前4話 致死

「正しくは―― 枢密院が””。」


有栖川の表情から笑みが消えていく。



「……、へぇ?」


少し、有栖川は口角を上げる。


「根本的に認識を誤っていないでしょうか」


すぐさま言葉を継いだ。


「未だ近代化20年強、極東の辺境にある有色人種の小さな島国。そんな皇國を、世界に蔓延る白人至上主義の下、果たして帝国ロシアはどう捉えます?」

「というと?」

「ロシア帝国は『戦争』のつもりで来るのでしょうか?」

「…来なければ?」

「帝国が皇國との戦争をと思わなければ、容易く戦争へ突入する」


シベリア東進の如く、蛮族征伐の構えで南進してもおかしくない。


「1875年の条約で諦めたはずの樺太へ、今になって領土回復を見込み貪欲に入植を続けるという行為は条約の信用性を揺るがします。」


これは、皇國議会で民党から幾度も問いただされ、旧士族や皇族からも懸念の声が上がっている話だ。


「それでも、枢密院は頑なに方針を曲げない。」


”ここに集う者は、『維新の英傑』か”

”天が許さないのならば抗うまで”

”俺という主人公の下に――”

”運命に定められた軌道を変えてみせるッ!”


誓約発威、士気鼓舞の最高の一幕だ。

されど。


民党派非枢密院派から問われた幾十の疑問うち――回答されたモノさえゼロ。」


枢密院は絶対頭脳、どんな難題でも解決出来るのか?


「互いに建設的な意見と改善策を出し合い議論し、政策をより良質に、結果をより高みへ持っていく。議会制最大の強さであり――存在価値ですらあるそれを、全くやるつもりがないなら


西欧列強に魅せるためのの国会、体裁としての議会制民主主義。稼働など求められないただの偶像。『歴史改変物語』のお飾り。

金と時間を溝に捨て続けるだけで、そんなものは決して益になりはしない。

そんな虚飾で、この帝国主義時代を生き延びるつもりだろうか。


「枢密内で一度決まれば、外野が何を言おうと黙殺。

 自身を、自身の決定を過信しすぎてはいないでしょうか。」


”史実知識”という武器は猛毒だ。

チート極まりないそれは、強すぎるが故に絶対視され、史実を知る自己に過信を抱き、先入観と楽観視をしかねない。


”お前の前には常に俺らの背中がある”

”それを追いかけて学んでいけ”

”――俺の物語に出たいだろう?”


