四章 嗚呼偽りの赤陽よ

陸軍航空隊

「帰還ッ!!」


というわけで僕は叫んだ。本来ならば高校生の歳に、空挺団隊長としてここで猛訓練をしたのは今から4年前。それから変わらず、この習志野の田園の中にポツリ、2階建ての木造庁舎は佇んでいた。


「おっそいわねぇ、どれだけ待ったと…!」


待ち合わせ場所に先に到着した片方が、もう片方におおよそかける声とは真反対の言葉を、待ち構えていた裲が不機嫌な表情と共に述べた。


「申し訳ありませんお許しを…、試作品のフォードで来たんで…走れたことは走れたんだけど、速度が想定より出なかった……」


お察しの通り、蒸気機関車に匹敵するが如き黒煙を吐き散らしながら、あの車は僕をここまで運んでくれた。


「な・ん・で・よ、想定より出なかったら戦場じゃ大惨事じゃない」

「いや、満州は平原だから想定速度は出せる。つまり問題は、この車が箱根峠を越せないこと。」

「何、つまりあんたが誇る電撃戦を支える車たちは満州でしか動かないってわけ?」

「そのとおりです、はい。内地や朝鮮とか山脈ばっかじゃまるで動かないっぽい。朝鮮で野戦砲なんて牽引したら多分、木炭自動車みたいに手で押すことになる」


自動車や装甲車は満州の荒原疾走専用と証明されてしまった。朝鮮半島は結局、鉄道輸送頼りになるだろう。想像より発動機出力がクソなのだ。何がはたらくくるまだ。はたらけくるま。


「対露戦バルバロッサ計画には支障は出ないとは思う」

「そういうこと聞きたいわけじゃないのよ」


ひぃ怖い。怒らせてしまった…

彼女はため息をついて僕の髪の毛に手を伸ばした。

殺される、そう思って身構えた瞬間、彼女が静かに口を動かす。


「煤、ついてる」


そう言って優しく黒煤を落としてくれた。


「………!」


感動していると、背中をはたかれた。平和崩壊。


「すぐ調子に乗る!」


そのまま彼女はつーんと、そっぽを向いてしまった。


「ありがとうございますけど痛いです死んでしまいますやめてください」

「背中にもついてたのよ、ご愁傷様。」


軽く彼女は笑った。

僕も対抗して言う。


「僕の髪と煤は同じ黒だろ、よく見てるもんだねきみ。」

「……っさいわね」


首をかしげる。返しに覇気がない。

彼女は空挺団本部の方へ踵を返す。


「…さっさと本題入るわよ」


彼女は振り向かずに資料を突きつけてくる。

なんかもう近頃、紙しか見てないなぁ…


「第一空挺団は戦後再編されたの」

「へい、そのようですね…。」


第一空挺団司令部 定数 飛行船2隻

・司令部

・通信隊

・衛生隊

・4個挺進小隊


「多分前回みたいな使い方は出来ないよなぁ」

「当然できっこないでしょ。旅順からサンクトペテルブルク、無着陸無発見で地球半周飛行船旅行させるっての?」

「バルト海までとか物理的に無理やん」

「対露戦、空挺団は完全な特殊部隊、コマンドと化すわ。電撃戦だっけ?をする以上、敵の撤退路を遮断するのは必須でしょ?」

「ということは、敵背後に降下して、橋を破壊する、みたいな行動するわけ?」


映画の影響で想像してしまう、なんかかっこいいヘリボーンの特殊部隊がしそうな敵地侵入シーンみたいなのを、僕は身振り手振りで裲に伝えようとする。


「そうなるわね。あともう一つの手段としては。ロシア極東軍の補給路は、ただひとつに限られてて、それが単線のシベリア鉄道なのよ。それを空挺降下で破壊するっていうのは想定されてはいるんだけど……」

「敵の補給路の破断って、空襲でもできるんじゃね?」


裲は頷いた。


「その通りなのよ。もう、からね。」


彼女は第一空挺団庁舎を過ぎて尚歩き続ける。僕もペットのごとくついていく。広大な演習場を4,5kmばかりいった奥の方に、その庁舎は悠然と佇んでいた。3階建ての重厚な赤と白の煉瓦建築。そこに日傘をさして立つドレス姿。


「はぁい♪」


「ねぇ、なんで殿下がいらっしゃるわけ?」

「はぁいじゃないです令嬢殿下。お戻りになったはずでは??」


困惑。誰だお前。隣には因縁の黒煙自動車。


「ここに大物が来ているって伺いましてよ。先回りしてお待ちしておりましたの」


僕は眉間に人差し指を当ててはぁと息を吐き出す。


「OK,状況は理解しました。することにします。……んで、なんですかこれは。」


僕は、100年後だったら間違いなく重要文化財に指定されていそうな、やけに重厚で荘厳な建築を指差す。


「普通こういう芸術作品は霞ヶ関に造るべきでは?誰も見に来ないんだったらそれこそコンクリート豆腐でいいでしょう。」


無駄に凝ってるという言葉が直に当てはまる。無数の装飾が赤煉瓦を浮き上がらせている圧倒の明治モダン。だがそれを習志野の平原にぽつんと立てた意義は?

結論、帝都に造れ。


「……満州国国務院も、荒れ地の真ん中にぽつんと建っていましたわ。」

「だってその荒地、満洲国都の予定都市でしたよね?」

「当時は何もありませんわ」

「その後無事首都として発展しましたよね?

