世界、震撼。

「………もう一度申せ。」


「は、はっ!日本軍が空から兵を降らせ、北京を占領しました!」


「余を愚弄しておるのかね…?」


「いっ、いえ!これは事実です、北京の大使館から報告を受けております!」


第二帝国カイザーライヒ皇帝、ヴィルヘルム2世は目を瞑って天を仰いだ。


「…たかが黄色人種が、空を飛んだ……??」


「は、はい。空飛ぶ船から飛び降りて、傘のようなものを空中で開いて減速し、衝撃を極限まで押し殺して着地したようです…。」


「意味がわからぬ…。日本人が、新兵器だとぉ!?」


ヴィルヘルム2世はしばらく黙ったが、突如、何かを思い出したような顔をした。


「………っ…。」


そして、妙に納得したような表情をして、ため息を付き、立ち上がった。そしてゆっくりと窓際まで歩いて、外に広がる大ベルリンの栄えある市街を眺めながら呟いた。


「――神聖ローマ時代のバイエルンの学者、シーボルトを知っているかね?」


「はぁ、シーボルト、でございますか…?……申し訳ありません、存じませぬ。」


「今から70年ほど前、日本に向けて彼は旅立った。そして、彼の地の環境を研究して、バイエルンに向けて帰る出国時、彼は密かに入手していた日本地図を役人に発見され、国外追放処分を受けた。」


「そうなのですか…。」


「彼が持ち出そうとしていた日本地図は、無論当時の日本の技術で制作されたものだった。その地図は、いま日本政府に保護されて、彼の国の国立美術館に展示されている。」


「日本が文明国になる前…つまり彼らが完全に未開だったの頃の地図ですね?しかし、そんな、開国前の日本の技術で作成された、ひどく精度の低かろう地図など使えないでしょう…。シーボルト氏は何をなさりかったのでしょうか?」


「違うのだよ君。その地図”伊能図”は、今の日本政府発行の日本地図と、…全く変わらないのだ。」

「……日本は、未だその程度の技術なのでしょうか?」

「無論西洋式測量で日本政府の地図は発行されている。この意味がわかるか、君。」

「………、っ!?」


「和算と言われる数学分野においてもあの国は、西欧の数学に、退けを全く取っていない。日本古来の文明は、西洋文明に並ぶ力を持っている。」


今、ちょうど思い出したものだが、とヴィルヘルム2世は補足する。


「連中は今や、我々白人によって占有されてきた領土拡大ゲームに参加し始めた。西欧に並ぶ文明を保有する未知の民族……。白人諸国の脅威になるかもしれぬ、か。」


侍従はそれを聞いて溜飲を下す。


「これは――、荒れますね…。」


ヴィルヘルム2世は振り返って言った。


「…本日は晩餐会だ。君も準備に入り給え。」

「はっ、仰せのままに!」


一人になった部屋の中で、再びヴィルヘルム2世は窓から晴れ渡る空を見上げた。碧天に太陽が高く上がっていた。


「連中を帝国主義世界に招き入れた事自体が、間違いだったかもしれぬ―――。」


第二帝国皇帝カイザーは、嫌な予感を感じずにはいられなかった。




―――――――――




「バカなぁ!どういうことだ!!?」


大英帝国の宰相、フリムローズは叫んだ。


「は、はい!日本人が北京を落としました!」

「在日英国大使館は何をしている!日本にこれ以上の進撃は控えるよう釘を刺しておけ、との命令はどうしたのだ!?」

「い、いえっ、警告はしたのですが、どうもその日に北京に降下したようで!」

「…クソっ、通告中に発動された作戦はたしかにどうしようもない…。しかし、我々も空挺降下とやら呼ぶ新戦術に対抗する戦術を開発しなければ厳しいのでは…?」

「それなのですが、これからは空挺戦術は、日本軍も安易に使用できない、というのが戦争省の見解です。」


戦争省とは、15世紀から続く英国陸軍の統括機関の名称である。物騒。


「戦争大臣、どういうことだ?」

「日本軍は、チャイナの皇帝を捉えるためにこの戦術を発動しました。しかし、もしも拘束出来なければ、降下地点は敵地。速やかに包囲殲滅を受けるでしょう。」

「それで?」

「要人を確保されなければいいんですよ。例えば軍の指揮官や国王陛下など。そうしたら後は、のこのこ空からやってきた敵部隊を殲滅すればいいんです。」


「……そういうことか、首都や司令部の防衛兵力を強化すれば問題なし、ということか。日本の今回の北京攻撃の成功には、空挺戦術をチャイナ側が予想できず、紫禁城の防衛兵力を手薄にしていた、という要因があったわけだ。」

「お察しのとおりです、閣下。恐らくこの見解は各列強の共通認識となるでしょう。もう二度と、何処の国も空挺戦術は使えません。」

「それはよかった。」


紅茶をすすって首相は一息ついた。そして疑問をぶつけた。


「連中はチャイナを無条件降伏に導き、何をするつもりだ?彼の国の国力じゃチャイナの全土併合統治には無理がある――。それで、我が国の権益を侵すものなら、我が国が黙っちゃいないことは明白だ。」


戦争大臣は一瞬黙って考えた。そして言った。


「――名目が欲しかっただけでしょう。今時戦争で日本政府は国民に際し、かなりの重税をかけている。戦果アピールのための題名でしか無いでしょう。それと、外国…、それも我ら欧米列強に最早日本は強国だ、との誇示でしょう。」


