なにあれ…?」
「いままでずっと鍬と鋤振って、牛引いてたのに…」
「あんなにも簡単に……!」
「あれが、文明開化って奴なのか…!?」
「どういう機械仕掛けなんだ…、一体…」
僕は見物席と化している向こうの農路に届くよう、声を張り上げる。
「とりあえず鉄鍬の刃をたくさん並べて、高速で回転させています!」
土が勢い良く後ろへ飛んでいく。現代の耕耘機であれば静かに耕起できるが、このロータリーと呼ばれる機構はまぁ精々明治の技術力なので、叫んだ通りの粗末なものでそんなに上手くは行かない。轟々と土煙と騒音を撒き散らしている。
「こうして耕します!耕耘の深さは後輪高を上下で調節できますね!」
声が届いたのか、彼らは顔を見合わせる。なにか不味かっただろうか。とりあえず往復しきって2列の耕起が終わる。
周りを見渡してみると、水を張ったばかりだと思われる田があった。
「代掻きやっちゃいますか」
その言葉に、唖然と沈黙が走った。
耕起が完了した田に水を張り、土をさらに細かく砕きかき混ぜて、土の表面を平らにする作業。田の水漏れを防ぎ、土表を均し苗をムラなく生育させ活着と発育を良くし、雑草やその種を細断し切り刻み埋め込む大切な作業――、代掻きだ。
「…待ってくれ。もしかしてこの機械は―――」
「ええ。最後まで人力と家畜に頼っていた作業を、すべて自動車に置き換えます。除雪、中耕、除草も余裕――…機械化大農法の、集大成ですよ。」
一人が、鋤を落とした。
「なんだそりゃ…、もう何もやることなんて残らないんじゃないか…?」
「ほぼすべての稲の生育作業を、自動車だけで……!?」
一気に移動する。それでも最高速度は20km/h、それに加えて今は80kgはあるんじゃないかという重さの耕耘機を牽引しているので、10km/h出ているかどうか。
「耕耘機、起動――!」
「わかったわ!」
裲がボタンを押す。
トラクターにて牽引される耕耘機には操縦席を付けた。そこでボタン式操作だ。
基本的に耕耘機は大きいから、女性一人乗せても壊れることはないし、巻き込み防止の覆鉄板を装備させているから怪我をすることもないはずだ。
「よっし!成功!!」
「やったぁ!」
僕らがハイタッチする仕草をするのをみて、にわかに人々も騒ぎ出した。
「おい、水跳ねちらしながら、ちゃんと回ってる!」
「うそだろ……進んでやがる…」
「信じられない…、これが新時代農業……!?」
代掻き。耕起が完了した田に水を張り、土をさらに細かく砕きかき混ぜて、土の表面を平らにする作業。田の水漏れを防ぎ、土表を均し苗をムラなく生育させ活着と発育を良くし、雑草やその種を細断し切り刻み埋め込む、大切な作業。
鍬一本の人海戦術で行っていたそれは、今ここに、自動車にとって代わられた。
暫く代掻きを続けて、一番端までやってから戻る。彼らの前でトラクターを止めた。
「わからないところがあったら、先程のように質問してもらって構いませんよ?」
そう言うと、少しの沈黙の後におずおずと一人の手が上がる。
「どうぞ!」
「たったそれだけで…耕起と代掻はもう終わりなんですか?」
促すと、控えめな声が飛んで来た。
「終わりですよ。触ってみてください?」
「……本当だ!土が……!」
「まて、俺にも触らしてくれ!」
「私も!」
集団で土に手を伸ばす人々。
「凄すぎる…人力でやるよりも深くまで…」
「しかもこんなにも速く…っ」
「…誰も凍えなくて済むし、疲れない……!」
「――これが、機械化大農法なのか…。」
・・・・・・
・・・・
・・
「雨煙別さん、であってますよね?取扱説明書ここに挿しておきますんで、操作方法全般はこれで。他の方々にも教えてあげてください。」
「……すみません」
「緊急時は元紋別入植地まで連絡くださいな。」
僕はそう言い残して履帯牽引自動車から飛び降りた。
たった数時間で操作をあらかた覚えた青年は、早速田起こしを始める。
「さて。これで――機械化は満了だ。
乾田馬耕も一年持たなかったけど、これで、田起こしから収穫まで、一通り…本物の稲作大農法ができるわけだ。」
たった1年で、時代を軽く半世紀は進めた気がする。
いやそれは言いすぎか、ここ10年で老農たる紋別村長老が明治農法を成熟させ、タコ足直播機に代表される大農法の礎を完成させていたから、ここまで行けたのだろう。
紋別村は、ここまで飛躍できるポテンシャルを10年の間に整えていたと見るべきか。なるほど、僕の功績というわけではあるまい。
「10年前は、湿田に腰まで浸かりながら、鍬を振り、腰曲げて苗を植え、釜で雑草を斬り、稲を狩っていたんだよな…。」