 それとも何ですか、殿下は習志野を首都にするおつもりで?」


某俺ガ○ル作者大歓喜じゃん。


「……でしても、士気は重要ですわよ?」

「建物見て士気上がります?旭川の学舎見てやる気になったことはなかったですが。逆に毎朝鬱でしたよ。」

「………」

「まさかあの有栖川宮のお姫様殿下たるお方が、なんの考えもなくド田舎に観光スポット造るわけないでしょうから、無論きちんとした理由があるんでしょうねぇ?」


「…〜〜♪」


こいつ無視しやがったぞ。今度こそは許さん、お前の趣味(ど田舎に荘厳建築建てること)に金使う暇あったら陸軍特に機甲部隊に回せ。切実に。


「あらまぁ、見えてきましてよ。」


完全に話をそらされた。だいたいこういう場合は晒し上げても無駄だ。最後は予算で脅されるハメになる。そもそも陸軍省ごときが大蔵省に逆らうなんて以ての外だった。大蔵省に意見できるのは天皇陛下と国鉄だけだ。

とりあえず大隈の指の指示す先をたどる。


「ここが……『/飛行第一戦隊』かぁ…。」

「陸軍航空隊、ついに出来たわけ?」

「去年、つまり明治31年の夏に陸軍省隷下に航空参謀本部が設けられて、正式に陸軍航空隊が発足したらしいよ」


裲と話を交わしていると、コツ、コツ、と足音が近づいてきた。


「Hallo, mein Name ist Ferdinand Adolf Heinrich August Graf von Zeppelin, der an der Entwicklung dieses Luftschiffs beteiligt war.」


一人の白人がこちらに向かって歩いてくる。はっきり言って何語喋ってんだコイツ。僕は生憎日本語と南部ソト語しか解せないのだ。


「”私の名前はフェルディナント・フォン・ツェッペリン、この飛行船開発に携わった者です。”…なんとも美しい響きですこと。」


すげえ、令嬢殿下ドイツ語わかるんだ。

殿下はドイツに行ったことはあったか?あとで調べてみるか。まて、これはストーキング行為に当たるかもしれない、やめよう。

でも、もしもドイツ駐在なくて喋れるなら偉大だ。


しかし、ツェッペリン、か。何処かで聞いたことがあるような、ないような。


「Schön dich kennenzulernen, ich bin Shoko Arisugawa.」


令嬢殿下がおもむろに手をあげて、ツェッペリンさんを歓待する。

途中で聞き取れる日本語からするに差し詰め、お初にお目にかかります、有栖川宮鷦子です、とでも仰っているのであろう。

裲も徐に動く。どうした、何をしようってのか。


「Ich bin Ryo Sakkuru, Eure Highness-Eskorte」


(は?は…?は??)


僕は口を抑えて困惑した。

何でこいつドイツ語喋れんの??英語すら喋ってるところ見たことないのに。謎。


「何?どうしたのお前?どこかぶつけた?」

「うっさいわね黙りなさい、独語は独学よ」


裲が早口で振り向かず、静かにそう解説してくれた。

ふーん、ほーん、隠れてそういうことしてたんだ。仲間はずれか、そういう奴か。

結局これ話に僕だけついていけないパターンになるぞ。


取り敢えず話が通じないからなにもしないっていうのも失礼なので、ツェッペリンさんの前で敬礼をすると、ツェッペリンさんは僕に軽く会釈して、彼女らと握手し、会話を始めた。


ドイツ語なんざわかるわけないので、大空を仰いで見てみる。




「生憎今日は曇天かぁ…。」




青くどこまでも続いていて心地いい、とでも言えたらいいのだが。

昨日の快晴から一転、今日は見事なまでに曇天。


「…?」


ふと、灰色の空のど真ん中に黒い点があるのに気づく。


「なんだあれ……速いな。」


結構な速さで飛んで行くのがわかる。

不審にも分厚い雲の流れとは逆の方向へ進んでいく。

鳥にしては大きすぎるし、何なのだろうか。


「あそこだけ風の流れが違う……とは考えにくいしなぁ…。」


そのうちそれはおもむろに向きを変え、降下を始めた。


「………?」


どこか既視感。

これは―――


「旅順飛行場…?」


唐突にその単語が口から漏れ出ていた。

たしかにそこで見たのだ。これと同じ光景を。

――旅順飛行場、僕が北京へ旅立った出発点。


「―――…??」


でも、それにしてはおかしい。

まず速すぎる。僕が北京へ片道乗った試製ヒ号三型はせいぜい最高速度35kmレベルだったはずだ。だから北京につくまで船内で寝泊まりしたのだ。


そして、高すぎる。僕が知っているのは高度2000までの空だ。すなわち言い換えれば、2000以上はどう頑張っても届かない。しかしアレが飛んでいる空域は、間違いなく2000を遥かに凌ぐ高空だ。あり得ない。


とどめに、巨大すぎる。

アレが地に近づいてくるにつれ、はっきりとその巨大な影を捉えることができた。

全長140mは優に超えるだろう。僕が乗ったものより3倍は大きい。

しかし、皮肉にもアレの大きさがわかるにつれ、その影の形もはっきりと鮮明に浮かび上がってきた。


この形は、間違いなく―――

いや、それ以前に、この時代、空を飛べるものは一つしか無い。


「馬鹿な……!」


「――わかります?弊社の飛行船ですよ。」


あまりに流暢すぎる日本語に、何ら疑いなく返事をする。


「嘘だ…北京へ乗ったものと、何もかもが違いすぎる…。

 速さ、高さ、そして大きささえも…段違いだぞ!何なんだアレは!?」


そう言って、状況説明を求めようと僕が振り向いた先。

そこにあった笑顔に、僕は固まった。


「そう言っていただけて感無量です。

 …――空はお好きなんですか?」


先程のツェッペリンが、忽然と佇んでいた。

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