皇國は開国以来、植民地化の危機に常に瀕している。事実、そのとおりであった。無条件降伏で得られるものを、皇國が自身で管理するだけの国力はまだない。


「そうか、ならいいんだが…。―――しかし、『眠れる獅子』が死せる豚となった以上、彼の地の利権争いが列強間で加速するぞ。日本も加わる、かなり厳しいことになってくるだろう。我々も分割に向けて本格的に動き出すぞ。」


首相は疲れきった顔で話題を変えた。


「次の話題だ。アイルランドの反英運動が厳しい―――」


絶頂期の日の沈まぬ帝国、大英の首府の苦悩が尽きることはない。




―――――――――




「眠い……。」


5歳児の肉体はすぐ昼寝を要求してくる、とぶつぶつ愚痴を漏らしながら、彼は演説内容を書き始める。


「しかし、書かなければ…。思想内容はしっかり固めなければならん。」


全ては、目標のために。と、彼は付け足した。


「今度こそ実現する。そのためには今から動いたって遅いくらいに時間がない…。後24年でこの第二帝国は滅んでしまう……、今できることは全てこなしておこう。」


誰にも聞こえないように言ったが、彼の父親が少し聞き取ってしまったようだった。


「ん?アドルフ、なにをこなすんだ?」


慌てて彼は今まで書き綴っていた紙を隠し、取り繕った。


「いいや、なんでもないよ父さん。それより最近何か起こっていない?」


すると、彼の父親は暫し考え言った。


「父さんの周りには変わったことはないな。…でも、アドルフにはまだ難しいかもしれないけれど、世界で凄いことがあったんだよ?」

「へぇ〜、なになに?教えて〜。」


確か今年は1895年だから、恐らく”眠れる獅子”と恐れられていた中華を、極東の島国だった日本が、いともたやすく蹴破ったことだろう。


「世界の東の果てには、このヨーロッパとおなじくらい古い文明を持つ、大きな国と、未開で文明がない地域だったけれど、最近ヨーロッパの支援を受けて文明化し始めた小さく弱い島国があるんだ。」


清朝と日本だね、知ってるよ。彼はそう口に出さずに突っ込んだ。


「それで、その我々欧米のモノマネをし始めた小さな島国が、その大きな国を散々に打ち破ったんだ。」


(たしかにそうだな…。清朝はさんざんに負けてたな。)


彼は”史実”と呼ばれる世界線での出来事をを思い返す。


「昨日、大きな国の首都に、島国の軍隊が入城したんだ。各国の人々を招いてね。」


彼の頭のなかに疑問符が浮かぶ。


(確か史実の日本軍はこの時じゃ、遼東半島までしか行っていないハズ…。清朝の帝都は何処だったか…?まさか旅順や大連ってわけじゃなかろう。どういうことだ?)


「そうだ、今日の新聞に写真が載っていたから見せてあげよう。」


そういって新聞を見せられた。

デカイ見出しだ。だが、その見出しに書かれたことが彼は理解できなかった。

5歳児だからじゃない。彼だってもう文字は読める。そこに並んだ見出しがあり得なかったのだ。


”日本陸軍、北京・紫禁城を空挺制圧!”

”空に舞うサムライ 日が昇る如く”

”中華皇帝 捕虜へ”

Chinaヒーナ、辺境のサムライに敗北”

”数千年の東洋冊封秩序崩壊”


「バカな…、嘘だろ…?」


思わずそう漏らしてしまう。


(連中単独での北京制圧は、1937年のことだったんじゃ…!!?)


「ん?なんだい?」


固まった彼の姿を見て彼の父親の投げかけた言葉に、彼は何も言い返せなかった。


(何が起こっている…!私という存在によるバタフライ効果で歴史が曲がったか?だがおかしい、私のやったことなど精々思想の文章化だけだ…。どうして!?)


もしもこの世界が史実と同じ道を辿らないで動くのなら、計画はパーになる。


(ベルリン会議だって独露再保障条約だって、ロンドン切り裂きジャック事件だって起こっている…。ヨーロッパは史実通りに動いているのに、何処で狂った…!)


瞬間。


「………ッ!!」


彼の存在という概念が、彼の脳裏を過ぎた。それで、彼は納得した。


(そうだ、そうなんだよ…。私という存在が居るんだ、極東に転生者が居たっておかしくはない。それも、同じ悲劇の敗戦国日本に…!!)


自身の死の一ヶ月前のことだったか、45年3月、在日ドイツ大使館から、ベルリンにかかってきた緊急電報を思い出す。

『東京が、燃えている…ッ!世界三大都市、栄華の帝都が…!!』

恐らく、彼の国は大ドイツと同じ運命を辿ったのだろう。栄華も、誇りも、後悔も、贖罪も、全て燃え尽き、瓦礫に帰した我が祖国と。


(居ても全く変じゃない。私と同じ復讐者が…。)


前世、破壊を欧州に撒き散らし、そして最後には祖国さえ滅ぼした男―――


第三帝国皇帝カイザー・フォン・ハーケンクロイツ”、アドルフ・ヒトラーは笑った。


(面白い、面白すぎるぞこの世界線は……!!)

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