明治22年。今から10年以上前、はじめてこの元紋別に降り立ったときの姿を、克明に思い返す。
「……こんなものが…、本当に…」
楓が、暮れゆく陽を背景に疾走する自動車を眺めそう呟いた。
「これでも…農業革命の、その第一歩でしかないよ。」
「それでも、これだけで…」
「ああ。一人あたりの収穫量は10倍に増えるし、開拓地もぐんと拡大する。」
後ろから長老――あの老農が、僕の隣へ並び立つ。
「対価は、どうするかね?」
「対価?」
「ここまで恩恵に預ったんじゃ。我々は如何ようにして報いたら?」
「ははは、全然。
本当に、恩恵なんかじゃないんですよ。」
人のためじゃない。
断じて無い。
そこを踏み違えればもう終わりだ。
自分の欲のために僕はやってきた。
追放先で開拓に失敗して飢え死ぬか、良くても帝都には二度と戻れない――そんな妄想を勝手に抱いてるあの『英雄』とやらに、氷雪の大都を見せつけるため。
この村を、此処一帯を「皇國の穀物庫」にするというのは、僕の個人的復讐だ。
「機械化と化学肥料、そして大農法の導入によるこの農業革命に――…あなたがたが対価を払う必要は、ないんです。
けれども…許されるのなら、これからも協力して頂きたいんです。」
そう右手を差し出すと。
長老はおもむろに屈み、膝を折って平伏した。
「ちょ、ちょっと!別にそんな――」
「多くの命が貴方がたのお陰で、救えそうです。」
長老は続ける。
「長く厳しく寒い農作業の過程で、特に気候条件が酷いこの辺境は、体調を崩してそのまま治ることなく亡くなっていく赤子や子供、爺婆が多いんでして。」
「………っ」
「でも、これさえあれば、そういうのからより多くを救えます。本当に感謝します……。」
僕は膝を折って地につける。
目線を長老と同じ高さにして、懐から瓶を取り出した。
「魔法瓶と言いまして。どうぞ、村でお使いください。」
「え……?」
試験的に制作した紙コップも出し、そこへお茶を注ぐ。それを長老へ差し出した。長老は躊躇いがちにそれを受け取って、口をつける。
「……温かい…。」
「こんな寒さの中。熱い茶は一番体に染み渡りますよ。」
長老は顔を上げた。
「どうして…、ここまで…?」
微笑んでその答えを返す。
「僕の不遜極まる要請だと思って聞いて下さい。
…――紋別村を、改造させて欲しい。」
つまりはそういうことだ。
枢密への個人的なやり返しにこの紋別村とその人々を踏み台に使うのだ。
そのために農業革命を押し付けて、紋別村に介入し、改造する。
さて、この一連の流れを全て「善意」という仮面振りかざしてやり通すのだ。
「……”改造”??」
「紋別村を、辺境の寒村から――…
村の人々を巻き込んだ、全てへの干渉。
事実上の、『元紋別入植地』による紋別村の併合。
僕の開拓事業へ紋別村を編入するという決断。
失敗は許されないし、失敗するつもりもなければ、成功して許されるとも思わない。
「本気か、それは?」
「ええ、恥を忍んでお願いしますよ」
そしてその行き着く果てが『個人的復讐』なのだ。恥以外の何物でもないだろう。
「…我が村そのものに、手を加えると?」
「徐々に、ですよ。失したときは皇國全土に売りつける予定の硝安…それでもダメなら、僕の入植地の収穫から出します」
「だがそれでは、お主の越冬食糧が」
「はは、村を破壊した代償が僕一人の餓死で済むなら十分ですよ」
多分それでも済まされない。
一人の空腹さえ満たせないこの首一つを差し出して何になるというのだ。
何の保証もなく、無責任に大勢を巻き込む自己満足。
「信頼性を求め
そうわかっていて、こんな問いかけを抜かすのだ。
我ながら人格欠損も甚だしい。
「きっとそれが、村の30年後を大きく変えるんです。」
僕は老農に向き直った。
「………」
老農は瞑目する。
村の生死を賭けるのだ。影響は計り知れない。
ふと、隣から楓が歩み出る。
「――…進んでみても、いいと思う。」
村娘はおもむろに、老農へ切り出した。
かくてその碧がかった黒髪を垂らし、少し深めに頭を下げる。
「だから、『長老様』。」
ああ、この展開。
10年前にも、あったなぁ。
「――ふっ」
そう、敢えて『ご都合主義』と解釈してやろう。
"どこまでも傲慢であるが故に、得られる信頼感もある" のだから。
「
紋別の名を――世界に刻む為に。」
長老がゆっくりとこちらに向き直る。
異論は認める。これは決して褒められたやり方じゃない。
きっと磯城であれば嫌悪と嘲笑に顔を歪ませこう蔑むだろう。「平成人らしい醜劣なありさま」だと。
「儂らに、農法革命をご教示頂きたい。」
王道逆走?上等だ。
これが僕のやり方だ。