果たして、この世界は「物語」なのだろうか。


「だからこそ、でしょうか。枢密院はそこを誤り、自身らは強者と捉えられていると勘違いした。…そう思うんです」


今から速やかに北方移民を中止させれば、ロシアが許容する範囲内で、一定の影響力を樺太に持ち続けられたかもしれない。

それがギリギリのルートだった。


帝国ロシアが対日警告を突きつけてきた瞬間に運命は決まります。

 面目上、あの帝国が”劣等国”相手に退くなんてあり得ません。内容は、良くて移民中止――悪ければ移民の完全撤退。」


枢密院は、自身らの政策失敗を認めることになるそれを、散々退けてきた民党や士族の手前、絶対に呑むことはできない。

枢密のプライドが許容できないのだ。


「皇國はロシアの対日警告を受け入れない。

 その果てに、何一つ準備出来ていない状態で、かの超大国相手に、絶望的な戦争の戦端を開く羽目になり――。」


静かにチョークを置きつつ、言う。


「皇國は、死に至る。」




「……へぇ、ご聡明ですこと」


有栖川が笑う。

心底おもしろい、といった風に頬を緩める。


いっそ「非国民め!」だか「忠誠が足りん!」だか怒ってくれればよかった。

要するに、僕の姿勢を問題視して呼び出したのであれば「自分が間違いでした!枢密万歳!」などと抜かしさえすれば、解放される。


今の有栖川の反応は真逆だ。

純粋に興味を持たれてしまっている。


「つまり、皇國の余命はどう足掻いても長くない、と仰られて?」


これは長引きそうだと項垂れつつ、答えを返す。


「とは限りません。これはあくまで全面戦争になったときの結末です。枢密院にプライドと樺太を捨てる覚悟があれば、皇國は生き長らえるでしょう」


彼女は立ち上がり、窓に向かって歩み出した。


「質問が悪かったですわね。即ち――…皇國の『敗北』は避けられない、と?」


その問いに、少しばかり口角が上がる。


「皇國が勝利した後の展開、想像してみます?」


伝わるだろうか。


もし、もしもだ。

『史実知識』なしにこれが伝わるならば。

きっと、本来彼女はここにいるような人材じゃない。


「――遠慮させて頂きますわ」


おもむろに風が吹き込む。

白いレースのカーテンとともに、ふわりと彼女の金髪が持ち上がる。


「あまり麗しくはなさそうですから。」


有栖川は振り返って、ふっ、と微笑んだ。


手先が震えた。

未来を知るでもないのに、そこまで理解する才覚に戦慄した。


「……っ!」


同時に一塵の喜びを感じてしまった。

久々に、渡り合える相手を見つけたからかもしれない。


踵を返す彼女の背中に、声をかけてしまったのは。

後から思えば――きっと、魔が差したのだろう。


「ひとつ確かなのは。維新の英傑が揃い、皇國の枢核と持て囃される枢密院とて――人間であることです。このことを、僕らは絶対に忘れちゃならない。」

「………。」


枢密は、確かに強い。

だがそれは、史実と言う既に敷かれたレールの上での話だ。これから歴史が変革するにつれて、そのアドバンテージは大きく後退していくことになる。


「維新の英傑だろうと歳を取り、鈍り、やがて死んでいく。年月を経るにつれ、枢密が失する可能性は増えていく。」


有栖川の金髪が揺れる。


「ここで問われてくることは、枢密以外の人間たちの思考力となります。それ次第なら切り抜けられます。」


そして、息をく。


「だが。そのとき、もう既に我々が枢密を絶対視していれば…、

 ――。」


枢密の無双に、誰もが自分で考えることを無駄と判断すれば、枢密以外における思考が消えていく。皇國で、枢密が唯一の、そして絶対的な脳となるのだ。

やがて枢密が致命的な失態エラーを晒し、その機能を停止したとき、一極集中の中枢が潰れたとき。どうなるかはもはや想像に難くない。


「思考を止めてはいけない。枢密英傑を疑い続けなければならない。

――我々の責務であると、少なくとも僕はそう確信します。」


有栖川は足を止めた。

ゆっくりと振り返って、深く、深く、一言。


。」


くるり、と反転し、つかつかと僕へ歩み寄る。


「本当に――貴方、最高ですわね」


我慢ならない、といったふうに有栖川は僕の両頬を引き寄せた。

眼と鼻の先に有栖川の端麗な顔が迫り、思わずドギマギしてしまう。

瞬時に理解した。この鼓動の高鳴りは―――恐怖だと。


「……近いです」


表紋筋まで強張らせつつ、ようやく出た一言。


「っと、失敬。」


すっ、とあっけなく有栖川は僕から一歩引いた。


「自己紹介が遅れましたわね。わたくしは有栖川茶路、数えで16。」


スカートの裾を持ち上げて、少しの乱れもない儀をしてみせる。


「訳ありまして、帝都からここ旭川に暫し赴任していますの。」

「…22と仰ってたじゃないですか」

「生徒に軽く扱われては頂けませんもの?少しは偽装しますわ」


数え16ということは、僕より4歳年上か。

その年で北部最高学府の研究棟責任者。

家柄と才能の塊が揃ってないと、到底届きはしない。


思えば必然というわけか?

無茶苦茶な。


「これから、毎週この時間に、ここ研究棟管理室にいらして頂けて?」


突然、そう告げられる。


「え?は?あーいや、ちょっと都合が…」

「放課後なら授業もありませんわ、他にいかがなさって?」

「勉強が…」

「いらして頂けて?」

「体調が…」

「いらして頂けて?」


金髪を少し梳いて、有栖川は微笑む。


「決定事項。」

「ちょっ、そんな……」


ひらりと甘い香りを残し、彼女は今度こそ踵を返す。


「これからよろしくお願い致しますわ――」


思えば、これがすべての始まりだったのだろう。




・・・・・・

・・・・

・・




「順次、演習射撃開始!」


教官が猛る。


(1年生の6月で実弾射的か…、ずいぶん早いな、国境地帯だからか?)


そんなことを考えつつ伏せて、小銃を構える。

他の生徒は既に射撃を始めたようで、ダァン、ダァンとひっきりなしに演習場に銃声が響き、標的が貫かれていく。


さて、僕の構えるこれは無論のこと例の改造銃。実弾込めで射撃するのはこれが初めてとかいう危なっかしいったらありゃしない代物だ。


「待て…?他生徒の射撃音に紛れるし連射試験出来るんじゃ」


そこを、敢えていい方向に解釈してみる。


(よっしゃ、思い立ったが吉日…!)


銃口を静かに標的へ向け、弾倉を差し込む。


排弾機構を確認、後方銃床の動作を確認。

暴発はなさそうだ。


撃鉄に人差し指を添え――、装填。

指切り連射。



ガガガッ!



「ぐっ、ぉ…!」


鈍重な射撃音と、改造前の比じゃない反動にビクリと震える。


聞かれたんじゃないかと慌てて周囲を見回すも、各々が初めての射撃に夢中で、誰も気づいている様子はない。


「……ふぅ…。」


安堵の息を吐き、一転、弾倉を確認する。

3発しっかり消えていた。

排弾機構にも詰まりはない。

足元を見れば空薬莢が3つ散らばっていた。



成功だ。

軽機として機能することを確実に示したのだ。


「っ、しゃぁ……!」


静かに喜びを噛み締め、拳を握りしめた。




「何がよっしゃぁだ、標的は無傷ではないか!」


教官が飛んできた。

焦る。バレたか?


「射撃できただけで喜ぶ生徒が近年多いが、腑抜けているとしか言わざるを得ん!いいか、よく覚えておけ!銃撃は、命中させるまでが成功なのだッ!!」


どうやら、的に穴が空いてすらいないのに、拳を握りしめている僕の姿が気に食わなかったらしい。ふむ、たしかに一理あるっちゃある。


「もう一度だ!命中するまで貴様は帰らせんッ!」


ゴツリ、と鉄拳制裁を食らう。

士官科と言えど兵学校、厳しい指導に身体が軋む。


「っ」


教官が去っていくのを見送ってから、銃を構える。

ここからはいつ見られてもおかしくない。

一発、一発ずつ撃っていく。


されど、何度やっても標的には掠りもしない。

的に命中させて無事射撃訓練を終えた生徒たちが、次第に嘲りに来る。


「くくっ…、まさか一発も命中させれないだなんて、三大隊生くんよォ?」

「…くすくすくす、所詮は道東の土人か」


外すたびに野次馬が集まり、失笑が注ぐ。


「お前やる気あんのか?軍人向いてねぇよ」

「そうだ!この恥晒しが!」

「やめちまえ!」

「内地に帰れ!」


(まぁしゃぁないよな…)


そもそも、三大隊生のくせに目立つからこういう目にあっているのだろう。

机上特化でマウントとるガリ勉が嫌悪されるのは古今東西世の摂理か。


キーンコーン、カーンコーン――…。


時鐘が鳴る。

満足したのか、それとも終礼の時間が迫ったからなのか、生徒たちは悪者討伐からの凱旋のごとく、意気揚々と校舎に引き返していく。


「はぁ〜…。」


銃を掲げる。

まぁこれが無事ならどう言われようといいか。



「無様ね」


ふと、咲来の長い銀髪が太陽を覆い隠した。

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