携えられた長老の手を、力強く握り返す。
「これからも――宜しくお願いします。」
・・・・・・
・・・・
・・
「……おぉ!ここにいたか」
「はぁ…いつまで待たせんのよ」
暫く行くと、紋別村の入口でトラクターに乗っかって、裲が待っていた。
「村にいればよかったのに」
「別にそれでもよかったんだけどね…。それより、あんた宛に令嬢殿下から電報が来てるわよ」
「え、え?」
一気に寒気が来る。また無茶なことをやらされるんじゃないかと恐怖しながら、裲の出してくれた紙に記された電報を読む。
最初の数文字でそういう系ではないことを察し、安堵するが、読みすすめるうち表情が自然に硬くなっていくのを感じた。
「青森歩兵第5連隊が八甲田山雪上演習の再来週の実施を発表した、か…」
「そうらしいわね」
ため息をついて、もう一本持ってきていた魔法瓶を取り出す。
「なに、それ?」
「魔法瓶っていうんだ。二重構造で内層と外層との間を真空にして、保温性を徹底的に高めたもの。」
「つまり…こんな寒い外でも暖かいお茶を飲めるってこと?」
「そういうこと」
1881年にドイツで試作された、壁間の空気を抜いた二重壁の液化ガス保存用のガラス瓶がその原型となり、1891年には大英で今日の用途で使うためのものが実用化され、1904年にはドイツで商用量産が始まった。
史実1909年には、びんに栓をするだけの単純な構造だったが日本に上陸。1911年、国産化に成功し、1912年には生産が始まった。しかし、当時は効用が知られず国内需要は少なく、もっぱら欧米植民地の支配層白人向けに輸出され続けた。
「八甲田山遭難事件は、本当に悲劇だよ。たった一着の外套で、極寒と暴風雪のなかを窯背負って歩いて…。野営地じゃマッチは濡れ、まともに火が起こせず、点いたとしても火が熾るにつれて床の雪が融けて釜が傾いて、炊事作業は出来ず、飲み食いも出来ない。そのまま道を見失い、連絡も出来ないまま遭難して凍死を待つ…」
地獄としか言いようがない。
「でも――、現にそれは行われようとしている。他ならぬ僕の判断で、だよ。」
未曾有のシベリア寒気団が列島を覆い、各地で日本の観測史上における最低気温を記録しているという、全く持って雪中演習には向かないであろうこの時期の行軍決定。それに介入しないと決めたのは僕だ。
「だからこそ、装備面じゃ可能な限り手を打つって言った。」
「そうね。無線配備、羊毛防寒装備、即席麺…。それだけじゃなくその後も、スキーの前倒しでの配備や、ゴム靴の支給とか、色々やったわね。」
「そう。だからこそ…まだ二週間ある、速達郵送なら――間に合う。」
裲はそこまで言って、目を丸くする。
「え、あんた、まさか――」
「手作り魔法瓶20本くらい、二週間ありゃ量産してやる。暖かいものは必要だよ。ここまできて痛感してる。だから、火が起こせないなんて状況にはさせない。」
懐からもう一つ、取り出す。
「棒……?」
「現代火打石。平成じゃファイヤスターターって呼ばれてる。」
すでに用済みの電報紙を広げ、その上で、付属の刃物でその棒を強く擦過する。
「きゃっ!?」
紙の上には棒が削られて粉末状になったものが散らばるが、大きく火花も散る。二回、三回としないうちに、火花はその粉に着火して、大きく燃えだす。ついには紙に引火した。
「なによ…、それ…!?」
「ただのアルミニウムの塊を棒状にしたものだよ。それが、いともかんたんに火を起こせる。製造は手作りで十分。」
厳寒期のオホーツク。その雪上で、火は燃え続ける。八甲田山に持っていくには十分だろう。それを確認してから、ファイヤスターターと魔法瓶を懐にしまう。
「最後まで十字架は背負う。今、出来ることを、後で後悔しないよう――」
背後で汽笛が響き、鉄輪が軌道を軋ませる音が響く。
「――全ては、日露戦争へつながるから。」
ロシア軍の冬季大攻勢には、欧州を統一したあのナポレオンやヒトラーさえ敵わなかった。1904年から05年にかけての冬、帝国陸軍へそれが降り注がなかったのは奇跡にほど近い。もしも史実あの満州の寒さの中、幾十万が押し寄せていたら。
間違いなく、
これらの全ては、防寒の要として皇國陸軍と共に満州を征くことになる。人的資源、工業力、鉱物、農業力。全てにおいて遥かに届かない国力10倍差の戦争。奇跡による勝利ではなく、理論による勝利を求めねば文字通り、死ぬ。
「やらねばならないのなら、やるしかない。
僕はこれでも、皇國軍人なのだから。」
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